(4)夢と原場面
図1 狼男の夢
夢分析で判明した下地となる素材は、赤ずきんの狼の挿絵、狼の白いのは領地の羊、木に登っているのは祖父の話、尾を引き抜かれるのは去勢コンプレックス、6,7匹いるのは7匹の子ヤギである。この夢の解釈には数年を要した。彼が強調したのは狼の静寂と不動性、狼たちの張りつめた注意力であり、夢のあとに残る現実感情も注目された。
夢の潜在的素材の何かが現実であることがこの感情によって保障される。その後の精神分析でわかったことは、見つめるが見つめられるに、激しい動きが静止に正反対の変換がされていること、樹木はクリスマスツリーで、ぶら下がっていた彼のプレゼントが狼になっており、狼つまり父に食われる不安の表れであること。欲望成就を夢で先取りしたが、満足が不安に変換するのは、父から性的満足を得たい欲望が強烈だったためある場面が蘇り、父によって満足させられるということはどういうことかがわかり、驚愕仰天、抑圧、そして父より危害の少ない子守女への逃亡となった。
愛情満足の欠如と癇癪とクリスマスの本質的関係がここにある。が、性的憧憬からなぜ強い怖気にふるわれるのか。これには去勢不安を理由づける必要がある。
ここから精神分析の経過を放棄して述べる。1歳半の頃のマラリアの熱が頂点に達するのが5時であり、性交の観察の時間であった。9歳にあった5時に頂点に達する鬱の症状は、精神分析を受けている時期にも残っていた。夢、症状、生活史とこの原場面の関係を本質的内容の影響と視覚的印象から研究すると、視覚的印象は両親の姿勢である。狼と7匹の子ヤギの狼の姿勢は父のそれ。
母の姿勢は性的領域のみにおいて意義を持った。原場面-狼物語-7匹の子やぎの童話は、父による性的満足への憧憬―それに結び付けられた去勢という条件の了解-父に対する不安という夢形成の思考の進展を反映している。原場面の病的な作用や性的成長の中で原場面の覚醒が呼び起こす変化は、つまり原場面の活性化(想起)は現在の体験とおなじ作用を及ぼすかもしれない。
解説
(4)原光景 primal scene とは
1896年5月30日付のフリースへの手紙の中ではじめて登場した用語である。両親の性交を子どもが目撃すること。見るだけではなく、聞く、臭う、雰囲気なども含められる。両親の性交は子どもにとっては暴力的で、危険で恐ろしいものと体験されやすく、かつ性的興奮を伴うことが多く、このことから原光景を目撃することは心的外傷になるとフロイトは考えた。さらに、事実として、両親の性交を目撃するだけにとどまらず、個体を超えた系統発生的で、人類に共通する原幻想であるという理解もある。
フロイトはいずれにせよ原光景を過去の遺物であり、症状として現在に影響を与えているとはいえ、現在でも生々しく息づいており、心の中で活発に活動しているものとはみなさなかった。つまり転移状況の中で取り上げられるものではなかった。
クラインはプレイアナリシスにおいてあらわれてくる性的ファンタジーに注目した。そこにおっぱいや大便による相互哺乳や相互かみつきというカップルによる原光景を見出した。中でも、カップルがくっついたままでいる結合両親像を重視した。これは幼児の主観的な視点からとらえた原光景であるといえるものである。ここでクラインは早期エディプスコンプレックスと原光景を結びつけることができた。このことにより、原光景は過去の遺物などではなく、現在にわたって生々しく心の中に巣食うファンタジーの一つとして位置づけられた。また、それは転移関係・転移状況の中で今まさに目の前で繰り広げられる素材でもあり、それらを精神分析的に扱うことは治療を進展させるうえで非常に重要であると言える。
クラインの早期エディプスコンプレックスについて知りたい方は以下をご参照ください。
また、フロイトは原光景を人類共通のものとしてみていたが、メルツァーは原光景を目撃すること自体が両親の病理のあらわれであり、子どもへの性的暴力性になるとしている。これは文化、社会的慣習も影響していると思われる。つまり、メルツァーらが精神分析の対象としていたイギリス中流階級の人々にとって子どもは両親とは寝室が別であることが一般的であり、そのため、直接的に両親の性交を目撃することはそうそうないものである。
