https://www.amazon.co.jp/-/en/吉田大洋-ebook/dp/B07Y21XBFL/ref=sr_1_1?crid=18V1VNFEHWJG0&keywords=吉田大洋著書+「謎の出雲帝国」+「家紋の源流」&qid=1672892901&s=digital-text&sprefix=吉田大洋著書+謎の出雲帝国+家紋の源流+%2Cdigital-text%2C168&sr=1-1
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司馬遼太郎「生きている出雲王朝」に登場するW氏こと富當雄氏が情報提供元の本です。興味深い本ですが、古事記がシュメール語で読めるという時点で本書の信頼度は著しく下がってしまいます。富家口伝について知りたい人は大元出版の斎木雲州氏の著作「出雲と蘇我王国 : 大社と向家文書」「出雲と大和のあけぼの : 丹後風土記の世界」などを当たった方がいいかもしれません。
比較して気づいた部分としては
「謎の出雲帝国」が吉備をヒボコ系としてるのに対し、斎木氏の著作では吉備は奈良のカツラギ王国から別れた出雲と同系
「謎の出雲帝国」が春日氏をヒボコ系としているのに対し、斎木氏の著作では出雲臣系、
といった点が挙げられます。
斎木氏の著作の内容を要約すると、スサノオは徐福だったとしています。秦の始皇帝の命で不老不死の薬を蓬莱島に探しにいったまま帰らなかった道士です。この徐福によって八千矛(主王)と事代主(副王)が殺されたとしています。八千矛は大国主命の別名です。徐福は二度目の来日で北部九州に定着し、物部氏の祖(ホアカリ/ニギハヤヒ)と呼ばれるようになったとのことです。
比較して気づいた部分としては
「謎の出雲帝国」が吉備をヒボコ系としてるのに対し、斎木氏の著作では吉備は奈良のカツラギ王国から別れた出雲と同系
「謎の出雲帝国」が春日氏をヒボコ系としているのに対し、斎木氏の著作では出雲臣系、
といった点が挙げられます。
斎木氏の著作の内容を要約すると、スサノオは徐福だったとしています。秦の始皇帝の命で不老不死の薬を蓬莱島に探しにいったまま帰らなかった道士です。この徐福によって八千矛(主王)と事代主(副王)が殺されたとしています。八千矛は大国主命の別名です。徐福は二度目の来日で北部九州に定着し、物部氏の祖(ホアカリ/ニギハヤヒ)と呼ばれるようになったとのことです。
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Reviewed in Japan 🇯🇵 on August 22, 2018
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成る程と思いました。そして出雲王朝の末裔の方がこの日本で生きて下さって有り難いと思いました。古代天皇家から継承する末裔の方々の復活を願って居ます。そして天皇家と共に亀万年、鶴千年、カゴメ唄の様に日本国の歴史を培ってきた王朝同士に弥栄がございます様に。Report abuse
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2.0 out of 5 stars 誤説など多々あり。旧出雲王国の東西2王家(富王家 、神門臣王家)の伝える史実を伝承する役目を専ら受け持った東出雲王家(富家)。その富家の史実と全く異なる誤説がたくさん掲載されています。
Reviewed in Japan 🇯🇵 on July 5, 2018まずは大元出版の 出雲と蘇我王国 の最初の方を御覧下さい。(著者 斎木雲州さん)
著者が富マサオさんとどういう関係なのか、あるいは謎の出雲帝国がどうしてこういう内容になったのかにも触れてあります。アマゾンなどで大元出版と検索してみて下さいませ。
