2023年6月19日月曜日

映画『エブエブ』ネタバレ解説&考察 ラストの意味は? 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 | VG+ (バゴプラ)

映画『エブエブ』ネタバレ解説&考察 ラストの意味は? 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 | VG+ (バゴプラ)


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映画『エブエブ』ネタバレ解説&考察 ラストの意味は? 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

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映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』公開

ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート監督・脚本の映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が、2023年3月3日(金) より、日本の劇場で公開された。日本では『エブエブ』の略称で親しまれ、アカデミー賞10部門11ノミネートを果たしたこともあり注目度は高い。

『エブエブ』は、主演のミシェル・ヨー演じるエヴリン・ワン・クワンが、ある日突然マルチバースを行き来して、脅威に挑む物語。三幕構成ではあるが怒涛の展開を見せる本作について、今回は終盤の展開をおさらいしていこう。以下の内容は結末部分のネタバレを含むため、必ず劇場で本編を鑑賞してから読んでいただきたい。

ネタバレ注意
以下の内容は、映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の結末に関するネタバレを含みます。

Contents

  • 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ラストはどうなった?
    • 舞台の意味
    • ジョブ・トゥパキの目的
    • 親切に
    • vs ゴンゴン
    • ジョイへの言葉
    • ラストの意味は?

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ラストはどうなった?

舞台の意味

『エブエブ』のクライマックスは、序盤に主人公エヴリンがマルチバースと繋がるきっかけになった国税局の建物だ。この建物こそ、世界の分岐を発見した"最初のユニバース"であるアルファバースのウェイモンドとエヴリンが初めて繋がった場所であり、初めてジャンプに成功した場所だ。

この舞台で娘のジョイ/ジョブ・トゥパキをはじめとする家族と向き合っているというクライマックスの展開は、結局エヴリンの物語の根底には税金と家族があるということを象徴している。物語はマルチバースにまたがる壮大さを見せるが、やはりエヴリンは目の前の身近なものと向き合って初めてこの闘争から解放されることになる。

ジョブ・トゥパキの目的

ジョブ・トゥパキはアルファバースでもエヴリンの娘だった。マルチバースを発見したアルファバースのエヴリンは、娘にマルチバース間を移動するバースジャンプを過度に強要し、ジョブ・トゥパキの心の中の何かが壊れてしまった。マルチバース内の全ての世界に自由に出現する力を得たジョブ・トゥパキは、けれど母エヴリンへの復讐ではなく、「どの世界にも重要なものはない」という虚無感からの脱出を求めていた。

ジョブ・トゥパキの感覚は、相対化(絶対的なものはなく、視点によって物事の意味や価値は異なると考えること)が当たり前になった現代社会に生きる私たちが陥りがちなダークサイドの側面だ。「人それぞれ」という考え方は力になるけれど、絶対的なものなどなく、自分にとって大事に感じることも違う視点で見れば無価値なのだという事実は、どうしようもない虚無感にも直結する。

こうした感覚を、ニヒリズムだとか、メランコリーだとか、さまざまな言葉を使って理屈づけはできる。しかし、ジョブ・トゥパキが抱いていたのは、エヴリンなら世界に対する違う見方を教えてくれるかもしれないという期待だった。その期待が再び絶望にさらされた時、ジョブ・トゥパキはブラックホールと化した"エブリシング・ベーグル"にエヴリンと共に入っていくことを望むようになる。

このユニバースのエヴリンは、全ての選択に失敗したユニバースのエヴリンであり、ジョブ・トゥパキは自分と同じように世界に絶望してくれる相手を探し求めていたのだ。そして、どのユニバースでもうまくいかないことを悟ったエヴリンは、ジョブ・トゥパキと共にエブリシング・ベーグルへの道を歩もうとするが、それを止めたのはエヴリンの夫のウェイモンドだった。

親切に

ウェイモンドは、どのユニバースにあっても親切であろうとしていた。一番ダメなユニバースに思えたエヴリンのユニバースにおいても、どうしようもない現実に対して少しでも明るく生きようとしている。それがウェイモンドなりの闘い方なのだ。それは楽観的に、笑顔で振る舞うことであり、洗濯袋に"ギョロ目"をつけることだった。この場面においては、自分を刺したエヴリンに向けられた銃口の前に立ちはだかることだった。

