しんとうはっしょうのち
九州本島と対馬の間,唐津港からおよそ40km北西に位置する
日本書紀の記述によると,古墳時代(西暦487年)
ちなみに 壱岐の月讀神社は延喜式内社の一つである。平安時代に編纂された「延喜式」には,全国の社格の高い神社が記録されている(式内社)が, その中に 壱岐島は24,対馬島は29の神社が記載されている。
九州全体の式内社の数は98なので,壱岐と対馬だけで 全体の半分以上を占めている。 当時の壱岐・対馬がいかに栄え 重要視されていたかが読み取れる。
写真
碑文
月読 神社御祭神 中 月夜見尊 左 月弓尊 右 月読尊
御鎮座地 壱岐郡那賀国分東触
境内地 六百四十九坪
御神徳 諸行繁盛 すべての願い事がかなう
鎮座年数 西暦四八七年月読神社に天月神命を祭り
高御祖 神社には天月神命 の祖高産霊尊 を祀るとあり
御鎮座の由来延喜式 に壱岐郡 月読神社「名神大 」とあり
月読尊 の御事については,古事記 の上巻に,伊邪那岐命 ・伊邪那美命 の二柱の御親神 が,天照大御神 をお生みになられ,次に月読尊 をお生みになられたと表されてあります。
また,日本書紀 には,「すでに大八州国(日本)および山川草木 を生むことが出来た,何 ぞ天下(あめのした)のを生まざらむ」と言われて,是 に天照大御神をお生みになられ,次に月読尊をお生みになられたと記されてあり。
また一書には日に並ぶともあります。即 ち天照大御神及び月読尊は並 に是 ,質性明麗 し。故,天地 に照 し臨 ましむ。
天照大御神のご神徳 は「その光華明彩(ひかりうるわしいこと)六合 に照り徹 るほどでございます」と太陽にたとえて表されておりますので, 月読尊の御威徳 は,それに次ぐものとして,月になぞらえておたたえし たものと拝されます。
太陽,月,大地,自然と共に神は存在されておられると言う事 (アニミズム)を壱岐の祖先は熟知され月が万物 (すべて)に利益を与えるごとく邪心(よこしまなこころ)が無く玄徳 (最も奥深い徳)を極 められていたようです。
壱岐の県主 の先祖「忍見宿祢 (おしみのすくね)」が西暦四八七年月読神社を分霊して壱岐から京都に祭りに行かれた。
忍見宿祢 により,神道が中央に根ずく事になったとされております。 つまり,壱岐島が神道の発祥の地といわれております。
京都,洛西 ,松尾大社の横に月読神社はあり。伊勢神宮 の内宮 に月読宮, また外宮 に月夜見神社があります。壱岐島の月読神社が全国の月読社の 「元宮 」とされております。平成八年十月 壱岐「島の科学」研究会
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