『「隠岐」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける(学研)《前編》
時が迫っているので、日本史に秘められた数々の謎が、一挙に連なって開示されているという感じの内容。その骨子となる内容は、藤原不比等の末であり平家の末でもある陰陽師(飛鳥昭雄さん)に指令を出している漢波羅秘密組織八咫烏によってもたらされているらしい。2022年3月初版。
【島後 ⇒ 隠岐の島】
名前がつけられなかったということは、呪術的に守られた、逆説的ではあるが、名づけられないことによって、島後は封印されてきた、世界中のだれにも気づかれることもなく、存在するが存在しない島とされてきたのだ。もちろん、そこには仕掛けた連中がいる。全てを見通した呪術師たちがいるのだ。(p.66-67)
島根県の北方50kmほど沖にある隠岐諸島に住む人々でさえ、西の3島からなる「島前(どうぜん)」に対して、東の1島からなる島を「島後(どうご)」と呼んでいたという。
平成の大合併の余波を受けて、2004年、改めて島後に「隠岐の島」という名前がつけられたことは、ある意味、必然だったのかもしれない。呪術にも限界がある。名を消したはずの島に名前ができたということは、そう「時」が来たのだ。(p.67)
《参照》 『空 舞い降りた神秘の暗号』 Mana (三楽舎)
【呪(しゅ)】
日本列島の"根"の意味をもつ"島根県"の沖に浮かぶ謎の島「隠岐」。
「隠岐の島」こそが、"日本列島の根"であることを示す数々の秘められた内容が示されているのだけれど、そのうちの幾つかは、下記リンクにもある。
《参照》 『特殊なこの国と天皇家の超機密ファイル』板垣英憲・飛鳥昭雄・他5名(ヒカルランド)《前編》
【隠岐の特徴】~【皇族と隠岐】
【隠岐を模した「金」と「銀」の「日月旗」】
日本の国旗は「日の丸」ですが、それは天照大神を祀る秦氏の神道が太陽だからで、古神道の物部氏の国旗は、隠岐を模した、東の陽の島後が金丸の「日」で、西の陰の島前が銀丸の「月」の「日月旗」でした。(p.226)
天皇の「即位式」にも隠岐を模した日月旗が、大錦旗として立てられます。(p.227)
金色の「日の丸」については、スピリチュアルな視点で下記リンクに記述されている。
《参照》 『皇人』 Ai (明窓出版) 《後編》
【『日の丸』と『君が代』】
【八咫烏と裏天皇】
神道の呪術は陰陽道に由来する。森羅万象をすべて陰陽二元論で語る陰陽道は、それ自体に表と裏がある。表の陰陽道に対して、裏は「迦波羅(かばら)」。表の陰陽師に対して、裏は「漢波羅(かんばら)」と称す。
天皇を裏で支え、この国を呪術的に支配する八咫烏は、まさに漢波羅秘密組織である。彼らは自称するとき、ひとりやふたりではなく、1羽2羽と数える。漢波羅秘密組織八咫烏は70羽から成る。彼らは「烏天狗」とも称す。
八咫烏には幹部12羽から成る「十二烏」があり、彼らは「大烏」と呼ばれる。さらに12烏のうち上位3羽は特別に「金鵄(きんし)」という称号を持ち、三羽烏でひとりの「裏天皇」として君臨する。公務などにより表の天皇が執り行なうことができない儀式は、すべて裏天皇が行っているという。(p.72-73)
12烏は、イエス・キリストの12使徒。
3羽烏(=金鵄)は、ペトロとヤコブとヨハネであり3人は御父、御子、聖霊の三神を象徴している。
ペトロは、天手力男命?
