2022年5月29日日曜日

池辺真榛(いけべ・まはり) 古語拾遺新註 : 校訂 - 国立国会図書館デジタルコレクション

池辺真榛(読み)いけべまはり

池辺真榛
いけべまはり

[生]天保1(1830).徳島
[]文久3(1863)
江戸時代後期の国学者。徳島藩士。大坂萩原広道に従って国学をきわめ,20歳のとき紀伊で本居内遠の門に入る。著書『古語拾遺新註』『大元実義』『加見能御霊』ほか。


https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188581?contentNo=7
info:ndljp/pid/1188581
タイトル
古語拾遺新註 : 校訂
著者
池辺真榛 著[他]
出版者
大岡山書店
出版年月日
昭和3

dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188581 #帝國圖書館 


偉才・池邊眞榛
  ――池邊眞棒は、私が舊制高等學校の生徒の ときに「古語拾遺新註」を勉強したのが最初の 出合いです。 「古語拾遺」というのは、齋部廣 成が平安時代の初め、大同二年(八〇七年)に、 高天原から奈良時代までの事柄を、時の平城天 皇にさし出した書物で、日本の古代史、 思想史、 神道史を研究する上からは、古事記、日本書紀 についで三番目に大事な古典です。 特に記紀が 編さんされたのに對して「古語拾遺」は廣成が 著者として、一人で書いており、その記述は文 的で大すぐれたものです。眞榛は天保元年 (一八三〇年) 徳島市で生まれて、二十歳で和 歌山の國學者、本居内遠の門にはいり、安政二 年、二十五歳のときに、その「古語拾遺」にぼ う大な考證、註をつけて「古語拾遺新註」 八巻を著しています。これには學問の方法として 精巧綿密でありながら、生き生きした感情がこ もって、廣い意味で文學ともいえるでしょう。 眞棒は若い時から頭のええ、偉い人だったんで す。
  ――私は今、京都のある會社に関係していま すが、その會社にいる徳島出身の若い女の人に 眞棒のことを尋ねると、よく知らないという。 吉田松陰と同時代の人だというのに、徳島でも 知られていないようだ。眞棒は近世の國學研究 上どうしても缺かせない學者として、十本の指 にはいる人で、その人の業績を広く知らせるこ とは意義のあることやないですか。 私どもでは、 今までに芭蕉ゆかりの京都嵯峨野の落柿舎も大 津の義仲寺を[も]修復しましたが、落柿舎は年間二 十萬の人がやって来る。若い娘さんがいっぱい です。ところが、義仲寺の方はさっぱりです。 PRというのは難しい。
  ――當時は開國前夜で外国船の来航、國内で は尊皇攘夷、佐幕といろんなイデオロギーが入 りみだれて、行動面でも思想面でも混とんとし た時代ですが、眞棒は單に學問だけの人でなく、 阿波の殿様の命令で江戸へ出たり、長崎や横濱 へも仕事で行っており、オランダ人やアメリカ 人ともよく會っています。 オランダの船長から オルゴールをもらって歌を作っています。 とに かく、よく勉強した人で、 眞棒の勉強には血が 通っています。 それがわれわれの魂に傳わりま すね。殿様の政治顧問のような仕事をしたよう だが、文久三年(一八六三年) 三十三歳の若さ で、何かよく譯が分からないまま牢屋に入れら れて獄死してしまう。おそらく政治的、思想的 な争いの渦に巻きこまれたのだろうが、惜しい ことです。 短い生涯に多くの著作をあらわし、 非常な才能を持ったスケールの大きい人だけに、 志を果たすことが出来ず、思いをこの世に残し て死んだでしょうから、われわれがお気の毒に 思うし、たくさんの人に知ってもらいたいと思 うわけです。
  ――こちらへ来て地元の飯田義資さんが書い た「池邊眞榛大人傳」 (昭和十五年刊)をみる と、眞榛は容猊魁偉の大男で聲も大きかったと あり、私が書物からえがいていた眞棒のイメー ジとはくい違っていましたが、これは収穫の一 つです。阿南市で神職をしている助石信弘さん 宅にある眞棒の短冊を見せてもらいましたが、 優しいきれいな字です。 この短冊から歌をとっ 文字をして顕彰碑に刻んではどうでしょう。 その歌を讀んで、だれかが歌を作るきっかけに なれば、日本の和歌の道の傳統が廣がることに なる。顯彰碑を作っておけば、將來また眞棒の 研究家も現れることでしょう。
  ――眞棒という名前は百三十年ほど前のもの ですが、いい名前です。 少しも古くない。私 は戦後、親しい知人の子供に眞棒という名前を つけてあげて、今も喜ばれています。 池邊眞榛 は思想家としても學者としても、徳島というよ りは日本人に知ってもらいたい人です。眞棒の 命日に當たる十月二十八日に、眞榛ゆかりの土 地に顕彰碑を立て行事を行うのは意義深いこと なので、徳島の皆さんのご協力をお願いします。 
                  昭和五十四年七月/徳島市

  偉才・池邊眞榛


保田與重郎全集 別巻4 576~7頁




参考 池辺真榛先生の碑(徳島県徳島市佐古・椎宮神社境内)   
   池辺真榛先生は 文政十三年徳島に生まる。二十歳の時本居内遠の門に入り国学を学び 二十六歳にして古語拾遺新註を完成す。この書は我が古典研究の貴重のものにて若年の先生が国事奔走の途次に成されし事は驚嘆のほかなし。世は江戸時代末期にて 夷船来航し国内騒然たり 三十歳の折 藩侯に召され江戸に上り時務の詔問に応へ また使す。のち致仕して南佐古に寓居し著述かつ時勢を憂ひ談ず。文久三年春 藩命により下獄 病を得て九月歿す。享年三十四歳なり。先生の稀有の偉業とその生涯を仰ぎ慕はれし保田與重郎先生の意志を継ぎ この碑を建つ               昭和五十八年三月 池辺真榛先生景仰会 建立   
                   撰文 奥西 保  

榊正志 アマテラスサーガより

0 件のコメント:

コメントを投稿