2023年10月12日木曜日

西日本万葉の旅 石見の荒磯と山の歌:JR西日本

西日本万葉の旅 石見の荒磯と山の歌:JR西日本
石見相聞歌の読み方は?

妻との関係を詠んだ石見相聞歌(いわみそうもんか・巻二・131~139)や泣血哀慟歌(きゅうけつあいどうか・巻二・207~216),さらに自らの死をめぐって詠まれた自傷歌群(じしょうかぐん・巻二・223~227)なども,宮廷サロン的な場の要請に応えてよまれた「物語」的な歌ともいわれている。


https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/10_vol_133/issue/01.html

西日本万葉の旅 石見の荒磯と山の歌:JR西日本

『石見相聞歌』で詠まれる高角山は、現在の島ノ星山とされる。山道の途中の樹間から依羅娘子が住んでいたという角の里を望む。

石見のや 高角山の 木の間より  我が振る袖を 妹見つらむか 柿本人麻呂

 人麻呂が石見国庁にいつ赴任したのかは定かではない。国庁の場所は現在の島根県浜田市の山陰本線下府[しもこう]駅近くの伊甘[いかむ]神社付近とされ、境内の大銀杏の木陰に国庁址を示す石碑がある。人麻呂はここで一人の女性と結ばれた。浜田市の東の江津市二宮町、角[つの]の里と呼ばれた土地の有力者の娘だったのだろう。名は依羅娘子[よさみのおとめ]。

 「石見国より妻に別れ上り来る時の歌」と題詞に記された長歌を要約したのが上の反歌である。高角山は、江津市街の南になだらかな尾根を日本海へと沈める島ノ星山(470m)だとされる。山上に登ると、日本海の波が長々と続く白い浜に寄せている。妻への募る思いを胸に人麻呂が眺めた風景である。

な思ひと 君は言へども 逢はむ時   いつと知りてか 我が恋ひずあらむ 依羅娘子

島ノ星山(高角山)方面

江津市の和木の真島から島ノ星山(高角山)方面を望む。

 この歌は『石見相聞歌』を締めくくる歌。夫である人麻呂と別れ、もう逢えないかもしれないという依羅娘子の悲嘆と諦められない心情が哀しく切ない。この歌が『石見相聞歌』をドラマチックに盛り上げる。その劇的なあまり、依羅娘子は人麻呂の創作ではないかという説さえあり、実際、依羅娘子が実在したかどうかは謎のままである。

 古代、娘子の名は出身地で呼ばれるのが習わしで、「依羅」という地名は石見国には見当たらない。河内、摂津(大阪府)にその地名があり、ゆえに人麻呂が石見の妻に仕立てた作りごとだという。あるいは後代の誰かが加えたのだともいわれる。仮にそれならそれも人麻呂らしい。人麻呂が大歌人であるゆえんは稀代の創作者であることだ。自然や風景を心理的にとらえ、現実を超えたドラマに仕立て、愛や情念を詠んで人びとの心を響かせる。それが大詩人、大歌人の偉大さではないだろうか。和歌の原形を作り上げ、日本の文学も人麻呂から始まるといわれる。

羽咋の海の朝

鴨山の 岩根しまける 我れをかも  知らにと妹が 待ちつつあるらむ 柿本人麻呂

鴨山

歌人の斉藤茂吉は、山深い湯抱温泉近くにある「鴨山」を終焉の地と説いた。

 ミステリアスな人麻呂の生涯でも最大の謎は、死のあり方と臨終の地である。上の一首は、最期を迎えた人麻呂が妻である依羅娘子を偲んで詠んだ。「柿本朝臣[あそみ]人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首」の題詞のとおりに解釈すれば、人麻呂は都で死んだのではなく、石見国の鴨山で行き倒れて死んだことになる。

 ところが、いつ、そして上京の途中か、石見国への途上なのか道行きの経緯がまったくわからない。謎ゆえに「人麻呂終焉の地、鴨山はどこなのか」と、今日も研究者の好奇心をかきたてているが、未だに謎のままだ。江津市説、また歌人の斉藤茂吉は大田市の南、三瓶山につづく山峡の湯抱[ゆかがい]温泉近くの「鴨山」を終焉の地とした。さらには、益田市の高津川沖合の海中に大地震で沈んだ「鴨島」が「鴨山」だという説もある。

 哲学者梅原猛氏は著書『水底の歌』で人麻呂は政争に巻き込まれ石見国に流されて刑死したとし、鴨島を鴨山と推定した。大和や山城にも鴨山はあり、石見説を疑問視する説も含めて諸説紛々だが、ミステリアスのままがいかにも伝説の歌人にふさわしい。

今日今日と 我が待つ君は    石川の貝に交りて ありといはずやも 依羅娘子

高津川の夕暮れ

高津川の夕暮れ。歌の石川は高津川を指すともいわれる。

 歌は『石見相聞歌』に登場する石見の妻、依羅娘子が人麻呂の死を知って詠んだ晩歌二首のうちの一首。人麻呂の歌と一対といってもいい。自分の死の間際に、そうとは知らずに自分の帰りを今か今かと待ち続ける妻の不憫さを人麻呂は詠う。そして妻は、今日こそは今日こそはと逢える日を心待ちにしていた夫が、死んだと知らされて驚き、深い悲しみに打ちひしがれる。

 しかし、この歌も実は解釈が定まらない。人麻呂の歌は山を想像させるが、妻は「貝にまぎれている」と水の中をイメージさせ、人麻呂の歌と矛盾する。鴨山と石川の関連性も所在も不明だ。しかし、歌だけを素直にとれば、死に際して妻を思いやる歌を詠んだ人麻呂の人間像の一端が垣間見えるようだ。それさえ、宮廷歌人として宮中で披露する上での演出であり戯作だとする研究者もいる。そうかもしれない。

 詮索するほど謎は深まる。宮廷の大歌人になぜ生涯の史料も記録もないのか。謎とともに人麻呂は伝説になり、歌聖となり神となる。そして、人麻呂が詠んだ石見国の荒磯も砂浜も、山も川も、風景は人麻呂伝説とともに万葉時代の気配を色濃く残している。

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