ヤコブは、天児屋根命で、中臣氏の祖先神。
ヨハネは、
聖ヨハネなら、天日鷲命=布刀玉命で、忌部氏の祖先神。
洗礼のヨハネなら、鏡と勾玉に関わる玉祖命。
《参照》 "八咫烏" に関する引用一覧
【伊勢三宮の伊雑宮】
磯部には磯部神社と並んで「伊雑宮」という古い神社がある。伊勢神宮ともゆかりが深く、14社ある別宮のひとつとされるが、内宮の主祭神に対して氏子たちは真っ向から反対する。伊雑宮は別宮どころか、本来は伊勢神宮の中心であり、まさに本宮だというのである。(p.89)
事実、そうなのだ。伊雑宮は本宮なのである。かの漢波羅秘密組織八咫烏が証言している。古代における神道は造化三神を祀っていた。伊勢神宮も、しかり。内宮と外宮、それぞれ3つの社殿が並び立っていた。社殿のみならず、中心となる神宮もまた、内宮と外宮、そして本宮である伊雑宮が存在したのだ。これを「伊勢三宮」という。・・・(中略)・・・。伊勢三宮が、それぞれ造化三神を主祭神としていたのだ。(p.90-91)
チャンちゃんの 伊勢神宮 参拝は、伊雑宮から始めるのが通例となっている。
【北極星は三連星だった!】
日本の神道は天の中心の北極星に向かって拝する「北斗信仰」だった。明治以前は主に「三礼三拝一礼」をもって「造化三神」を祀っていた。奇しくも、21世紀に入り、ハッブル望遠鏡が、ひとつ星に見えた北極星が実は三連星だったことを発見し、「神道」の正しさが実証された。(p.188)
【 表本宮=伊雑宮 と 裏本宮=籠神社 】
伊勢三宮にもまた、表と裏がある。内宮と外宮、そして「表本宮=伊雑宮」が「表伊勢三宮」ならば、「裏伊勢三宮」は内宮と外宮、そして「裏本宮=籠神社」から成る。籠神社が本伊勢を名乗っているのは、内宮と外宮、両方の元伊勢であるのみならず、裏本宮としての社格があるからなのだ。(p.91-92)
伊雑宮と籠神社の共通点は、裏神紋が「カゴメ紋」=「六芒星」であること。
六芒星が表社紋ではなく、裏社紋になっている理由は、ほかならぬ暗号である。カゴメ紋に伊勢神宮の秘密が隠されている。謎を解く鍵となるのが、古くから歌われてきた童唄「カゴメ唄」である。(p.93)
【鶴と亀がすべった】
童謡の「カゴメ唄」の歌詞の意味。
すべったとは「滑った」ではなく、「統べった」という意味。主体となる「鶴と亀」は、それぞれ伊雑宮と籠神社の象徴である「真鶴」と「海亀」を示している。『倭姫命世記』によると、かつて伊雑には一羽の白い真鶴がいた。口には奇瑞なる稲穂をくわえている。倭姫命は使いを送り、稲穂を伊勢神宮に奉納させ、真鶴がいた場所に摂宮を建立した。これが伊雑宮である。
一方の海亀は籠神社の神職を代々務める海部氏の祖先、倭宿禰にちなむ。記紀によれば、神武天皇が九州から畿内へ向かう途中、海亀に乗って釣りをする倭宿禰に出会った。倭宿禰の案内で、神武天皇は大和へ行くことができたとある。今でも、籠神社の境内には、海亀に乗った倭宿禰の像が安置されている。
よって、鶴と亀が統べったとは、伊雑宮と籠神社が本伊勢として認められ、広く知られるようになることを意味している。これを決定づけるのが「後ろの正面だあれ」という歌詞である。伊雑宮は内宮の本宮であり、籠神社は外宮の本宮である。そこで、伊勢神宮の内宮と外宮が、それぞれ向き合った状態だと仮定して、その後ろを延長していくと、どこにたどり着くか。そう、内宮は伊雑宮、外宮は籠神社に至るのである。(p.94-95)
《参照》 『もう隠さない《モーゼとイエスの国》JAPAN』 河合勝 (ヒカルランド)《後編》
【伊勢神宮の祀神】
【日本の最重要レイライン】
【 物部神道 と 秦神道 の 裏表 】
これが籠神社の神職、海部氏の「裏神道」である。表神道は八百万の神々を祀る多神教であるのに対して、裏神道は大元神を崇拝する一神教なのだ。いい換えれば、神道の顕教が多神教で、密教は一神教なのである。
ただし、・・・(中略)・・・もうひとつ、渡来人の秦氏による神道があるのだ。秦神道もまた、表が顕教の多神教であるのに対して、裏の密教は三神教なのだ。お察しのように、造化三神を崇拝する神道だ。(p.99)