それがあるとすれば、そこに両親の何らかの意図、もしくは悪意、病理があると推察されるだろう。一方で、日本文化などでは、子どもは両親と寝室を一緒にすることが多い。「川の字になって寝る」などはその典型である。そうした中で、原光景に接する機会は必然的に増えるだろう。こうしたところから原光景と文化、社会的慣習との関連は無視することはできないのかもしれない。
ある幼児期神経症の病歴より(狼男の症例)
フロイトが1918年に書いた症例論文「ある幼児期神経症の病歴より」についての要約と解説です。主に狼の夢と原光景を扱い、幼児期神経症を探求しています。
目次 [非表示]
- 1.ある幼児期神経症の病歴より(狼男)(1918)要約
- (1)前置き
- (2)生育環境と病歴の概観
- (3)誘惑とその直接的帰結
- (4)夢と原場面
- (5)若干の議論
- (6)強迫神経症
- (7)肛門性愛と去勢コンプレックス
- (8)原初時代からの補足―解決
- (9)総括と問題
- 2.ある幼児期神経症の病歴より(狼男)(1918)解説
- (1)はじめに
- (2)狼男の診断と見立て
- (3)フロイトが精神分析した多数の観点
- (4)原光景 primal scene とは
- (5)遡行作用・事後性 deferred action とは
- (6)遮蔽想起 screen memory とは
- (7)期間限定の技法について
- (8)フロイトとの転移関係
- (9)その後の狼男
- (10)症例論文を批判する際の留意点
- 3.さいごに
- 4.文献
1.ある幼児期神経症の病歴より(狼男)(1918)要約
(1)前置き
4歳から8~10歳で不安ヒステリー、10~20歳は概ね健常、17~18歳で淋病、20歳くらいから精神分析を開始したケースで、経過後15年で初めて精神分析された幼児期神経症を扱う。子どもの精神分析より成人の想起の精神分析のほうが教示に富んでいる。特徴は長くて重いこと。この精神分析の成果はこれまでの知識と一致するが、個々の点ではかなり奇妙である。
(2)生育環境と病歴の概観
子ども時代:父に不機嫌の発作、母に下腹部の病。2歳上に姉。2つの田舎の領地を行き来する暮しから都市に越す時が幼年期の節目で、おとなしかった子どもが変化する。子守女と家庭教師の不仲のせいとされ、家庭教師は解雇されるが、手に負えない行状は変わらない。この性格変化は、多くの奇妙で病的な諸現象と結びついている。姉は、彼が怖がる絵本を見せ、彼の驚愕を楽しんだ。キアゲハ、カブトムシ、イモムシ、馬への不安兆候と残虐性がみられたあと、信心と瀆神など明確な強迫神経症の症状があった。
成熟期:父の鬱の発作と姉贔屓で彼は大変気分を害し、父に対して不安が支配的になった。恐怖症、倒錯、強迫は7歳頃に消えていたため、これらの問題が解明できたのは、精神分析が現今の神経症から離れて幼年期に迂回した時のみであった。
(3)誘惑とその直接的帰結
家庭教師に関する2つの遮蔽想起が示すのは去勢コンプレックスである、と被分析者に伝えたところ、姉や家庭教師に対する攻撃的行為と厳しい叱責と懲罰という同じ内容の夢が報告された。夢で同じ素材が繰り返し加工されている印象をうける段になり、それは彼が思春期に自分の幼年時代について拵えあげたファンタジーだとわかった。姉が彼を誘惑し性的実力行使をしたという事実に突如思いを馳せたとき、夢は一挙に理解された。空想は、自尊心を傷つける歴史的真実に代えて欲望対抗物を据え、消去を達成する。
姉は父から高い評価をうけていたが、20代前半から引きこもり、旅行中に服毒自殺した。彼にとって姉は競争相手で、圧迫と羨望の対象だった。13歳頃、類似の精神的素質と両親への敵対で姉との関係が改善すると、彼は姉に肉体的に接近し、農民の娘にも接近した。彼の異性愛対象選択は、姉を貶め、知的優位を解消する性向をもつ。この力の動機や貶下の性向は合理化である。姉の死に苦痛を感じなかったのは、姉に対して嫉妬とインセスト的恋着が混在するためだった。
性格変化は両親不在と誘惑の中におきた。ナーニャの叱責の後、自慰をやめ、その制止の影響で前性器的編成に戻り、彼の性的生活はサディズム肛門期性格となる。癇癪は、ナーニャには能動的サディズム、父へはマゾヒズム的意図の実現を目指す。叫びの発作は誘惑の試み。子どもの訳のわからぬ悪さは、懲罰され、罪責意識を鎮め、マゾヒズム的性的追求をしている。3歳3か月の誘惑から4歳までは悪さと倒錯の時代、その後は神経症の兆しが支配的な時代となる。
