2023年3月25日土曜日

蹴鞠の名手はどんな人? 今村紫紅「鞠聖図」 | 気になる |イマカナ by 神奈川新聞

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気になる 横浜美術館 アート彩時記(2) 蹴鞠の名手はどんな人? 今村紫紅「鞠聖図」

 おおらかにほほ笑む品の良い殿方は、平安時代後期の身分の高い公卿(くぎょう)の1人、藤原成通(ふじわらのなりみち)。彼は多くの技芸に通じたみやびな人で、なかでも「鞠聖(きくせい)」とまで称された蹴鞠(けまり)の名手でした。「成通卿口伝(なりみちきょうくでん)日記」から、蹴鞠の妙味と彼の並々ならぬその執着振りがうかがえます。

今村紫紅「鞠聖図」1911(明治44)年、紙本着色、2曲屏風1隻、147.4×145.6センチ、横浜美術館蔵
今村紫紅「鞠聖図」1911(明治44)年、紙本着色、2曲屏風1隻、147.4×145.6センチ、横浜美術館蔵

 この絵は、その日記に記された、緊張した不思議な夜の場面を題材にしています。まりを奉じたうたげが引け、静寂のなかで成通が日記を書こうと墨をすっていると、神棚のまりが転がり落ちます。目を凝らすと、まりを持つ童が3人。顔は人で手足は猿。その額には「春陽花(しゅんようか)」「夏安林(かあんりん)」「秋園(しゅうえん)」と蹴鞠の掛け声に通じるともされる文字がありました。成通が厳しい声をかけると、「まりの精」と名乗って、蹴鞠での難しい技の成就を助けましょうと言ったというもの。

今村紫紅「潮見坂」1915(大正4)年、絹本着色、軸、112.5×42.0センチ、横浜美術館蔵。紫紅らしい構図の大胆さと色使いが見られる1作
今村紫紅「潮見坂」1915(大正4)年、絹本着色、軸、112.5×42.0センチ、横浜美術館蔵。紫紅らしい構図の大胆さと色使いが見られる1作

 いにしえの高貴な人々の肖像をまとめた書「前賢故実(ぜんけんこじつ)」は、明治期に歴史画のお手本とされていました。そこでの成通は、まりの精と出会ったこの場面で、美青年風の立ち姿で表されています。しかしこの絵の作者、今村紫紅(しこう)は、それにならった成通を描いていません。

 紫紅は、今から約140年前、現在の横浜市中区尾上町に生まれた日本画家。柔らかな筆致や大胆な色使い、またそれまでにない解釈で取り上げた歴史画をはじめ、新鮮味あふれる革新的な絵画で、画壇に大きな影響を与えました。満35歳の若さで世を去りましたが、国の重要文化財指定の絵が複数あるほどその画業は高く評価されています。横浜美術館は彼の作品を数多く収蔵しています。

 紫紅は、まりの精を猿そのものに描き、緊張した場面をほのぼのとしたユーモラスな対面としました。また、3匹ともを画面に描かないことで、2匹に続いてもう1匹が画面の外から歩みを進めて画面に入って来るように感じられます。まるで動画を切り取ったよう。見る者は、絵に動きと時間を込めたこの心憎い工夫で、楽しく絵に引き込まれます。この絵が、歴史上の人物の特有な解釈と描き方の工夫を示す紫紅の意欲作であると納得させられます。(横浜美術館・八柳 サエ)

「藤原成通」菊池容齋『前賢故実』巻之六下冊1868年所載、横浜美術館美術情報センター蔵書
「藤原成通」菊池容齋『前賢故実』巻之六下冊1868年所載、横浜美術館美術情報センター蔵書

学芸員みちくさ話

 「横浜市電にも乗っていた」と言うと、どれほどの老人かと仰天されます。一応横浜育ちのつもりですが、"一応"と断るのは、今村紫紅が育った現在の同市中区、港を囲む「横浜の中の横浜」ではない後ろめたさからでしょうか。

 昭和40年代、郊外に広がった住宅地。磯子から大船まで延びた京浜東北線。その青1色の列車の車窓からは、海を見晴るかすスポットがあって、やっぱり横浜、とうれしくなったものです。毎朝、そこを通過するときには、海の色でその日の天気を占う。遠くに迫った雲を映して白っぽく見えたらお天気は下り坂、深い青なら、今日は晴れるぞ、と。

 みなとみらい21地区、港に向かって建つ横浜美術館。勤め始めたころには、風向きによってよく潮の香りが漂ってきました。そんなときは、ペリー提督も、岡倉天心も、今村紫紅もこの香りを吸い込み、海と共に在る気持ち良さを感じたかもしれない、海が時代をつないでいるなと思いました。海と共に在ること、それもまた、横浜美術館の魅力です。(八柳)

2022年2月21日公開 | 2022年2月20日神奈川新聞掲載

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