この違いは、下記リンクを辿れば分かりやすい。
《参照》 『知られざる古代日本のユダヤと秘密結社』 飛鳥昭雄×中丸薫 (学研) 《前編》
【物部氏と秦氏】
【聖櫃アークとイスラエル三種神器】
契約の聖櫃アークのなかに納められた十戒石板とアロンの杖とマナの壺はユダヤ教における「イスラエル三種神器」でもある。(p.121)
《参照》 『日本人のご先祖様は聖書のアブラハム』 小石豊 (ヒカルランド)
【契約の箱】
ユダヤ教の祭祀に関してはアロンの子孫が召命されている。イスラエルの三種神器のひとつアロンの杖も、彼に由来する。・・・(中略)・・・。が、こと契約の聖櫃アークに関してだけは、モーセの子孫である必要があった。彼らは大予言者モーセだけが知っている重大な秘密を継承していたのではないだろうか。
実は、これが後々、重大な意味を帯びてくる。ユダヤ教神秘主義カッバーラだ。ユダヤ教と原始キリスト教を結ぶ重大な秘密が契約の聖櫃アークには隠されている。・・・(中略)・・・。
カッバーラの奥義は「生命の樹」で象徴される。「生命の樹」の基本構造は三本柱である。柱は神である。よって、三本柱は絶対三神の存在を明確に示している。大予言者モーセは、それを知っていた。
三種神器は絶対三神の象徴だ。具体的に、アロンの杖が御父エル・エルヨーンで、十戒石板が創造神ヤハウェ=イエス・キリスト、そしてマナの壺が聖霊コクマーである。三種の神器によって、ユダヤ教の裏の密教は三神教であることを暗示していたのである。(p.127)
『旧約』(ユダヤ教)の時代に生きたモーセは、ヤハウェの一神教を取り継いでいたのだけれど、ユダヤ教神秘主義のカッバーラは、三柱(=三神)を基本としていた、🐭こと。父と子と聖霊の三位一体を説くイエスの出現を、カッバーラは預言していた、🐭ことだろう。
日本においては、物部神道(国津神)から秦神道(天津神)への委譲(国譲り)として起ったこと。
《中編》 へ
https://ameblo.jp/chanchanyanagiame/entry-12774833808.html
『「隠岐」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける(学研)《中編》
《前編》 より
【秦始皇帝は、モーセの血を引いていた】
秦始皇帝は璽を手にしていた。璽とは契約の聖櫃アークである。ネボ山の洞窟に隠されていた契約の聖櫃アークは密かに運び出され、なんと中国にもたらされていたのだ。・・・(中略)・・・。
八咫烏の言葉が正しければ、秦始皇帝は封禅の儀式にあたって、契約の聖櫃アークを使ったに違いない。・・・(中略)・・・。ならば、秦始皇帝自身、ただのレビ族ではなく、モーセの血を引く予言者だった可能性がある。事実、始皇帝が牛を燔祭として神にささげた伝説までが残っている。(p.144)
始皇帝がでてくれば、ペアのように語られるのが徐福だけれど・・・
《参照》 『特殊なこの国と天皇家の超機密ファイル』板垣英憲・飛鳥昭雄・他5名(ヒカルランド)《後編》
【始皇帝と徐福】
【徐福によって日本に運ばれた裏アーク】
「璽はひとつ所に置けば災いをなすゆえ、秦始皇帝は予言に従い、璽をふたつに分け、瀛州の蓬莱山のある聖地に移し奉り、そこを世界の中華となそうとしたのだ」(p.145)
契約の聖櫃アークは、表アークと裏アークに分けられたという。
表アークは、蓋が本物で、中に十戒石板が、
裏アークは、箱が本物で、中にアロンの杖が入っていたという。
表アークは秦始皇帝が管理し、裏アークを東海に浮かぶ蓬莱山へと運び込んだ。
密命を受けたのは道教の方士、徐福である。(p,146)
徐福の目的は、裏アークを日本に運ぶこと。不老不死の仙薬探しなど、どおでもいい単なる脚色。
徐福は斉の出身であったが、秦始皇帝と同族であった。ともに姓は「嬴(えい)」である。始皇帝がレビ族であったように、徐福も道教の方士という肩書からわかるように、祭祀を行うレビ族だった。・・・(中略)・・・。
うまくできたもので、どうも徐福はアロンの直系らしい。兄アロンの直系子孫である徐福がアロンの杖が入った裏アークを継承し、弟モーセの直系子孫である秦始皇帝が十戒石板の入った表アークを管理することになったのだ。(p.147)