謎の出雲帝国では、本文中はもちろんの事、巻頭の歴史年表、巻末の伝承まとめでさえ誤った内容がたくさん掲載されています。私はこの本に、結果的には十数年振りまわされました。(関連:新装版 竜神よ~ 、大元出版新刊◎◎絶版本の内容含む 出雲王国とヤマト政権◎◎ ) (新装版 吉田大洋氏第2弾 竜神よ我に来たれ レビュー) ・吉田大洋さん 謎の出雲帝国のレビュー等も御参考になさって下さい。この本にも誤記誤説が多々あります。紀元前219年頃秦国から移住して来た徐福、手下ホヒ。この時は8代目出雲王 八千矛王の時代でありました。・・・吉田さんの本と比較すると、旧出雲王家ダイレクトと表現出来る 大元出版の各著書では、時期年代などがハッキリしていてわかりやすい。(レビュー最後に大元出版の著書名を列記しています。)神代の世であるとか、何万年前であるとか、幻想を抱かずに済みます。 神話 というものは、過去の現実 1、出雲王国の存在に関する事 2、8代目出雲王の時代に秦国から移住して来た、徐福と秦国人渡来大集団に関する事 ・・・の 2大史実 を 日本史から除外する 方針を中央が決めた為、史実隠し目的 で作成されたとの事です。(過去の人物、起こった事などの 何か を匂わせている。正確ではない。人間の先祖はずっと人間、4000年前も人間。) 秦国から移住して来た道教の方士 徐福 、手下ホヒ。渡来時期は紀元前219年頃。この時は8代目出雲王 八千矛王の時代だった。900年以上後、奈良時代の記紀編纂にあたり、かつての秦国人渡来大集団の頭 徐福 に スサノオ という仮名が当てがわれた。徐福とストレートに表記すると、900年も前の事ではあるが、彼らが出雲王国内で起こした悪行・大事件(徐福の指示でホヒとその息子タケヒナドリ=イナセハギが指揮実行) を人々が思い出すからであった。この事件では尊い8代目の出雲王がほぼ同時にお亡くなりになった。(主王の西出雲王家出身 八千矛王のちの大国主と、副王の東出雲王家出身 八重波津身王のちの事代主。ちなみに2人は親子ではない。) 716年創建の杵築大社(出雲大社)建立前に、右大臣 藤原不比等から渡来系ホヒ家の子孫 出雲国造に指示があったとの事。ホヒ親子や徐福によって被害を受けた八千矛王を、大国主という良い名前で祀るようにと。八千矛王に大国主という仮名が当てがわれました。(実はホヒ出雲国造家は本来 中国の社稷の神 を秘かに祀る予定だった。・・が、右大臣にそれがバレて拒否された為、八千矛王を主祭神にという経緯があるそうです。 大元出版 古事記の編集室内に詳細が。)
ちなみにスサノオとその妻イナダヒメ・・・、というのは実は架空の話で、イナダヒメは日本で最初の国家 出雲王国の偉大な 初代王 菅之八耳王の妻であった。 (徐福より200年ぐらい前の時代の女性、徐福と結婚出来るはずはなかった。)
とにかく奈良時代まではスサノオとかオオクニヌシとかいう呼称は日本ではなかったそうです。
徐福には渡来後自ら名乗った和風名 ホアカリ や ニギハヤヒ がある(同一人物の異名)そうですが、日本におけるスサノオは何百年も後の世の人が設定したものだそうです。
徐福の長男側の子孫である籠神社社家では、ホアカリを兄ニギハヤヒを弟と表現していましたが、大元出版の本を読んだ今はその意味が分かります。当時は神社側から何ら情報を得る事は出来ず途方に暮れていましたが、自分達の御先祖 徐福隠しはトップシークレットなのですから、今はなるほどなと思えます。腹の内を見せる事はなかった。
かつて吉田大洋さんの本(第1弾~第3弾)を随分頼りにして色濃く過ごした時期がありましたが、私の場合結果的に十数年振り回された事になりました。(感覚的には四半世紀費やした様な・・・)
出雲王は大祖先クナトノ大神の子孫で、出雲王国成立以前から信仰の対象は 、
子宝信仰の幸の神(サイノカミ)でした。
今思うに吉田さんの本で主に持ち上げたいのは、秦国人のリーダー 徐福(スサノオ)ではないのかという事です。私は当時から一貫して大祖先と言われるクナトノ大神の影を追っていましたが、違和感を度々覚える事がありました。
