https://www.amazon.co.jp/天皇氏族―天孫族の来た道-古代氏族の研究⑬-宝賀-寿男/dp/4434254596/ref=sr_1_18?crid=26ZJZW8UD3YBR&keywords=宝賀寿男+古代氏族の研究&qid=1697653892&sprefix=宝賀%2Caps%2C180&sr=8-18
2021年8月22日に日本でレビュー済み
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私は宝賀寿男氏の「神武東征の原像」を高く評価していたが残念ながら本書は評価できるような内容ではない。多くの論文を一冊にしたような構成で記述内容に統一性がないところがあり読みやすくもない。
本書は天皇氏族(天皇氏だけでなく天孫族も含む)の源流を論じており、また独自の日本民族形成論にもなっている。江上波夫の騎馬民族渡来説について、渡来の時期を古墳時代とするのは誤りであるが渡来時期を300年ほど古くすれば十分評価できるとしている。そして天皇氏族を渡来系としているが本書内で微妙にニュアンスが違っているので「まとめ 天皇氏族の一応の総括」に記述されている内容を基準に著者の主張をまとめる。
1) 天皇氏族は箕子朝鮮の王族末流の可能性が高い。これにツングース種族(注:現在のツングース族の最大グループは満州族)の扶余や高句麗系が朝鮮半島南部で融合し、さらに伽耶に移動した後、日本に渡来した。箕子朝鮮とは中国の周の武王が箕子を朝鮮に封じたとする史記の記述による古代国家である(箕子朝鮮の存在について韓国・北朝鮮では民族主義的な理由から否定的とされている)。
2) 日本には江南の民が稲作、青銅器や江南の文化をもって日本に渡来し弥生時代となった。その後、紀元1世紀代前半頃に天皇氏族の祖先が粟作、鉄器、アルタイ系の言語やツングース文化をもって韓地から北部九州に渡来した。ただし人数的には比較的、中小規模の集団であった。日本は北方系の天孫族が江南系や縄文人を支配する二重構造の国家であった。
3) 天孫族は、西暦57年の倭の奴国の後漢朝貢時には北部九州の辺地の微少勢力に過ぎなかった。西暦107年の倭国王帥升らの朝貢にも無関係であった。著者は、邪馬台国北部九州説であり天孫族が邪馬台国の中心勢力であったとみている。
(本書の資料編に著書が推定した天皇氏族と朝鮮王朝の関連系図を載せている)
これに対し批判すべき点が多々あるが次の4点にまとめる。
1 基本的な認識の誤り
日本にアルタイ的な構造の言語が入った時期は、「世界言語のなかの日本語」(松本克己 2007)などにより現在では弥生時代より前とされている。(松本氏は高句麗・扶余はツングース系ではないとしているが、それが仮に正しい場合、ツングース系を高句麗・扶余系と読み替えても本書の論旨に大きな影響はないと思われる)
本書で血液型についても少し言及しているが明確でないので「血液型の話」(古畑種基 1962)を参考にその後の知見も加えて以下に血液型による歴史分析を記す。
弥生時代に渡来した人の血液型はA型の頻度が高かった。彼らは北方系ではないが東南アジア系でもなかった。日本人はアジア系では最もA型の割合が高い(日本内では西日本が東日本よりやや高い)。朝鮮半島の南端は日本人とほぼ同じ比率だが北に行くほど低くなる。中国では稲作開始の候補地のひとつである湖南省が最も高く、江南地域も中国内では比較的高い。一方、東北アジアはB型の割合が高く、東南アジアではO型の割合が高い。(本書で江南系をタイ族系としているが現代のタイ人はA型の比率は低く、誤りである)。
父親から息子に伝わるY染色体の分析からも日本人男性は、朝鮮半島や中国東北部のグループとは異なるとされている。そして、弥生系男性の遺伝子は弥生系女性の遺伝子ほどには継承されていない。以上の遺伝的な分析からも弥生時代にツングース種族が渡来して日本人に大きな影響を与えたことはない。
2.天孫族が伝えたとする文化の内容
青銅器が鉄器より大幅に早く日本に流入したとの考古学的事実はない。また国立歴史民俗博物館の研究報告「弥生鉄史観の見直し」(藤尾慎一郎 2014)によると紀元前3世紀以降には日本に鉄器が伝わっていたとされている。すなわち本書の考古学的主張は妥当でない。
次に日本にツングース系の文化と同じ文化がある点について、彼らが渡来したことの証左としているがこれらの文化は古くは東アジアで普遍的な文化であったと考えられる。そのような文化を持たない漢民族が勢力を拡大した結果、その周辺部に古い文化が共通に残っただけである。
ツングース系は父系制社会と言われるが「骨が語る古代の家族」(田中良之 2008)によると日本は縄文時代から古墳時代前期まで父系・母系の双系制といわれている。なぜ父系制という重要な社会構造が日本に伝わってないのだろうか。
