2022年3月2日水曜日

映画 田園交響楽 1938

 田園交響楽 1938 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

著作権の問題でトラブルになりかけたがジッドは原節子を絶賛した。

ジッドの盛澄華宛書簡 吉井亮雄
 アジア系として初のアカデミー・フランセーズ会員となったフランソワ・チェン(中国名,程チョンパオイー抱一。1929 年江西省南昌生まれ,48年渡仏,77年フランスに帰化)の自伝的小説『ティエンイの物語』(1998年刊,フェミナ賞受賞)には,この作家・詩人をはじめ同世代の中国人青年層が多大な影響を受


同じ年の6月,日本では山本薩夫監督,原節子・高田稔主演の東宝映画『田園交響楽』が封切られる。悶着は秋になって起きた。映画が原作者や版元には無断で翻案・制作されていたことが伝わり,それまで日本に好意を寄せていたジッドもさすがに不快感を隠せなかったのである。フランス文壇の大御所と揉めることは対仏文化政策上も大きな損失となるので,日本大使館としても対応に苦慮するところとなった。だがジッドは,間もなく差出人不明で送られてきた映画のスティル写真を眺めるや態度を一変し,是非ともこの作品を観たいと思いはじめる。その意向は早速,新フランス評論の翻訳部長ロベール・アロンから,元報知新聞特派員・小松清を介し宮崎勝太郎参事官(のち代理大使)へと伝えられる。かくて10月19日,日本大使館応接室に作家本人,参事官,アロン,小松の4者が集まり対策を協議(読売新聞パリ支局長・松尾邦之助も報道関係者として唯一人同席)。話し合いは,試写会の実施や日仏間の相互出版計画をめぐり,終始和やかな雰囲気のなかで進められた 15)。年が明けて1939年の5月4日,先の取り決めにしたがい,シャンゼリゼ大通りの映画館(おそらくはマリニャン座)で新フランス評論の関係者に向けた試写がおこなわれる 16)。当時の小松の証言によれば,この「ジッドを主賓として催された第1回試写会に出席した〔ジュール・〕シュペルヴィエル,〔ジャック・〕マドール,クララ・マルロー,〔テア・〕シュテルンハイム,〔マルク・〕アレグレ,ロベール・アロン,ジャン・ポーラン,その他の人々の心からの称賛の言葉。あの気難し屋で有名なジッドさえ嬉しさを抑えることができず,宮崎代理大使や僕たちの手をかたく握って喜んでくれた。ジッドは原節子を《天才的な女優》の名をもって呼び,最大級の賛辞を呈した」 17)。その「情けないお粗末な音楽」を別とすれば,原作者にとって映画は申し分のない出来だったのである 18)。