(4)夢と原場面
図1 狼男の夢
夢分析で判明した下地となる素材は、赤ずきんの狼の挿絵、狼の白いのは領地の羊、木に登っているのは祖父の話、尾を引き抜かれるのは去勢コンプレックス、6,7匹いるのは7匹の子ヤギである。この夢の解釈には数年を要した。彼が強調したのは狼の静寂と不動性、狼たちの張りつめた注意力であり、夢のあとに残る現実感情も注目された。
夢の潜在的素材の何かが現実であることがこの感情によって保障される。その後の精神分析でわかったことは、見つめるが見つめられるに、激しい動きが静止に正反対の変換がされていること、樹木はクリスマスツリーで、ぶら下がっていた彼のプレゼントが狼になっており、狼つまり父に食われる不安の表れであること。欲望成就を夢で先取りしたが、満足が不安に変換するのは、父から性的満足を得たい欲望が強烈だったためある場面が蘇り、父によって満足させられるということはどういうことかがわかり、驚愕仰天、抑圧、そして父より危害の少ない子守女への逃亡となった。
愛情満足の欠如と癇癪とクリスマスの本質的関係がここにある。が、性的憧憬からなぜ強い怖気にふるわれるのか。これには去勢不安を理由づける必要がある。
ここから精神分析の経過を放棄して述べる。1歳半の頃のマラリアの熱が頂点に達するのが5時であり、性交の観察の時間であった。9歳にあった5時に頂点に達する鬱の症状は、精神分析を受けている時期にも残っていた。夢、症状、生活史とこの原場面の関係を本質的内容の影響と視覚的印象から研究すると、視覚的印象は両親の姿勢である。狼と7匹の子ヤギの狼の姿勢は父のそれ。
母の姿勢は性的領域のみにおいて意義を持った。原場面-狼物語-7匹の子やぎの童話は、父による性的満足への憧憬―それに結び付けられた去勢という条件の了解-父に対する不安という夢形成の思考の進展を反映している。原場面の病的な作用や性的成長の中で原場面の覚醒が呼び起こす変化は、つまり原場面の活性化(想起)は現在の体験とおなじ作用を及ぼすかもしれない。
(5)若干の議論
反対者たちの技法や功績については争わないが、逸脱した見解は事例と問題に即して論破する。
- 1 歳半が込み入った知覚を受け入れ、無意識のうちに留めおくことができるのか
- この素材を理解できるように加工することが4歳に可能か
- こうした事情で体験され理解された場面の細部を意識化できる処置方法があるか
最後の問いは、精神分析を深層まで追い込んでゆく労苦をいとわない者ならあり得ると納得する。別の2点は、早期幼児期の印象に対する軽視である。早期幼児期場面は、現実の事件の再現ではなく、成熟期に刺激されたファンタジーで、現在の課題からの逃避という退行的性格から発生する。神経症者が利害関心を現在から方向転換し、空想による退行的代替形成につなぎとめるという悪弊をもったら、無意識的生産を彼の意識にもたらすほかない。
その精神分析は、空想を真実視するのと同じ経過を辿らざるをえず、この方法を短縮することは技法上許されない。空想がその全容にわたって意識化されるのでなければ、病者は空想に拘束された利害関心を思うままに処理できるようにはならない。空想に過ぎないと早い時期に開陳すると、抑圧を下支えしてしまう。幼児期の場面は、治療においては想い出の再現ではなく、構築の成果である。
私の主張では、幼年期の影響は、すでに神経症形成の開始情況で感じとられるもので、生活の現実的問題を制覇するに当たって個体が不首尾になるか否か、もし不首尾になるとすればどこでそうなるのかを決定する一因となる。論争となっている幼児期の契機の意義は、この症例が証示している。本稿は原場面の本性について明確なイメージを与えている。
女性の臀部が突出する姿勢での性交に対する患者の偏愛は、両親の性交の観察から導き出されるものと思う一方で、そうした嗜好は強迫神経症素因の体質に遍くみられる特徴であるという二義性にひっかかりを覚えたが、強迫は父方の体質だから矛盾しない。子どもは性交を観察し、その光景によって去勢は本当だと確信するという仮定は譲れない。しかし、目撃したのは両親ではなく白い牧羊犬で、犬から両親に転移し、父の代わりに狼を恐れたとしても奇異ではない。
