2023年3月26日日曜日

謎の渡来人 秦氏を追う 第2回 秦氏の起源(2) | こんどう史科医院の裏ブログ

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謎の渡来人 秦氏を追う 第2回 秦氏の起源(2)

前回久しぶりに歴史ネタをしましたらあっという間にコメが付き、もはやネタバレ状態となってきました(笑)それほど近畿圏の人からリスペクトされている秦氏第2弾です。がんばっていってみよー



秦氏の起源(2)

 秦氏の起源についてさらに掘り下げていきたいと思います。






徐福とその一行説

徐福伝承とは、紀元前219年、秦の始皇帝の時代に童男童女500人を含め総勢3000人の集団を引き連れ、仙人と不老不死の仙薬を求めて中国大陸から東方の桃源郷日本へ旅立った一団がいた。それを先導したのが秦の始皇帝からその命を受けた「徐福」である。というものです。徐福の伝説の存在するところは日本でも数十か所にのぼり、中でも紀伊半島の熊野や富士山麓の吉田には徐福の墓と呼ばれるものまで残っています。しかしあくまでも伝説の上での話なので確たる史実とは言い難いですが、この徐福の一行が秦氏になったという説があります。

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和歌山県新宮市の徐福公園の徐福さん



そして彼が連れてきた3000人の集団がさまざまな技術を日本にもたらし、稲作、製鉄、養蚕、土木、酒造、流通などをもたらし、弥生から古墳時代になる礎を築いていったと思われます。

でもこの徐福さん、この人だけでブログが書けるのでぜひ後日また紹介したいと思います。



『記・紀』の記述で出てくる最古の秦氏

秦氏はいつごろ日本列島に入ってきたのでしょうか?古事記や日本書紀によると十五代応神天皇の時代に渡来してきたと記されています。古事記・応神天皇段には、まず「新羅人、参り渡り来つ」と記述されています。そして彼らを引率して建内宿禰が「百済池」を作らせたとあります。そのあとの記述で秦氏の祖先の渡来が記述されてきます。

 又、秦造の祖、漢直の祖、及び酒を醸造を知る人、名仁番、亦の名須須許理ら、参り渡り来つ。

 (口語訳)また秦氏の祖先や漢直の祖先で酒の醸造法を知っている人、名前を仁番(にほ)といい、亦の名前を須須許理(すすこり)というものが渡来した。

ここで考えてほしいことは、記紀でなぜ応神天皇期に多数の文献や技術や人がこの倭にもたらされたかです。これは私は応神天皇の母、神皇皇后が実在し、いわゆる「三韓征伐」を行い朝鮮半島諸国を屈服させたことによるものだとは思っています。ただ、それが近畿より大軍を派遣したのか、九州王朝より送ったのかはいまだに謎なのですが、、、





失われた十部族、佐伯好郎の研究

 1841年、アメリカニューヨークで、アサヘル・グラント著『景教徒は失われた十部族か』という非常に興味深い本が出版されました。詳細は 佐渡裕から失われた10 部族のなぞへ」 で記載しましたのでここでは割愛します。

1908年に東京文理大学学長でクリスチャンであった佐伯好郎は、日本に来た景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)に関して興味深い本を出版しました。彼によると、朝鮮半島を経由して4世紀に渡来した秦氏について「秦氏(秦一族)はユダヤ人景教徒(または古代キリスト教徒)であった」と主張しました。その根拠として次のような説明があります。

 秦氏の代表人物、秦河勝が中央アジアの弓月国(融通)から持ってきたという胡王面が兵庫県迫氏の大避神社に保管されているが、それには天使ケルビムの像が彫られている。

 日本書紀によると、七世紀、皇極天皇の世に秦氏のことが話題となり

「ウズマサさまは神とも神と聞こえ来る。常世の神をうちきたますも」

という和歌が民の間で歌われだしました。京都にこのウズマサという地名もありますが、このウズマサが佐伯氏はアラム語でイエス・メシアを意味する「イシュ・マシャ」からきていると説明しています。また、ウズマサ・・・ヘブライ語で「光のたまもの」という意味。ウズ・・・光、マサ・・・たまものという意味もあるそうです。

 京都の太秦にある大酒神社の由緒書きにはもともと大酒神社は大辟神社と書いており、「大辟」あるいは「大闢」の字は中国の景教ではダビデの意味であったそうです。


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パキスタン(イスラム共和国)のタッタ遺跡のもの、皇室紋章やユダヤ王家の石棺と同じ16菊花紋が刻まれている。



まあ、ムーに「失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎」とか「失われた古代ユダヤ王朝「大和」の謎」とかあるので、これらはかなりトンデモ説として研究者からは相手にはされない説なのですが、もしかしたらイスラエル十部族の王系の人々の日本到来の記憶が、ニギハヤヒの天孫降臨となって、さらには神武天皇の伝説の中に取り入れられたとしたらすごくロマンのあることではないでしょうかねえ。さらに太秦を通して秦河勝と聖徳太子といったように謎は深まるばかりです。


というわけでお待たせしました。次回は飛鳥時代の秦氏から秦河勝まで行きたいと思います。





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