15) 小松清「ジイド会見記」,『中央公論』1939年1月号,190–192頁参照(同者著の『フランスより還る』,育成社,1941年,91–94頁;『創造の魔神──ジイドとの対話』, 銀座出版社,1947年,126–133頁;『アンドレ・ジイド──自由なる射手』,河出書房,1951年,204–210頁がそれぞれほぼ同内容を再録)。
16) 「 5 月4日」という日付は,マリア・ヴァン・リセルベルグ『プチット・ダムの手記』の記述による。同日ジッドは,彼女をこの「ごく内輪での試写会」に同行させていたのである。Voir  Maria  VAN  RYSSELBERGHE,  Les  Cahiers  de  la  Petite  Dame, Paris  :  Gallimard,  coll.  « Cahiers  André  Gide »,  4  vol.,  1973-77,  t.  III [1975], p.  136. 
17) 小松清「嵐の前に立って」,『中央公論』1940年8月号,283–284頁(同者著『沈黙の戦士──戦時巴里日記』,改造社,1940年,179–180頁に再録)。ちなみに映画には字幕は付されず,小松執筆の紹介文が映写に先立ち読み上げられた模様(この紹介文は翌年4月,ジャック・マドール,クララ・マルロー,ジョルジュ・デュヴォーによる映画評とともに『フランス=ジャポン』誌〔第49号,348–351頁〕に掲載される)。
18) 「情けない音楽」あるいは「情けないお粗末な音楽」とは,松尾邦之助が伝えるジッドの言葉(『巴里物語』,論争社,1960年,296頁〔社会評論社「2010復刻版」,241頁〕,および『自然発生的抵抗の論理──アンドレ・ジイドとの対話──』,永田書房,1969年,93頁)。現在視聴しうる東宝発売のビデオ版から推せば,これは音楽演奏の巧拙ではなく,録音の悪さ(割れるような劣悪な音質)に対する評だと思われる。なお,試写会はその後も「何度となく」おこなわれ,小松はそのうち,翌年4 月18日のエドゥアール7世劇場での「来会者400名を超す一般公開試写会」と, 5 月10日のエリゼ・プロジェクションでの「『日仏文化』に特に縁故の深い寄稿家たちを招待した」試写会について証言を残している(上掲「嵐の前に立って」,283– 284 頁参照)。またこれと並行して商業的上映の準備も進んでいたが,6月のドイツ軍パリ進攻ですべては水泡に帰してしまう。広く一般に公開されていれば,この日本版『田園交響楽』はいずれフランス版(ジャン・ドラノワ監督,ミシェル・モルガン,ピエール・ブランシャール主演。1946年公開,第1回カンヌ国際映画祭大賞受賞)と並び論じられたはずなだけに,いかにも残念なことであった。

https://youtu.be/sFYG3_1-S5w
https://filmarks.com/movies/8286

<原節子 生誕100年>特集より。

原作はアンドレ・ジッドでキリスト者の苦悩に関する告白小説らしい。本作でも、原作同様に、ヨハネ伝第9章41節、ロマ書第7章9節が引用される。盲目の少女・雪子=原節子を、牧師=高田稔が救い出し、育て上げていくところはヘレン・ケラーとサリヴァン先生の『奇跡の人』ばりだが、牧師の妻やら弟やらが絡んで、なまぐさくいやらしい愛憎劇となり、しかも監督は収拾をつけられなくなったのだろう、結末を観る者に委ねて逃げる。この牧師は、いまの時代だったらまあ、キモくてミソジニーのおっさんと一刀両断されるところか。

原節子は、野生の少女のままわしわしと白飯を貪り食らう姿、春の原野(北海道)をそぞろ歩く姿、オーケストラの演奏にうっとり聞き惚れる姿、と魅力的なショットがぽつぽつあるけれど、あの大きく美しい瞳がぱっちりと開くのは終盤までありません、念のため。

あと、冒頭の炉端の場面でちょこっと登場する村の男は、ノー・クレジットだけど、宇野重吉ですかね。
イシ

イシの感想・評価

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テレビドラマでやってそうだった。よくしゃべるお子さんだなあ。
原節子が盲目の少女を演じる映画。さすがは名女優と言わんばかりの演技だった。ラストでフラッシュバックを用いるあたり、山本薩夫は泣かしにかかってきてる。手術の場面が妙に気合入ってたのには数十年後に撮る『白い巨塔』の面影を感じる。原節子が米を食うとこが良いし、吹雪の描写が半端ない。ジッドの原作をここまで日本に合わせたのには素直に感動する。
なすび

