2022年5月25日水曜日

卑弥呼はアカル姫(下照姫)? : まじゅらーしんがぷら

卑弥呼はアカル姫(下照姫)? : まじゅらーしんがぷら

卑弥呼はアカル姫(下照姫)?

ねずさん(小名木善行さん)が「卑弥呼は田油津媛(公孫氏)」と言っていて、そうなの?と思っていたら、



何でも当てちゃうサイキッカー、ジョゼフ・マクモニーグルさんが「山口の安徳天皇陵参考地になってる前方後円墳が、卑弥呼の墓だよ」と言っていたりして、

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邪馬台国は九州が妥当かもね、と思っていたところ、この動画↓を見ました。

諸説あり!邪馬台国SP 古代ミステリー 邪馬台国は"ここにあった!"
https://www.ヨウツベ.com/watch?v=dz83a-g1yPg&t=1348s
※ヨウツベをyoutubeに。

中国や台湾の歴史学者によると、


魏志は、漢代の記述が混在している可能性があり、中国の歴史書の距離の記述は現地人の話も紛れていて曖昧なので、方位を当てにした方が良い。


争いの絶えなかった中国は同盟国の文化を正確に記述しているはずなので、そこを参考にすべき。


邪馬台国には良い田んぼがなく、海産物を食べ、男子は顔に黥面(げいめん・入れ墨)をしていると書かれていて、この風習があったのは、九州南部の隼人や熊襲、中国南部の海南島。


卑弥呼の墓では?と言われる平原王墓がある、邪馬台国に属していた伊都国(糸島市)には、爾支(ニキ)と呼ばれる官位があり、副官もいて、一大率(いちだいそつ)も置かれていた。


一大率とは、中国の刺史(行政官)と同じような地位の役人で、代々王がいたとも書かれている。


伊都国が海外との交易地として重要な政治を担っていたらなら、邪馬台国は遠く離れた場所から伊都国を管理していたとは思えない。

また、牛馬がないとも書かれていて、陸路の移動は不便で、時間がかかったはずなので、邪馬台国は伊都国の近くだったのではないか。


九州と畿内で同じ地名が見つかることから、近畿に移動した可能性もある。中国でもこのような地名の移動はよくあった。

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そっかーと思い、年代を改めて調べてみたのでした。


057年   倭奴国王が後漢に使いを送り、光武帝より「漢委奴国王」の金印を受け取る(志賀島出土金印)
107年   倭国王が後漢に使いを送り生口160人を献上する
180年頃 この頃、倭国大いに乱れる 卑弥呼を立てて王とする(邪馬台国)
239年  卑弥呼、魏に使いを送り「親魏倭王」の号を受け取る
250年頃 卑弥呼、壱与、女王となる。この頃、ヤマト政権成立
300年  前方後円墳が近畿、瀬戸内、北九州に出現
372年  百済王、倭王に七支刀をおくる(石上神宮七支刀)
391年  倭国、海を渡り百済・新羅を攻める
400年  この頃以降、中国・朝鮮から多くの技術・文化が伝わる(渡来人)この頃から大規模な前方後円墳が造られる(古墳巨大化)

歴史年表

BC259-BC210年:秦始皇帝(徐福の時代)
BC148-BC30年:崇神天皇(倭迹迹日百襲姫命の時代)箸墓古墳:3世紀後半
※崇神天皇が実在していたのであれば、治世時期は3世紀後半とも言われる。
169-269年:神功皇后(神功皇后陵:奈良市五社神古墳)
吉野ヶ里遺跡:弥生時代、古墳時代、奈良時代等

結局いつも、神功皇后や宇佐、海人族など、その辺の謎がはっきりしないと、よく分からない、という結論に至るのですが、海人族や出雲の系図などを見比べても、神武が誰なのかというあたりが、靄がかかってスッキリしない。




そして、今度はこの動画を見て、一回聞いただけだと忘れてしまいそうなので、後で読み返す用にメモしておくことに。

はい、どうもー!笑

香春神社の伝承から卑弥呼や魏志倭人伝の人物を考察


日本書紀では卑弥呼は201年から267年在位の神功皇后とされているけど、百済との記述や天皇の平均在位年数などから考えて、神功皇后は卑弥呼の100年後の4世紀後半の人物。



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神功皇后の名は息長足姫(おきながたらしひめ)、母方の先祖は朝鮮半島から来た天日槍(あめのひぼこ)またはツヌガアラシト。

