四国行脚の巻(9)… 「剣山」の登拝(上)
さていよいよ、阿波の名峰(徳島県の最高峰)「剣山(標高 1,955m)」への登拝である。
そこで上の画像は、登山リフトに向かう道すがらに、展望の良い場所(標高約1,400m)から剣山方面を撮影したものだ。天気予報で山上は曇り~雨模様とは知っていたが、やはり山頂方面を展望できなかったのは淋しかった。
そして「剣山観光登山リフト」に乗るため、リフトの始点となる「見ノ越駅」の駐車場に車を停車した。
今回の登山コースは、まず「剣山」とは兄弟の山とされる「次郎笈(標高 1,930m/じろうぎゅう)」の山頂へ向かい、その「次郎笈」から「剣山(別名・太郎笈(たろうぎゅう)」の山頂への縦走(総合距離は約4km)、そして剣山山頂での宿泊(一泊)を予定していたこともあり、念入りに準備を整えてからリフトに乗った。
そこで上の画像は、リフトの終点で山頂近くの「西島駅」にあった案内図を映したものだ。
※剣山は標高1955mの高峰ながら、4月下旬~11月末に運行しているこのリフトを使えば、始点の見ノ越駅(標高1420m)から終点の西島駅(標高1750m)まで楽々移動(約15分)できるのが特徴だ。ちなみに、8合目の西島駅から剣山山頂までの登山コースが4つあるのだが、最短の「尾根道コース」を利用すれば、山頂まで約40分で到着する。
西島駅から山道を約20分登ったところに「大劔(おおつるぎ)神社」がある。
そこで上の画像は、標高1,820mに鎮座する社殿とともに、御神体である背後の「御塔石(おとうせき)」という巨大な岩石(高さ約50m)を撮影したものだ。
上の画像は、本殿の屋根の上下に並ぶ二つの鬼飾りに、当社の御神紋である「違い剣」(二本の剣がX字状に交差した紋章)を見出すことができたので、少し拡大して映したものである。
この紋章を見上げていると、背後にある「御塔石」の先端が、交差した剣の剣先に観えてくるのであった。
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この「御塔石」を御神体とする「大劔神社」から少し登ったところに、上の画像の左上にあるような特異な形状の突出した石灰岩がある。(ちなみに「御塔石」は、画像の右下に霞んで見える巨岩だ。)
実は、これまで剣山に登拝(今回で5回目)した際は、通り道ではあったが必ず立ち止まり、この大小の屹立した岩石が並ぶ景観を楽しんできた。
そこで今回は、この大小二つの岩石の関係性に迫ろうと、小さい方の岩石(高さは岩の根元から約2.5m)の左側から抱き着くようにしてよじ登り、その先端の窪みから覗いて「御塔石」の先端部分を映した画像が上である。
この手前にある小岩の窪みから、前方にある大岩先端部の凹凸形状を見た時、"これは天体観測のための照準器として利用できる"という直観が脳裏に走るのであった。
そして、「大劔神社」の右横から「次郎笈」に向かう道を降りる際、たまたま霧が晴れた一瞬を逃さずに、「御塔石」を横から撮影したものが上である。そこには、御神体の威厳あふれる佇まいがあった。
上の画像は、この「御塔石」の岩根から湧き出る「御神水(おしきみず)」の水汲み場(画像の左下)を撮影したものだ。
前回の登山でここを訪ねた折は、近場で起きた土砂崩れのために近づけず、とても残念だったことを思い出すのであった。
解説版を映した上の画像の文面にあるように、やはり「名水百選」に選ばれた清澄な水だけあって、その透明な味わいが体に染みわたり、すこぶる美味かった。
早速、これを目当てに持参した空のペットボトルに水を詰め、その後の長丁場となる山歩きの水分補給に備えた。
すると、「御神水」の水汲み場から歩いてすぐの山道脇に、霧雨に誘われて出て来たのであろう…上の画像のように抜群のポーズを決めた大きな「ヒキガエル」が、かなり近づいても微動だにせず、その存在感をアピールしているかのようだった。
ここでフト後ろを振り返ると、濃霧に包まれた「御塔石」のシルエットが浮かび、幻想的な雰囲気に包まれたことを憶えている。(上掲画像)
この上の画像は、上述の「御塔石(おとうせき)」を中心とする全体像を撮影したものだ。
この画像で、これまで解説してきた場所を示すとすれば、まず「御塔石」の右隣にある建築物が、「大劔神社」の社殿であり、次に「御塔石」の上方右側にある突出した岩石が、撮影のために登った小さい方の石灰岩である。そして、「御塔石」の右下に小さく映る鳥居の場所が、「御神水」の水汲み場となる。
さてそこで、「剣山(つるぎさん)」という山名の由来について、おさらいをしておこう。
まず、剣山の山頂付近には「鶴石」と「亀石」が存在し、この鶴と亀を合わせて「鶴亀山(つるきさん)」というのが由来の一つ。そして、源平の戦いを逃れた安徳天皇が、「草薙の剣」を宝蔵石に奉納したという伝説も由来の一つとされる。
さらに、もう一つの由来として興味深いのは、もともと剣山は「石立山」と呼ばれていたということ。
この「石立山」という名称から類推すれば、この「大劔神社」の背後にあって圧倒的な存在感を放ち、かつてはもっと高くそそり立っていた形跡があり、今でも「剣」の如く屹立する御神体の「御塔石(おとうせき)」こそ、「剣山」という山名の由来に最も相応しいと感じるところである。
その後の道程は上の画像のごとく、ただひたすらに濃霧の中を「次郎笈(じろうぎゅう)」に向かって歩むのみであった。
剣山山系の地図は持参していたものの、周囲の景色が全くと言っていいほど見えないので、一本道ではあったが自分の存在位置が確認できないのは少々不安であった。
高低差のある山道を歩いていると、上の画像のような大きな岩石が忽然と目の前に現れたりして、一息ついて心が緩み元気づけられたことを憶えている。
ここが山頂だと思ってしまうようなピークを、おそらく二度は越えて行ったと思うが、それでもまだ前方を見遣ると、上の画像のような細い尾根道が続いていた。
ようやく「次郎笈」の山頂を地図上で見定めることができ、その山頂に近い一歩手前の丘にあった、威厳にあふれ勢いを感じる岩を映した画像が上である。
そして下の画像は、「次郎笈(標高1,930m)」の頂上を示す木標を撮影したものだ。達成感のなか、ここで有難いとつくづく思ったのは、霧雨程度で少し寒いと思ったぐらいの天候についてである。
まだ日差しの強い時期だったので、もし当日が快晴だったとしたら、この折り返し地点の「次郎笈」まで来るのにも、かなり体力を消耗していたことであろう。
そして、いよいよ今回の剣山登拝において、メインとなる場所へと向かうのであった。
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