⑨『やって来たユダヤの民』ANYAチャンネル
実にバランスよく纏った動画で敬服いたします。
那覇はヘブライ語で安息、安住の意味らしいですし、与那国の与那は旧約のヨナかもしれません。
前回扱われた徐福には失われた十支族のひとつとされる羌族(ゾミア?)と関係があるという説があり、
邪馬台国論争とは別に検証する価値があります。
羌族についてはどうも開封より日本人の研究は遅れているようです。
何よりも中国王朝が代々受け継いだユダヤ式の燔祭は日本にも受け継がれており、日本においては物部神道へと繋がり得ます。
この日本史における燔祭の隠蔽が曲者なのです(『日本書紀』『続日本紀』に辛うじて燔祭の記事が残っています)。
酒(裂?)船岩などにも燔祭台という説がありますがまだ検証不足です。
阿波=邪馬台国が秘密にされたのは宗教儀礼を全うするためと、現存する天皇制の神秘化のためでしょう。
アラタイはキリストの聖骸布の模倣という説があります。
こうなると沖縄と違い新約以降の時代、秦氏が関係します。
海路
徐福(2回)
秦氏
このようにユダヤ人渡来には大きく3波があり(5派とする人もいる)、徐福渡来はさらに2回複箇所に分かれるということでしょう。
ちなみに羌族へは北イスラエル王国から、開封へは南ユダ王国から来たと言われています。
これを考慮すると陸路がさらに分かれます。
今回の動画で沖縄へはフェニキア船団譲りの海路しかないと確信しました。
それとは別に古代イスラエル→徐福→海部→邪馬台国→物部
このラインがあり得るかが課題です。その際羌族がポイントです。
羌族のいる四川省の石積みの形式は神明神社に近いです。
(淡路島の遺跡を見ると沖縄系統に近いとも感じますが。)
0 件のコメント:
コメントを投稿