[寄稿]本当の境界線はイスラエルとパレスチナの間にあるのではない
ハマスがイスラエルに犯した野蛮な攻撃は、いかなる場合であっても無条件に非難されなければならない。この前提のもと、私たちが緊急にすべきことは、この攻撃を歴史的な流れで理解することだ。 まず、大多数のパレスチナ人の生活が絶対的な絶望に陥っているという事実を理解しなければならない。かつて頻発したパレスチナ人の自殺攻撃を考えてみよう。普通のパレスチナ人が、自分も死ぬことを知っていながらユダヤ人に近づいて刃物で刺した後、自分も周辺の人たちによって殺される。彼らは何らかの組織をバックに持つわけではなく、「パレスチナ解放」のようなスローガンも叫ばなかった。それは、政治的な計画ではなく、ただ完全な絶望状態から出てきた行為だった。 イスラエルでベンヤミン・ネタニヤフが政権を握り、状況はさらに悪化した。彼はヨルダン川西岸地区のパレスチナ領土の合併を主張する極右政党と連立して新政権を構成し、極右的な人物で内閣を埋めつくした。ネタニヤフ政権のイスラエルは事実上の神権国家だ。この政権の一番の原則は、「ユダヤ民族は、イスラエルの土地のすべての地域に対して、排他的かつ譲渡できない権利を持つ。イスラエル政府は、ガリラヤ、ネゲブ、ゴラン高原、ユダ・サマリアなどイスラエルのすべての地域でイスラエル入植地を促進し発展させる」というものだ。イスラエル政府がパレスチナとの交渉をこのように公式に排除している状況で、交渉を拒否しているといってパレスチナを非難するのは不当なことだ。 ハマスの攻撃は、イスラエルがこれまでネタニヤフ政権の司法府掌握の試みによって深刻な内部対立を抱えていたという事実と関連して読み取らなければならない。この数カ月間、イスラエルはネタニヤフの司法府掌握を支持する側と反対する側の間の衝突によって、深刻な分裂に陥っていた。そうしたなか、ハマスによる攻撃が起きた。分裂は終了し、代わりに国家統合の声が強まった。内部分裂が外部からの共通の敵が出現して突然克服される、おなじみの状況だ。 この悪循環の連鎖を断ち切るためには、イスラエルが反ユダヤ主義には批判的だが交渉の意志があるパレスチナ人に手を差し伸べなければならない。イスラエルの極右は、パレスチナ人はすべて反ユダヤ主義者だと主張するが、イスラエル人がすべて狂信的な国家主義者ではないように、多くのパレスチナ人は反ユダヤ主義に反対している。パレスチナ人は深刻な絶望と混乱に陥っており、このような状況が災厄の発生する土壌になるという事実を理解すれば、自分の土地を失ったパレスチナ人と過去に同じような歴史を体験したユダヤ人が奇妙にも似ているという事実も見えるようになる。今はパレスチナ人が「テロリスト」と呼ばれているが、1940年代にはパレスチナで英国軍に抵抗したユダヤ人がそう呼ばれた。 誰がテロリストなのかについては論争があるが、その背景には、過去数十年、辺獄状態に閉じ込められたパレスチナのアラブ人がいる。彼らの住む土地は、「イスラエル占領地」「ヨルダン川西岸地区」「ユダ・サマリア」なのか、あるいは、139カ国が承認して国連非加盟のオブザーバー国家として活動するパレスチナ国家なのか。イスラエルはパレスチナ人を、ユダヤ人だけが市民である「正常」な国家を建てることを邪魔する臨時の定着民であり障害物としてのみ取り扱ってきた。イスラエルは一度も彼らに手を差し伸べたことはない。 ハマスとイスラエルの強硬派はコインの裏表だ。私たちは、境界線をハマスとイスラエルの強硬派の間に引くのではなく、二つの極端な勢力と平和な共存の可能性を信じる人たちの間に引かなければならない。私たちは、二つの極端な勢力と交渉してはならず、代わりに反ユダヤ主義と戦い、同時にパレスチナの権利のために闘争しなければならない。 理想的な話に聞こえるかもしれないが、二つの闘争は同じ闘争だ。私たちは、イスラエルが自らをテロから守る権利を無条件に支持すると同時に、イスラエル占領地に住むパレスチナ人が直面する絶望的な状況に無条件に共感しなければならない。二つの立場に「矛盾」があると考えるのであれば、まさにその考えが、問題解決を事実上妨げることになるだろう。 スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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