秦始皇帝の命により、徐福によって日本に持ち込まれた裏アークに入っていたのは「アロンの杖」。
「日本人が、神によって守られることは、預言どおりに、キッチリ徐福によって伏線が敷かれていたのだ」🐭ことを理解するために、「アーロンの杖」に関する下記リンクを辿ってください。
《参照》 『H.G.ウェルズの予言された未来の記憶』 五島勉 (祥伝社)《後編》
【「アーモンドの花」の意味】
【幕屋、メノラー、聖櫃アーク】
当初、旅をするイスラエル人たちには神殿がなかった。あるのは移動式のテントを利用した「幕屋」だった。幕屋の内部は大きくふたつに分かれていた。入り口に近いほうを「聖所」、奥のほうを「至聖所」といった。
幕で仕切られた内部に入ると、そこには生贄を捧げる台と身を清める洗盤がある。中央にはテントがあり、聖所には七枝の燭台メノラーと香壇、供物を置く机が置かれている。さらに、仕切りの向こうの至聖所に安置されるのが契約の聖櫃アークである。(p.121)
契約の聖櫃アークの中に納められているイスラエル三種神器中で、国を拓き造る上で最も重要なのは、神威ある兵器ともいえる「アロンの杖」と言えるだろう。ゆえに、三種神器が分けて運ばれる際、幕屋内で聖所に置かれていたメノラーは、常にアロンの杖と共に運ばれたことだろう。本書も、メノラーは徐福によって日本に運ばれたと記述している。
なお、至聖所の前に置かれたのが "メノラー、香壇、供物を置く机" とあるけれど、メノラーを花に置き換えれば、日本の一般的な祭祀になるだろう。そう、メノラーはその形状から華道の原型になっている。
【アマミキヨの正体は・・】
徐福は紀元前219年、山東半島から東海を目指し、最初に上陸したのは沖縄だった。沖縄本島の南に久高島がある。伝説によれば、ここに琉球神話の始祖であるアマミキヨが上陸し、初めて国作りを行ったとされる。実は、創世神ともいうべきアマミキヨの正体は徐福である。徐福は久高島を聖地とし、その対岸にある斎場御嶽に裏アークを安置して、創造神ヤハウェを祀った。(p.147-148)
《参照》 アマミチューの墓
八咫烏によれば、言霊的に、最初の上陸地である沖縄は、「隠岐の注連縄」の隠岐縄であるという。隠岐にとっての玄関口とでもいうべき島が隠岐縄なのだという。(p.148)
裏アークに入っていた「アロンの杖」が辿った経路は、山東半島⇒沖縄⇒奄美⇒沖ノ島⇒隠岐⇒籠神社⇒出雲大社(天叢雲剣)⇒熱田神宮(草薙剣)ということか。
いま、熱田神宮の草薙剣は、物としても霊威としても、伊勢神宮に移されているだろう。
《参照》 『菊理媛と共に宇宙無限大に開くドラゴンゲート』龍依~Roy(ヒカルランド)《中編》
【熱田神宮の境内摂社にて】
【3つの秦人】
朝鮮半島にやってきた秦人は一派だけではない。少なくとも、3つの秦人がいた。・・・(中略)・・・。
3つの秦人は互いに々イスラエル人であることを認識している。というもの、そのしるしがあったからだ。秦帝国からの亡命秦人には表アークがあり、なかには十戒石板が入っていた。騎馬民族となった秦人、ガド族にはマナの壺があった。そして、エルサレム教団の秦人には血染めの十字架、すなわちイエス・キリストが磔になった聖十字架を手にしていたのである。
なかでも、表アークの存在は、よほど印象が強かったのだろう。朝鮮半島の始祖伝説に黄金櫃として登場する。・・・(中略)・・・。いずれも表アークがモデルになっている。(p.154)
・・・(中略)・・・にした箇所には、脱解王、金閼智、金首露の逸話が書かれている。
3つの秦人のうち、エルサレム教団の流れを汲む秦人は原始キリスト教徒であり、自らを秦氏と名乗っている。
《参照》 『日本人ならぜったい知りたい十六菊花紋の超ひみつ』 中丸薫・他
【秦氏】
【日本は神道だが、神道はもとはユダヤ教である】
【3つの秦人たちが目指した日本】
