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遠野物語に描かれている天狗の伝説
『遠野物語』は日本民俗学の夜明けを告げる書であり、日本を代表する文学作品である。柳田國男が遠野の人・佐々木喜善から伝承を聞き書きし、明治43年に刊行。序文には遠野を訪れた時の見聞を詩情豊かに表現している。遠野の地勢の他、天狗や河童、座敷童等の不思議な話が119話にまとめられている。 pic.twitter.com/FKFA2Lh1r9
— 遠野市立博物館 (@tonomuseum) September 21, 2021
日本に伝わる天狗の伝説4つ目は「遠野物語に描かれている天狗の伝説」です。柳田国男が書いた著書「遠野物語」の第90段に、天狗と相撲をした男についての話が記されています。
松崎村の天狗森で働いていたある若者が畑の畔で居眠りをしていると、顔が赤い大男が自分を見下ろしていることに気付きました。
若者は上から見下ろされるのが気に入らなかったので「お前はどこからきた」と聞いたところ、その大男は何も答えません。
若者は相撲を取るのが好きだったので、その大男に勝負を挑んだのですが、あっけなく敗北して気を失ってしまいました。若者が目が覚めた頃には例の大男は消えて居なくなっていました。
しかしその出来事があった後の秋の頃、早池峰山へと大勢の村人が荻を苅りに出掛けたのですが、例の若者が何処へと消えてしまっていました。
何が起きたのかと村人たちが若者を探したのですが、深い谷の奥で手足が千切れている状態で死んでいる若者を発見。この事件は天狗によるものであるとして描かれているそうです。
九〇 松崎村に天狗森といふ山あり。その麓なる桑畠にて村の若者何某といふ者、働きてゐたりしにしきりに睡くなりたれば、しばらく畠の畔に腰掛けて居眠りせんとせしに、きはめて大なる男の顔はまつ赤なるが出で来たれり。若者は気軽にて平生相撲などの好きなる男なれば、この見馴れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すやうなるを面にくく思ひ、思はず立ち上がりてお前はどこから来たかと問ふに、何の答へもせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思ひ、力自慢のまま飛びかかり手を掛けたりと思ふや否や、かへりて自分の方が飛ばされて気を失ひたり。夕方に正気づきて見ればむろんその大男はをらず。家に帰りて後人にこの事を話したり。その秋のことなり。早池峰の腰へ村人大勢と共に馬を曳きて萩を苅りに行き、さて帰らんとする頃になりてこの男のみ姿見えず。一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死してゐたりといふ。今より二、三十年前のことにて、この時の事をよく知れる老人今も存在せり。天狗森には天狗多くゐるといふことは昔より人の知る所なり。
五五 川には河童多く住めり。猿が石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きはめて醜怪なるものなりき。女の婿の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀にうづくまりてにこにこと笑ひてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、しだいにその女の所へ村の何某といふ者夜々通ふといふ噂立ちたり。始めには婿が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺ひたりしが、後には婿と寝たる夜さへ来るやうになれり。河童なるべしといふ評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れども何の甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑ふ声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなはず、人々いかにともすべきやうなかりき。その産はきはめて難産なりしが、ある者の言ふには、馬槽に水をたたへその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたればはたしてその通りなりき。その子は手に水搔きあり。この娘の母もまたかつて河童の子を産みしことありといふ。二代や三代の因縁にはあらずと言ふ者もあり。この家も如法の豪家にて何の某といふ士族なり。村会議員をしたることもあり。 五六 上郷村の何某の家にても河童らしき物の子を産みたることあり。確かなる証とてはなけれど、身内まつ赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌はしければ棄てんとてこれを携へて道ちがへに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思ひ直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきといふ。 五七 川の岸の砂の上には河童の足跡といふものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などはことにこの事あり。猿の足と同じく親指は離れて人間の手の跡に似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人ののやうに明らかには見えずといふ。 五八 小烏瀬川の姥子淵の辺に、新屋の家といふ家あり。ある日淵へ馬を冷やしに行き、馬曳きの子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引き込まんとし、かへりて馬に引きずられて厩の前に来たり、馬槽に覆はれてありき。家の者馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば河童の手いでたり。村中の者集まりて殺さんか宥さんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯をせぬといふ堅き約束をさせてこれを放したり。その河童今は村を去りて相沢の滝の淵に住めりといふ。 五九 外の地にては河童の顔は青しといふやうなれど、遠野の河童は面の色赭きなり。佐々木氏の曾祖母、穉かりし頃友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある胡桃の木の間より、まつ赤なる顔したる男の子の顔見えたり。これは河童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。この家の屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり。
:角川文庫