他の症例にも当てはまるかが重要だろう。最初期幼年期における両親の性的まじわりの観察場面は、現実の想い出であれ空想であれ、神経症の人の精神分析では珍しくない。精神分析では、そうした場面は後背位性交であり、それを妨害する子どものやり方も同じ(排便)という特有性がある。原場面の現実的価値に関する議論は証拠不十分ということで結審したい。
【感想】過去の話がその人の今を示すという視点が、人の見方として魅力的かつ実用的だと思いました。
【疑問点】去勢不安の論じられ方
【議論したい点】神経症の精神分析の特有性
(6)強迫神経症
彼の幼年期は次のように時期が区分される。
- 誘惑(3歳3か月)に先立つ時代。原場面。
- 不安夢(4歳)までの性格変化の時代。
- 宗教への入信(4歳半)までの動物恐怖症の時代。
- 9歳過ぎまでの強迫神経症の時代。
4歳半の頃、彼の動物恐怖症を改善させるため、母は彼に聖書の物語を教え始めた。その結果、動物恐怖症症状は解消されたが、新しく強迫症状が現れ始めた。就寝前、部屋にあるあらゆる聖人画にキスし、お祈りを唱え、何度も十字を切らないと気が済まなくなった。彼はキリストに同一化し、父に対するマゾヒズム的態度を昇華できるようになった。
しかし、自分の息子であるキリストを手ひどく残酷に取り扱った神の人格に直接敵対するようにもなった。自分がキリストなら、父は神である。父への愛と敵意という両価性の闘争から、神‐汚物、神‐豚という冒涜的で強迫的な観念が症状として現れるようになった。フロイトはこうした観念を肛門性愛とつなげて精神分析している。
彼が10歳になると、ドイツ人の家庭教師がやって来て、すぐさま彼に大きな影響力を振るうようになった。この父の代替が信心に何ら価値をおかず、宗教の真理など何とも思っていないことに気づくと、彼の重々しい信心はすっかり消え去った。しかし、同性愛的態度の抑圧は痕跡を残し、昇華が確立されるのを妨げ、彼の知的活動は重大な損害を受けたままであった。フロイトとの精神分析的施療によって同性愛のこの束縛の解消に成功して初めて、事態は改善に向かった。
(7)肛門性愛と去勢コンプレックス
強迫神経症の発生土壌となるのは、サディズム‐肛門的体質である。彼は大変頑固な腸機能の障碍に苦しんでいた。腸障碍は、強迫神経症の根底にある幾ばくかのヒステリーの代理である。
便に血が混じり、母と同じように病気になったのではないかという不安は、彼が後に原場面を加工する際に母の立場に身を置き、父とこうした関係を結んでいるとして母を妬んでいたことの証明でもあった。女との同一化を表し、男に対する受動的な同性愛的態度を表すことができる器官は肛門域であった。この帯域の機能障碍は女性的な情愛の蠢きを意味するようになっており、それは後期の発症においても保持された。
去勢は女性性の条件であると、彼は夢の出来事の最中に理解するようになり、この喪失の脅しのために男に対する女性的な態度を抑圧した。それが腸の症状となって現れたのである。
(8)原初時代からの補足―解決
彼は母の胎内に戻ろうと欲しているが、それは単純に再び生まれるためではなく、胎内で性交の際、父に射当てられ、父から満足を得て、父に子供を産んでやるためである。この事例からは、母胎空想や再生空想の意味や起源についても光が当てられるであろう。前者は、母の胎内に入り、性交の際、母に取って代わり、父に対して母の位置を占めようと欲望するものである。
後者は、自分が母の性器のうちに居た情況に戻ろうと欲望するが、その際、男性はペニスと同一化しペニスによって代用されることになる。以上のことから、二つの空想は好一対をなすのであって、当事者が男性的態度をとるか女性的態度をとるか次第で、父との性的交わりの欲望を表現するか、それとも母との性的交わりの欲望を表現するかが明らかとなる。
(9)総括と問題
男性的追求と女性的追求との葛藤、両性性から抑圧や神経症形成が生じているのは明らかであるが、この理解には欠落がある。フロイトはむしろ、自我と性的追求(リビード)との葛藤を強調している。
フロイトは転移について述べている。精神分析が困難になって転移へと撤退する度ごとに、患者は食べちゃうぞとか、その他あらゆる可能な虐待によって治療者を脅したが、それはみな情愛の表現でしかなかったとしている。
【感想、疑問点など】
フロイトが転移について言及している箇所はごく短い。なぜか?狼男の症例では抵抗というニュアンスを想定していなかったから?