大元出版 幸の神と竜(或いは簡略版 サルタ彦大神と竜)などの解説にある竜神と、吉田さんの本で言う竜神はちょっと違うのではないかと感じています。当時は竜神とは当然出雲の大祖先クナトノ大神の事を指しているのだと思っていましたが、この吉田さんの本で言う竜神とは秦国人渡来大集団の頭 徐福を指しているのでは?出雲王家ダイレクトの史実情報 大元出版の著書を読んで行くとそう思います。(竜神とかスサノオとか大国主とかは、時代或いは地域によって権力の強い人?によって中身が入れ替えられる可能性がありますね。例えば奈良時代の大国主とは八千矛王を指していたのに、現在はかなり多くが別人物にすり替えてある、一部地域を除いて・・・というように。)
確かに秦国人渡来集団の持ち込んだ技術とか文化は、その後の出雲王国~日本を繁栄させ現在に至ります。誰のどういう功績か・・・は、伏せられるべきではないでしょう。
しかし、徐福集団より遥か以前(千数百年前)インドより大規模移住して来たドラビダ出雲族と
そのリーダー 大祖先クナトノ大神の事を下に置いてはいけません。クナトノ大神はあのインダス文明を直接日本に持ち込み、日本列島内の人々の生活は豊かになりました。そして約千年の時を経て、クナトノ大神の子孫により日本で最初の国家 出雲王国の建国。
徐福率いる秦国人渡来大集団は、出雲王国の8代王の時代に、大船団と共にやって来ました。
・・・・・・・・など、数々の衝撃の事実は旧出雲王家ダイレクトの大元出版の著書から学んだものであり、吉田さんの本の時代には想像もつかない事ばかりでした。第1弾 謎の出雲帝国の歴史年表や巻末の伝承まとめでさえ、全然違う内容で書かれているのには驚きました。読み比べるのが一番いいでしょうね。
(竜神よ我に来たれ 復刻前 旧本のレビューより)
例えば最初の方20ページにある、出雲神族の略系譜は間違って記載されています。理由は簡単に言えば、吉田さんの取材時間の短さ、それによる理解不足などによるものだそうです。大元出版 出雲と蘇我王国 の最初の方でその事に触れてあります。誰が触れているのかなどは、読んでみて下さいませ。(歴史本を出している歴史に詳しいどこかの誰か・・・では、信憑性なし。)
謎の出雲帝国73ページにもほぼ同じものが載っていますが、この時は大国主の子のところに、ホアカリなる記載がありました。第2弾のこの竜神よ~ にはそれが記載されておらず、その点ではましになったとも言えると思います。 しかし、いずれにしても吉田さんの本では富氏から聞き出した としながらも、作り話の神話系の親子関係 大国主の(長男)コトシロヌシ (次男)タテ(ケ)ミナカタ・・・となっている時点で、富家 出雲王家の史実の系図と全く異なったものとなっています(吉田さんの理解不足等に起因する誤記でしょうね)。・・・・・・・・その他諸々、いわゆる富氏の史実を知りたいのであれば、大元出版の本を御覧下さいませ。
私は吉田大洋さんの本の内容を全面否定はしませんが、参考図書に留めるべきと思っています。
かつて吉田本に従い、(小規模個人レベルですが)様々な調査を10年以上やって来ました。複数回丹後などへも、交通の便は良くないのに行きました。しかし当時から一貫してクナトノ大神の陰を追っていたにもかかわらず、吉田さんの本を参考にした結果はおそらく、どちらかというと徐福・スサノオ(大元出版の本を読んだ人は、この表現の事お分かりかと思います)の陰を追っていた状態だったのでは?という印象を持っています。海部宮司家は徐福・スサノオの長男側の家だから、という事も根拠のひとつです。また身の回りに起こった小さな実体験の累積も、それを後押し してしまいます。私の実体験はおいておくとしても、吉田さんの本では知り得なかった事が、納得できる形でズバリズバリ来るのが大元出版の本だと思います。)
何か思う事あれば、ぜひ大元出版で検索してみて下さいませ。
(大元出版の著書 出版社直販 他 アマゾンなどでも取り扱い中)