「優しくしてほしい」——その言葉に突き動かされたエヴリンは、今まで登場してきた人物のオールスターを倒すのではなく、親切に対処することでこれを乗り切る。

天敵だった国税局のディアドラには、①レズビアンカップルとして仲直りしたユニバースと、②事業者と税務局職員として和解したユニバースでの経験を元に、エヴリンは彼女の心を開いていく。指がホットドックのソーセージになったユニバース=ディアドラとエヴリンが結ばれたユニバースでの足技を使ってディアドラを食い止めると、元夫に「私たちのような愛らしくない女が世界を動かしている」と言ったディアドラの言葉を引用して「愛すべきところはある」と言い、抱きしめるのだ。

税務局のディアドラは、かつてエヴリンと同じように夫から離婚届を突きつけられ、夫の車で隣の家に突っ込んで行った過去があった。ウェイモンドは、エヴリンが離婚届を突きつけられて動揺した為に税務局への書類が出せず、バットで店の窓を割ったという風に事情を説明したのだろう。

そして、おそらく生命が誕生しなかった石になるユニバースの力を得たのだろう、弾丸をおでこで受け止めたエヴリンは、ウェイモンドが使っていた目をおでこにつけて"第三の目"にする。開眼だ。「あなたの戦い方を学んでいる」とウェイモンドに告げたエヴリンは、香水やSMなど、自分がマルチバースで学んできた相手が望む要素を用いて敵を排除していくのだった。

vs ゴンゴン

ラスボスは父ゴンゴン。家父長制の象徴のようなこの人物と自分自身との関係が、エヴリンにとって乗り越えなければいけない壁だった。ジョブ・トゥパキをベーグルの中へ行かせようとするゴンゴン(アルファ・ゴンゴン)に、エヴリンはそれはできないと拒絶する。

なぜなら、このユニバースでは、かつてエヴリンがウェイモンドと結婚した際に、ゴンゴンが「娘を行かせる=諦める」という選択をしていたからだ。「諦められた娘」だったエヴリンは、自らが「娘を諦める」ことはできなかった。

ゴンゴンに気を遣い続けてきたエヴリンだったが、遂に、娘を見捨てたゴンゴンを非難し、娘のジョイも自分のようにメチャクチャ(messy)に育ったと告げる。「messy」は字幕では「だらしない」となっているが、後述の通りエヴリンには元々ADHDという設定があったため、「オーガナイズドに動くことが得意ではない」という受け止め方が正しいだろう。

だが、エヴリンは親切で忍耐強い人がいてくれれば、それでも大丈夫と語る。エヴリンにとってのウェイモンドが、ジョイにとってのベッキーであること、ベッキーはジョイの恋人であることを、ゴンゴンにはっきり告げるのだった。

エヴリンは、レズビアンである娘のジョイに対して、ベッキーと交際することに口出しはしなかった。けれど、父ゴンゴンにはジョイがレズビアンであることを伝えないという妥協点を持ち続けてきた。それは父に対する遠慮や苦手意識からの行動だったが、同時に娘の恋愛/気持ちを優先できなかった父と同じ轍を踏むことでもあった。その道を拒絶したエヴリンは、遂にジョブ・トゥパキのもとに到達する。娘としての自分と、自分の娘——エヴリンは一つずつ大事なものと向き合っていく。

ジョイへの言葉

数々のユニバースでの対峙を経て、エヴリンはベーグルに入ろうとするジョブ・トゥパキの手を引木、ウェイモンドと改心したゴンゴンもこれを支える。この時のエヴリンの「私はあなたの母親 (I am your mother.)」という言葉は、もちろん「スター・ウォーズ」の「私はお前の父親だ (I am your father.)」からの引用だ。

ダース・ベイダーは息子に選択を迫ったが、この時のエヴリンはジョイを抱きしめて連れ戻そうとした。ちなみに、『エブエブ』の中盤ではアルファバースから来たゴンゴンが「私はお前の父親ではない (I am not your father.)」とエヴリンに告げており、マルチバースの娘との向き合い方の違いが現れている。