90 天狗森 松崎村に天狗森(1)という山があります。 その麓の桑畑で働いている村の若者何某は、なぜか今日にかぎってしきりに眠気がします。(これはだめだ、ひと眠りしてがら仕事するごとにすっか)と鍬をおき、畑のくろに腰をかけようとしていますと、どこからか、顔のまっ赤な大きな男が現われました。 若者は、気のよいたちでしたが、ふだんから相撲などを好む力自慢の男でもありました。ですからこの見なれない大男が、目の前に立ちはだかって、しかも上から見下すような態度を憎たらしく思いました。思わず立ち上がって、 「おめえは、どっから来たっ」 とたずねました。が、大男は返事をしません。(ようし、それならひとつ、突きとばしてびっくりさせてやるが)と思い、力まかせに飛びかかりました。 ところが、大男に手をふれたと思った途端、かえって自分のほうがはね飛ばされ、そのまま気を失ってしまいました。 夕方になり、やっと正気づいてあたりを見回しました。が、もちろん、その大男がいるはずもありません。家に帰り、しばらく後になって、やっとこのことを語ったそうです。 そしてその年の秋のことです。若者は村人大勢とともに、早池峰山の麓へ、馬を引き萩刈りに行きました。 さて帰ろうとしたところ、この若者の姿だけが見えません。みんなは心配して、方々を探し回りました。が、なんとこの若者は、深い谷の奥で、手も足も一つ一つ抜き取られて死んでいたということです。 いまから二、三十年前のことで、この時のことをよく知っている老人がいまも生きています。 天狗森に天狗が多くいるということは、昔からみなよく知っています。 (1) 天狗森 天ヶ森とも呼ばれる標高七五六メートルの山。
59 遠野の赤河童 よその地方では、河童の顔は青いと言っているようですが、遠野の河童は、なぜか顔の色が赤いのです。 佐々木氏の曾祖母が、まだ幼かったころのことです。友達と庭で遊んでいたところ、三本ばかりある胡桃の木の間から、まっ赤な顔をした男の子が、こちらをじいっと見ていました。これが河童だったということです。 いまも、その時の胡桃が大木になって残っています。そういえば、この家の屋敷のまわりは、すべて胡桃の木です。
:河出文庫
…
実はテレビでも天狗の正体と題した特集が放送されたことがあります。
番組名は「みのもんたの日本ミステリー!」で、そこで放送されていた内容は「天狗の正体は古代イスラエル人だった」でした。
紹介されていた内容としては、京都鞍馬寺(鞍馬天狗を祀っているお寺)の地面にダビデの星(ユダヤ教を示すしるしでイスラエルの国旗にも描かれている)が描かれていて、ユダヤ教と鞍馬天狗の関係性があることを示すかのような形で話は展開されていきます。
そして、求菩提山(くぼてざん)の歴史が書かれている古文書に求菩提山に現れた魔物についての話が描かれており、求菩提資料館に残されている曼陀羅(まんだら:図像のこと)に天狗に似た人間たちがそこには描かれていました。
さらに東京都広尾にある「日本ユダヤ教団」では、
- ユダヤ教徒の祈りの時の装束が天狗の格好と酷似している
- 頭にはあの黒い箱のようなものを乗せている(ユダヤ教徒ではヒラクリティと呼ばれる戒律が入った黒い箱を頭に乗せる)
- トーラースクロールと呼ばれる教えの巻物を大事にしている(天狗が持っているのは虎の巻物)
など、明らかに「ユダヤ人が天狗の正体です」と言っているようなものとなっていました。
とはいえ、これはあくまでもテレビが取材で調査をした結果の話なので、これも一つの仮説として見るべきでしょう。
調べていくともっとややこしいのが、日本にはユダヤ人が来ている伝説。秦氏というのはユダヤ人だったという事も言われていますね。その外国から来た人たちのイメージも天狗のあの異形の姿には内在をしている。異界のものが天狗なのです。
じつは天狗に限らず、いろんなものがごちゃ混ぜになって、できあがっているのが日本の文化。後で申し上げますが、いろんなものが内在して幾層にもかかわってきたのが日本の文化で、その一つの象徴がこの天狗という存在なのだと思い当たったのです。またもともとあった古神道に関わる国津神の猿田彦信仰なども内在している。天狗が鼻高なのは猿田彦と同じ姿ですし、欧米的ユダヤ外国人という、そういうものさえ全部こう混ぜこぜになって存在してきた妖怪天狗、神の天狗であるといえるわけです。
https://ygjumi.livedoor.blog/archives/68770750.html
〈柳田國男説〉
民俗学者の柳田國男が岩手県九戸郡種市町の漁村・小子内(現洋野町小子内)に立ち寄り、
そこで見た盆踊り「ナニャドヤラ」について短編「清光館哀史」に書き起こした。
柳田が村の娘に教わったというその歌詞は
なにヤとやーれ なにヤとなされのう
これを柳田は「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」 と、
祭りという特別な日に、男に向かって呼びかけた恋の歌、としている。
今日は一ついよいよこのついでをもって確かめておくべしと、私はまた娘たちに踊りの話をした。今でもこの村ではよく踊るかね。
今は踊らない。盆になれば踊る。こんな軽い翻弄をあえてして、また脇にいる者と顔を見合わせてくっくっと笑っている。
あの歌は何というのだろう。何遍聞いていても私にはどうしてもわからなかったと、半分ひとり言のようにいって、海の方を向いて少し待っていると、ふんといっただけでその問いには答えずにやがて年がさの一人が鼻唄のようにして、次のような文句を歌ってくれた。
なにヤとなされのう
古いためか、はたあまりに簡単なためか、土地に生まれた人でもこの意味がわからぬということで、現に県庁の福士さんなども、何とか調べる道がないかといって書いて見せられた。どう考えてみたところが、こればかりの短い詩形に、そうむつかしい情緒が盛られようわけがない。要するに何なりともせよかし、どうなりとなさるがよいと、男に向かって呼びかけた恋の歌である。
ただし大昔も
一たび「しょんがえ」の流行節が、海行く若者の歌の囃しとなってから、三百年の月日は永かった。いかなる離れ島の月夜の浜でも、燈火花のごとく風清き高楼の欄干にもたれても、これを聞く者は一人として憂えざるはなかったのである。そうして他には新たに心を慰める方法を見出しえないゆえに、手を把って酒杯を交え、相誘うて恋に命を忘れようとしたのである。
痛みがあればこそバルサムは世に存在する。だからあの清光館のおとなしい細君なども、いろいろとしてわれわれが尋ねてみたけれども、黙って笑うばかりでどうしてもこの歌を教えてはくれなかったのだ。通りすがりの一夜の旅の者には、たとえ話して聞かせてもこの心持はわからぬということを、知っていたのではないまでも感じていたのである。
ナニャドヤラ→ナギッド ヤラー
主なる神は見給う
ナニャドナサレノ→ナキッド ナツェレット
נגיד נצרת
ナザレの主よ
ナギャッドヤーラ「救い主よ、立ち上がり給え」
ナギャドヤラヨー「我が神、救い主よ、立ち上がり給え」
ナギャドヤラヨー「身代わりとなった神の子羊よ、立ち上がり給え」
https://www.historyjp.com/article/528/
ヘブライ語で「ナギャドヤラ」とは
「ナギャドヤラ」は今日、「ナニャドヤラ」としても知られています。そして実際に唄われる際には、「ナニャドヤラ」と唄っています。これはおそらく、「ナギャドヤラ」が時を経て「ナニャドヤラ」に訛ったものと推測されます。よって、ここでは原文と考えられる「ナギャドヤラ」の発音に焦点をあてることとしました。
