『「隠岐」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける(学研)《中編》
《前編》 より
【秦始皇帝は、モーセの血を引いていた】
秦始皇帝は璽を手にしていた。璽とは契約の聖櫃アークである。ネボ山の洞窟に隠されていた契約の聖櫃アークは密かに運び出され、なんと中国にもたらされていたのだ。・・・(中略)・・・。
八咫烏の言葉が正しければ、秦始皇帝は封禅の儀式にあたって、契約の聖櫃アークを使ったに違いない。・・・(中略)・・・。ならば、秦始皇帝自身、ただのレビ族ではなく、モーセの血を引く予言者だった可能性がある。事実、始皇帝が牛を燔祭として神にささげた伝説までが残っている。(p.144)
始皇帝がでてくれば、ペアのように語られるのが徐福だけれど・・・
《参照》 『特殊なこの国と天皇家の超機密ファイル』板垣英憲・飛鳥昭雄・他5名(ヒカルランド)《後編》
【始皇帝と徐福】
【徐福によって日本に運ばれた裏アーク】
「璽はひとつ所に置けば災いをなすゆえ、秦始皇帝は予言に従い、璽をふたつに分け、瀛州の蓬莱山のある聖地に移し奉り、そこを世界の中華となそうとしたのだ」(p.145)
契約の聖櫃アークは、表アークと裏アークに分けられたという。
表アークは、蓋が本物で、中に十戒石板が、
裏アークは、箱が本物で、中にアロンの杖が入っていたという。
表アークは秦始皇帝が管理し、裏アークを東海に浮かぶ蓬莱山へと運び込んだ。
密命を受けたのは道教の方士、徐福である。(p,146)
徐福の目的は、裏アークを日本に運ぶこと。不老不死の仙薬探しなど、どおでもいい単なる脚色。
徐福は斉の出身であったが、秦始皇帝と同族であった。ともに姓は「嬴(えい)」である。始皇帝がレビ族であったように、徐福も道教の方士という肩書からわかるように、祭祀を行うレビ族だった。・・・(中略)・・・。
うまくできたもので、どうも徐福はアロンの直系らしい。兄アロンの直系子孫である徐福がアロンの杖が入った裏アークを継承し、弟モーセの直系子孫である秦始皇帝が十戒石板の入った表アークを管理することになったのだ。(p.147)
秦始皇帝の命により、徐福によって日本に持ち込まれた裏アークに入っていたのは「アロンの杖」。
「日本人が、神によって守られることは、預言どおりに、キッチリ徐福によって伏線が敷かれていたのだ」🐭ことを理解するために、「アーロンの杖」に関する下記リンクを辿ってください。
《参照》 『H.G.ウェルズの予言された未来の記憶』 五島勉 (祥伝社)《後編》
【「アーモンドの花」の意味】
【幕屋、メノラー、聖櫃アーク】
当初、旅をするイスラエル人たちには神殿がなかった。あるのは移動式のテントを利用した「幕屋」だった。幕屋の内部は大きくふたつに分かれていた。入り口に近いほうを「聖所」、奥のほうを「至聖所」といった。
幕で仕切られた内部に入ると、そこには生贄を捧げる台と身を清める洗盤がある。中央にはテントがあり、聖所には七枝の燭台メノラーと香壇、供物を置く机が置かれている。さらに、仕切りの向こうの至聖所に安置されるのが契約の聖櫃アークである。(p.121)
契約の聖櫃アークの中に納められているイスラエル三種神器中で、国を拓き造る上で最も重要なのは、神威ある兵器ともいえる「アロンの杖」と言えるだろう。ゆえに、三種神器が分けて運ばれる際、幕屋内で聖所に置かれていたメノラーは、常にアロンの杖と共に運ばれたことだろう。本書も、メノラーは徐福によって日本に運ばれたと記述している。
なお、至聖所の前に置かれたのが "メノラー、香壇、供物を置く机" とあるけれど、メノラーを花に置き換えれば、日本の一般的な祭祀になるだろう。そう、メノラーはその形状から華道の原型になっている。
【アマミキヨの正体は・・】
徐福は紀元前219年、山東半島から東海を目指し、最初に上陸したのは沖縄だった。沖縄本島の南に久高島がある。伝説によれば、ここに琉球神話の始祖であるアマミキヨが上陸し、初めて国作りを行ったとされる。実は、創世神ともいうべきアマミキヨの正体は徐福である。徐福は久高島を聖地とし、その対岸にある斎場御嶽に裏アークを安置して、創造神ヤハウェを祀った。(p.147-148)
《参照》 アマミチューの墓
八咫烏によれば、言霊的に、最初の上陸地である沖縄は、「隠岐の注連縄」の隠岐縄であるという。隠岐にとっての玄関口とでもいうべき島が隠岐縄なのだという。(p.148)
裏アークに入っていた「アロンの杖」が辿った経路は、山東半島⇒沖縄⇒奄美⇒沖ノ島⇒隠岐⇒籠神社⇒出雲大社(天叢雲剣)⇒熱田神宮(草薙剣)ということか。
いま、熱田神宮の草薙剣は、物としても霊威としても、伊勢神宮に移されているだろう。
《参照》 『菊理媛と共に宇宙無限大に開くドラゴンゲート』龍依~Roy(ヒカルランド)《中編》
【熱田神宮の境内摂社にて】
【3つの秦人】
朝鮮半島にやってきた秦人は一派だけではない。少なくとも、3つの秦人がいた。・・・(中略)・・・。
