山部赤人万葉歌碑
ふじのくに田子の浦みなと公園内にある万葉歌碑を紹介しています。
ふじのくに田子の浦みなと公園内の万葉歌碑
この歌碑は、奈良時代の歌人である山部赤人(生年・没年未詳)が詠んだ「富士山を望む歌」を、富士市南松野産出の松野石(通称「俵石」)の石柱8本に刻み、富士山型に配したものです。
刻文は、天文15年(1546年)の書写と目される神宮文庫本万葉集(神宮文庫所蔵)によるものです。写本の万葉仮名をそのまま刻むことにより、碑文の文化的価値を高めています。
「田子の浦」という地名にちなんで、昭和61年、この歌碑は田子の浦港富士ふ頭(旧フェリー乗り場)に建立されました。平成24年、当時静岡県が整備していた「ふじのくに田子の浦みなと公園」内に移設し、現在、公園を訪れる方々に親しまれています。
山部宿祢赤人望不盡山歌
【翻刻】
山部宿祢赤人望不尽山歌一首 并短歌
天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎
天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利
時自久曽 雪者落家留 語告 言継将往 不尽能高嶺者
田兒之浦従打出而見者真白衣
不尽能高嶺尓雪波零家留
(※新字で翻刻してあります)
【読み下し文】
山部宿禰赤人 富士山を望む歌一首 短歌を并せたり
天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を
天の原 降りさけ見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い去きはばかり
時じくぞ 雪は降りける 語りつぎ 言ひ継ぎ往かむ 富士の高嶺は
田子の浦ゆ うち出てみれば ま白にぞ
富士の高嶺に 雪は降りける
【大意】
天と地が分かれた時から、神々しく、高く貴い、駿河にある富士の高嶺を、大空高く仰ぎ見ると、その高さに遮られて、空を渡る日の光も隠れ、照る月の光も見えず、白雲も行きためらい、季節の区別なく、いつも雪は降っていることよ。
この富士の高嶺の高く貴い姿を、後の世の人々にも、まだ見ぬ人々にも、いつまでも語りつぎ、言い継いでいこう。
(反歌)
田子の浦を通って、広々とした所に出て見ると、真っ白に富士の高嶺に雪が降り積もっていることだ。
山部宿禰赤人と万葉歌
山部赤人(生年・没年未詳)は奈良時代の人で、『万葉集』に数多くの秀歌を残す、柿本人麻呂と並び称される歌人です。
この「富士山を望む歌」は、作歌年代こそ明らかではありませんが、赤人が政府の役人として東国に赴く道すがら、田子の浦を通って仰ぎ見た富士の姿があまりにも雄大で、美しく神秘的であったため、その印象を詠んだ歌であるといわれています。
よく知られているのは、『小倉百人一首』にも選ばれている「田子の浦ゆ」の短歌ですが、この歌は本来、「天地の」と詠いだされる長歌に添えられたものです。長歌と短歌、双方が引き立てあい、富士山を目の当たりにした時の感動と、それを後世へと伝えていきたいという願いを表現しています。
鮮烈な富士の光景を目の当たりにした赤人の強い想いは、千年以上の時を経た現代を生きる私たちの心に、色褪せない感動と大きな共感を与えてくれるのではないでしょうか。
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