その前妻は記紀ではアカル姫だけど、田川市の香春(かわら)神社では辛国息長大姫と言われている。

神功皇后から6世代前のアカル姫は卑弥呼と同じ時代の人物。

怡土(いと)の県主の先祖は、天日槍だと言われている。

魏志には伊都国の副官は泄謨觚・柄渠觚(せもこ・へここ)と書かれていて、ヒボコと似てる。

夫余の神話上の建国者、解慕漱(ヘモス)にも似てる。

官は爾支(にき)。ニニギやニギハヤヒに似てなくもない。

天日槍の奥さん、前津耳(まえつみみ)の先祖は天津彦根(あまつひこね)ともニギハヤヒとも言われている。

魏志には狗邪韓国の記述もあり、天日槍は狗邪韓国の可能性もある。

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神功皇后に殺されたという山門郡(やまとぐん)の女王、田油津姫(たぶらつひめ)の兄の夏羽と先祖の神夏磯媛を祭る若八幡神社と、香春神社は近いので、田油津姫もアカル姫の親族の可能性がある。

さらに、近くにある現人神社は、ツヌガアラシトを祭っている。

福岡市の現人神社は住吉三神を祭ってるから、天日槍と住吉は関係がありそう。

アカル姫を祭る香春と姫島は鉱石の産地。アカル姫は鉱山開発や金属加工技術を持っていた可能性もある。

鉱山に出入りする姿が土蜘蛛の由来かも。炭坑節は香春発祥。

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大阪のアカル姫神社はこんな配置で、記紀に記されている比売許曽(ひめこそ)神社は姫嶋神社に近く、やり直し神社とも呼ばれていて、夫から逃げ出したアカル姫の故事から、離婚した女性に人気があり、相殿(あいどの)には神功皇后も祭られている。


系図では、アカル姫にとって神功皇后は元夫の子孫。

姫嶋神社の主祭神は、アカル姫と住吉三神で、神功皇后にとって夫の仲哀天皇は住吉の神に殺されたようなものだったり、息子の応神天皇は住吉神の子という話もある。

神功皇后が倒したという夏羽・田油津姫兄妹も、アカル姫の子孫だとすると、神功皇后=アカル姫とするのは違うのでは。

香春神社の祭神はアカル姫、天忍穂耳(あめのおしほみみ)、豊姫。アカル姫は卑弥呼、豊姫は臺與・壹與(とよ・いよ)、天忍穂耳は卑弥呼の死後、一瞬王になった男王という図式ができあがる。

天忍穂耳が魏志に書かれた男王だとすると、世代的に大夫の難升米(なしめ)は高皇産霊あたり。

筑後一宮高良大社の祭神、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)は、武内宿禰とも高皇産霊とも言われている。

高皇産霊の子には天太玉や天活玉(あめのいくたま)など玉のつく名前が多く、魏志に書かれている不彌国(ふみこく)の官だった多模(たも)とも関係あるかも。

狗奴国の王、卑弥弓呼は出雲の大国主や、熊野の出雲族(熊野三山の素戔嗚や八咫烏、伊太祁曽神社の五十猛)とも考えられる。狗奴と熊野は似ている。

香春神社の祭神、豊姫は、社伝では神武天皇の母方(玉依姫)の祖母で綿津見の妻、住吉の母と書いてある。綿津見も住吉も海神で、福岡に拠点があり、親族でも不思議ではない。

吉野ヶ里遺跡に近い、肥前一宮の與止日女(よどひめ)神社の淀姫は、豊姫とも呼ばれ、息長姫の妹だと言われている。

この息長姫がアカル姫の子とだとしたら、魏志の卑弥呼の宗女、臺與の記述に一致する。

九州の比売語曽神社の祭神はアカル姫、大阪の比売許曽神社の祭神は下照姫。下照姫は大国主の子で、味鋤高彦根(あじすきたかひこね)の妹、母親は宗像三神のタギリ姫。

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味鋤高彦根の子には観松彦や御間都彦がいて、邪馬台国の次官、弥馬升(みましょう)・弥馬獲支(みまわき)と関係ありそう。

長官の伊支馬(いしま)は味鋤高彦根か、生駒神社の祭神、伊古麻都比古神(いこまつひこかみ)。

生駒神社にも神功皇后が祭られていて、伊古麻と伊支馬は関係がありそう。

邪馬台国の場所は生駒神社の可能性もあり、その場合、魏志の卑弥呼の弟は、異母兄弟の事代主となリ、母親のタギツ姫の子、高照姫が卑弥呼で、下照姫が臺與、味鋤高彦根が弟で、邪馬台国の王は大国主一族。