朝鮮半島にやってきた秦人には目的があった。日本である。聖地エルサレムからやってきたイスラエル人たちは創造神ヤハウェの啓示に従い、極東を目指してきた。預言者イザヤの預言には、こうある。この世の終わりに、東の果てにある海の島々からひとつの国を挙げて、失われたイスラエル人たちが帰ってくる、と。条件に合う国は日本しかない。ここに、イエス・キリストが語る羊たちがいる。日本は集合場所であり、いわば極東イスラエルなのである。(p.155)
イザヤの預言にある「この世の終わりに・・・」という内容は、近未来にかかわる極めて重要なポイントであり、本書のエピローグ(最終記述)となっていることなのだけれど、下記リンクのみ付けて先に進みます。
《参照》 『特殊なこの国と天皇家の超機密ファイル』板垣英憲・飛鳥昭雄・他5名(ヒカルランド)《後編》
【最終的に、天皇陛下は・・・】
で、3つの秦人たちは、日本のどこに集合したのだろう。
宇佐神宮には、かつて十戒石板とマナの壺、そして聖十字架が安置されていたのだ。(p.156)
その後、表アークは、伊勢神宮に移されたらしいことが下記リンクに記述されている。
《参照》 『知られざる古代日本のユダヤと秘密結社』 飛鳥昭雄×中丸薫 (学研) 《後編》
【聖櫃(アーク)の在処】
《参照》 宇佐神宮(宇佐八幡)
【日本に渡来した古代イスラエル(ユダヤ)人の2グループ】
渡来した古代イスラエル人の2つを「まとめ」ておくと、
『旧約聖書(ユダヤ教)』 『新約聖書(原始キリスト教徒)』
徐福(物部氏の祖) 3つの秦人(秦氏)
物部神道 秦神道
ニギハヤヒ命 神武天皇
裏アーク 表アーク
アロンの杖、メノラー 十戒石板、マナの壺、聖十字架
紀元前3世紀 紀元4世紀
《参照》 『空海は古代ユダヤの錬金術師だった』 月海黄樹 (徳間書店) 《前編》
【日本に渡来した2つのユダヤの系譜】
【真アークと権アーク】
すべてのイスラエル三種神器は集合し、改めて真アークに納められた。権アークは空のままであったが、ここで別の意味での形代が作られる。日本三種神器である。神道では天皇の王権を示すレガリアとして、八咫鏡と天叢雲剣=草薙剣と八尺瓊勾玉が掲げられ、しかるべき場所で奉斎されている。これらは、いわばイスラエル三種神器の形代である。いずれも原始キリスト教の絶対三神と秦神道の造化三神が同一神であることを象徴しているのである。
「御父:エル・エルヨーン=エロヒム:天之御中主神:天叢雲剣=草薙剣:アロンの杖」
「御子:ヤハウェ=イエス・キリスト:高御産巣日神:八咫鏡:十戒石板」
「聖霊:コクマー=ルーハ:神産巣日神:八尺瓊勾玉:マナの壺」 (p.162-163)
《参照》 日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】
【 御御輿とその中身 (神社の御神体) 】
【ガド族とレビ族(天皇と祭司)】
イエス・キリストから王権を神授したことで、失われたイスラエル10支族のガド族の王はミカドとして倭国に君臨することになる。初代・神武天皇はイスラエル三種神器が入った真アークを手にし、これを宮中に置いた。
ただし、神武=崇神=応神天皇はガド族であって、レビ族ではない。直接、祭祀を執り行うことはできない。真アークを管理したのはモーセの血を引く大司祭だった。記紀神話では「武内宿祢」と呼ばれる。徐福の大司祭がアロン系の倭宿祢であったように、応神天皇の大司祭はモーセ系の武内宿祢だった。
八咫烏によると、宿祢を旧字で書くと「宿禰」で、ここにある「宿」は幕屋を意味し、そこに安置されていた契約の聖櫃アーク、すなわち「璽」を奉斎することを「禰」で表現しているのだという。(p.163-164)
武内宿祢は、現在、宇倍神社に祀られている。
《参照》 宇倍神社(因幡国一之宮)
《後編》へ
『「隠岐」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける(学研)《後編》
《中編》より
【瓢箪】
籠神社は代々、瓢箪をシンボルとして掲げてきた。日本では瓢箪は縁起物のひとつだが、そのルーツをたどるとエルサレム神殿に行きつく。ソロモンが建設したエルサレム神殿は瓢箪の装飾に囲まれていたのである。・・・(中略)・・・。