まずこの民謡の歌詞に繰り返し出てくる「ナギャド」という言葉に注目です。「ナギャド」は王子、主権者を意味するנגיד(nagid、ナギッド) です。旧約聖書において救世主なるメシアを語る際に、「ナギッド」は「メシア」と合わさって「メシア・ナギッド」という表現が用いられています(ダニエル書9章24節)。「メシア」は油注がれた聖者という意味の言葉であることから、「メシア・ナギッド」の意味は、「油注がれた救い主なる君主」、すなわち「救世主」となります。それ故、「ナギャド」「ナギド」という言葉には、単なる君主という意味だけでなく、救い主、救世主という意味合いも、ほのめかされているのです。
その後に続く「ナサレテ」は、その発音のとおり、新約聖書にも記載されている「ナザレのイエス」という表現にも見られるイスラエルの地名と考えられます。「ナザレ」はイエスキリストの出自に関わる場所として有名です。よって「ナギャド・ナサレテ」とは、ヘブライ語で「ナザレの救い主」「ナザレの君主」と理解することができます。
「ナサレテ」の後には「ナギャッド」の語尾に「ヤラ」がついた、「ナギャドヤラ」という歌詞が続きます。「ヤラ」の語源は、ヘブライ語で「立ち上がる」のיעלה(yaala、ヤアラ、ヤーラ) と推測されます。すると救い主を意味する「ナギャッド」と合わせて「ナギャッドヤーラ」となり、「救い主よ、立ち上がり給え」という意味になることがわかります。この言葉こそ大勢の民が集まり、神を祀る踊り唄の真骨頂となる掛け声ではないでしょうか。
また、「ナギャドヤラヨー」と、最後に「ヨー」がつく節も直後に続きます。「ヨー」は「神」を意味する「ヤ」、「ヨ」を指しています。ヘブライ語で「神」には様々な表現の方法があり、יההו(yahu、ヤフー) 、または略のיה(ya、ヤ)、 יו(yo、よー)などがその例となります。つまり「ナギャドヤラヨー」とは、「我が神、救い主よ、立ち上がり給え」という祈りの言葉だったのです。
次の「サーエ」שעיר(sair、サーイェ) はヘブライ語の雄ヤギを意味するだけでなく、旧約聖書の時代においては、עזאזל(azazel、アザゼル) という「地獄」を意味する言葉と繋がり、スケープゴート、すなわち「身代わり」という意味の言葉としても用いられていました。そこで浮かび上がってくるのが、旧約聖書のイザヤ53章に書かれている「屠られた子羊」、「身代りになったダビデの子、ナザレのイエス・キリスト」です。まさに、そのことを唄った歌詞が、「ナニャド ナサレテ サーエ」ではないでしょうか。それは、「身代わりとなった神の子羊よ、立ち上がり給え」を意味していたのです。つまるところ、その「身代り」とはイザヤ書にも記載されている油注がれた者、救い主であるメシアが、人々の罪を背負って代わりに死ぬことを指していたと考えられます。
「ナギャドヤラ」の語源を辿る
東北民謡「ナニャドヤラ」の意味を紐解く
青森県に伝承されるヘブライ民族の渡来
青森県新郷村 キリストの墓本州最北端、北海道に最も近い青森県では、古くからヘブライ民族の渡来が噂されています。八戸と十和田湖の中間に位置する新郷村には、イエス・キリストがあることは有名です。この墓の信憑性は疑わしくとも、イスラエルの歴史に関わる人物の墓が青森県の奥地にあるだけでなく、その地域周辺では、「ナニャドヤラ踊り」と呼ばれる意味が不可解な言葉で唄いながら踊る祭りまで古くから行われているということ自体、何かしらキリストを祀る理由があったのでしょうか。
理由なくして、イエス・キリストの墓が、青森県の奥地に建てられることなど想像もつかないことです。また、青森県の戸来(へらい)村という名称も、「ヘブライ」に起因しているという説があります。確かに「ヘブライ」と「ヘライ」はほぼ同等の発音であるだけでなく、そこに「戸来」という漢字をあて、わざわざ「ヘライ」と読んだことからしても、意図的にイスラエル人を意味する「ヘブライ」を「戸来」にあてた可能性があります。
太平洋岸にある港街は古代から八戸(はちのへ)と呼ばれていました。「戸来」の読みから「戸」は「へ」、「八」は「ヤ」と発音します。よって「八戸」の読みは今日では「ハチノヘ」ですが、本来は「ヤヘ」と読まれていたのではないでしょうか。「ヤヘ」は、ヘブライ語で神を意味する「ヤーヘー」という発音に酷似していることから、「戸来」共々、イスラエルの神に結びつく呼び名であったと考えられます。
青森民謡「ナギャドヤラ」はヘブライ語
その青森県で唄われる民謡の中に、「ナニャドヤラ」とも呼ばれる唄があります。その声の響きは「ナギャドヤラ」とも聞こえることから、「ナニャドヤラ」は「ナギャドヤラ」と呼ばれることもあります。現代では八戸をはじめ、二戸、三戸、九戸など、青森県の東側にあたる地域において、盆踊りの唄として親しまれています。そして定例の祭りの際には多くの女性が輪になって踊りながら、この唄を歌います。
ところが、その歌詞の意味は、日本語では全くといってよいほど通じないのです。そこで様々な説が唱えられ、これまで「梵語説」や「道歌説」、また「恋の歌説」などが提言されてきました。しかしながら、どれもその不可解な歌詞を解明するまでには至りませんでした。
「ナニャドヤラ」の発音を「ナギャドヤラ」としてヘブライ語で読むと、一変して意味のある言葉を有する唄に様変わりします。川守田英二著の『日本の中のユダヤ』では、この青森民謡が大きく取り上げられています。そこでは、いかにしてヘブライルーツの詩が日本民謡に姿を変えて土着したかが解説され、実際、ヘブライ語で書かれた日本民謡の歌詞や囃子言葉があることを、複数の事例をもって紹介されています。その内のひとつが、この「ナギャドヤラ」です。
その歌詞は、およそ以下の2文にまとめることができます。
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ヘブライ語で「ナギャドヤラ」とは
「ナギャドヤラ」は今日、「ナニャドヤラ」としても知られています。そして実際に唄われる際には、「ナニャドヤラ」と唄っています。これはおそらく、「ナギャドヤラ」が時を経て「ナニャドヤラ」に訛ったものと推測されます。よって、ここでは原文と考えられる「ナギャドヤラ」の発音に焦点をあてることとしました。
まずこの民謡の歌詞に繰り返し出てくる「ナギャド」という言葉に注目です。「ナギャド」は王子、主権者を意味するנגיד(nagid、ナギッド) です。旧約聖書において救世主なるメシアを語る際に、「ナギッド」は「メシア」と合わさって「メシア・ナギッド」という表現が用いられています(ダニエル書9章24節)。「メシア」は油注がれた聖者という意味の言葉であることから、「メシア・ナギッド」の意味は、「油注がれた救い主なる君主」、すなわち「救世主」となります。それ故、「ナギャド」「ナギド」という言葉には、単なる君主という意味だけでなく、救い主、救世主という意味合いも、ほのめかされているのです。
その後に続く「ナサレテ」は、その発音のとおり、新約聖書にも記載されている「ナザレのイエス」という表現にも見られるイスラエルの地名と考えられます。「ナザレ」はイエスキリストの出自に関わる場所として有名です。よって「ナギャド・ナサレテ」とは、ヘブライ語で「ナザレの救い主」「ナザレの君主」と理解することができます。
