「ようやく確認できた」 和田萃・京都教育大名誉教授
日本書紀や万葉集にたびたび登場しながら場所や実態が不明だった磐余池。約40年前、今回の調査地は"幻の池"の堤だとする説を唱えた和田萃・京都教育大名誉教授(古代史)は「ようやく確認できた」とほほ笑む。
和田氏は記録を丁寧に調べた上で、地形や、付近に「池ノ内」「池尻」などの地名が伝わる点などに着目。「磐余池だ」と確信したという。
奈良県立橿原考古学研究所の菅谷文則所長(考古学)は、地形をもとに「水深は最大約2.5メートル、面積は8万7500平方メートル」と池の規模を推定する。「磐余池は周辺に複数あった池の総称だろう。今回の遺構は中心的な池のものではないか」とみる。
ため池など古代の土木技術に詳しい大阪府立狭山池博物館の工楽善通館長(同)は「600年前後には各地で多くのため池が造られた。奈良盆地は他地域より早く造られ始めたのだろう」と話す。
ただ、堤の上の建物群については見解が割れる。用明天皇の宮殿の関連施設と考えるのは上野誠・奈良大教授(万葉学)。「当時の中国や朝鮮半島では王宮に苑池を造営することが権力の象徴だった」と話す。和田氏も「池を鑑賞するための楼閣では」との見方だ。
一方「宮殿や楼閣にしては柱が細い。水防の資材倉庫などでは」(菅谷氏)、「類例がなく、判断する手掛かりが乏しい」(工楽氏)と否定的な声や慎重な意見もある。
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