2023年6月22日木曜日

Resurrection Of Awa:天香具山 Vol.阿波

Resurrection Of Awa:天香具山 Vol.阿波

天香具山 Vol.阿波

 天香久山、天香具山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)、または香久山、香具山(かぐやま)は、
 奈良県橿原市にある山。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目である。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる。
 古来万葉集などで歌われてきた。万葉集には単独で9首詠まれており、全体で13首に登場する。その中で香久山の表記は香具山、香山、香来山、高山、芳来山、芳山と一定しない。以下に代表的な歌を記す。(wiki参照)

 A.舒明天皇の歌
 「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」 (巻1-2)

 B.中大兄皇子の歌
 「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」 (巻1-13)

 C.持統天皇の歌
 「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」 (巻1-28)

 D.大伴旅人の歌
 「わすれ草 わが紐に付く 香具山の 故(ふ)りにし里を 忘れむがため」 (巻3-334)

 E.作者不詳
 「いにしへの 事は知らぬを われ見ても 久しくなりぬ 天の香具山」 (巻7-1096)

 F.柿本人麻呂の歌
 「久方の 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも」 (巻10-1812)

 ではこの代表的とされる6首の検証をしましょう。

<原文> <訓読> <現代訳>
 A.
 「山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜■(りっしんべん+可)國曽 蜻嶋 八間跡能國者」

 「ここ大和には山がたくさん寄り集まっているが、とりよろふ(語義未詳)天の香具山に登り頂に立って領土を見渡せば、人の住む広々とした平野には靄が立ちこめている。広々とした海では、あちこちで鴎が飛び立つ、豊かなよい国だよ、蜻蛉島と呼ばれる日本の国は。」

 「大和(やまと)にはたくさんの山があるが、特に良い天(あめ)の香具山(かぐやま)に登って、国を見渡せば、国の原には煙(けぶり)があちこちで立ち上っているし、海には、鴎(かまめ)が飛び交っている。本当に良い国だ、蜻蛉島(あきづしま)の大和の国は。」

 ※奈良にはカモメはいませんね。

 B.
 「高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉」

 「香具山は畝傍山がいとしくて、耳成山と戦った神代からそうだった、昔からそうだったのだから現代でも妻を奪い合うのですよ。」

 話に、香久山(女神)が新たに現れた畝傍山(男)に心移りをして、古い恋仲の耳梨の山(男)と言い争いをした伝承が残っています。
その神話と自分達(弟、大海人皇子と、妻、額田王/元大海人皇子の妻)の事を詠んだ中大兄皇子の歌。

 反歌
 「高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美国波良」

 「香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原」

 反歌
 「渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之今夜乃月夜 清明己曽」

 「わだつみの 豊旗雲に 入り日指し 今夜の月夜 さやけかりこそ」

 万葉集に次の補注を付すとあり、
 右一首歌今案不似反歌也。但舊本以此歌載於反歌。故今猶載此次。亦紀曰、天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子。

 つまり、『中大兄三山歌一首』の反歌に、『わだつみの豊旗雲に入り日指し』はその場にそぐわないが、古本がそういう風に載せているからそのまま掲載しておくと言う。

 ※わだつみ: 海神、海そのものを指す意味

 C.
 「春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山」

 「いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏になると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に(あのように衣がひるがえっているのですから)。」

 夏の訪れが山の緑と布の白さで象徴される爽快な歌です。

 D.
 「萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為」
 
 「わすれ草を紐につけていなければ、香具山の見える懐かしい故郷のことが思い出されて悲しくて仕方がない。」

 大伴旅人(おほとものたびと)が大宰府にて詠んだ五首の歌のうちの一首で、小野老(をののおゆ)の帰還を祝う宴の席でのものであるとされます。
 この時期大伴旅人は六十代であり、人生の最期が近づいている年代で大宰府に派遣され、京では対立的な立場であった新興貴族の藤原家が政を牛耳っている境遇は、旅人にとってはすべてわすれ草の力を借りて忘れてしまいたい出来事だったのかも知れません。

 E.
 「昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山」

 「昔のことは知りませんが私が見るようになってからでさえすでに久しくなります神々しい天の香具山は。」

 F.
 「久方之 天芳山 此夕 霞霏微 春立下」

 「天の香具山に、この夕暮れ、霞がたなびいている。どうやら、春になったらしいなあ。」


 それではそれぞれでの歌をあらためて振り返ります。

 A:畿内説論
 ※「海原」奈良盆地は洪積世末期から沖積世にかけて、海湾→海水湖→淡水湖→盆地と変化した。舒明天皇の頃(西暦七世紀)、大和郡山あたりまではまだ湿地帯であったので、これを海原と言った(樋口清之説)

