四国行脚の巻(15)… 「立岩神社」(巨大陽石)
徳島市内のホテルで迎えた朝(9月19日)は、心地の良い快晴であった。徳島に入ってからの三日間は、ほぼほぼ曇天だったこともあり、この晴天のなか…今日は思いっきり巡れるぞ~…という予感があった。
実は、もし当日が雨模様であれば、この旅路の最終目的地である「足摺岬」(四国の最南端)まで、高速道路での移動を考えていた。それがお陰さまで行楽日和となったことから、今回の記事で取り上げたのは、徳島県の南部で訪ねてみたいと思っていた「立岩神社」(徳島市多家良町立岩)であった。
そこで冒頭の画像は、当社の御神体たる立派な「立岩(巨大陽石)」の全体像を撮影したものだ。
上の画像は、当社の由緒書を撮影したものだ。この文面の最後の方に、名西郡神山町に女性を象徴する巨岩・立岩神社が鎮座すると書いてあるが、今回この男性を象徴する巨岩を訪ねたことで、神山町の「女性性の巨岩」と多家良町の「男性性の巨岩」が、当地域の巨石信仰において、その石組みの形状を含めた"陰陽の関係"になっていたことを知るのであった。
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上の画像のように「神社」とはいっても、巨岩の根元に小さな祠があるという佇まいであった。
それにしても、この男性を象徴する「巨大陽石」は、天空に向かって雄々しく屹立しており、加えて画像の右下に映る二つの「大玉石」が、ことさらに男性性を際立たせていた。
まさしく人為的加工を如実に感じる巨岩だったので、その全体を観察してみたくなり、周囲を巡りつつ斜め後ろから撮影した画像が上である。明らかに特定の方向性を感じさせる巨岩だということが分かる。
上の画像は、この巨岩の真裏に回って、その意図的に削られ台形状に整えられた背後の姿を撮影したものだ。さっそく方位磁石で調べてみると、この巨岩全体が向く方位は、ほぼ真南であった。
…これは前方に何かある…ということで、まるで舞い上がるかのように巨岩の上に登り、岩上から見渡す前方の景色を映した画像が上である。
そこで驚いたのは、前方の南側に広がる山並みの中央部に凹みがあり、その山並みの「凹み」の示す方位が、この巨岩の上から見て「真南」だったことである。
ここで、この巨岩の存在する現地から、その南方の山並みを含む地域を俯瞰してみたとき・・・おそらくこの地域を治めた古代人にとって「立岩(巨大陽石)」は、南天の夜空に輝く星々を観測するための展望台だったのではあるまいか・・・そして、この岩上から南方に見える「凹み」こそ、夜分に東から西に向かって昇り降りする南天の星々を観測する「照準器」の役割だったのではあるまいか・・・という想いが湧き上がるのであった。
ということは・・・この凹みが真南に見える位置に、この巨岩を意図的に据えた・・・あるいは、その凹みの部分は、巨岩の設置後に造成したのでは・・・などと、いつもの妄想の翼が羽ばたくのであった。
そして上の画像は、巨岩の裏側からさらに回り込んで、ほぼ真横から撮影したものである。その全体としての作りは、実に素朴で単純明快ではあったが、どの角度から見ても惚れ惚れするフォルムであった。
しかし、あの神山町の「女性性の巨岩」といい、ここ多家良町の「男性性の巨岩」といい、おそらく同じ系統の石工職人が担当したと想像するが、その幾何学的で洗練された成型の技術力については、多少とも立体造形の制作に関わってきた私としても、大いに触発されたところである。
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