もちろん、象徴ゆえ、ほかにもたくさんの意味がある。瓢箪島だ。海にある奥宮、冠島と沓島のほか、隠岐もまた瓢箪島である。隠岐はユダヤの龍宮城であり、裏アークが安置された聖地である。(p.165)
籠神社の奥宮である冠島と沓島は、グーグルマップの航空写真で見ると海の浅い部分が瓢箪のように見える。海水面が数メートル下がれば、両島はつながって瓢箪島になってしまう。島前、島後からなる隠岐の島についても同様。
さらに、籠神社の海部光彦宮司が語ったように、瓢箪は容器でもある。上部が蓋で、下部が甕。童唄『カゴメの唄』の解き明かしでは、瓢箪の蔓=鶴、甕=亀という意味だとも語った。ここでは瓢箪が液体を入れる容器、そう壺に見立てられている。もちろん、マナの壺である。(p.165)
イスラエル三種神器のひとつ、マナの壺について、以下のように書かれている。
大和朝廷を開くにあたって応神天皇は大邪馬台国の王家である海部氏に入り婿する形で王権を継承した。このとき、皇后の実家である海部氏にマナの壺を渡している。倭宿祢以来、裏アークとアロンの杖を奉斎してきた海部氏は天皇家の外戚としてマナの壺を授かり、徐福が開いた籠神社に安置した。(p.165)
【御杖代、御船代】
斎王である豊鍬入姫や倭姫が御杖代と呼ばれるのは、権アークの中にはアロンの杖がなかったからだ。アロンの杖の代わりとなって奉斎するという意味が込められていたのだ。
最終的に十戒石板が納められた権アークは伊勢の五十鈴川のほとりに落ち着く。現在の内宮が建立され、その地下殿に権アークと十戒石板は安置される。日本三種神器において、十戒石板は八咫鏡である。内宮の正殿に安置されている八咫鏡を入れた容器のことを「御船代」と呼ぶ。代とあるように、これは形代である。本物は「御船」と呼ぶ。地下殿に祀られた契約の聖櫃アークのことだ。(p.172)
「御船代」は「権アーク」で、「御船」が「真アーク」。
"代"が付くのは「日本三種神器」で、付かないのは「イスラエル三種神器」。
地上の正殿にあるのは「日本三種神器」で、地下殿にあるのが「イスラエル三種神器」ということだろう。
《参照》 日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】
【 御御輿とその中身 (神社の御神体) 】
【四国の忌部氏】
四国は神道祭司、忌部氏の拠点となる。忌部氏は、みなレビ族である。日本列島におけるメルカバ―である四国にレビ族が集められ、神道祭祀に必要な物が生産された。忌部氏は祭祀に必要な祝詞の紙から神社の建物まで、すべてを作り出すテクノクラートであった。早い話、フリーメーソンである。彼らはヘブルメーソンなのだ。
当然ながら、そこにはモーセ系はもちろん、アロン系の大司祭がいた。彼らは忌部氏のなかでも天皇即位の儀式、大嘗祭を取り仕切る一族だった。大嘗祭に必要不可欠な服は忌部氏の三木家だけが作ることが許された。
レビ族が集められた理由、それはほかでもない、剣山を中心とした四国が聖地であったからにほかならない。・・・(中略)・・・。隠岐と同様、四国は要である。ノアの大洪水以前から、ここは聖なる土地なのである。(p.176)
《参照》 『菊理媛と共に宇宙無限大に開くドラゴンゲート』 龍依~Roy (ヒカルランド) 《後編》
【天日鷲命】
《参照》 『もう隠さない《モーゼとイエスの国》JAPAN』 河合勝 (kヒカルランド)《後編》
【四国からユダヤへ渡ったレビ族】
【天海の作為】
南北朝時代に、事件が起こる。・・・(中略)・・・。権アークは北朝、それを背後で操る足利氏が奉斎したというのだ。
これには後日談がある。足利氏がもつ権アークは、江戸時代、ひとりの僧侶によって外へと持ち出される。天台宗の南光坊・天海である。天海の正体は織田信長を討った明智光秀である。彼の死には謎が多いとされるが、それもそのはず、出家して天海になっていたのである。もともと、明智光秀は八咫烏である。漢波羅秘密組織八咫烏から政治的な野心をもって飛び出したはぐれ烏の一羽だった。
