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◎邪馬台国を追いかけて ④鞆の浦/とものうら
2016/10/13 - 2016/10/19
222位(同エリア390件中)
悠遊人(ゆうゆうじん)さん
(写真は福禅寺對潮楼)
瀬戸内海のほぼ中央に位置するのが鞆の浦である。 ここは潮待ちの港として知られ、瀬戸内を通るほとんどの船が利用してきた。 満潮時までにこの港に入り待機、そして引き潮を利用して東に西に流れていくのである。中世の鞆の浦は港としての重要性から政治・文化の中心として大いに栄えた。また備後安国寺がこの地に定められてからは、足利尊氏・義昭、また幕末には坂本龍馬、三條実美ら七卿、また景観の素晴らしさから朝鮮通信使や頼山陽など多くの文人墨客が訪れ、鞆の浦を絶賛していきました。
街を歩けば、多くの商家、蔵、寺院が立ち並び、当時の繁栄が偲ばれます。 さらに魏志倭人伝にある邪馬台国の手前にある投馬国とは鞆 /トモ ではないかトモ思えてきます。
・通信使こぬか雨降る鞆の浦
・満潮の退けるが如し平家武者
・鞆にみな干満侍して東へ西へ
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急
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朝鮮通信使は12回ほど鞆に寄っているが、必ずこの福禅寺對潮楼(たいちょうろう)で歓待を受けている。彼らはここからの眺めがとても気に入り「日東第一形勝」という言葉を残した。日本の文化人なども大いに彼らとの交流を楽しみ、大陸のすすんだ文化を吸収したのである。
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いろは丸展示館
街を歩けば龍馬の足跡が其処かしこに見られる。この男、萩に行っても長崎や下関、京都、下田などどこにでも顔を出す。 -
鞆のシンボル 常夜燈
港の中心でこの灯を目指して船が集まってくる。 干満の差はこの日約3mはあった。今は観光客が絶えない人気スポット -
阿弥陀寺の猫
右の門には「ローマは一日にしてならず」とあり、左には「老婆は一日にしてならず」とあった。 ウーム、そう来たか。 -
いろは丸衝突事件で、龍馬が相手方紀州藩と交渉した場所と言われる。これで龍馬は多額の賠償金をせしめたのである。
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ウルバリンの薔薇
對潮楼の下にある -
鞆の夕顔
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仙酔島への連絡船
20分毎、5分で渡れる。 一度来てるはずなのだが何も思い出せない。 -
仙酔島
おもに白亜紀の流紋岩質凝灰岩(一部溶結凝灰岩)から成る -
桝屋清右衛門宅
龍馬の隠れ部屋が奥まったところにある。金~月のみ -
備後安国寺
火事でほとんど焼失したが、この阿弥陀三尊像(重文)だけが残っている -
常夜燈前のカフェから
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園福寺へ
鞆は鯛漁でも知られる。漁港に共通してたくさんの猫がいる。
足利15代将軍義昭は京都を追われ鞆に落ちたが、将軍職を退いたわけではない。よって「鞆の幕府」でもあった。 -
むろの木歌碑
大友旅人が夫人に宛てた歌が對潮楼の下にある
<吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき> (旅人)
万葉集には鞆を詠んだ歌が8首もある。 -
常夜燈に灯りがともる
夕刻には灯がともります。楽しい7日間の旅でした。今日も感謝です。明日は熱田神宮に寄って帰ります。
※鞆に関連する方々
神宮皇后、大伴旅人、最澄、空海、足利尊氏・義昭、山中鹿之助(首塚)、平賀源内、朝鮮通信使一行、坂本龍馬、三條実美ら7公卿、宮城道雄(箏/春の海) 「ポニョ」の舞台といったほうが知られているかも?
なお、邪馬台国畿内説を唱える方の中には、鞆を投馬国と考える方もいるようです。
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