そして、エヴリンとジョイの対話が始まる。ジョイは「疲れちゃった」と言い、互いが傷つかないためにも行かせてほしいと話す。そこにもう悪意はなく、ジョイはニヒリズムというよりメランコリー(絶望も希望もない倦怠)に近い状態にある。

はっきり「行かせて」と言うジョイを止めきれなかったエヴリンは、一度はジョイを見送ろうとするが、踵を返してジョイのもとに向かうと、これまで気に入らないと思っていたことを全てぶつける。そして、ジョイが言った「新たな発見があれば更にちっぽけな存在になる」という虚無感も全て受け入れた上で、エヴリンは「それでも一緒にいたい」と正直な気持ちをぶつけるのだ。

加えてエヴリンは、ジョイがさまざまなユニバースを巡ってエヴリンを探していたことにも言及している。世界には絶望しているけれど、他者を求めるその感覚に従って一緒にいてもいいじゃないかと、エヴリンは提案するのだ。

「だから全てを無視しろと?」と食い下がるジョイに、エヴリンは本当に意味のある時間はほんのわずかしかないというジョイの主張も受け入れ、「ならそのわずかな時間を大切にしよう」と提案する。ジョイがそれを受け入れ、その瞬間、全てのユニバースが「全て一度に(all at once)」明るい方向へと進みだす。世界のほとんどが虚無に思えても、わずかに残った明るい面を見ることができる。自分にとって大切な人、意味のあるものを大事にする生き方を、ジョイとエヴリンは選んだのだった。

ラストの意味は?

『エブエブ』のラストは、エヴリンたちが家族で国税局へ行く場面で閉じられる。このユニバースは、国税局のディアドラから書類提出についてもう一週間の猶予をもらった世界線だ。あの駐車場でエヴリンがジョイを引き留めたユニバースである。

ディアドラは、揃った書類を前に以前よりもナイスに一家に接するが、エヴリンの脳内にはマルチバースのノイズが入り込んでいる。それでも、最後にはエヴリンは目の前の現実に対処することを優先して『エブエブ』は幕を閉じる。

元々エヴリンはADHD(注意欠如・多動症)のキャラクターとして創造されており、ADHDを安易に扱っていいものか悩んでいたダニエル・クワン監督は製作中に自身がADHDだと診断を受けている。最後のエヴリンの様子は注意欠如そのものだが、それでも、エヴリンの周りには親切で辛抱強く助けになる人がいる。エヴリンがそんな世界にとどまることを選んだという演出だったのではないだろか。

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のマルチバースはインターネットの比喩だが、本作は移民、クィアネス、家族、ケアの話でもあった。エヴリン自身は"母"としてケアを与える立場に立たされながら、レズビアンである娘を家族というコミュニティから切り離しうる立場でもあった。最後には、エヴリンは家族からのケアを受け入れながら、ジョイに対しては「自由に生きてよい」という大前提を尊重しながら、「それでも一緒にいてほしい」という思いを言葉にして乗り越えていく。

相対化された世界に正義があるとすれば、そこに合意があることだろう。けれど、合意は言葉と対話なしには生まれない。"話すこと"を拒否してきたエヴリンが、包み隠さず自分の考えを話すことで、世界は前向きに進み始めた。そして、最後には、提示されたマルチバースのあらゆる可能性を拒否し、エヴリンは娘のジョイといることを選んだのだった。

こうしたメッセージと共に、脅威の映像表現でアカデミー賞11ノミネートを果たした『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』。どこまで快進撃が続くのか、今後の展開にも注目しよう。

追記:『エブエブ』第95回アカデミー賞7冠の報はこちらから。

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は2023年3月3日(金) より、全国の劇場で公開。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』公式サイト

『エブエブ』のサントラは配信中。

主演のミシェル・ヨーと監督が続編およびスピンオフについて語った内容はこちらから。

ミシェル・ヨーが主人公エヴリンに込めた思いと裏話はこちらの記事で。

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