海部氏を訪ねて~籠神社@京都
こちらが前回のブログです。
徐福を祀った新井崎神社を訪れ、
どうやら徐福はスサノオかもしれないということ
そして
スサノオ=徐福=火明命=饒速日命
これを辿るには
現存する子孫である海部氏から辿る必要がある…
…ということで
海部家が宮司家を務める
元伊勢籠神社を訪れたわけです。
もう参道を歩くだけで
奥から気が溢れてるのが分かります。
やばいぞここは。
大和さざれ石を発見。
阿吽一対の狛犬。
力強さ満点。
そして…ここから先は撮影禁止。
菊の紋、十六菊花紋が2つ。
御朱印も頂く。2種類あります。
で、今回最も重要なのがこちら。
この像は、倭宿禰命(やまとすくねのみこと)。
一体誰なんでしょうか。
別名・珍彦・椎根津彦・神知津彦
籠宮主祭神天孫彦火明命第四代
海部宮司家四代目の祖
神武東遷の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現われ、
神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、 幾多の献業に依り大和建国の第一の功労者として、 神武天皇から倭宿禰の称号を賜る。 外に大倭国造、倭直とも云う。
大倭の字音は、後の大和の(やまと)の国号に深い関係があると云われる。
亀に乗ったお姿は応神朝の海部の賜姓以前、
海人族(あまぞく)の始原の一面を語り、又海氏(あめうじ)と天系(あめけい)との同一出自をも示唆するようである。 御神徳で人生先導、事業成就、健康長寿、平和招来、海上守護
元伊勢籠神社
八十二代宮司海部光彦
海部氏の先祖の一人が
大和建国の第一功労者であったばかりでなく
前回のブログに載せたこちらの画像を
改めて見てみると…
饒速日命=彦火明=徐福だとすると
徐福の子孫が
この倭宿禰命ということになります。
確かに
亀に乗って海から現れたとすると
遥か中国から海を渡ってやって来た、
とも取れますし、
新井崎神社から見える冠島から
やって来たとも取れますね。
そしてここ↓
海氏(あめうじ)と天系(あめけい)との同一出自をも示唆するようである。
スサノオ=徐福とすると
天照大神は兄弟にあたります。
それを暗に示してるこの説明の意味は
イザナギとイザナミという両親は一緒ですよね、
つまり同一出自ですよね、ということでしょう。
でも、徐福=饒速日命だとすると、
饒速日命は天照大神の孫なので、
辻褄が合わなくなります。
これは…深過ぎる。
神話は事後の創作に違いないので
無理やり辻褄を合わせようとして
そうならなかった可能性も捨て切れない。
もう少し海部氏の史実から
遡れないか…と思い、
籠神社でこちらを購入しました。
海部穀定
元初の最高神と大和朝廷
いいお値段します🎵
籠神社にてひっそりと
いろいろな書籍が売られています。
よもやま話を
面白おかしく論じる方々もいますが、
妄想レベルではそれで楽しいとして
僕はちゃんと文献などを読んで
実際に訪れたり
調べたくなってしまう質なんです。
また何か分かれば書きたいと思います。
そして余談ですが
重要文化財に指定されている海部氏の系図には、
彦火明命(ヒコホアカリノミコト)=徐福の九世の孫として
「日女命(ヒメノミコト)」の名が記されています。
この日女命の又の名が卑弥呼ともいわれる
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトビモモソヒメ)なのです。
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