神武東征の時、熊野の出雲族は神武に味方して、同じ出雲族の長髄彦と戦っている。

播磨風土記には天日槍と大国主の土地を巡った争いの記述がある。息長姫の父と夫の戦いとなる。

天日槍の後妻は前津耳(まえつみみ)、その父親は太耳(ふとみみ)。投馬国の官が彌彌(ミミ)、副官が彌彌那利(ミミナリ)と繋がり、投馬国は但馬国となる。

奴国の官の兕馬觚(しまこ)は、金印が出た志賀島の神、海津見の一族で、兕馬觚という名前から浦島子、浦島太郎と関係があるかも。

伊都国の官の爾支と、副官の泄謨觚・柄渠觚の関連が微妙だけど、ニギハヤヒの子孫の高倉下(たかくらじ)は、海部氏や尾張氏など海神族の先祖で、綿津見が兕馬觚なので、ニギハヤヒが爾支で、子か部下に泄謨觚・柄渠觚がいたのかも。

日本書紀には天日槍が穴戸で伊都都比古に合ったとされていて、一時的に部下になっていたのかも。

不弥国の官の多模は高良玉垂一族ではないか。八尺瓊勾玉を作ったという玉祖命も高良玉垂一族。

倭の大夫、難升米(ナシメ)や伊聲耆(イシェキ・イセキ)は、魏志には夏の小康の末裔、後漢書には呉の太白の末裔的な記述がある。

難升米は高皇産霊系の久米氏の可能性、伊聲耆は伊勢の語源となった伊勢津彦と関係があるかも。

伊勢津彦は大国主の子とも天忍穂耳の弟の建比良鳥の子とも言われ、謎が多い。

アカル姫が卑弥呼だと色々関連深い人物が出てくるし、香春神社の社伝では、アカル姫(息長姫)は中国に渡ったと書かれている。

神功皇后は天日槍の6世代後と、邇邇芸の16世代後で、世代数が合わない。

日本書紀では、天日槍もツヌガアラシトも、11代垂仁天皇の時代に来ている。

ツヌガアラシトは崇神天皇の本名ミマキを貰って、朝鮮に任那(みまな)という国を作ったことになっている。

天日槍は日本に残ったというから、天日槍が卑弥呼の時代に来て、子孫のツヌガアラシトが垂仁天皇時代に朝鮮に渡って任那を建国した可能性もある。

大加羅の初代は、伊珍阿豉(イジンアシ)とも内珍朱智(ナイチンシュチ)とも言われていて、ツヌガアラシトの別名、于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)に似てなくもない。

加羅の隣の新羅の4代目の王、脱解尼師今(だっかいにしきん、タルヘイサコミ)は、多婆那国出身だと言われていて、多婆那国は天日槍がいた但馬という可能性がある。

新羅の大臣の瓠公(ここう)は倭国出身と言われているから、天日槍の一族が朝鮮に渡って国を作った可能性は高い。

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大加羅と金官加羅の初代は兄弟で、新羅4代目の脱解尼師今もともにAC50年ごろの王。日本書紀の垂仁天皇の在位期間もこの頃。


天日槍には知古という弟がいて、ツヌガアラシトが大加羅の阿豉王(あしおう)、知古が首露王(しゅろおう)かもしれないが、年代が合わない。

狗邪韓国は倭国の一部で、朝鮮半島南端には倭人の作った国があり、新羅の歴史では、毎年のように倭国と争ったという記述がある。

赤枠の卑弥呼世代は魏志の記述にある3世紀中頃、青枠の垂仁天皇世代は古墳から4世紀中頃、神功皇后は百済との関係から4世紀後半の人物。

日本書記編纂の時、神功皇后と卑弥呼と同じ年代にして、同じ息長姫で天日槍の子孫だから、下照姫こと香春の息長姫の実績を当てはめた。




この辺に、天照大神が男神から女神になった経緯が隠れてるのかも!?

卑弥呼は日の巫女であり、日の神子、日御子、日皇子。

日本は天皇家の子女が斎王をしていたり、月の信仰があまりなかったり…。

豊玉姫→トヨ。エジプトの太陽信仰。太陽神キリスト(クリシュナ)。扶余から来た太陽に住む三本足の烏。


九州に到着した渡来人たちによる、太陽信仰の勢力があったのかも!?


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