幸の神と竜 、◎サルタ彦大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、◎◎出雲と大和のあけぼの◎◎ 、◎出雲と蘇我王国◎ 、◎親魏和王の都 、◎古事記の編集室 、◎お伽話とモデル 、◎山陰の名所旧跡(※出雲王国側の情報あり)◎ 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱 など。
================(竜神よ我に来たれ レビュー終わり)====================================================================
吉田大洋さんは、先代富家当主 富マサオさんにとって、とても感謝される立場の
親友のような存在であった事は、今でも間違いないとは思います。
(大元出版 出雲と蘇我王国 に説明がある、過去の富マサオさん御自身の著書焚書事件、
吉田大洋さんの第三弾の本冒頭にある、病床の富マサオさんとの最期の面会のお話、・・・などから。)
(大元出版の著書)
幸の神と竜 、◎サルタ彦大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、◎◎出雲王国とヤマト政権◎◎ 、◎出雲と大和のあけぼの◎ 、◎出雲と蘇我王国◎ 、◎親魏和王の都 、古事記の編集室 、◎お伽話とモデル 、◎山陰の名所旧跡(※ 出雲王国側の情報あり)◎ 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱 など。
※ 現在在庫切れで取り扱いのない本 や 中古高騰本(出雲と大和のあけぼの など)も、将来的に増刷や改訂版・増補版などは期待出来ると思われます。(2016年末頃までは、今のような状況ではありませんでした。)→ついに待望の新刊が出版されました。◎◎出雲王国とヤマト政権◎◎ (2019年3月末頃)
==================================================================
(( 201903新刊 出雲王国とヤマト政権(1~14章+巻末付録・・・家系図など) の 目次 ))
第一章 縄文人の渡来
1-1、沖縄の旧石器人 1-2、南九州の旧石器人と縄文人 1-3、アイヌとブリヤートの渡来
1-4、縄文土器と三内丸山遺跡 1-5、縄文の土女神像
第二章 クナ族の渡来
2-1、インドのクナ国 2-2、母系家族制の家 2-3、クナ族のシベリア経由日本移住
2-4、サルタ彦大神の信仰 2-5、イズモ族の文化
第三章 出雲王国の成立
3-1、良質砂鉄の国 3-2、出芽の国 3-3、サイノカミ信仰 3-4、竜神信仰と神名備山
3-5、出雲王国のマツリゴト 3-6、二王家による統治 3-7、忌部氏の玉作り 3-8、イズモ兵の組織 3-9、出雲王国の拡大 3-10、出雲王継承の儀式
第四章 徐福集団の渡来
4-1、穴門国の渡来集団 4-2、始皇帝とホウライ島 4-3、先遣隊と青銅器 4-4、徐福の石見上陸
第五章 出雲王国の繁栄
5-1、大国主と事代主 5-2、富家と神門臣家 5-3、出雲王たちの遭難
第六章 武御名方と五十猛の移住
6-1、出雲内の秦人たち 6-2、武御名方の諏訪移住 6-3、ホアカリ勢力の丹波移住
6-4、アマベ氏の親族 6-5、ハタ族の信仰
第七章 徐福の吉野ヶ里文化
7-1、徐福の秦国帰国 7-2、徐福の肥前上陸 7-3、ニギハヤヒと母君・高木姫
7-4、アマベ氏とモノノベ氏 7-5、吉野ヶ里遺跡と吉野ヶ里土器
第八章 ヤマト政権の成立
8-1、イズモ族のヤマト進出 8-2、銅鐸信仰の広がり 8-3、出雲系神社の増加
8-4、三輪山の祭り 8-5、丹波勢力のヤマト進出 8-6、ヤマト政権と村雲大王
8-7、登美の霊時のマツリゴト 8-8、磯城王朝の成立
第九章 ヒボコ勢の渡来とハリマ侵略
9-1、但馬の船上生活 9-2、ヒボコの干拓工事 9-3、豊岡の出石神社 9-4、但馬のアマベ国造