「ナサレテ」の後には「ナギャッド」の語尾に「ヤラ」がついた、「ナギャドヤラ」という歌詞が続きます。「ヤラ」の語源は、ヘブライ語で「立ち上がる」のיעלה(yaala、ヤアラ、ヤーラ) と推測されます。すると救い主を意味する「ナギャッド」と合わせて「ナギャッドヤーラ」となり、「救い主よ、立ち上がり給え」という意味になることがわかります。この言葉こそ大勢の民が集まり、神を祀る踊り唄の真骨頂となる掛け声ではないでしょうか。
また、「ナギャドヤラヨー」と、最後に「ヨー」がつく節も直後に続きます。「ヨー」は「神」を意味する「ヤ」、「ヨ」を指しています。ヘブライ語で「神」には様々な表現の方法があり、יההו(yahu、ヤフー) 、または略のיה(ya、ヤ)、 יו(yo、よー)などがその例となります。つまり「ナギャドヤラヨー」とは、「我が神、救い主よ、立ち上がり給え」という祈りの言葉だったのです。
次の「サーエ」שעיר(sair、サーイェ) はヘブライ語の雄ヤギを意味するだけでなく、旧約聖書の時代においては、עזאזל(azazel、アザゼル) という「地獄」を意味する言葉と繋がり、スケープゴート、すなわち「身代わり」という意味の言葉としても用いられていました。そこで浮かび上がってくるのが、旧約聖書のイザヤ53章に書かれている「屠られた子羊」、「身代りになったダビデの子、ナザレのイエス・キリスト」です。まさに、そのことを唄った歌詞が、「ナニャド ナサレテ サーエ」ではないでしょうか。それは、「身代わりとなった神の子羊よ、立ち上がり給え」を意味していたのです。つまるところ、その「身代り」とはイザヤ書にも記載されている油注がれた者、救い主であるメシアが、人々の罪を背負って代わりに死ぬことを指していたと考えられます。
囃子詞に秘められたメッセージ
この青森民謡の囃子詞には、ユダヤ人のメシア、神の子についてのメッセージが秘められていることに驚きを隠せません。西アジアから渡来した大勢の人々が古代、青森県周辺を訪れ、そこに集落を形成して神を祀った結果、「ナギャドヤラ」の祭りが始まったのでしょうか。今日まで青森県に存在する戸来(ヘライ)村は、古代イスラエルの集落を意味するヘブライ村ではないかとも語り継がれ、太平洋に面する東海岸の拠点となった港町は、神の名前を意味する八戸「ヤへ(エ)」「ハチノヘ」とも読めることが、その証であるように思えてなりません。
人類学的認識論のために - 363 ページ
僕にとっての同時代文学 - 84 ページ
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日本の辺境は、いま: 北上山系・葛卷町からのレポート - 93 ページ
藝能 - 第 22 巻 - 25 ページ
イエスは日本で106歳まで生きた?青森に残る「キリストの墓」の謎を探る
イエス・キリストはゴルゴダの丘での処刑を逃れ、ひそかに日本にやってきた-。そんな突拍子もない伝承が青森県の村にある。結婚して子どもを3人残し、106歳まで生きて天寿を全うしたというのだ。ついのすみかになったとされるその村には「キリストの墓」があり、毎年6月には墓前で神主が祝詞をあげ、村人たちが盆踊りを踊るというが本気なのか。珍スポットには目がない私。ワクワクしながら現地を訪ねてみると…。
キリストの末えいは地方公務員?
JR八戸駅から車で1時間。青森県新郷村の静かな丘の上に、その墓はあった。二つの土まんじゅうの上に、それぞれ木製の十字架が立てられている。一つは「十来塚」と呼ばれるキリストの墓。もう一つは「十代墓」と呼ばれ、ゴルゴダの丘でキリストの身代わりになって処刑された弟のイスキリなる人物の墓とされている。木漏れ日の中の十字架は確かに神々しさを感じさせる。冬になると一帯は深い雪に覆われるという。
墓のそばには、イスラエル大使がこの地を訪れたことを記念する石碑があった。新郷村の村長もイスラエルを訪問し、現地で新郷村とそっくりの風景を見たと話していたそうだ。
ここはもともと、村の旧家・沢口家代々の墓所の一角。村役場の話によると、キリストの子孫とされる沢口家には、目が青く鼻が高い日本人離れした風貌の人物もおり、村人の間で「天狗が住んでいる」と言われていたという。もしかしたらキリストの末えいかもしれない沢口家の現在の当主は、村役場に長年勤務したあと、数年前に定年退職した。
二つの土まんじゅうについては、村では古くから「偉い侍の墓」と語り継がれてきたが、誰の墓であるかは分かっていなかった。それが「キリストの墓」と「断定」されたのは、1935(昭和10)年のこと。茨城県磯原町(現北茨城市)にある皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる「竹内文書」という古文書に、キリスト日本渡来について記されていたそうで、竹内巨麿なる人物がその記述を頼りにこの地を訪ねてきて、墓をキリストのものと断定した。墓を見つけたときは、これが求めるキリストの墓だと、感激で気も失わんばかりだったという。翌1936(昭和11)年には考古学者の一団が「キリストの遺書」を「発見」するなどして、村は一躍注目を集めるようになった。
だが、そんなさなか、竹内は不敬罪で起訴されてしまう。「竹内文書」に当時最大のタブーだった天皇家の祖先に関する記述があったためで、同文書も偽書と断定された。竹内は戦時下の1944(昭和19)年に逆転無罪を勝ち取ったが、当局に証拠として押収され裁判所に保管されていた「竹内文書」は、1945(昭和20)年3月の東京大空襲により、謎を残したまま大部分が焼失してしまった。
「ナニャドヤラ」という謎の盆踊り唄
「キリストの墓」に木製の十字架が立てられたのは1963(昭和38)年のこと。以来、村では毎年「キリスト祭」という慰霊祭が行われ、村の「ナニャドヤラ芸能保存会」の人たちが墓を囲んで踊るのが恒例となっている。
「ナニャドヤラ」は岩手県北から青森県南にかけての南部地方に伝わる盆踊り唄で、歌詞は「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」という単調な繰り返しだ。この意味不明の歌詞について、米国に住んでいた神学博士の川守田英二という人物が、ヘブライ語で神をたたえる意味で、メロディーもユダヤで古来歌われてきたものにそっくりだと主張。それがキリスト渡来説の根拠のひとつとなっている。もっとも民俗学者の柳田国男はヘブライ語説を否定し、「なんなりとおやりなさい なんなりとなされませんか なんなりとおやりなさい」と訳しているそうだ。
1963年に第1回「キリスト祭」が開かれた際は、神父が招かれ、みんなで賛美歌を合唱した。これが村民たちの間では「祭りにはなじまない」と不評だったため、翌年からは地元神社の神主が墓前で祝詞を上げる形式になったという。新郷村役場によると、「村にはクリスチャンは1人もおらず、キリスト教会もありません」とのこと。この地が隠れキリシタンの里だったというような話もないそうだ。
それでも村役場では、村の地名や風習にはキリストと関係ありそうなものが幾つかあると主張している。
(1)地名の由来は「ヘブライ」?
