2023年6月21日水曜日

空海「秘蔵宝鑰」 こころの底を知る手引き ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫) 電子書籍: 空海, 加藤 純隆, 加藤 精一: Kindleストア

空海「秘蔵宝鑰」 こころの底を知る手引き ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫) Kindle版 

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 『法華経』の内容

  これより『法華経』の文に縁って、その大略を見ましょう。まず蓮華は泥の中に生育しますが、少しも泥に汚されずに、清らかな華を開きます。それと同様に人々は世間の中に生活していますが、少しも環境に汚されず清らかな本性を失いません。仏陀はこうした理を示す蓮華三昧という境地を観じられたのです(序品)。  

 また仏陀は、その眉間の白毫(白い毛)から、東方に向って一本の光明を照して、その光の中の仏陀たちが、それぞれ生誕され、成道され、説法され、涅槃に入られる姿を現わし示されました。そしてさらに南・西・北の方角にも光を放たれ、同様のことを示されたのです(序品)。  

 この経文から考えると、三乗の教えは、一乗の教えに帰一するもので(会三帰一)、このことは仏陀の智慧が甚深であり広大であることを示しています(方便品)。  

 また仏陀の真実の身は、無限の過去にすでに成仏している本仏であり、今から二千五百年前にインドに出現された釈尊は、その化現としての末仏であることを示しています(寿量品)。また「見宝塔品」等によれば、『法華経』の説かれている会座は、仏の神力に加持された不可思議の世界であって、それによりますと、釈尊が説法している大地が突然に割れて、巨大な宝塔が地中から涌き出てきます。その塔の中からは過去の多宝仏が現われますが、その多宝仏のすすめにより、今の釈迦仏もその塔内に入り、この新古の二仏が並んで同座されました。  

 また「従地涌出品」では、この娑婆世界(われわれのこの世界)の大地が悉く震動して破れ裂け、その地中から四唱の菩薩(『法華経』を唱道する四人の菩薩、その名は上行・無辺行・浄行・安立行)が無量無辺の菩薩にともなわれて出現し、仏前に『法華経』の弘道を誓ったのです。また「安楽行品」によれば、転輪聖王(立派な国王)が、最も大切に秘蔵している髻珠(かみのもっといに秘蔵している宝珠)を、特別に功労のあった臣下に与えるように、仏陀は、最後の、最高の真実である『法華経』をここに下されたのです。また「観世音菩薩普門品」では、無尽意菩薩は、自分の頭につけていた宝珠の高価な(百千両金の)かざりを観世音菩薩に奉つると、観世音は、仏のすすめに従ってこれを受納し、直ちにこれを二分して、釈迦牟尼仏と多宝仏に奉献したのでした。また「譬喩品」では、これまでは小乗仏教に入っていた舎利弗尊者は、これまでの仏教を超えた『法華経』こそが仏陀の真意だと聞かされて、これは釈迦牟尼仏が悪魔に変身したのではないかと疑って見ました。また「従地涌出品」では、仏陀と等しいほど高いさとりの位にある(等覚の)弥勒菩薩でさえも、子供の年齢が父親の年齢より多いというような矛盾した釈迦牟尼仏の説法を聞いて、甚だ奇怪に思ったのです。  

 また「方便品」に記される通り、釈尊は、『法華経』の一実無二の真理を、出世の本懐としてこの時に、説き明かされたのであり、またこれをお説きになって、心からの満足を、この時に、はじめて得られたのです。また「譬喩品」に説かれているように、『法華経』の真実が明かされてみると、羊・鹿の教え(声聞・縁覚の教え)はもはや真実ではないことが明らかになり、露地上の大白牛車にたとえられる一乗仏教だけが真実の教えであると確信できるようになったのです。  

 また「提婆達多品」によれば、八歳の竜女がその会座に来詣して、すべての人が成仏できるという『法華経』の真理を証明してみせましたし、また「普賢菩薩勧発品」によれば、この経を受持するものに対して、普賢菩薩は六牙の象王に乗って出現され守護して下さると説かれました。  

 また「安楽行品」においては、文殊菩薩が仏滅後の悪世の中での『法華経』を宣布する心構えを仏陀にたずねた時に、仏陀は四種の安楽行を説かれました。それによると、その安楽行とは、菩薩の行処と親近処は、身心ともに安楽な室宅にいるような境地に人々を向かわせる道であることを述べられたのです。また「方便品」においては、実相を観ずるのに、天台大師の考案された十如是という観法を修するのですが、これによって修行者は止観(坐禅)の宮殿に入るのです。寂光浄土の如来つまりこの第八住心の仏陀は、この時に「悟りの智慧」と「悟られる境界」とが一つに融け合って、心の本性を知見します。その他の応化の諸尊は、一切衆生のために尽くそうという本仏の行願を見て化現し、それぞれに応じた姿を示されるのです。

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