天海は西の伊勢神宮に対して、東の日光東照宮を建立した。伊勢神宮の主祭神が天照大神に対して、日光東照宮は東照大権現である。言霊的に、天照=アマテラスに対して、東照=アズマテラスと陰を踏んでいるのだ。天海は東国の伊勢神宮を建設すべく、ここに権アークを運び込んだのである。(p.186)
天海=明智光秀は、もう広く認識されているだろう。
《参照》 『世界支配者vsライトワーカー』サアラ×玉蔵(ヒカルランド)《4/4》
【比叡の人脈】
しかし、権アーク(日本三種神器)が、天海によって日光東照宮に運び込まれたというのは、ぶっ飛び級の話🦆。
《参照》 『古代天皇家「八」の暗号』 畑アカラ (徳間書店) 《後編》
【家康は北極星】
《参照》 『裏天皇、八咫烏、南朝系、今こそ天皇家の真実を話そう』張勝植(ヒカルランド)《1/3》
【日光東照宮】
【 葵祭 と 藤祭 (カモ神社 と コノ神社)】
籠神社の伝承によれば、葵祭の元は藤祭であるという。藤祭は今も、葵祭と同時期に籠神社で行われる祭礼である。下上賀茂神社の葵祭では髪に葵の葉を飾るのに対して、籠神社の藤祭では藤の花を挿す。
藤とは不死のこと。天岩戸開きによって甦った天照大神、復活して不死不滅となったイエス・キリストを象徴しているのである。(p.247)
【桃太郎伝説(メノラー強奪事件)】
徐福が裏アークを隠岐に運んだ際、いっしょに携えてきたメノラーは玉若酢命神社に安置された。以来、ずっとメノラーは玉若酢命神社のご神体とされてきたのだが、第70代・後冷泉天皇の時代、事代主命と称して、八咫烏たちが強引に外へ運び出したのである。
隠岐の人々にとってみれば大切な御神体を奪っていった悪党だが、八咫烏に逆らうことはできない。いともあっけなく、七枝の燭台メノラーは隠岐から対岸の出雲へと運ばれていった。玉若酢命神社の祭神として事代主命など、出雲の神々が配されているのは、この故事に由来する。八咫烏は自らの足跡を祭神として刻ませたのである。
意外かもしれないが、一連のメノラー強奪事件を物語にしたのが「桃太郎伝説」である。桃太郎が鬼退治に向かった島、その名も鬼ヶ島は隠岐のことなのだ。鬼という字も、本来は隠という意味である。隠岐は「隠が島~鬼ヶ島」なのである。(p.284-285)
猿、雉、犬に関する謎解きも書かれているけれど、陰陽道を根拠とするそれらは他でも読んだことがある。しかし、桃太郎が目的としていたのがメノラーだったという内容は斬新。
なぜメノラーを運び出したのか? 『聖書』の箴言にある記述を預言とし、八咫烏はそれに則して動いたのだという。
【 出雲大社 と 神魂神社 (メノラー と ハヌキヤー)】
出雲大社の本殿の天井には7つの雲が、神魂(かもす)神社の天井には9つの雲が描かれている謎について。
雲は燭台から立ち上がる炎から発せられるもの。7つの雲は七枝の燭台メノラーを意味している。同様に、9つの雲は九枝の燭台「ハヌキヤー」のことである。(p.290)
メノラーが御神体としてやってきたことを受けて、それまであったハヌキヤーは神魂神社へと遷された。(p.291)
ハヌキャーは、紀元前二世紀、シリアによって蹂躙されたソロモン第二神殿を奪還したことを記念した宮清めの祭り「ハヌカー」で使用された燭台のこと。秦氏が日本に持ち込んだものであり、天孫族である秦氏が物部王国を征服し、出雲大社を建設する際、本殿に安置したものだと書かれている。
神魂神社については、下記リンクで。
《参照》 『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』 天無神人 (ヒカルランド) 《後編》
【神魂神社(かもすじんじゃ)】
【出雲大社とピラミッド(日本とエジプト)】
出雲大社は何度も倒壊を繰り返してきたけれど、社伝によると、最初は96m、次は48m、そして現在は24mになっている。
これは飛鳥昭雄が八咫烏から直接、聞いた話である。確かに、96mにもなる上古出雲大社は存在しなかった。出雲にあったのは、48mの中古出雲大社からである。・・・(中略)・・・。あったのは日本ではなく、古代エジプトである。・・・(中略)・・・。