この地が合併して新郷村になる前の村名は「戸来(へらい)村」。戸来はヘブライから転化したものではないか。
(2)十字架にまつわる風習
村には、赤ちゃんを初めて外に連れ出す時、その額に墨で十字を書く風習がある。足がしびれたときにも額に十字を書く。亡くなった人を埋葬すると、その上に3年間は十字の木を立てる風習もある。
(3)「ダビデの星」の家紋
村には「ダビデの星」を家紋としている家がある。
(4)父母の呼称がヘブライ語?
村では父親を「アヤー」、母親を「アッパー」と呼ぶ。これはイスラエルでの呼び方と似ている。
村役場は「本当だったらいいな」
キリスト渡来説を信じるかどうかはともかく、「キリストの墓」がこの村にとって重要な観光資源となっているのは確かだ。墓の周辺は「キリストの里」と名付けられ、公園として整備されている。毎年6月第1日曜日の「キリスト祭」には米軍三沢基地の米兵や県外からの観光客、さらに海外からも見物に訪れる。恐山と並ぶ青森のミステリースポットとしてマニアの間で人気を集めているのだ。
村のラーメン店では「ダビデの星」形のナルト入り「キリストラーメン」が名物。キリストの里伝承館では、もう一つの村の名物「ドラキュラアイス」というアイスクリームが販売されており、ふたには十字架が描かれている。なぜドラキュラかというと、吸血鬼の嫌いなニンニク入りだから。ニンニクは村の特産品だ。
村としてキリスト渡来説をどう捉えているのか。ある関係者は「村の人たちで本気にしている人はあまりいないかもしれない」と明かすが、同村企画商工観光課の堀合真帆主事は「私自身は、キリストの墓が本物である可能性はあると思っています。本当だったらいいなという感じです」と期待を寄せる。
キリスト渡来説を地元の伝承として大切にする村役場の姿勢からは、夢やロマンの追求だけでなく、「キリストの墓」を村おこしに役立てたいというしたたかな戦略もうかがえる。「興味を持ってもらえて、観光客がいっぱい来てくれればいいなと願っています」と堀合さん。人口約2500人のこの村では少子高齢化と過疎化が深刻な課題となっており、地域活性化への思いは切実だ。私たちにだって、異説を頭ごなしに否定するのではなく、謎は謎として楽しむ大らかさがあってもいいかもしれない。
ちなみに同じ青森県内には、シャカがインドからやってきて山で修行したとの言い伝えも残っており、「シャカの墓」もあるという。また今度行ってみようかな。
書いた人
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遠野物語に描かれている天狗の伝説
『遠野物語』は日本民俗学の夜明けを告げる書であり、日本を代表する文学作品である。柳田國男が遠野の人・佐々木喜善から伝承を聞き書きし、明治43年に刊行。序文には遠野を訪れた時の見聞を詩情豊かに表現している。遠野の地勢の他、天狗や河童、座敷童等の不思議な話が119話にまとめられている。 pic.twitter.com/FKFA2Lh1r9
— 遠野市立博物館 (@tonomuseum) September 21, 2021
日本に伝わる天狗の伝説4つ目は「遠野物語に描かれている天狗の伝説」です。柳田国男が書いた著書「遠野物語」の第90段に、天狗と相撲をした男についての話が記されています。
松崎村の天狗森で働いていたある若者が畑の畔で居眠りをしていると、顔が赤い大男が自分を見下ろしていることに気付きました。
若者は上から見下ろされるのが気に入らなかったので「お前はどこからきた」と聞いたところ、その大男は何も答えません。
若者は相撲を取るのが好きだったので、その大男に勝負を挑んだのですが、あっけなく敗北して気を失ってしまいました。若者が目が覚めた頃には例の大男は消えて居なくなっていました。
しかしその出来事があった後の秋の頃、早池峰山へと大勢の村人が荻を苅りに出掛けたのですが、例の若者が何処へと消えてしまっていました。
何が起きたのかと村人たちが若者を探したのですが、深い谷の奥で手足が千切れている状態で死んでいる若者を発見。この事件は天狗によるものであるとして描かれているそうです。
…
実はテレビでも天狗の正体と題した特集が放送されたことがあります。
番組名は「みのもんたの日本ミステリー!」で、そこで放送されていた内容は「天狗の正体は古代イスラエル人だった」でした。
紹介されていた内容としては、京都鞍馬寺(鞍馬天狗を祀っているお寺)の地面にダビデの星(ユダヤ教を示すしるしでイスラエルの国旗にも描かれている)が描かれていて、ユダヤ教と鞍馬天狗の関係性があることを示すかのような形で話は展開されていきます。
そして、求菩提山(くぼてざん)の歴史が書かれている古文書に求菩提山に現れた魔物についての話が描かれており、求菩提資料館に残されている曼陀羅(まんだら:図像のこと)に天狗に似た人間たちがそこには描かれていました。
さらに東京都広尾にある「日本ユダヤ教団」では、
- ユダヤ教徒の祈りの時の装束が天狗の格好と酷似している
- 頭にはあの黒い箱のようなものを乗せている(ユダヤ教徒ではヒラクリティと呼ばれる戒律が入った黒い箱を頭に乗せる)
- トーラースクロールと呼ばれる教えの巻物を大事にしている(天狗が持っているのは虎の巻物)
など、明らかに「ユダヤ人が天狗の正体です」と言っているようなものとなっていました。
とはいえ、これはあくまでもテレビが取材で調査をした結果の話なので、これも一つの仮説として見るべきでしょう。
天狗の正体とは一体何?テレビではイスラエル人としていた?
