『諜報国家ロシア』/保坂三四郎インタビュー 前編
- 2023 06/20
筆者は居酒屋、場末のスナック巡りをライフワークとする。秋田市のお気に入りの居酒屋で。
2022年2月、ロシアがウクライナに全面侵攻しました。国際法を無視するロシアに世界各国からの非難の声があがっていますが、停戦の兆しは見えず、長期戦になるとも言われます。なぜロシアは戦争をはじめ、そして続けるのでしょうか?
『諜報国家ロシア』の著者・保坂三四郎さんは、その背景には、ソ連時代に国家の根幹を握った諜報機関「国家保安委員会(KGB)」と、ロシア連邦でそれを継承した「連邦保安庁(FSB)」の存在があると指摘します。
ロシアの諜報機関について、そして著書の執筆意図について、保坂さんに聞きました。インタビューの前編。
――本書は、KGBとFSBの歴史や思想、工作の手法が事細かに描かれています。保坂さんは、そもそもなぜロシアのインテリジェンス研究を始めようと思ったのでしょうか。
保坂:私はもともと、現代のウクライナ人の歴史的記憶などを研究しており、実はつい数年前まで、KGBどころかFSBにもそれほど関心がなく、まさかインテリジェンス研究を手掛けるとは思ってもいませんでした。
ところが2016年に、ハッカーがリークしたロシア大統領補佐官ウラジスラフ・スルコフの大量のメール(いわゆる「スルコフ・リークス」)を読んで、その工作に衝撃を受けたのです。スルコフとは、プーチンの命を受けて2014年のロシア・ウクライナ戦争につながる対ウクライナ工作を2013年から統括していた人物です。
そしてそのメールからは、スルコフの下で実に多彩な肩書の人物がウクライナへの工作活動に参加していることがわかりました。例えば慈善活動家や、大学教授、記者、歴史家、ブロガー、学者、聖職者、スポーツ関係者などです。スルコフは軍諜報機関の出身者ですが、その手法はKGB、FSBと同じと言っていいでしょう。
ウクライナはかつてソ連邦の一部だったので、旧KGB支部の文書がそのまま残されていました。ウクライナは2014年のユーロマイダン革命後、その文書をアーカイブとして全面公開しました。私はスルコフ・リークスの衝撃から、ロシアの工作の源流を探るべく、そのKGB文書にあたり始めたのです。
文書を読んでいるうちに、ソ連時代の工作のアプローチや手法が、現代ロシアにほぼそのまま引き継がれていることがわかりました。そして、KGBによるソ連社会への浸透は私が想像していたレベルをはるかに超えており、我々は実は30年前に崩壊したソ連という国家についてほとんど何も知らないのだ、ということを痛感したのです。
というのも、欧米の研究者はソ連共産党やソ連軍の仕組みについてはよく知っていましたが、党の政治機関として社会全体に浸透し、軍や警察ですらも監視対象に置いていたKGBについては、まともな研究が行われてなかったからです。現代ロシアのFSBについても同じことが言えるでしょう。情報機関という大きな存在を考慮しないと、我々のロシア理解は偏ったものになることを、この時に認識しました。
――軍と情報機関はどのように違うのでしょうか。
保坂:ロシア研究者は、軍、警察、FSBをまとめて「シロビキ(武力省庁)」と括りますが、これによって少し誤解されているようにも感じます。ソ連やロシアでは、軍と情報機関は明確に異なる存在です。体制が最も信用を置くのは、軍や警察ではなく、伝統的に情報機関なのです。
それは最近のロシア・ウクライナ戦争でも確認できます。例えば、ウクライナ全面侵攻の失敗の責任を取らされ、ロシア軍の将軍が10名近く解任されました。ところが、電撃作戦のシナリオを主導したと言われるFSBの幹部が解任されたという情報はありません。そして、今年の5月9日に赤の広場で行われた「戦勝記念日」の軍事パレードで、プーチンの両横に座ったのは、第二次大戦のソ連赤軍の退役軍人ではなく、ウクライナ独立運動やチェコスロバキアの民主化運動の弾圧に活躍したチェキスト(情報機関要員)だったことも象徴的です。
ちなみに、私は自分のことを、ほとんど素人のインテリジェンス研究家だと思っていますし、むしろそのままでよいと思っています。というのも、半年前に、某国のインテリジェンス研究者を通じて、「ルビャンカの読書会」というオンライン・イベントに誘われました(ルビャンカとはFSBの所在地のこと)。
その研究者いわく、その読書会は、本書にも出てくる元FSB支援計画局長のアレクサンドル・ズダノヴィチ将軍が主催する「参加者限定」の「貴重な」KGB文書を読む会なのだとか。そして、過去にズダノヴィチと一緒に撮った写真を得意げに見せてくれました。しかし、私はそういう「ここだけでしか聞けない話」、「あなただけに特別に提供する資料」には関心がありません。なぜなら、これこそKGBやFSBが外国人研究者の取り込みに使う典型的手法だからです。自らを「ほとんど素人」のインテリジェンス研究家のままでよいと思うのはこういう背景があります。
――情報機関による「浸透」という言葉がたびたび使われていますが、これはどういう意味ですか?