なかでも、もっとも高い第1ピラミッド、つまり大ピラミッドこそ、実は出雲大社の原型なのだ。(p.303)
中古出雲大社の本殿と階段が大ピラミッドの玄室と大回廊の構造と一致する一方で、上古出雲大社は、その倍の96mの位置に本殿がある。同様に、大ピラミッドの地上96mの位置には何があるか。
実は、そこに隠されたもうひとつの玄室がある。そこへと至る大回廊は存在しない。ただ玄室のみがあり、そこに王の間と同様、石棺が置かれてる。(p.305)
《参照》 『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』飛鳥昭雄・三神たける(学研)《後編》
【エノクが著した『知識の書』とピラミッドの閉じた玄室】
【『知識の書』とモーセ】
【八咫烏の歴史】
場所も時間も異なる古代において、全く同じ構造の神社建築として再現できたのは、なぜか。いったい、誰が設計図を描いたのか。描くどころか、それが大ピラミッドと同じ構造だという認識を持つことなど、ほとんど不可能だ。
超能力者でなければ、可能性はひとつしかない。漢波羅秘密組織八咫烏の歴史は、古代エジプト文明に遡る。いや、それだけではない。三大ピラミッドが古代エジプト文明以前の産物だとすれば、さらにさかのぼる。超古代フリーメーソンである。八咫烏はヘブルメーソンの本流である。ノアの大洪水以前、アダムメーソン以来の伝承を記録として保持しているならば、すべて説明がつく。(p.304)
そう、大嘗祭も、その本質はエジプト起源である。
《参照》 『裏天皇、八咫烏、南朝系、今こそ天皇家の真実を話そう』張勝植(ヒカルランド)《1/3》
【オベリスクのある甲府城(舞鶴城)で大嘗祭】
【秦氏:エジプト⇔高句麗⇔日本】
《参照》 『光と闇 二元の統合』 サアラ (徳間書店) 《後編》
【「大嘗祭」は「死と再生の儀式」】
【ミルラ】
《参照》 "八咫烏" に関する引用一覧
【終末の引き金としての隠岐】
隠岐は文字通り「隠された岐」。「岐」とは「くなど」と読み、来てはならない場所を意味する。それゆえ、有史以来、名前がつけられることはなかった。無名の島として、ひっそりと隠されてきたのだ。
しかし、時代は令和である。名前のなかった島後に「隠岐の島」という名前がついた。隠されたオノゴロ島が命名されて、呪術の対象となった。時は至れりと判断した漢波羅秘密組織八咫烏は飛鳥昭雄をもって、オノゴロ島の封印を解く儀式を執り行なった。
八咫烏によれば、これは、ある意味で露祓いである。・・・(中略)・・・。
「露祓いの前口上が行われたならば、最後の天皇陛下は世界の臍である隠岐の扉を完全に開くことになる。隠岐はオノゴロ島であり、世界を興し、かつ滅ぼす陰陽の要石にほかならない。隠岐の箍が外れたならば、世界は未曽有の大激変の中で滅亡するのだ」(p.325)
隠岐は、地球科学的に見て非常に珍しい地質であり、本来なら分厚い地殻の下にあるマントルが地表に露出している所があるのだという。ということは、隠岐は、地球内部と特殊なエネルギーで繋がっているといえる。
八咫烏は隠岐を世界の臍だと表現した。隠岐を雛形とする世界大陸において、臍に相当するのは、どこか。地表における地球の中心はふたつ。北極と南極である。このうち陸地があるのは、南極である。・・・(中略)・・・。雛形論において、なぜか南極に対応する日本列島がない。・・・(中略)・・・。隠岐である。島後が南極大陸なのだ。
将来、地殻変動が起こり地球内部からマントルプルームがプラズマ流とともに島後に噴出したとき、これが引き金となって南極大陸にも異変が起こる。南極大陸の火山が大噴火を起こし、気温が上昇。分厚い氷床が溶け出し、地球の温暖化が加速するとともに、一気に海面が上昇するだろう。・・・(中略)・・・。まさに黙示録世界の幕開けである。(p.327)
《参照》 『現代版「ノアの方舟」を建造せよ!』 河村隆一 (ライトワーカー)
【南極の氷床溶解は、火山活動によって起こっている】
《参照》 【鍵】バシャール 【日本へのメッセージ】
<了>
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