2022年5月30日月曜日

邪馬台国は「朱の王国」だった (文春新書) 蒲池 明弘 Kindle 2018

 四国に関してはそこまで詳しく書かれていない。出版時期が少し早すぎたかも。


邪馬台国は「朱の王国」だった (文春新書) 蒲池 明弘 Kindle 2018
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 朱と邪馬台国  
 火山列島の日本には数多くの朱産地があったとみられていますが、次に掲載した地図で示しているとおり、とくに朱産地が密集している四つのエリアが専門家によって明らかにされています。奈良と伊勢地方の二か所に分布する「大和鉱床群」、徳島県を中心とする四国の「阿波鉱床群」、長崎県と佐賀県の「九州西部鉱床群」、大分県から鹿児島県にかけてひろがる「九州南部鉱床群」です。


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 あまり知られていませんが、四国に邪馬台国があったと主張する地元研究者もいて、徳島県にある弥生時代からの朱の採掘遺跡がその根拠とされています。このあと詳しく見てゆきますが、これまでの邪馬台国論争では、地元にある朱産地に着目して邪馬台国の所在地だと主張する説がいくつか出されています。これは理由のあることであって、邪馬台国を記録した「魏志倭人伝」には、日本列島は朱の産地だという記述があるのです。  本稿で試みようとしていることは、日本列島の朱産地の分布図の上で、邪馬台国とヤマト王権の歴史を考えてみることです。それによって、従来とは違った「日本のはじまり」を描くことができるかもしれないからです。検討の中心は三大産地といえる奈良、伊勢、九州です。

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邪馬台国の候補地は奈良説、九州説のほかにもあって、一説によると全国八十か所を超えているそうですが、四国に邪馬台国を求める説では、徳島県阿南市にある古代朱産地が根拠とされています。邪馬台国連合の〝本社〟というのは難しいとしても、その〝支社〟である可能性をもつ邪馬台国候補地は少なからずあるのではないでしょうか。  火山国である日本列島には、各地に朱産地があり、地名や神社名などによってその痕跡をのこしています。従来、荒唐無稽と見なされていた邪馬台国説にも視野を広げ、注意ぶかく再検討する必要を感じます。

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 古墳時代の三世紀から平安時代までの十世紀ほどのあいだ、政治、軍事、経済などあらゆる領域で、西日本が東日本を圧倒しています。日本の古代史を特徴づける東西格差については、文化の進んだ大陸との距離、稲作文化との相性など、いくつかの理由が指摘されていますが、西日本に偏った朱の鉱床の分布も無関係ではないはずです。九州、奈良、伊勢、四国。古代の主だった朱産地のうち、伊勢は最も東寄りに位置し、時間軸のうえでは最後の朱産地だったことになります。主要な朱産地のうち、伊勢は大陸への輸出が最も不便な場所ですから、採掘があとまわしになったと考えられます。  伊勢神宮の謎を朱の歴史として考えはじめると、もうひとつの謎に視線がひきよせられます。なぜ、ヤマトタケルは伊勢国で死ななければならなかったのかという問題です。その物語が史実であればもちろん、フィクションであればなおさら、なぜ、ヤマトタケルの遍歴の終着点が伊勢国であるのか、その理由が問われるはずです。  景行天皇の皇子ヤマトタケルは東国遠征の帰途、近江国の伊吹山の神との戦いで傷つき、衰弱した体をひきずるように伊勢国を歩くとき、死の訪れを自覚します。その地で、ふるさとの奈良をおもいながら詠んだ歌が古事記にしるされています。   倭は 国の真秀ろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭し麗し  伊勢国を舞台とするヤマトタケルの最期は、この望郷の歌もあって、古事記の名場面として知られています。奇妙なことに日本書紀では、父親である景行天皇が九州遠征のとき、同じ歌を詠み上げています。その場所は日向国。奈良の都をしのんで歌ったとしるされています。  ヤマトタケルは最後の朱産地である伊勢の地から、景行天皇は朱の歴史のはじまりの地である九州から、奈良の美しい山をうたいあげています。奈良、伊勢、九州。日本列島の三大朱産地は、この歌によって連結されています。景行天皇とその皇子であるヤマトタケルが、朱と水銀にまつわる所伝の数々をかかえもっていることは、本稿でくりかえし確認してきたことです。そうであるならば、この歌は奈良盆地をかこむ山並の美しさだけでなく、朱の山の恵みをたたえていると理解できないでしょうか。日本列島の朱産地をめぐる苦難と栄光の歴史を秘めた歌なのではないでしょうか。 


 大地の歴史と人間の歴史

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