9-5、ハリマの伊和の神と岩神信仰 9-6、播磨国風土記とヒボコ 9-7、大名持のハリマ防戦
第十章 第一次モノノベ東征と名草戸畔
10-1、モノノベ勢の九州出発と四国上陸 10-2、イツセの名草敗戦と戦死 10-3、ウマシマジの熊野上陸 10-4、太田家・ヤタガラスの道案内
第十一章 大彦のクナト国
11-1、大岩山の大銅鐸 11-2、安倍川の沼河別 11-3、クナ国の東遷 11-4、アベ王国のアラハバキ信仰
第十二章 フトニ大王のキビ王国
12-1、キビツ彦兄弟のハリマ進出 12-2、キビ王国の成立と温羅伝説 12-3、キビ軍の東出雲王国攻撃 12-4、東出雲王国との和睦 12-5、西出雲王国攻撃と和睦 12-6、キビの楯築古墳
12-7、出雲の四隅突出方墳
第十三章 モモソ姫の太田遺跡
13-1、ヤマトの宗教戦争 13-2、モモソ姫のマツリ 13-3、太田遺跡と外出系土器
13-3、太田家の大王墓 13-4、モモソ姫の大円墳
第十四章 出雲神話と日向神話
14-1、古事記と出雲神話 14-2、財筋と杵築大社 14-3、出雲の神事 14-4、富神社とサイノカミ信仰 14-5、国生み神話と日向神話
巻末付録
1、出雲王国主王(大名持)系図
2、海部家系図
3、尾張家系図
4、磯城登美家・賀茂家・太田家系図
5、出雲王家と親族関係図
6、『丹後国風土記』(残欠)現代語訳
※大元出版の目次では上記巻末付録が次のようになっています。
→6.関連年表 7.『丹後国風土記』(残欠)現代語訳
が、実際に出版された本に 6、関連年表は 載っていないので、当初の予定が何らかの事情で変更になったものと思われます。 また次の機会に、 関連年表 は掲載される事もあるかもしれません。
著者が富マサオさんとどういう関係なのか、あるいは謎の出雲帝国がどうしてこういう内容になったのかにも触れてあります。アマゾンなどで大元出版と検索してみて下さいませ。
謎の出雲帝国では、本文中はもちろんの事、巻頭の歴史年表、巻末の伝承まとめでさえ誤った内容がたくさん掲載されています。私はこの本に、結果的には十数年振りまわされました。(関連:新装版 竜神よ~ 、大元出版新刊◎◎絶版本の内容含む 出雲王国とヤマト政権◎◎ ) (新装版 吉田大洋氏第2弾 竜神よ我に来たれ レビュー) ・吉田大洋さん 謎の出雲帝国のレビュー等も御参考になさって下さい。この本にも誤記誤説が多々あります。紀元前219年頃秦国から移住して来た徐福、手下ホヒ。この時は8代目出雲王 八千矛王の時代でありました。・・・吉田さんの本と比較すると、旧出雲王家ダイレクトと表現出来る 大元出版の各著書では、時期年代などがハッキリしていてわかりやすい。(レビュー最後に大元出版の著書名を列記しています。)神代の世であるとか、何万年前であるとか、幻想を抱かずに済みます。 神話 というものは、過去の現実 1、出雲王国の存在に関する事 2、8代目出雲王の時代に秦国から移住して来た、徐福と秦国人渡来大集団に関する事 ・・・の 2大史実 を 日本史から除外する 方針を中央が決めた為、史実隠し目的 で作成されたとの事です。(過去の人物、起こった事などの 何か を匂わせている。正確ではない。人間の先祖はずっと人間、4000年前も人間。) 秦国から移住して来た道教の方士 徐福 、手下ホヒ。渡来時期は紀元前219年頃。この時は8代目出雲王 八千矛王の時代だった。900年以上後、奈良時代の記紀編纂にあたり、かつての秦国人渡来大集団の頭 徐福 に スサノオ という仮名が当てがわれた。徐福とストレートに表記すると、900年も前の事ではあるが、彼らが出雲王国内で起こした悪行・大事件(徐福の指示でホヒとその息子タケヒナドリ=イナセハギが指揮実行) を人々が思い出すからであった。この事件では尊い8代目の出雲王がほぼ同時にお亡くなりになった。(主王の西出雲王家出身 八千矛王のちの大国主と、副王の東出雲王家出身 八重波津身王のちの事代主。ちなみに2人は親子ではない。) 716年創建の杵築大社(出雲大社)建立前に、右大臣 藤原不比等から渡来系ホヒ家の子孫 出雲国造に指示があったとの事。ホヒ親子や徐福によって被害を受けた八千矛王を、大国主という良い名前で祀るようにと。八千矛王に大国主という仮名が当てがわれました。(実はホヒ出雲国造家は本来 中国の社稷の神 を秘かに祀る予定だった。・・が、右大臣にそれがバレて拒否された為、八千矛王を主祭神にという経緯があるそうです。 大元出版 古事記の編集室内に詳細が。)
