作者漱石は冒頭部において、三四郎に﹁ベーコンの論文集﹂. を読ませること ... は漱石蔵書のある二種類の﹃随筆集﹄からそれぞれの二十三頁を書写し、. その内容
夏目漱石三四郎の読んでいるベーコン23頁は以下という説がある。
ベーコン随筆集
10
恋愛について
芝居の舞台が恋愛のおかげをこうむっているのは、人間の生活以上のものである。というのは舞台に関しては、恋愛はいつも喜劇の材料で、ほんのときどき悲劇になるだけである。だが、人生の場合には、それは大きな害を与える、妖女セイレンのようになることもあるし、復讐の女神のようになることもある。注意してみると、あらゆる偉大で価値のある人々の中で[古代あるいは最近の記憶にとどまっているものについていうのだが〕、気の狂うほどの恋愛にわれを忘れたものはひとりもいない。それによって明らかになるのは高貴な性質をもった人たちや偉大な事業は、この感情を寄せつけないということである。ただし、ローマ帝国の二頭統治者のひとりのマルクス・アントニウスや、大執政官で立法者のアピウス・クラウディウス(*1)は例外になる。このうち前者は好色で放縦であった。だが、後者はきびしく賢明な人であった。だから、どうも[めったにないことではあるが〕恋愛というものは、開いている心にはいりこむことができるだけでなく、よく気をつけていないと、十分に要害を固めている心の中にもはいりうるものらしい。エピキュロスのくだらない言葉に、「お互い同士十分大きな劇場だ(*2)」というのがある、まるで人が、天やすべての高貴な対象をながめるためにつくられているのであるのに、小さな偶像の前にひざまずき、自分を口〔獣のように〕ではないが、目のしもべとするだけであるといっているようである。しかもその目は、もっと高い目的のために与えられていることになるものなのである。
この感情が過度になった場合、それが物の本質や価値をどんなにりっぱなものに見せるものであるか、注意してみると、ふしぎなものである。すなわち絶えず誇張したいい方をしても変でないのは恋愛の場合だけである。それは言葉づかいだけのことではない。というのは、いちばんひどいへつらいをいう者は自分自身であって、くだらないへつらいをいう連中などは、それと連盟を結んでいるのにすぎないという、まことにうがったいい方があるが、たしかに恋人はそれ以上のものである。というのは、どんなに誇りをもった人でも、恋人がその愛する人を考えるほど、自分のことを途方もなくよく考えたということはない。だから、恋をして賢くなっていることはできないという、うまい言葉があるくらいである(*3)。この弱点は他人だけに見えて、愛される側に見えないというものではない。愛される側に特に見えるもので、その恋愛が相互的なものであるときだけ例外になるのである。というのは、恋愛の報いというものは必ず相互的なものであるか、心中の秘密な軽蔑であるか、どちらかであるということが、規則みたいに本当のことなのである。そういうわけだから、それだけいっそう人はこの感情に注意しなければならない。それは他のいろいろのことばかりでなく自分のことまで失うことになる。
他の損失ということに関しては詩人の語るところが、それを比喩でよくあらわしている。すなわちヘレンを選んだ男はユノーとパラスの贈りものを捨てたのである(*4)。というのは恋愛の感情をあんまり重んじすぎる者は、富と英知の両方を失うことになるということである。この感情は、まさに弱点のあるときに、特にあふれ出る。その時期というのは非常な繁栄か非常な逆境のときである。ただ、この後者はそれほど注意されることが少なくなかっただけである。そのどちらのときも恋愛を燃え上がらせ、それをいっそう熱意のあるものにし、それゆえ、それが愚行から生まれた子どもであることを示している。いちばんよいやり方としては、人が恋愛感情をゆるさないわけにいかないにしても、しかし、それに分を守るようにさせることである。そしてそれを人生のまじめな仕事や行為から、すっかり切り離すことにするのである。というのは、一度仕事とぶつかりあうようになると、それは人間の運を乱すようになり、人が、どうしても自分の目的に忠実であることができないようになる。
どういうわけかわからないが、武人は恋愛におぼれがちである。それはそういう人たちが酒におぼれるのと同じだと思う。というのは危険は、ふつう代償として快楽を要求するものだからである。人間の性質の中には、他人にたいする愛情に向かう秘密な傾向と動きがある。それは誰かひとりあるいは少数の者の上に使われてしまわないと、自然に大勢の方にひろがり、人を人道的で慈悲心のあるものにする。それは修道僧の場合にみられることのあるのと同じである。夫婦の愛情は人類をつくる。友人の愛情はそれを完成する。だが、放埒な愛情はそれを腐敗させ下等なものにする。
(1)ローマ十大官のひとりとして「十二表法」(古代ローマ初の成文法)の作成を主掌したが、処女ヴィルジニアに横恋慕しこれを犯して民衆の怒りを買い、投獄されて自殺した。
(2)セネカ『書簡』一・七。互いにながめるにふさわしい対象という意味。ただしその言葉はエピキュロスが自分とその友人との関係について述べているものであり、一般的な格言ではない。
(3)類似の言葉は、プブリリウス・シルス『断片』、プルタルコス『対比列伝』「アゲシラウス篇」などにも見える。
(4)ユノーは富の、パラス(別名アテネ)は知の、ローマ女神。ウェヌスとュノーとパラスがその美を競ったとき、トロイの王子パリスはウェヌスを選び、その礼に美女ヘレンを得た。
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