支石墓を天皇氏族渡来の証左としているが本書でも記述されている佐賀県唐津市の大友遺跡で支石墓に埋葬された人骨のゲノムを分析したところ渡来人のゲノムを全く持たない縄文系の人だったことが判明し、文化受容であったとしている(「日経サイエンス ヤポネシア ゲノムから解き明かす縄文人・弥生人のルーツ」(2021年8月号)
3.系図についての疑問
著者は、天孫族の皇祖神とされる天照大神を本来は男性神だったとし、造化神の一つであるタカミムスビの神をその父さらにスサノオをその父と推定している。しかしその根拠は全く薄弱である。天照大神がなぜ「記紀」で女性神になっているのかについて女帝による「記紀」編纂時の改ざんを示唆しているがいくら女帝でも男性神を女性神に変えられるはずがない。また、天照大神とスサノオの対立は何を意味するかについての説明もない。著者は津田史学による「記紀」創作説を強く批判しているが自説に反する箇所については「記紀」の創作説や編纂時の改ざんを主張するなど一貫性がない。また、朝鮮半島では信頼できる古代の資料が極めて少ないと認めているのに日本の神の系図をさらに古く延長し朝鮮王朝の系図に関連づけているが全くの想像としか思えない。
4.邪馬台国との関係の矛盾
天孫族を邪馬台国の中心勢力としているが邪馬台国の成立は西暦100年頃とされている(卑弥呼以前の男王時代)。しかし、本書では天孫族は倭の奴国の朝貢時(西暦57年)にはまだ北部九州の辺地微小勢力であったとしており邪馬台国成立の中心になるのは無理である。これに対し天孫族の渡来時期を100年ほど早く想定すれば問題がないように思えるがそうすると本書の想定系図による朝鮮半島で活躍していたはずの人物が日本で活躍したことになり矛盾が生じるのであろう。
ところで中国では2000年以降に東北工程の名の国家的研究で高句麗について中国の少数民族が建てた国家であるとする研究結果を発表している。さらに百済、新羅についてもそのような主張をしているようである。当然、韓国はこれに対し猛反発をしている(日本人学者の多数は高句麗についてはツングース系の建てた国家とみているようである)。しかし中国は日本も中国の少数民族が建てた国家とはさすがに言っていない。
氏族の研究で男系中心の考えになるのは当然とはいえるが渡来人が海を渡って日本に来ても人数的には少数かつ男性中心なので日本人女性と婚姻する比率が高くなる。渡来系といっても、数世代後には土着化し日本人と変わらなくなる。宝賀氏が渡来系の系譜(男系)を過度に強調していることに違和感を覚える。著者の系図(特に本書にあるような信頼の置けない系図)による古代の歴史研究はもはや限界ではないだろうか。
(レビューの記述が長くなりました)
本書は天皇氏族(天皇氏だけでなく天孫族も含む)の源流を論じており、また独自の日本民族形成論にもなっている。江上波夫の騎馬民族渡来説について、渡来の時期を古墳時代とするのは誤りであるが渡来時期を300年ほど古くすれば十分評価できるとしている。そして天皇氏族を渡来系としているが本書内で微妙にニュアンスが違っているので「まとめ 天皇氏族の一応の総括」に記述されている内容を基準に著者の主張をまとめる。
1) 天皇氏族は箕子朝鮮の王族末流の可能性が高い。これにツングース種族(注:現在のツングース族の最大グループは満州族)の扶余や高句麗系が朝鮮半島南部で融合し、さらに伽耶に移動した後、日本に渡来した。箕子朝鮮とは中国の周の武王が箕子を朝鮮に封じたとする史記の記述による古代国家である(箕子朝鮮の存在について韓国・北朝鮮では民族主義的な理由から否定的とされている)。
2) 日本には江南の民が稲作、青銅器や江南の文化をもって日本に渡来し弥生時代となった。その後、紀元1世紀代前半頃に天皇氏族の祖先が粟作、鉄器、アルタイ系の言語やツングース文化をもって韓地から北部九州に渡来した。ただし人数的には比較的、中小規模の集団であった。日本は北方系の天孫族が江南系や縄文人を支配する二重構造の国家であった。
3) 天孫族は、西暦57年の倭の奴国の後漢朝貢時には北部九州の辺地の微少勢力に過ぎなかった。西暦107年の倭国王帥升らの朝貢にも無関係であった。著者は、邪馬台国北部九州説であり天孫族が邪馬台国の中心勢力であったとみている。
(本書の資料編に著書が推定した天皇氏族と朝鮮王朝の関連系図を載せている)
これに対し批判すべき点が多々あるが次の4点にまとめる。
1 基本的な認識の誤り
日本にアルタイ的な構造の言語が入った時期は、「世界言語のなかの日本語」(松本克己 2007)などにより現在では弥生時代より前とされている。(松本氏は高句麗・扶余はツングース系ではないとしているが、それが仮に正しい場合、ツングース系を高句麗・扶余系と読み替えても本書の論旨に大きな影響はないと思われる)