日本の妖怪の一つとして昔から親しまれている「天狗」。この天狗に関しての話はたくさんありますが、あなたはこの天狗の「正体」というものを考えたことはあるでしょうか。
実は天狗の正体とする説が多く存在しており、その内容もなかなか興味深いものです。
そこで今回は、天狗の伝説や天狗の性格などについて徹底解説していきつつ、天狗の正体に迫ってみたいと思います。
天狗が出てくる映画はこちらで紹介しています
➔【邦画】妖怪が出てくる実写映画おすすめ13選【最新作〜昔の作品】
天狗とは?
天狗とはそもそも何なのか?ということですが、天狗については様々な解釈があります。
一般的に知られている天狗の姿は、
- 顔が赤い
- 鼻が長い(高い)
- 団扇を持っている
これだと思います。天狗は多くの場合だと「妖怪」とされていますが、別の見方として「神」とすることもあり、実際に天狗を神としている神社はかなりの数で全国各地に存在しています。
天狗に出会った人は居ないと想像しがちですが、伝承の中には天狗を実際に見たという話があり、これに関しては後ほど紹介していきたいと思います。
天狗の由来は?
天狗自体は昔から多くの人に知られている訳ですが、そもそも天狗の名前の由来というのはどこから来ているのでしょうか。
天狗は日本というイメージが強いですが、実は名前の由来自体は中国から来ているのです。
古代中国において、天狗という言葉は不吉な出来事を知らせる流れ星を意味していました。大気圏を突破して落ちてきた火球が空中で爆発を起こした時に、尾を引くように落下していく光を見て「天の狗(いぬ)」と呼ぶようになったと言われています。
そして日本では「日本書紀」を始めとして、流星関係の天狗は飛鳥時代ではあったものの平安時代まで記録として残っていないということで、平安時代以降は「妖怪」という扱いで根付ていくようになりました。
天狗が持っている能力
天狗が持っている能力としては何があるでしょうか。天狗が持っている能力は主に、
- 幻術(げんじゅつ):様々な動物や人に化けたり、自身の姿を消すことが出来る
- 飛翔(ひしょう):翼を持ち、何百キロでも飛びながらの移動を可能にする
- 神通力(じんつうりき):団扇(うちわ)を使用して火災や風雨を起こしたり、妖怪や魔物を退けさせる
- 武器製造(ぶきせいぞう):手裏剣や鉄砲、剣などを作って渡す
- 縮地(しゅくち):動き出しが読めない踏み込みを可能にする
などがあります。基本は上記の能力を持っていますが、天狗の種類によって持っている能力に違いが出てきて、位が高ければ高いほどその能力はより強力になっていきます。
天狗の正体についての仮説
ここまで天狗に関する基本的なところを解説してきましたが、ここからはその天狗の正体について詳しく解説していきたいと思います。ここで紹介するのは、
- 自然現象説
- 日本神話の猿田彦と同一説
- 山の神とする説
- 山伏が正体とする説
- 外国人とする説
の5つになります。もちろんこれは仮説として言われているものなので、あくまでも参考にするという形でお願いします。
自然現象説
『怪異古生物考』土屋健 #読了
— ちびまろ (@chibimaro1203) August 22, 2021
古今東西の怪異(ユニコーン・龍・鵺・天狗…)の正体と古生物の関係性を検証する。怪異はただの空想の産物ではなく、昔の人々が実際に見た古生物の化石や噴火・雷などの自然現象が伝承になった可能性が高いらしい。
八岐大蛇↔噴火、鳥天狗↔イルカの章が特に面白かった pic.twitter.com/oGncZR4ABK
天狗の正体と言われている仮説の一つ目は「自然現象説」です。天狗は山との関連性が強いというのが昔からあり、山で起きる火災や急な悪天候は天狗の仕業とされてきていました。
昔は人々が理解できないような現象を、何者かが引き起こしているとして妖怪に例えたという話が多くありまして、天狗に関してもその一つではないかと言われています。
天狗は実際に能力の部分でも語っているように、団扇で火災や風雨を起こすことが出来るとされていることから、山で起きる自然現象を天狗という妖怪として認識されているということでしょう。
日本神話の猿田彦と同一説
小樽天狗山 天狗👺の館です。
— 北海道観光 小樽個人 生田タクシー (@jk8vtt) November 1, 2020
日本全国から寄贈して頂いた天狗👺が展示されています。
大きく分けて2種類の天狗👺があり、
鼻の長い天狗👺と鼻の短いカラス天狗👺があります。
私の個人的感想ですが、天狗👺と言えば一本下駄の猿田彦大神が天狗No.1だと思います。 pic.twitter.com/7uuI4W9Yfm
天狗の正体と言われている仮説の二つ目は「日本神話の猿田彦と同一説」です。猿田彦(さるたひこ)と呼ばれる国津神(くにつかみ:地に現れた神の総称)がおり、猿田彦は天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者である邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した神として有名です。
この猿田彦と呼ばれる神の外見が、
- 身長が高い
- 鼻が長い(高い)
ということで、天狗の正体は猿田彦なのではないかと言われるようになりました。猿田彦は山に深く関係した神でもあるため、より天狗の特徴と重なっていると言えます。
実際に東京各地の祭りにおいて猿田彦が登場し、天狗の姿で行列を先導しているので、東京では「天狗=猿田彦」という認識が強いということでしょう。
山の神とする説
昭和51年に山形県は酒田で、大火事が発生した。
— 七条文堂(まお) (@iPrg8c1lSoAApWj) November 5, 2019
この大火事が消えなかったのは、山形県に古代より居座る『山の神(天狗)』が原因である。
沖縄の首里城の大火事も淡路島の洲本に居座る『天狗』の仕業である。 pic.twitter.com/wX8VYzFDZT
天狗の正体と言われている仮説の三つ目は「山の神とする説」です。これは一つ目の「自然現象説」と重なる部分になりますが、天狗は山に住み着いていると言われており、山に来る者に対して自然現象や怪奇現象を起こして追い払ったりするとされています。
実際に伝承に残っているもののほとんどは山が舞台となっているためか、天狗を山神として祀る神社が数多く存在しています。
天狗は「天狗松」や「天狗杉」を住み処にしていると言われているので、大きな木がある山で人知を超えた現象が起きたら、それは「山神=天狗」と解釈されてきたということでしょう。