原場面が狼男にとって父から犯される空想であったとすると、フロイトによって犯されることへの願望やフロイトに対する女性的態度があったのかも知れない。そういった転移を受け、フロイト側にも彼と性交するという逆転移が生じていたのかも知れない。
(1)はじめに
本名はセルゲイ・コンスタンティノヴィッチ・パンケイエフ(1887年1月6日生)で、ロシア人貴族。後に没落。
精神病理の百科事典(メルツァー)
図2 狼男(セルゲイ・コンスタンティノヴィッチ・パンケイエフ)の写真
(2)狼男の診断と見立て
- クレペリン:躁うつ病
- フロイト:欠陥治癒した強迫神経症の後続状態
- ハロルド・ブラム:サドマゾ的固着、心気妄想、長引くうつ状態、行動化傾向などから自我統合ができていない境界性パーソナリティ障害
- J・フロッシュ:幼児期精神病ないし分裂病性人格障害
- F・グリーネーカー:幼児期境界例だった患者が無理に治療を終わらされて妄想反応が生じた
- J・E・ゼドやA・ゴールドバーグ:自己愛人格障害
- 小此木啓吾:境界分裂病
- 木部則雄:発達障害と性格障害の架け橋
(3)フロイトが精神分析した多数の観点
- 乳幼児期の原光景
- 性的誘惑
- 去勢コンプレックス
- 陰性エディプス・コンプレックス
- 口唇食人空想
- 肛門愛的性愛と出産空想
- 大便と胎児の同一視
- 母胎空想と再出産空想などの無意識的空想と幼児期恐怖症と強迫神経症の精神病理
- 自我分裂
(4)原光景 primal scene とは
1896年5月30日付のフリースへの手紙の中ではじめて登場した用語である。両親の性交を子どもが目撃すること。見るだけではなく、聞く、臭う、雰囲気なども含められる。両親の性交は子どもにとっては暴力的で、危険で恐ろしいものと体験されやすく、かつ性的興奮を伴うことが多く、このことから原光景を目撃することは心的外傷になるとフロイトは考えた。さらに、事実として、両親の性交を目撃するだけにとどまらず、個体を超えた系統発生的で、人類に共通する原幻想であるという理解もある。
フロイトはいずれにせよ原光景を過去の遺物であり、症状として現在に影響を与えているとはいえ、現在でも生々しく息づいており、心の中で活発に活動しているものとはみなさなかった。つまり転移状況の中で取り上げられるものではなかった。
クラインはプレイアナリシスにおいてあらわれてくる性的ファンタジーに注目した。そこにおっぱいや大便による相互哺乳や相互かみつきというカップルによる原光景を見出した。中でも、カップルがくっついたままでいる結合両親像を重視した。これは幼児の主観的な視点からとらえた原光景であるといえるものである。ここでクラインは早期エディプスコンプレックスと原光景を結びつけることができた。このことにより、原光景は過去の遺物などではなく、現在にわたって生々しく心の中に巣食うファンタジーの一つとして位置づけられた。また、それは転移関係・転移状況の中で今まさに目の前で繰り広げられる素材でもあり、それらを精神分析的に扱うことは治療を進展させるうえで非常に重要であると言える。
クラインの早期エディプスコンプレックスについて知りたい方は以下をご参照ください。
また、フロイトは原光景を人類共通のものとしてみていたが、メルツァーは原光景を目撃すること自体が両親の病理のあらわれであり、子どもへの性的暴力性になるとしている。これは文化、社会的慣習も影響していると思われる。つまり、メルツァーらが精神分析の対象としていたイギリス中流階級の人々にとって子どもは両親とは寝室が別であることが一般的であり、そのため、直接的に両親の性交を目撃することはそうそうないものである。
それがあるとすれば、そこに両親の何らかの意図、もしくは悪意、病理があると推察されるだろう。一方で、日本文化などでは、子どもは両親と寝室を一緒にすることが多い。「川の字になって寝る」などはその典型である。そうした中で、原光景に接する機会は必然的に増えるだろう。こうしたところから原光景と文化、社会的慣習との関連は無視することはできないのかもしれない。
