2023年10月20日金曜日

近畿の地勢に合致しない和歌:九州王朝論の比較:福永晋三

近畿の地勢に合致しない和歌:九州王朝論の比較:

近畿の地勢に合致しない和歌 [その他のテーマ]

九州王朝論の主張の中に、記紀で語られる歴史の多くは、九州王朝の歴史を奪ったものであり、近畿の地名と思われているものの多くも九州の地名である、というのがあります。



そして、「万葉集」や「古今和歌集」の歌の舞台に関しても、定説では近畿とされるけれど、実際は九州であると主張される歌があります。



このページでは、和歌で詠われる内容が、明らかに近畿の地勢と合致しないと言われている歌を紹介します。




ちなみに、「万葉集」や「古今和歌集」には、「読み人知らず」の歌が多数収録されています。


九州王朝論者には、これらの歌の作者が、九州王朝の関係者だったために記名できなかったのではないか、と推測する論者が何人もいます。




●万葉集 一巻 二 舒明天皇が香具山に登って国見をした時の歌



「大和(山跡)には 群山あれど とりよろふ 天の香具山


登り立ち 國見をすれば 國原は 煙立ち立つ


海原は かもめ立ち立つ うまし國ぞ 蜻蛉島 大和(八間跡)の國は」



香具山に国見で登って見える風景を詠っています。



定説では、奈良の大和の香具山が舞台ですが、大和の香具山からはこのような海の風景は見えません。



「蜻蛉島」という言葉が使われていますが、大分県の別府湾一帯は、古くは「蜻蛉島」と呼ばれていましたので、別府の鶴見岳が香具山だったのでしょう。


鶴見岳は火山で、「迦具土神」を祀っているので、「香具山」にふさわしいのです。


また、温泉地帯なので、「煙立ち立つ」風景も見えます。


(古田武彦、福永晋三、大下隆司・山浦純)



また、別の説では、筑紫川中流域の香具山(香山、高山)からは博多湾と有明海が見えるので、筑紫が舞台と考えます。


(大矢野栄次)




●万葉集 第一巻 三十六 持統天皇の吉野行幸の折に柿本人麻呂が作った歌



「…吉野の國の…


船並めて 朝川渡り 舟競い 夕川わたる…


水つ 瀧の宮處は 見れど飽かぬかも」



長い歌なので省略しましたが、吉野の川に舟が満ち溢れている様子、滝の様子を詠っています。


ですが、奈良の吉野には舟があふれるような水域がありませんし、この歌が詠うような立派な滝もありません。



九州の備前には吉野(美野)という名の地が多数あります。


そして、吉野山から吉野(吉野ケ里)に流れる嘉瀬川があります。


この川が、おそらく吉野川と呼ばれていて、この歌の舞台だったのでしょう。


(古田武彦)



また、別の説では、肥後の吉野が舞台です。


肥前の吉野山からは、有明海に浮かぶ舟も見えます。


(大矢野栄次)




●万葉集 巻二 一五三 倭姫王の歌



「鯨魚取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺っ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ」



定説は、滋賀の近江の琵琶湖を舞台としますが、琵琶湖には鯨はいません。


ですから、無理矢理、「鯨を取るような大きな淡海」と解釈します。



淡海を、豊前の海か古遠賀湾とする説(福永晋三)、有明海とする説(大矢野栄次)などがあります。


どちらも、淡水と塩水が混ざる水域がありした。




●古今集 第九 羇旅 阿倍仲麻呂の歌



「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に出でる月かも」



この歌は、阿倍仲麻呂が、懐かしい祖国の光景を詠った歌とされます。



定説では、この山は奈良の三笠山か御葢山ですが、それでは低い山なので、月は後ろの春日山連峰からしか出ません。



この歌は、大宰府の後ろの春日市の、由緒正しい御笠山(現宝満山)から出る月を詠ったものです。


(大下隆司・山浦純)



また、この歌の「天の原」とは、倭国の原郷である壱岐島の天ケ原(高天原の有力候補地)であり、この地から九州の倭国を象徴する御笠山を見た風景を詠ったとする説もあります。


(河村日下)




●古今集 第十八 雑歌下 題知らず 読人知らず



「世の中は なにか常なる あすか河 きのふの淵ぞ けふは瀬になる」



この歌は、何らかの天災の類が起こって、あすか川の流れが変わった歴史的事実を基にして、移り変わる世を詠っています。



定説では、奈良明日香村の飛鳥川を詠んだ歌です。



ですが、奈良の飛鳥川にはそのような歴史があったとは知られていません。



豊前王朝があった田川郡を流れる今川(もとの犀川)は、当時、鶴見岳や由布岳の火山噴火の影響で、流路が変わったことが推測されています。


ですから、当時、この川が飛鳥川と呼ばれていて、その流れが変わったことを詠んだのでしょう。


(福永晋三)


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