2022年5月25日水曜日

【関西の議論】神の国・淡路島は「鉄の国」だった-「邪馬台国畿内説」の弱みはね飛ばす鉄器工房跡発掘 - 産経ニュース 2017

【関西の議論】神の国・淡路島は「鉄の国」だった-「邪馬台国畿内説」の弱みはね飛ばす鉄器工房跡発掘 - 産経ニュース

【関西の議論】神の国・淡路島は「鉄の国」だった-「邪馬台国畿内説」の弱みはね飛ばす鉄器工房跡発掘

 邪馬台国は畿内か九州か-。古代史永遠の謎に迫る発掘調査が今年1月、兵庫県淡路市の舟木遺跡で行われた。邪馬台国の時代にも重なる弥生時代後期(2世紀半ば〜3世紀初め)の鉄器工房跡が見つかったのだ。同市では10年前に五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(国史跡)で大規模な鉄器工房跡が発掘され、淡路島が西日本屈指の鉄器生産地だったことが明らかになった。古事記で、日本列島が造られた「国生み」の地とされる淡路島。古代から朝廷に海や山の幸を献上し「御食国(みけつくに)」と呼ばれた神話の舞台は、邪馬台国と深く関わった「鉄の王国」でもあった。(小畑三秋)

西からの物資や情報を中継する「玄関口」だった

 「淡路島でなぜ鉄器生産が盛んだったのか。神話と何か関係があるのかもしれない」

 淡路市は平成27年度から「国生み研究プロジェクト」をスタートさせ、その一環で舟木遺跡を発掘し、今回の成果に結びついた。「淡路島が重要な地域だったことが考古学で裏付けられた」。同市教委の伊藤宏幸次長は声を弾ませた。

 発掘では、4棟の竪穴建物跡と刀子(とうす、ナイフ)などの鉄器や鉄片約60点が出土。そのうち1棟の床面は赤く焼けていた。鉄の素材を木炭で熱しながら、たたいたり延ばしたりして工具などを作った炉跡だった。

 調査はわずか130平方メートルだったが、周辺の丘陵一帯では同時期の土器が確認され、遺跡は40ヘクタール(南北800メートル、東西500メートル)に及ぶと推定。伊藤次長は「建物跡が相当多く眠っているのではないか」とし、国内最大規模の鉄器工房跡である可能性が高まった。

 一方、同遺跡の南西約6キロにある五斗長垣内遺跡では、鉄器工房とみられる12棟の竪穴建物跡や鉄器など約130点を確認。約100年間にわたって鉄器作りが行われたことが分かった。

 畿内勢力にとって、朝鮮半島から伝わった鉄器の技術や素材を入手するうえで、重要な位置を占めたのが瀬戸内海ルート。「淡路は、西からの物資や情報を中継する『玄関口』だった」と話すのは、奈良県立橿原考古学研究所の森岡秀人共同研究員。「明石海峡や鳴門海峡という海の難所に挟まれた淡路の勢力は航海術にたけ、新しい鉄器文化を積極的に取り入れたのだろう」という。

鉄を制するものは国を制す 魏志倭人伝中の「三十国」の一つか

 「木工にも使う鉄は、農業や狩猟、建築、戦闘などあらゆる分野で技術革新をもたらした」。森岡さんは鉄が社会に与えた影響の大きさを指摘する。

 「鉄を制するものは国を制す」ともいわれた鉄は、九州北部を中心に大量に出土することから、邪馬台国九州説の大きな根拠となっている。一方で、畿内では出土量が少なく、邪馬台国論争では弱みとなっていた。

 こうした中での今回の発見。兵庫県立考古博物館の石野博信名誉館長は「淡路島に大規模な鉄器工場群があったことが示された」と指摘し、「纒向遺跡(奈良県桜井市)を中心とする邪馬台国が大和にあり、淡路は西日本に及ぶ政治連合の一翼を担い、魏志倭人伝に記された『三十国』の一つだったのではないか」と話す。

 一方、こちらも国内最大級の鉄器工房として話題を集めたのが、滋賀県彦根市の稲部遺跡。淡路の遺跡より少し新しい弥生時代末(3世紀初め)〜古墳時代初め(3世紀中ごろ)の竪穴建物跡20棟以上から、鉄片や鉄を加工する際に出る不純物など約6キロ分が見つかった。琵琶湖の東側に位置し、近畿や東海、北陸を結ぶ交通の要衝。琵琶湖の水運を利用し、日本海を介して朝鮮半島から直接入手した鉄素材を加工し、近畿や東海に供給する、独立した一大勢力があったとみられている。森岡さんはこの遺跡も「三十国の一つだろう」と推測する。

銅鐸の宝庫 やはり淡路は特別な場所

 「神の国」淡路島は、鉄だけでなく、弥生時代の祭祀を担った銅鐸の宝庫でもあった。南あわじ市では27年、弥生時代前期末〜中期(紀元前3〜同2世紀)の銅鐸7個が見つかった。島内では計20点ほどが確認され、全国有数の出土数を誇る。島根県出雲市の荒神谷(こうじんだに)遺跡や同県雲南市の加茂岩倉遺跡の銅鐸と同じ鋳型で作られたものもあり、両地域の結びつきが明らかになった。

 出雲は、神話に登場する国造りの神「オオクニヌシノミコト」や八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したスサノオノミコトの伝説で知られる神話の里。淡路は、イザナキノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)が交わって次々と島を誕生させた国生みの地と伝わる。

 「神話の骨格をなすストーリーをもつ淡路と出雲に、鉄器や青銅器という重要な遺物が見つかったことは偶然ではない」と伊藤次長。石野さんも「淡路が特別な場所だったという意識が古事記編纂(へんさん)の飛鳥時代まで伝わっていたのではないか」と古代に思いをはせた。

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 鉄器 弥生時代初め(紀元前4世紀ごろ)、中国大陸から朝鮮半島を経て日本に伝わったとされ、九州北部から日本列島に広まった。当時は鉄板などから加工した鍛冶作業にとどまり、鉄鉱石や砂鉄から鉄を作る製鉄は6世紀(古墳時代後期)とされる。

 縄文時代までの石器と異なり、鉄器によって作業効率が飛躍的に向上。大阪府立弥生文化博物館の実験では、太さ20センチの木を伐採するのに石斧は12分だったが、鉄斧はわずか3分。武器に使われる鉄製の矢じりは、木製の盾(厚さ1〜2センチ)を貫通し、戦闘用に大きな威力があったことが裏付けられた。



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