(5)遡行作用・事後性 deferred action とは
「一定時点でのある体験、印象、記憶痕跡がそれ以後の時点で、新しい体験を得ることや心的な発達や成熟とともに、新しい意味や、新しい心的な作用、影響力を獲得する心的過程」を言う。フロイトは、1895年の「心理学草案」にて詳しく論じ、1895年の「ヒステリー研究」の症例カタリーナにおいて実例を提示した。そして、本論文に置いて、1歳半の時の原光景が、4歳の時の狼の夢において再活性化し、恐怖症状の形成に寄与したという点で、遡行作用によるものであると言える。
精神分析は過去のことが現在に影響する理論である、とする誤解を見聞きする。しかし、この遡行作用という概念は全くそれを支持するものではなく、反対に現在が過去に影響を及ぼすという観点を含んでいる。
神経生物学の知見でも「記憶は脳の静的な記録から成るものではなく、むしろ動的な再構成によるものであり、カテゴリーによって区分され、作り上げられている。(中略)長期記憶は活性化されるのを待つ潜在的なものである」とある。
このことからすると、精神分析的な設定の下で、転移解釈や再構成解釈をするということは、現在の転移関係のインパクトが過去の重要な歴史や記憶に影響を与え、改変させていくことは十分に考えられる。精神分析ではなかったとしても、臨床家であれば日々の臨床で体験的に実感していることだろう。
トラウマ、心的外傷をもつ患者が、それらにより日々苦しめられ、日常生活が障害され、常に想起し、過去にとらわれているというのは非常に多いだろう。それが、治療により、その体験と適度に距離がとれ、過去のことは過去のこととなり、現在を生き生きと営めるようになる変化は決して珍しいことではない。
トラウマについての解説は以下に詳しく書いています。
(6)遮蔽想起 screen memory とは
1899年の「遮蔽想起について」でまとまって取り上げている。そこでは、フロイトのパンと花の記憶が取り上げられ、詳しく精神分析されている。
遮蔽想起とは、重要な記憶を覆い隠す別の記憶のことである。たいして意味もなく、重要とも思えないにも関わらず、細部にわたって鮮明に覚えている幼児期の記憶が遮蔽想起である可能性がある。その記憶を精神分析していくことにより、覆い隠されていた記憶が賦活し、コンプレックスや葛藤があらわになるという。
この覆い隠す記憶と覆い隠される記憶の2つの時間的順序により、先行性遮蔽想起(重要な記憶が先で遮蔽想起が後)と逆行性遮蔽想起(重要な記憶が後で遮蔽想起が先)に分類できる。また、記憶の内容が抑圧された内容と対立関係にあるかどうかで、陽性遮蔽想起と陰性遮蔽想起とにも分類した。
現在の臨床では、遮蔽想起にだけターゲットを絞って、それだけを精神分析するということはほとんどされていないと思われる。しかし、遮蔽想起の重要性は減じてはいないので、治療の初期に早期の幼児期の色々な思い出や記憶は聴取していく方が良いだろう。その時には意味が理解できなかったとしても、その後の治療の進展によって、理解できるようになる局面が来る場合もあるからだ。
フロイトの論文「遮蔽想起について」は以下のページに解説があります。
(7)期間限定の技法について
フロイトは本論文でも述べているように遅々として進まない精神分析治療にしびれを切らし、4年目に入る頃に残り1年で精神分析を終えると宣言し、期間限定の精神分析に入った。そのことにより、急速に精神分析は進展し、4年が終わる頃に症状もある程度改善し、精神分析を終えることができた。しかし、後年にフロイトはこの期限を設定したことを後悔したと述べている。
同時に、この期限設定について後の多数の精神分析家はこの取り扱いについて批判的に述べることが多い。確かに陰性転移、陰性治療反応を精神分析せずに、フロイトは期限設定という方法で報復していると読めるだろう。
この期間限定はフロイトと狼男との転移関係の中で精神分析を進めるための消極的な選択として実施されたが、後年、期間を限定することを積極的に、効果的な方法として用いられる試みがなされるようになった。