本書で血液型についても少し言及しているが明確でないので「血液型の話」(古畑種基 1962)を参考にその後の知見も加えて以下に血液型による歴史分析を記す。
弥生時代に渡来した人の血液型はA型の頻度が高かった。彼らは北方系ではないが東南アジア系でもなかった。日本人はアジア系では最もA型の割合が高い(日本内では西日本が東日本よりやや高い)。朝鮮半島の南端は日本人とほぼ同じ比率だが北に行くほど低くなる。中国では稲作開始の候補地のひとつである湖南省が最も高く、江南地域も中国内では比較的高い。一方、東北アジアはB型の割合が高く、東南アジアではO型の割合が高い。(本書で江南系をタイ族系としているが現代のタイ人はA型の比率は低く、誤りである)。
父親から息子に伝わるY染色体の分析からも日本人男性は、朝鮮半島や中国東北部のグループとは異なるとされている。そして、弥生系男性の遺伝子は弥生系女性の遺伝子ほどには継承されていない。以上の遺伝的な分析からも弥生時代にツングース種族が渡来して日本人に大きな影響を与えたことはない。
2.天孫族が伝えたとする文化の内容
青銅器が鉄器より大幅に早く日本に流入したとの考古学的事実はない。また国立歴史民俗博物館の研究報告「弥生鉄史観の見直し」(藤尾慎一郎 2014)によると紀元前3世紀以降には日本に鉄器が伝わっていたとされている。すなわち本書の考古学的主張は妥当でない。
次に日本にツングース系の文化と同じ文化がある点について、彼らが渡来したことの証左としているがこれらの文化は古くは東アジアで普遍的な文化であったと考えられる。そのような文化を持たない漢民族が勢力を拡大した結果、その周辺部に古い文化が共通に残っただけである。
ツングース系は父系制社会と言われるが「骨が語る古代の家族」(田中良之 2008)によると日本は縄文時代から古墳時代前期まで父系・母系の双系制といわれている。なぜ父系制という重要な社会構造が日本に伝わってないのだろうか。
支石墓を天皇氏族渡来の証左としているが本書でも記述されている佐賀県唐津市の大友遺跡で支石墓に埋葬された人骨のゲノムを分析したところ渡来人のゲノムを全く持たない縄文系の人だったことが判明し、文化受容であったとしている(「日経サイエンス ヤポネシア ゲノムから解き明かす縄文人・弥生人のルーツ」(2021年8月号)
3.系図についての疑問
著者は、天孫族の皇祖神とされる天照大神を本来は男性神だったとし、造化神の一つであるタカミムスビの神をその父さらにスサノオをその父と推定している。しかしその根拠は全く薄弱である。天照大神がなぜ「記紀」で女性神になっているのかについて女帝による「記紀」編纂時の改ざんを示唆しているがいくら女帝でも男性神を女性神に変えられるはずがない。また、天照大神とスサノオの対立は何を意味するかについての説明もない。著者は津田史学による「記紀」創作説を強く批判しているが自説に反する箇所については「記紀」の創作説や編纂時の改ざんを主張するなど一貫性がない。また、朝鮮半島では信頼できる古代の資料が極めて少ないと認めているのに日本の神の系図をさらに古く延長し朝鮮王朝の系図に関連づけているが全くの想像としか思えない。
4.邪馬台国との関係の矛盾
天孫族を邪馬台国の中心勢力としているが邪馬台国の成立は西暦100年頃とされている(卑弥呼以前の男王時代)。しかし、本書では天孫族は倭の奴国の朝貢時(西暦57年)にはまだ北部九州の辺地微小勢力であったとしており邪馬台国成立の中心になるのは無理である。これに対し天孫族の渡来時期を100年ほど早く想定すれば問題がないように思えるがそうすると本書の想定系図による朝鮮半島で活躍していたはずの人物が日本で活躍したことになり矛盾が生じるのであろう。
ところで中国では2000年以降に東北工程の名の国家的研究で高句麗について中国の少数民族が建てた国家であるとする研究結果を発表している。さらに百済、新羅についてもそのような主張をしているようである。当然、韓国はこれに対し猛反発をしている(日本人学者の多数は高句麗についてはツングース系の建てた国家とみているようである)。しかし中国は日本も中国の少数民族が建てた国家とはさすがに言っていない。
氏族の研究で男系中心の考えになるのは当然とはいえるが渡来人が海を渡って日本に来ても人数的には少数かつ男性中心なので日本人女性と婚姻する比率が高くなる。渡来系といっても、数世代後には土着化し日本人と変わらなくなる。宝賀氏が渡来系の系譜(男系)を過度に強調していることに違和感を覚える。著者の系図(特に本書にあるような信頼の置けない系図)による古代の歴史研究はもはや限界ではないだろうか。
(レビューの記述が長くなりました)
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