ちなみにスサノオとその妻イナダヒメ・・・、というのは実は架空の話で、イナダヒメは日本で最初の国家 出雲王国の偉大な 初代王 菅之八耳王の妻であった。 (徐福より200年ぐらい前の時代の女性、徐福と結婚出来るはずはなかった。)
とにかく奈良時代まではスサノオとかオオクニヌシとかいう呼称は日本ではなかったそうです。
徐福には渡来後自ら名乗った和風名 ホアカリ や ニギハヤヒ がある(同一人物の異名)そうですが、日本におけるスサノオは何百年も後の世の人が設定したものだそうです。
徐福の長男側の子孫である籠神社社家では、ホアカリを兄ニギハヤヒを弟と表現していましたが、大元出版の本を読んだ今はその意味が分かります。当時は神社側から何ら情報を得る事は出来ず途方に暮れていましたが、自分達の御先祖 徐福隠しはトップシークレットなのですから、今はなるほどなと思えます。腹の内を見せる事はなかった。
かつて吉田大洋さんの本(第1弾~第3弾)を随分頼りにして色濃く過ごした時期がありましたが、私の場合結果的に十数年振り回された事になりました。(感覚的には四半世紀費やした様な・・・)
出雲王は大祖先クナトノ大神の子孫で、出雲王国成立以前から信仰の対象は 、
子宝信仰の幸の神(サイノカミ)でした。
今思うに吉田さんの本で主に持ち上げたいのは、秦国人のリーダー 徐福(スサノオ)ではないのかという事です。私は当時から一貫して大祖先と言われるクナトノ大神の影を追っていましたが、違和感を度々覚える事がありました。
大元出版 幸の神と竜(或いは簡略版 サルタ彦大神と竜)などの解説にある竜神と、吉田さんの本で言う竜神はちょっと違うのではないかと感じています。当時は竜神とは当然出雲の大祖先クナトノ大神の事を指しているのだと思っていましたが、この吉田さんの本で言う竜神とは秦国人渡来大集団の頭 徐福を指しているのでは?出雲王家ダイレクトの史実情報 大元出版の著書を読んで行くとそう思います。(竜神とかスサノオとか大国主とかは、時代或いは地域によって権力の強い人?によって中身が入れ替えられる可能性がありますね。例えば奈良時代の大国主とは八千矛王を指していたのに、現在はかなり多くが別人物にすり替えてある、一部地域を除いて・・・というように。)
確かに秦国人渡来集団の持ち込んだ技術とか文化は、その後の出雲王国~日本を繁栄させ現在に至ります。誰のどういう功績か・・・は、伏せられるべきではないでしょう。
しかし、徐福集団より遥か以前(千数百年前)インドより大規模移住して来たドラビダ出雲族と
そのリーダー 大祖先クナトノ大神の事を下に置いてはいけません。クナトノ大神はあのインダス文明を直接日本に持ち込み、日本列島内の人々の生活は豊かになりました。そして約千年の時を経て、クナトノ大神の子孫により日本で最初の国家 出雲王国の建国。
徐福率いる秦国人渡来大集団は、出雲王国の8代王の時代に、大船団と共にやって来ました。
・・・・・・・・など、数々の衝撃の事実は旧出雲王家ダイレクトの大元出版の著書から学んだものであり、吉田さんの本の時代には想像もつかない事ばかりでした。第1弾 謎の出雲帝国の歴史年表や巻末の伝承まとめでさえ、全然違う内容で書かれているのには驚きました。読み比べるのが一番いいでしょうね。
(竜神よ我に来たれ 復刻前 旧本のレビューより)