その前に、フロイトの当時の精神分析は週6回のセッションを行っているとはいえ、ほとんどが数ヶ月で終了する短いものであった。1年を超えることはめったになかった。それが、ライヒの性格分析の技法が精神分析に導入され、対象関係論の視点から早期幼児期の精神分析が参入し、さらに神経症だけではなくパーソナリティ障害や精神病など重篤な患者を対象とするようになり、飛躍的に精神分析の期間は長期化するようになった。長期化することによる意義もあるが、次第に費用対効果や時間のスピードが早くなる時代背景の中で短期間に治療を終わらせる必要性がでてきた。このことが期間限定の治療につながっている。
ライヒの性格分析については以下をご参照ください。
まず、出生外傷で有名なオットー・ランクは出生という分離体験による外傷や不安が根本的なものなので、そこに特化することによって精神分析の期間を短くできると主張し、その実践と研究を行った(参考:O,ランク 出生外傷(1924))。精神分析の中断は象徴的には母体からの分離に相当するため、精神分析の中断を分析することにより、出生外傷を克服できるとランクは主張した。そのために精神分析の中断という素材が必要だったのだろう。
ランクの出生外傷についての解説は以下にあります。
また、アレキサンダーとフレンチによる7年にわたる臨床研究により、治療頻度と治療期間によって治療効果は規定されず、短期の治療であったとしても永続的な効果を見込めるとした。この研究が短期精神療法の先駆けとなった。その他にも以下の短期療法がある。
- 焦点化精神療法:M,バリント
- ブリーフサイコセラピー:D,H,マラン
- 不安挑発的精神療法:P,E,シフニオス
- 時間制限付き精神療法:J,マン
いずれもカウチ、自由連想法、転移解釈といった精神分析に特有の設定や技法以外に指示や行動的技法、課題設定、目標限定といったパラメーターをふんだんに使用している。
(8)フロイトとの転移関係
幼児期の夢や幼児期神経症の素材のみに絞って報告しているため、実際の狼男の連想やフロイトの解釈や取り扱いがどうだったのか詳細は分からない。それを踏まえたうえで、わかる範囲での理解を述べたい。
狼の夢は原光景であると同時にフロイトとの転移関係も表している。怖い狼は権威的で恐怖の対象である父=フロイトである。そして、扉がかってに開くというのはフロイトの精神分析が侵入的に入り込んでくる不安を占めているのだろう。「お手柔らかに」というのは裏を返せば、フロイトからの攻撃を恐れており、その防御のためと理解できる。そうした狼男はあからさまな反抗はしなかった。去勢不安がブレーキとなっていたのかもしれない。
妥協的な反抗として治療抵抗性の無気力や進展を阻止する非協力さであった。受動的攻撃と言っても良いだろう。そうすることによって、表面的には服従しつつ、内心では反抗するという狼男にとっては都合の良い関係が結べたのである。もちろん、狼男がそうした理由はほとんど明確なのであるが、去勢不安だけではなく、迫害的な不安が狼男には巣食っていたことが主であろう。姉からされたようなことを再びされるかもしれない不安は相当大きいのではないかと思われる。こうした陰性転移が治療関係・転移状況に大きく影を落としていたものと思われる。
そうした中でフロイトは様々な逆転移を抱いたものと推測できる。進まないことの苛立ちはもちろんあっただろう。おそらく当時のフロイトが行っていた技法からすると、転移解釈はそれほどなかっただろう。特に陰性転移の扱いは皆無であったと思われるし、逆転移の吟味はなかっただろう。
逆転移については以下をご参考にしてください。
力技で想起させ、精神分析し、昇華を強引に押し付ける手法は狼男の頑な態度をさらに頑なにさせた可能性はある。その状況の中で残り1年と期間を区切ったことはフロイトのアクティングインといっても差し支えないだろうし、後世の多くの精神分析家はこの部分に多数の批判を寄せている。
