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《I believe that it is always through spiritual crisis that healing occurs. A spiritual crisis is an attempt to find oneself, to acquire new faith. 》
Sculpting in Time:Tarkovsky
p.193
https://monoskop.org/images/d/dd/Tarkovsky_Andrey_Sculpting_in_Time_Reflections_on_the_Cinema.pdf
《私にとっては、この〈精神的危機〉を通過することでつねに健全な状態が生まれてくるのだ。精神的危機――これは自らを発見し、新しい〈信仰〉を獲得しようとする試みである。》
『映像のポエジア』単行本版286頁
I believe that it is always through spiritual crisis that healing occurs. A spiritual crisis is an attempt to find oneself, to acquire new faith. It is the apportioned lot of everyone whose objectives are on the spiritual plane. The soul yearns for harmony, and life is full of discordance. This dichotomy is the stimulus for movement, the source at once of our pain and of our hope: confirmation of our spiritual depths and potential.
Sculpting in Time
Tarkovsky
https://monoskop.org/images/d/dd/Tarkovsky_Andrey_Sculpting_in_Time_Reflections_on_the_Cinema.pdf
私にとっては、この〈精神的危機〉を通過することでつねに健全な状態が生まれてくるのだ。精神的危機――これは自らを発見し、新しい〈信仰〉を獲得しようとする試みである。
『映像のポエジア』単行本版286頁
私の撮ったすべての映画において、つねに重要であったのは、根というテーマ、つまり父の家、少年時代、祖国、大地とのつながりというテーマであった。伝統や文化、人々や思想のどこに自分が帰属しているのかを見極めることは、私にとってつねに重要なことだった。私にとってきわめて重要な意味をもっているのは、ドストエフスキーから出発しながら、現代のロシアでは十分な姿で展開していないロシアの文化的伝統である。それどころか、こうした伝統はふつう軽視されるか、まったく無視されているのである。それにはいくつかの原因がある。まず第一に、この伝統が唯物論と原則的に敵対しているからである。もうひとつの原因は、ドストエフスキーの主人公たちのだれもが体験した、あの精神的危機である。ドストエフスキー自身と彼の後継者たちに霊感を与えたこの危機が、警戒心を呼び起こしているのだ。なぜ現代のロシアにおいて、この〈精神的危機〉の状態が、これほどまでに恐れられているのだろうか。
私にとっては、この〈精神的危機〉を通過することでつねに健全な状態が生まれてくるのだ。精神的危機――これは自らを発見し、新しい〈信仰〉を獲得しようとする試みである。精神的危機の状態は、精神的問題を考えようとするものすべての宿命である。どうしてそれ以外の形がありえよう。魂は調和を渇望しているが、人生は不調和にみちている。この不一致のなかに、運動への刺激とわれわれの痛みと希望の両方の源泉が存在する。われわれの精神的深みと、精神的可能性を裏つけるものがあるのである。『ストーカー』では、再びこのことを問題にした。ストーカーは何度も絶望のときを体験し、信仰が揺ぐ。しかし、そのたびに彼は新たに、希望と幻想を失った人々に仕えるという自分の使命を感じるのである。この映画のシナリオが、時間、空間、場所の三一致の法則に従うようにすることが、私にはたいへん重要なことであった。足置では、
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