2022年5月6日金曜日

マルクス、父への手紙 1837年 より

 

全集①,8~9ページ
マルクス、父への手紙
1837年11月10日
… しかし私自身が放棄したことどもでもってこれ以上、紙を埋めてなにになるというのでしょうか。三分法の分類が全体を貫き、うんざりするほどだらだらと書かれていてローマ的諸観念を私の体系へむりやりに押しこめるために、 それらがまったくひどい扱い方をされています。他面では私はそういうなかで素材にたいする愛と概観をすくなくともある仕方では獲得したのです。
 実質的な私権の終りのところで私は全体がまちがっていることを知ったのです。それは基本図式においてはカントのそれに近く、論述においてはまったくそれからはずれたもので、またしても私には哲学なしにはやっていけないことがはっきりしてきていたのです。そんなわけで私は意を安んじて今一度、哲学に身を投じることができ、一つの新しい形而上学的根本体系を書き、その終りのところで私はまたしてもその体系と私のこれまでの努力のことごとくが まちがっていたことを否応なしに知らされるはめになったのです。

  一つの幕がおり、私の至聖なものはずたずたに乱引き裂かれていたのでして、新しい神々が置き入れられねばならなかったのです。
 私が~~ついでに申しますと~~カントおよびフィヒテの観念論になぞらえてはぐくんできていた観念論から私は 現実的なものそのもののうちに理念を求めるところへ行きつきました。神々は、かつては天上に住まっていたとすれば、今では大地の中心になっていたのです。
 私はヘーゲル哲学を断片的に読んだことがありましたが、 この哲学のグロテスクで巌(いわお)のような旋律は私の気にはいり ませんでした。もう一度、私は海にもぐり込みたいと思ったのです。ただし精神的自然を物体的自然と同様に必然的な、具体的な、しっかりと仕上げられたものとして見いだそうという一定の意図をもってでありまして、もはや剣術を練習しようなどというつもりではなく、純粋な真珠を日の光にかざそうという意図をもってなのです。…

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