保坂:ソ連時代のKGBは将校を、省庁や研究所、企業に派遣し、表向きには外交官や研究者、ビジネスマン、エンジニアなど、公務員や民間人の肩書を名乗らせて活動させました。この「現役予備将校」と呼ばれる情報機関の職員は、派遣先でさらに自らの手足となるエージェントをリクルートし、秘密裏に組織を監視していたのです。この現役予備将校制度とエージェントのネットワークはソ連崩壊後もFSBで継承され、プーチン政権下でさらに強化、拡張されました。
ソ連やロシアが、このように巨大な情報機関を政府、軍、経済、社会など、あらゆる層に張り巡らせていることを「浸透」と言います。そして、このように常時「保安(セキュリティ)」を監視する国家を「防諜国家(カウンターインテリジェンス・ステート)」と呼びます。
ただ勘違いしないでいただきたいのは、「浸透」といっても、ロシア人が一様にFSBの職員であったり、エージェントであるわけではありません。むしろ、実態は逆です。一般のロシア人にFSBについて聞いてみてください。「何を大袈裟なこと言っているの?」という反応が返ってくるでしょう。
アーカイブから分かるのは、KGBの「非公然」の協力者であるエージェントはソ連時代でも人口のわずか0.1~0.2%程度でした。別の言い方をすれば、これだけの浸透で全体主義が成立したのです。
――情報機関は日本にも米国にもありますよね。一体、何が違うのですか?
保坂:ソ連やロシアのインテリジェンスを、民主国家の情報機関と同じようにとらえるのは間違いです。民主国家の情報機関は、情報の取得や分析を行い、指導者が最適な決定を行うのを助けます。一方、全体主義国家の情報機関は、同時に、体制を守る「盾と剣」としての「保安機関」でもあり、国内の防諜部門が肥大化して対外諜報を侵食し、いつしか体制や指導者の望む情報のみを報告するようになります。
今回のロシアのウクライナ全面侵攻でも報道されましたが、国内防諜を専門とするFSBが、ロシア対外諜報庁(SVR)に代わってウクライナでの諜報活動に従事しており、プーチンに対し、ロシア軍はキーウを3日で制圧できる、大部分のウクライナ人はロシアの占領を受け入れる、という甘い見通しを報告していたと言われます。
防諜国家のインテリジェンスの活動は、現状を正確に把握する情報収集活動よりも、体制の思想に合うように現実や認識を作り変える非公然の政治・世論工作が主体となります。これはソ連やロシアで「アクティブメジャーズ」と呼ばれています。西側諸国の対外政策は主に外交によって行われますが、ロシアの対外政策の主要な手段は、ソ連時代から一貫して情報機関が中心となって行うアクティブメジャーズです。
一方、ロシアの対外政策を研究する人たちでも、アクティブメジャーズについて、ちゃんと答えられる人は少ないでしょう。それくらい、この分野はロシア専門家の間でも認知されていません。
〈前編 終わり〉
0 件のコメント:
コメントを投稿