3つの秦人は互いに々イスラエル人であることを認識している。というもの、そのしるしがあったからだ。秦帝国からの亡命秦人には表アークがあり、なかには十戒石板が入っていた。騎馬民族となった秦人、ガド族にはマナの壺があった。そして、エルサレム教団の秦人には血染めの十字架、すなわちイエス・キリストが磔になった聖十字架を手にしていたのである。
なかでも、表アークの存在は、よほど印象が強かったのだろう。朝鮮半島の始祖伝説に黄金櫃として登場する。・・・(中略)・・・。いずれも表アークがモデルになっている。(p.154)
・・・(中略)・・・にした箇所には、脱解王、金閼智、金首露の逸話が書かれている。
3つの秦人のうち、エルサレム教団の流れを汲む秦人は原始キリスト教徒であり、自らを秦氏と名乗っている。
《参照》 『日本人ならぜったい知りたい十六菊花紋の超ひみつ』 中丸薫・他
【秦氏】
【日本は神道だが、神道はもとはユダヤ教である】
【3つの秦人たちが目指した日本】
朝鮮半島にやってきた秦人には目的があった。日本である。聖地エルサレムからやってきたイスラエル人たちは創造神ヤハウェの啓示に従い、極東を目指してきた。預言者イザヤの預言には、こうある。この世の終わりに、東の果てにある海の島々からひとつの国を挙げて、失われたイスラエル人たちが帰ってくる、と。条件に合う国は日本しかない。ここに、イエス・キリストが語る羊たちがいる。日本は集合場所であり、いわば極東イスラエルなのである。(p.155)
イザヤの預言にある「この世の終わりに・・・」という内容は、近未来にかかわる極めて重要なポイントであり、本書のエピローグ(最終記述)となっていることなのだけれど、下記リンクのみ付けて先に進みます。
《参照》 『特殊なこの国と天皇家の超機密ファイル』板垣英憲・飛鳥昭雄・他5名(ヒカルランド)《後編》
【最終的に、天皇陛下は・・・】
で、3つの秦人たちは、日本のどこに集合したのだろう。
宇佐神宮には、かつて十戒石板とマナの壺、そして聖十字架が安置されていたのだ。(p.156)
その後、表アークは、伊勢神宮に移されたらしいことが下記リンクに記述されている。
《参照》 『知られざる古代日本のユダヤと秘密結社』 飛鳥昭雄×中丸薫 (学研) 《後編》
【聖櫃(アーク)の在処】
《参照》 宇佐神宮(宇佐八幡)
【日本に渡来した古代イスラエル(ユダヤ)人の2グループ】
渡来した古代イスラエル人の2つを「まとめ」ておくと、
『旧約聖書(ユダヤ教)』 『新約聖書(原始キリスト教徒)』
徐福(物部氏の祖) 3つの秦人(秦氏)
物部神道 秦神道
ニギハヤヒ命 神武天皇
裏アーク 表アーク
アロンの杖、メノラー 十戒石板、マナの壺、聖十字架
紀元前3世紀 紀元4世紀
《参照》 『空海は古代ユダヤの錬金術師だった』 月海黄樹 (徳間書店) 《前編》
【日本に渡来した2つのユダヤの系譜】
【真アークと権アーク】
すべてのイスラエル三種神器は集合し、改めて真アークに納められた。権アークは空のままであったが、ここで別の意味での形代が作られる。日本三種神器である。神道では天皇の王権を示すレガリアとして、八咫鏡と天叢雲剣=草薙剣と八尺瓊勾玉が掲げられ、しかるべき場所で奉斎されている。これらは、いわばイスラエル三種神器の形代である。いずれも原始キリスト教の絶対三神と秦神道の造化三神が同一神であることを象徴しているのである。
「御父:エル・エルヨーン=エロヒム:天之御中主神:天叢雲剣=草薙剣:アロンの杖」
「御子:ヤハウェ=イエス・キリスト:高御産巣日神:八咫鏡:十戒石板」
「聖霊:コクマー=ルーハ:神産巣日神:八尺瓊勾玉:マナの壺」 (p.162-163)
《参照》 日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】
【 御御輿とその中身 (神社の御神体) 】
【ガド族とレビ族(天皇と祭司)】
イエス・キリストから王権を神授したことで、失われたイスラエル10支族のガド族の王はミカドとして倭国に君臨することになる。初代・神武天皇はイスラエル三種神器が入った真アークを手にし、これを宮中に置いた。
ただし、神武=崇神=応神天皇はガド族であって、レビ族ではない。直接、祭祀を執り行うことはできない。真アークを管理したのはモーセの血を引く大司祭だった。記紀神話では「武内宿祢」と呼ばれる。徐福の大司祭がアロン系の倭宿祢であったように、応神天皇の大司祭はモーセ系の武内宿祢だった。
八咫烏によると、宿祢を旧字で書くと「宿禰」で、ここにある「宿」は幕屋を意味し、そこに安置されていた契約の聖櫃アーク、すなわち「璽」を奉斎することを「禰」で表現しているのだという。(p.163-164)
武内宿祢は、現在、宇倍神社に祀られている。
《参照》 宇倍神社(因幡国一之宮)
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