 この解釈については相当に強引な解釈でしょう。
 当時、大和に湿地があったとしてもそれを「海原」と例えるのはハッキリ言って無理があります。
 それをいうと、水溜りでも大海原に例えて歌が読めてしまうレベルな解釈でしょう。
 御存じの通り大和(奈良)には海がありません。
 別のところで詠んだのは間違いないのです。認めましょう。

 また、Bの歌の反歌を見るに、海そのものを意味する「わだつみ」を使っていることから後世の人も不思議がっています。
 これも普通に考えて奈良では苦しいでしょう。

 そして、もう1つ注目なのが作者不明のEの歌。
 「昔のことは知りません」としながらも、「私が見るようになってからでも神々しく懐かしい」といっています。
 すごく意味深な内容ですね。

 香具山については、全般的には、郷里を懐かしむ、季節の変化を記する場合等が多いようですが、カモメが居ることや海が近くにあることが特徴として挙げられ、それが歌の内容からも伺えます。
 普通に見れば、一般的とされる畿内派の強引な解釈にはとても違和感があります。
 それは歌に出てくる香具山を奈良の香具山とするからそうなるのです。

 上記の歌は奈良の香具山を見て詠んでいるのではないのです。

 みなさん、本当の天香具山はどこにあると思いますか?

 そこで出てくるのが、阿波と伊予の風土記

 ⦿ 阿波国風土記逸文4 アマノモト山
 阿波国ノ風土記ノゴトクハ、ソラヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波国ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、ソノ山クダケテ、大和国ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申。


 ⦿ 伊予国風土記逸文 卷七 天山
 伊豫の国風土記に曰はく、伊予の郡。郡家(こほりのみやけ)より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。天山と名づくる由は、倭に天加具山(あめのかぐやま)あり。天より天降(あも)りし時、二つに分れて、片端は倭の国に天降り、片端は此の土(くに)に天降りき。因りて天山と謂ふ、本(ことのもと)なり。


 これにより各国風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみという主張の根拠のひとつとなっています。
 しかもその内容は、
 「天」より「降り下りたる大きなる山」が阿波の「元山」で、「ソノ山ノクダケテ「大和國に降り着きたる」、のが「天の香具山」だというのです。

 但し、研究者によっては異論もあります。
 大和国成立の時代は、風土記が記された時代よりも後なので、本来の原文には「大和国」ではなく「倭国」と記されていたはずだというのです。
 平成の現在でも混同されていますが、その混同は千年も前からのことと考えられ、写本の際に書き換えられた可能性は非常に高いと言えるでしょう。
 「大和国」は、仙覚律師の解釈で書き変えられた可能性があります。
 「倭国」が阿波であるということが分からず、「香具山」は「奈良の山」という固定観念があれば、頭を捻るしかないからです。
 そもそも、仙覚は万葉集でも歌われる有名な「香具山」を調べようとして「大和國風土記」を見るのですが、そこに香具山は登場せず、他の風土記を当たって「阿波國ノ風土記」に行きつくのです。
 「倭」も「カグ山」も阿波のことなのです。

 この天の山に関する逸文は「阿波」と「伊予」の風土記にのみ見られるものであり、二つを合わせてみると、
 まず、「天」があり、そこから「阿波」に降り下った山が「元山」であり、その元山から砕け別れ着いた山が「倭」の「香具山」である。
 「伊予」の「天山」は、倭の香具山の兄弟山で、親山は「元山」ということになります。
 伊予國風土記には、「大和」ではなく「倭」と記されていることにも注目する必要があります。
 ぐーたら氏‎阿波国続風土記についてより‎引用

 ではその元山はどこにあるのか?

 香具山とは、徳島県徳島市大原町籠山を含む日峯山のことなのです。

 日の峰の地には、大神子、小神子、千代ヶ丸等の地名があり、阿波三峰の一つである日峰山(標高191m)の山上に鎮座する日峯大権現こと、「日峯神社」、(徳島県小松島市中田(ちゅうでん)町)があります。

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 縁起によれば第十三代成務天皇の御代から日峰山頂に奉祀していたという。

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 御祭神
 主祭神 大日霊貴神(おゝひるめむちのかみ)
 相殿神 少彦名神(すくなひこなのかみ)
 市杵島比女神(いちきしまひめのかみ)
 境内社 船玉大神(ふなだまのおゝかみ)

 日峯から見る大神子海岸、左に見えているのが籠山。

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 季節によって景色が楽しめますね。

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 日峯公園、眺めも良く絶景ですね。

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 逸文解釈:分かれた天香具山(奈良)の元とする山は阿波の元山(阿波)。

 すなわち、それが意味するものは、大倭(奈良)のルーツは倭(阿波)ということを意味しているのです。

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