山伏が正体とする説
<役小角(えんのおづぬ)>
— 妖怪・霊獣・異形の神仏 (@riox5555) October 29, 2021
役行者とも。飛鳥時代に実在した人物で山岳信仰・修験道の開祖。高下駄を履き錫杖と巻物を持ち、しばし前鬼・後鬼という対の鬼を従える。役小角や修験者(山伏)は、天狗像のルーツの一つとされる。 1.葛飾北斎『北斎漫画』 2.山伏 #桜本坊 pic.twitter.com/MOsY7KCMkw
天狗の正体と言われている仮説の4つ目は「山伏が正体とする説」です。山というのは昔から僧侶や山伏たちの修行場になっていたと言われており、これは自然を神とする考え方が根強くあったためとされています。
修行で彼らは何を身に付けたかったのかというとそれは「霊力」や「悟り」で、簡単にいえば第六感を鍛えるということです。第六感を鍛えることで、普通の人間には出来ないような邪気を払う力や守る力を手に入れようとしていました。
そしてそこで身につけた能力というのを人々に伝えて広めた訳ですが、この時の山伏の服装が伝承で描かれている天狗の服装と酷似しているとのことで、これにより「山伏=天狗」という説が生まれたようです。
山伏が身に付けていた服装と、修行で身に付けた能力が人間離れをしているところから、確かに天狗の正体とされてもおかしくはないと思います。
外国人とする説
おはようございます
— カノン (@RaNHrZYOBRGi6TF) October 8, 2021
天狗の日です
天狗説は諸説ありますが海で難破して日本に漂着した、身体が大きく鼻が高い外国人が山奥に住んだことから天狗に例えて呼ばれるようになったとか
その後山で修行する山伏を天狗様と呼んだそうですよ
神通力をもつ天狗様にあやかりたいですね
今日も1日笑顔でね🍀*゜ pic.twitter.com/tPPckZ972N
天狗の正体と言われている仮説の5つ目は「外国人とする説」です。これは天狗の特徴として、
- 鼻が高い
- 身長が高い
がありますが、西洋の人間たちも、
- 体が大きい
- 鼻が高い
- 肌が白い方の場合血管が透けて顔が赤く見える
といったように、天狗と西洋人で重なる部分があることから「外国人=天狗」という説が生まれたとのこと。
また、弥生時代のような村に腰を据えて生活をする人間たちからすると、外の人間たちは身軽で木に登るのが得意であったり、移動をして生活するのが普通といった感じで、外の人間たちを「未知」の人間として捉えたのも一因とされています。
テレビでは天狗の正体をイスラエル人としていた
ここまで天狗の正体で言われている5つの仮説を紹介してきたのですが、実はテレビでも天狗の正体と題した特集が放送されたことがあります。
番組名は「みのもんたの日本ミステリー!」で、そこで放送されていた内容は「天狗の正体は古代イスラエル人だった」でした。
紹介されていた内容としては、京都鞍馬寺(鞍馬天狗を祀っているお寺)の地面にダビデの星(ユダヤ教を示すしるしでイスラエルの国旗にも描かれている)が描かれていて、ユダヤ教と鞍馬天狗の関係性があることを示すかのような形で話は展開されていきます。
そして、求菩提山(くぼてざん)の歴史が書かれている古文書に求菩提山に現れた魔物についての話が描かれており、求菩提資料館に残されている曼陀羅(まんだら:図像のこと)に天狗に似た人間たちがそこには描かれていました。
さらに東京都広尾にある「日本ユダヤ教団」では、
- ユダヤ教徒の祈りの時の装束が天狗の格好と酷似している
- 頭にはあの黒い箱のようなものを乗せている(ユダヤ教徒ではヒラクリティと呼ばれる戒律が入った黒い箱を頭に乗せる)
- トーラースクロールと呼ばれる教えの巻物を大事にしている(天狗が持っているのは虎の巻物)
など、明らかに「ユダヤ人が天狗の正体です」と言っているようなものとなっていました。
とはいえ、これはあくまでもテレビが取材で調査をした結果の話なので、これも一つの仮説として見るべきでしょう。
日本に伝わる天狗の伝説とは?
天狗の正体に関する仮説を色々紹介したところで、この天狗にまつわる伝説として何があるのかここで紹介していきたいと思います。
日本に伝わる伝説そのものは正直たくさんありますが、今回はその中の、
の5つを紹介します。
大雄山最乗寺に伝わる天狗の伝説
日本に伝わる天狗の伝説1つ目は「大雄山最乗寺に伝わる天狗の伝説」です。最乗寺では建設の際に天狗の力を借りていたという伝説があります。
了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)という人物には道了尊者(どうりょうそんじゃ)という弟子がいたのですが、この道了尊者は了庵慧明禅師が最乗寺を建てることになった時に天狗となって駆けつけました。
道了尊者は、神通力を使用して谷を埋めたり岩を砕くなどをして建設しやすい環境を作ったと言われています。
了庵慧明禅師が死去した際に道了尊者は天狗へ姿を変え、最乗寺を護るために山の奥深くへと飛び去っていき、守護神として今日に至るまで最乗寺にて祀られています。
東京の高尾山に残る天狗の伝説
日本に伝わる天狗の伝説2つ目は「東京の高尾山に残る天狗の伝説」です。東京都八王子市には599メートルの高さを誇る「高尾山」があり、この高尾山に様々な天狗の伝説が残されています。例えば、
- 足腰の弱い人々の為に、道路工事を天狗たちが神通力を使って参道を作り、その後に一本杉が天狗に切られるのを避けるために移動した
- 高尾山の山小屋で泊まっていた木こりたちが大木が倒れるような大きな音を聞いたが、音の聞こえた方へ向かっても何も変わっていなかった
- 度胸試しで天狗が住む高尾山へ行った者がおり、夜中に入ってみたら何本もの大木が道を阻んでいたが、翌朝確かめるとそこには小枝すら無かった
などといった伝説が残っており、高尾山にはまるで神様がいて様々な現象を起こしていると言っても過言ではないと思えてしまいます。
高尾山は山伏の修行場だったとしても有名で、上記の現象を起こしたのはこの山伏である可能性はあり得ますね。
鞍馬天狗に育てられた源義経
日本に伝わる天狗の伝説3つ目は「鞍馬天狗に育てられた源義経」です。源義経(元服前は遮那王(しゃなおう)と名乗っていた)は平清盛に自身を含めて3人の息子を殺害されそうになったことがあり、その時は母親である常盤御前(ときわごぜん)と清盛が結婚することで、清盛は息子たちを助けて義経は鞍馬寺に預けられました。
義経の名前に変えるまでの間、鞍馬寺で出会った大天狗から武芸を教わり、打倒平家のために修行をしたと言われています。この時義経は11歳だったそうです。