これにより、一見すると治療は進展し、一定の治癒はもたらされたかもしれないが、反対に狼男が完全に自立することを妨げ、生涯にわたって依存的で、精神分析に寄生し、フロイトの患者というアイデンティティ以上のものを持つことができなかった要因となっていることは明らかである。それもやはり陰性転移のワークスルーがなされていないという面が特に大きいだろう。
ただ、そうはいっても、もともと狼男は神経症でも強迫でもなく、かなり重篤な病理をもっており、境界例や精神病が疑われる患者であった。フロイトとの精神分析終了後には幻覚妄想も出現し、パラノイア的になっていた時期もあった。この点をフロイトとの転移精神病の点から読み解く精神分析家もいる。狼男の妄想はフロイトのガンやその手術と連動していたようだったからである。フロイトも薄々は神経症で収まる患者ではないと思っていた節もある。だからこそ、その後の狼男の精神分析を、精神病を主に研究しているブランスウィックに委ねたのだろう。
狼男との精神分析過程は混迷をきわめていたが、反対に精神分析やフロイトの経験には実りの大きいものであった。ナルシシズムの理論、原光景の理論、パーソナリティ全体の理解、精神分析の終結問題など様々な論点が提出され、それを回収するためにフロイトは多数の論文を書き、整理し、まとめていった。狼男の症例はフロイトや精神分析にとってターニングポイントとなったと言える。
(9)その後の狼男
- 1910年2月~1914年7月までフロイトによる1回目の精神分析治療を実施。
- オデッサの自宅に帰り、テレサと結婚。
- ロシア革命により没落し、1919年春にウィーンに逃れてくる。保険外交員の仕事をする。
- 1919年11月~1920年2月にフロイトによる2回目の精神分析治療を実施。
- 1926年10月~1927年2月にルース・マック・ブランスウィック(精神病を研究)による精神分析治療。
- 1938年に妻が自殺。
- ムリエル・ガーディナーから支持的な治療を時折受ける。
- 1966年に「フロイトとの思い出」を出版。
- 1971年に「狼男による狼男」を出版。
- 1979年、90歳でウィーンにて死去。
- 1980年に狼男のインタヴュー記録である「W氏との対話」がオプホルツァーにより出版される。
(10)症例論文を批判する際の留意点
精神分析は紙上で行うものではなく、臨床の場で行うものである。またそれは知的な作業というよりは、心の作業であり、生々しく、そして鮮烈な感覚と情緒を伴ったものである。語弊があるが、それは理解するものではなく、体験するものである。転移も理解することはあるにしろ、その前には転移そのものを生きるプロセスが必要となってくる。そうしたセラピストと患者の間にこそ精神分析はあるのである。
それを踏まえると、症例が論文化されている段階ですでに、多数の体験や情緒は切り捨てられ、理解できる事柄しか紙面には掲載されてはいない。また、どうしても知的作業という過程を経ているので、生々しさは減じてしまっている。そうした資料をもちいて知的に解釈・分析することは精神分析に面白さが半減してしまっている。
そうはいっても、フロイトや過去の精神分析家の症例や論文を読むことは極めて価値のあることである。ただ、症例や論文から知識を得たり、学んだりすることではない。フロイトの言葉を手掛かりに連想し、そこから思考を広げることは精神分析的な体験であると言っても良い。フロイトが提出した論点をさらに探求することは精神分析のみならず人間理解を進めていくものである。
3.さいごに
このような精神分析について関心がある方は以下のページを参照してください。
4.文献
- 西園昌久 監修(2008)現代フロイト読本2 みすず書房
- 小此木啓吾 監修(2002)精神分析事典 岩崎学術出版社
- メルツァー(1978/2015)クライン派の発展 金剛出版
- フロイト(1899)遮蔽想起について
- フロイト(1895)ヒステリー研究
- フロイト(1895)心理学草案
- フロイト(1937)終わりある分析と終わりなき分析
- ランク(1924)出生外傷
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