例えば最初の方20ページにある、出雲神族の略系譜は間違って記載されています。理由は簡単に言えば、吉田さんの取材時間の短さ、それによる理解不足などによるものだそうです。大元出版 出雲と蘇我王国 の最初の方でその事に触れてあります。誰が触れているのかなどは、読んでみて下さいませ。(歴史本を出している歴史に詳しいどこかの誰か・・・では、信憑性なし。)
謎の出雲帝国73ページにもほぼ同じものが載っていますが、この時は大国主の子のところに、ホアカリなる記載がありました。第2弾のこの竜神よ~ にはそれが記載されておらず、その点ではましになったとも言えると思います。 しかし、いずれにしても吉田さんの本では富氏から聞き出した としながらも、作り話の神話系の親子関係 大国主の(長男)コトシロヌシ (次男)タテ(ケ)ミナカタ・・・となっている時点で、富家 出雲王家の史実の系図と全く異なったものとなっています(吉田さんの理解不足等に起因する誤記でしょうね)。・・・・・・・・その他諸々、いわゆる富氏の史実を知りたいのであれば、大元出版の本を御覧下さいませ。
私は吉田大洋さんの本の内容を全面否定はしませんが、参考図書に留めるべきと思っています。
かつて吉田本に従い、(小規模個人レベルですが)様々な調査を10年以上やって来ました。複数回丹後などへも、交通の便は良くないのに行きました。しかし当時から一貫してクナトノ大神の陰を追っていたにもかかわらず、吉田さんの本を参考にした結果はおそらく、どちらかというと徐福・スサノオ(大元出版の本を読んだ人は、この表現の事お分かりかと思います)の陰を追っていた状態だったのでは?という印象を持っています。海部宮司家は徐福・スサノオの長男側の家だから、という事も根拠のひとつです。また身の回りに起こった小さな実体験の累積も、それを後押し してしまいます。私の実体験はおいておくとしても、吉田さんの本では知り得なかった事が、納得できる形でズバリズバリ来るのが大元出版の本だと思います。)
何か思う事あれば、ぜひ大元出版で検索してみて下さいませ。
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幸の神と竜 、◎サルタ彦大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、◎◎出雲と大和のあけぼの◎◎ 、◎出雲と蘇我王国◎ 、◎親魏和王の都 、◎古事記の編集室 、◎お伽話とモデル 、◎山陰の名所旧跡(※出雲王国側の情報あり)◎ 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱 など。
================(竜神よ我に来たれ レビュー終わり)====================================================================
吉田大洋さんは、先代富家当主 富マサオさんにとって、とても感謝される立場の
親友のような存在であった事は、今でも間違いないとは思います。
(大元出版 出雲と蘇我王国 に説明がある、過去の富マサオさん御自身の著書焚書事件、
吉田大洋さんの第三弾の本冒頭にある、病床の富マサオさんとの最期の面会のお話、・・・などから。)
(大元出版の著書)
幸の神と竜 、◎サルタ彦大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、◎◎出雲王国とヤマト政権◎◎ 、◎出雲と大和のあけぼの◎ 、◎出雲と蘇我王国◎ 、◎親魏和王の都 、古事記の編集室 、◎お伽話とモデル 、◎山陰の名所旧跡(※ 出雲王国側の情報あり)◎ 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱 など。
※ 現在在庫切れで取り扱いのない本 や 中古高騰本(出雲と大和のあけぼの など)も、将来的に増刷や改訂版・増補版などは期待出来ると思われます。(2016年末頃までは、今のような状況ではありませんでした。)→ついに待望の新刊が出版されました。◎◎出雲王国とヤマト政権◎◎ (2019年3月末頃)