そして大天狗は修行を耐え抜いた義経に再会を約束して立ち去っていき、義経は見事平家との戦いで目覚ましい活躍を見せる事になりました。
義経の最期は凄惨なものとなってしまいましたが、義経をここまで強くさせた大天狗は相当な武芸や力を持っていたことがこのことから容易に想像できます。
遠野物語に描かれている天狗の伝説
『遠野物語』は日本民俗学の夜明けを告げる書であり、日本を代表する文学作品である。柳田國男が遠野の人・佐々木喜善から伝承を聞き書きし、明治43年に刊行。序文には遠野を訪れた時の見聞を詩情豊かに表現している。遠野の地勢の他、天狗や河童、座敷童等の不思議な話が119話にまとめられている。 pic.twitter.com/FKFA2Lh1r9
— 遠野市立博物館 (@tonomuseum) September 21, 2021
日本に伝わる天狗の伝説4つ目は「遠野物語に描かれている天狗の伝説」です。柳田国男が書いた著書「遠野物語」の第90段に、天狗と相撲をした男についての話が記されています。
松崎村の天狗森で働いていたある若者が畑の畔で居眠りをしていると、顔が赤い大男が自分を見下ろしていることに気付きました。
若者は上から見下ろされるのが気に入らなかったので「お前はどこからきた」と聞いたところ、その大男は何も答えません。
若者は相撲を取るのが好きだったので、その大男に勝負を挑んだのですが、あっけなく敗北して気を失ってしまいました。若者が目が覚めた頃には例の大男は消えて居なくなっていました。
しかしその出来事があった後の秋の頃、早池峰山へと大勢の村人が荻を苅りに出掛けたのですが、例の若者が何処へと消えてしまっていました。
何が起きたのかと村人たちが若者を探したのですが、深い谷の奥で手足が千切れている状態で死んでいる若者を発見。この事件は天狗によるものであるとして描かれているそうです。
天狗隠しの伝説
【神隠し】
— 大迫力!都市伝説大百科 (@toshidensetu21) June 23, 2021
昔から全国各地で伝わる都市伝説。前触れもなく、突然人が行方不明になる現象をいう。昔は天狗のせいだと考えられることが多く、「天狗さらい」ともいわれていた。鎌倉時代の『天狗草紙』、江戸時代の『仙境異聞』など、天狗の人さらいに触れている古書も多い。
イラスト/古賀マサヲ pic.twitter.com/QIqdQ2gFYh
日本に伝わる天狗の伝説5つ目は「天狗隠し」です。これは「天狗さらい」とも言われたりしますが、いわゆる天狗によって子供がさらわれて行方不明になることを言います。
江戸時代に子供が行方不明となることが多数あり、この原因が天狗ではないかと言われていました。しかし最終的に子供は帰ってくるという不思議な話でもあり、逆になぜ帰ってこれたのか分からなかったのです。
実際に天狗にさわられた子供から話を聞くと、天狗と共に空を飛んで各地の名所を回ったり、時に天狗から知識や術を教わったと話す子供がいたりするなど、実際に考えてそれを体感しなかったら分からないことを喋っているので、村人たちは信じるほか無かったそうです。
天狗は何故子供にそのようなことをしたのか不明ですが、天狗には天狗の考えがあったということでしょう。
天狗の性格ってどうなの?
日本に伝わる天狗の伝説は多くあってどれも恐いものですが、天狗の性格というのはどうなのでしょうか。
天狗は伝承を見ても、一部を除いては人間に恐怖を与えるような現象や神通力を使用して影響を与える話が多いものの、命まで奪うというところまでではない印象です。
逆に人間に対して助力をしたり、武芸や術を教える話も多いので、決して悪い妖怪という訳では無いのでしょう。
しかし一方で天狗は起伏が激しいという話もあり、先程の遠野物語のような人間を殺してしまう伝承もあるので、その時の状況で天狗が何をしてくるのか分からないというのが現状のようです。
天狗の種類はどれぐらいあるの?
最初の方で天狗には種類があり、位が高けい天狗ほど持っている能力は強力になると言いました。実際に天狗の種類として、
- 大天狗(だいてんぐ):鼻高天狗とも言われ、天狗の中で最も強力な神通力を持っているとされており、神格化された存在として扱われる
- 烏天狗(からすてんぐ):小天狗とも言われ、山伏装束の格好をしていて、烏のようなくちばしを持っており、剣術と神通力に優れている
- 木の葉天狗(このはてんぐ):大きな鳥のような姿をしており、人間の手足にくちばしや尾羽を持っている
- 女天狗(おんなてんぐ):女の天狗で人間の美しい女性に化けることができる。清少納言は死後に天狗になったと言われている。
が主にあります。伝承の中でよく出てくるのは「大天狗」のタイプが多いように感じます。
赤い顔の天狗の頭についているもの
天狗の姿を見ると黒い箱のようなものが乗っています。これは頭襟(ときん)と呼ばれる修行する山伏が被る帽子で、大日如来の五智の宝冠を模したもの。
これを被ると山の中の瘴気を防いだり、山に居るときに落ちてくる石や枝から頭を守る役割があるそうです。
この頭襟自体は色んな種類があり、用途によって被るものは違ってくるとされています。
天狗は実は縁起がいい?
天狗は昔から人々に恐れられていると言われていますが、実は天狗は縁起がいいとされている側面もあります。天狗の能力の部分でも紹介しているように、天狗が持つ団扇には邪気や妖怪、魔物を追い払う力があると言われています。
崇敬者(すうけいしゃ:あがめる人のこと)に災難が訪れた際に大天狗、または烏天狗がやってきてその災難を取り除くとされ、魔除けの力を持っている事から鞍馬寺や麻賀多神社(まかたじんじゃ)には最強のパワースポットとして多くの参拝者が訪れています。
天狗は正直人それぞれで捉え方が変わるので、善悪で決めることは出来ない妖怪と言えます。
まとめ:天狗の正体はイスラエル人が濃厚かもしれない
今回は「天狗の正体」について記事を書いてきました。天狗の正体とされる仮説は多くありますが、関係性が強く服装も酷似しているというところで、今のところはイスラエル人(ユダヤ人)が正体というのが濃厚かもしれません。
しかし仮説という域は出ないことに変わりなく、やはりこの先も謎だけを残していくと思われます。
ただ、逆に解決してしまってもそれはそれで面白くないのも事実。今後も天狗の正体についての情報が出てくるかと思いますが、引き続き注目していきたいところです。
日本の妖怪映画を紹介している記事はこちら
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