なすびの感想・評価

3.8
仏文の授業でみた。原作がアンドレジッドだから。
日本版田園交響楽!全く期待してなくて、あんなキリスト色強いのにどうやって日本で作るんだよ…と思ってたけどいい意味で期待を裏切られた!!意外とすんなりストーリーが日本に組み込まれてて、ちゃんと牧師だし(そうかこの時代にもちゃんと教会はあるのか)部屋にキリストいたし、美しい話がそのままだった!!
フランス版より台詞が原作に忠実!実は私がとても大好きなシーンが2つとも映像化されてて(フランス版ではされてない)すごく喜んだ!蝶々について尋ねるシーンとベートーヴェンの田園交響楽を聴きに行くシーン。あの2つを文句なしに再現しててよかったなぁ。フランス版はよりドラマ要素が強くて悲劇感が満載だったけど、こっちはそれより小説に近くゆったり話が流れて行く。息子が弟だったり娘が1人しかいないし幼いしだったりちょこちょこ原作通りではないけど逆にいい味出してた。娘のみちこちゃんが可愛いのよねー!「おとうちやん」って何回も言うんだけどほんとにかわいい。台詞も昔の子供の喋り方かわいいね、「お雪の中からきたんだから雪子ちゃんにしましょうよ」ってまあなんと美しい日本語…。こんなに好きなんだからそろそろ昔の日本映画もハマりたい!ハマりそうな予感はあった!古いカメラワークが逆に愛おしい。ページをめくるように場面が変わるとことか。ちょっと古すぎて映像悪いところあったけどまあまあ仕方ないね。
原節子初めてみたけどそんなに言うほど可愛くなかった…?あご長くね?あとぽっちゃり?また違う作品も見たいけど。でもフランス版のミシェルモルガンといい声が透き通るようで美しい!適役!盲の演技の時は眼を閉じてたのがもったいないくらい目がキラキラしてた。着物の柄も可愛かった。てか牧師さん美男じゃない?けっこう整って好きな顔だった。弟は…ずっとタバコ吸ってるの気になりすぎたしちょっとちゃらくさせすぎ。フランス版みたいにもっとイケメンで優しくてよかったのでは…?
ん〜〜!ラストはモヤっとさせる終わり方…もうひと踏ん張りなんかしてほしかった。それにしてもあんな雪の中よく撮影したなぁ…とても寒そう。全体的に面白かったし美しかったしなんか気に入っちゃった!ジッドも気に入るわけね!!

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田園交響楽

田園交響楽』(でんえんこうきょうがく、La Symphonie pastorale)は、フランスノーベル文学賞受賞者アンドレ・ジッドの小説。1919年発表。 

目次

  • 1 概要
  • 2 あらすじ
  • 3 映画
  • 4 参考文献

概要

盲目の少女を熱演する原節子

1910年から1918年にかけてジッドは困難な状況にあった。それは自身の信仰の危機と夫婦間の危機であった。プロテスタントであったジッドの周りにいた弟子や友人がカトリックに改宗し、ジッドにも改宗を迫ることがあった。時代は第一次世界大戦のさなか、ジッドは難民救済に従事し、改めてキリストの福音に心のよりどころを見出そうとした。彼がたどりついたのは、「わたしはかつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返ってわたしが死にました。」(ローマの信徒への手紙7:9)というパウロの言葉であった。さらにジッドはマルク・アレグレという青年との同性愛関係によって夫婦関係が破綻寸前であった。ジッドの頭に『盲人』というタイトルが浮かんだ。それはマタイによる福音書15:14にあるイエスの『盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう』という言葉をモチーフにした作品だった。 

あらすじ

身寄りもなく、無知で盲目だったジェルトリュードを牧師は純粋な慈悲の心から引き取ったつもりだったが、やがて牧師と牧師の妻と息子、ジェルトリュードを巡って愛憎劇が展開される。数年後、彼女は「真実を知りたい」という切な願いを牧師に訴えて視力回復手術を受けたが、視力を得た彼女は現実を見てしまった。ジェルトリュードは「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう」(ヨハネによる福音書9:41)というイエスの言葉をかみしめる。 

映画

参考文献

  • 神西清訳『田園交響楽』、新潮文庫、ISBN 4-10-204504-X
  • 新庄嘉章『ジッドの作品と生涯』、新潮文庫
  • 若林真『田園交響楽について』、新潮文庫
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