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(( 201903新刊 出雲王国とヤマト政権(1~14章+巻末付録・・・家系図など) の 目次 ))
第一章 縄文人の渡来
1-1、沖縄の旧石器人 1-2、南九州の旧石器人と縄文人 1-3、アイヌとブリヤートの渡来
1-4、縄文土器と三内丸山遺跡 1-5、縄文の土女神像
第二章 クナ族の渡来
2-1、インドのクナ国 2-2、母系家族制の家 2-3、クナ族のシベリア経由日本移住
2-4、サルタ彦大神の信仰 2-5、イズモ族の文化
第三章 出雲王国の成立
3-1、良質砂鉄の国 3-2、出芽の国 3-3、サイノカミ信仰 3-4、竜神信仰と神名備山
3-5、出雲王国のマツリゴト 3-6、二王家による統治 3-7、忌部氏の玉作り 3-8、イズモ兵の組織 3-9、出雲王国の拡大 3-10、出雲王継承の儀式
第四章 徐福集団の渡来
4-1、穴門国の渡来集団 4-2、始皇帝とホウライ島 4-3、先遣隊と青銅器 4-4、徐福の石見上陸
第五章 出雲王国の繁栄
5-1、大国主と事代主 5-2、富家と神門臣家 5-3、出雲王たちの遭難
第六章 武御名方と五十猛の移住
6-1、出雲内の秦人たち 6-2、武御名方の諏訪移住 6-3、ホアカリ勢力の丹波移住
6-4、アマベ氏の親族 6-5、ハタ族の信仰
第七章 徐福の吉野ヶ里文化
7-1、徐福の秦国帰国 7-2、徐福の肥前上陸 7-3、ニギハヤヒと母君・高木姫
7-4、アマベ氏とモノノベ氏 7-5、吉野ヶ里遺跡と吉野ヶ里土器
第八章 ヤマト政権の成立
8-1、イズモ族のヤマト進出 8-2、銅鐸信仰の広がり 8-3、出雲系神社の増加
8-4、三輪山の祭り 8-5、丹波勢力のヤマト進出 8-6、ヤマト政権と村雲大王
8-7、登美の霊時のマツリゴト 8-8、磯城王朝の成立
第九章 ヒボコ勢の渡来とハリマ侵略
9-1、但馬の船上生活 9-2、ヒボコの干拓工事 9-3、豊岡の出石神社 9-4、但馬のアマベ国造
9-5、ハリマの伊和の神と岩神信仰 9-6、播磨国風土記とヒボコ 9-7、大名持のハリマ防戦
第十章 第一次モノノベ東征と名草戸畔
10-1、モノノベ勢の九州出発と四国上陸 10-2、イツセの名草敗戦と戦死 10-3、ウマシマジの熊野上陸 10-4、太田家・ヤタガラスの道案内
第十一章 大彦のクナト国
11-1、大岩山の大銅鐸 11-2、安倍川の沼河別 11-3、クナ国の東遷 11-4、アベ王国のアラハバキ信仰
第十二章 フトニ大王のキビ王国
12-1、キビツ彦兄弟のハリマ進出 12-2、キビ王国の成立と温羅伝説 12-3、キビ軍の東出雲王国攻撃 12-4、東出雲王国との和睦 12-5、西出雲王国攻撃と和睦 12-6、キビの楯築古墳
12-7、出雲の四隅突出方墳
第十三章 モモソ姫の太田遺跡
13-1、ヤマトの宗教戦争 13-2、モモソ姫のマツリ 13-3、太田遺跡と外出系土器
13-3、太田家の大王墓 13-4、モモソ姫の大円墳
第十四章 出雲神話と日向神話
14-1、古事記と出雲神話 14-2、財筋と杵築大社 14-3、出雲の神事 14-4、富神社とサイノカミ信仰 14-5、国生み神話と日向神話
巻末付録
1、出雲王国主王(大名持)系図
2、海部家系図
3、尾張家系図
4、磯城登美家・賀茂家・太田家系図
5、出雲王家と親族関係図
6、『丹後国風土記』(残欠)現代語訳
※大元出版の目次では上記巻末付録が次のようになっています。
→6.関連年表 7.『丹後国風土記』(残欠)現代語訳
が、実際に出版された本に 6、関連年表は 載っていないので、当初の予定が何らかの事情で変更になったものと思われます。 また次の機会に、 関連年表 は掲載される事もあるかもしれません。
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