四国は、邪馬台国の本命なのか? 絹と中国製鏡の出土があるかどうか?
正直言うと、私は関西出身なので、邪馬台国が畿内だととてもうれしい。
しかし、科学者なので、だめなもんはだめっていわないといけない。そして、確率的により正しいほうをみつけないといけない。
私的には、下記のコラムで書いたように
九州・・・ありえない。邪馬台国に馬もかささぎもいたし、朱も取れないし、真珠も微妙じゃ。たぶんプレ皇室の遺跡と、何の関係もない普通の縄文人の遺跡だろう。吉野ケ里遺跡とかはそう。普通に縄文人の子孫なだけー。
畿内・・・ありえない。だいたい海が遠いぞ。それにけっこう寒いぞ。地元民がいうんだから、裸足なんて無理。三重県じゃないとだめじゃんってことになるぞ。朱はあるけど、絹がないぞ。馬もいるだろ。騎馬文化があるだろ。皇室と縄文人と、出雲一族のミックスなだけじゃん。それにあまり刺青文化ないし。鏡も国産のほうが多いと思うな。
「これらの点から、ミームとして見て、次のことがいえると思います。
邪馬台国・・・縄文系。もともと日本にいて、海洋民族のスキルがある。養蚕技術を持っている。馬はいないから、乗れないし、騎馬文化はない。鉄、造酒、和弓の技術はある。
大和朝廷・・・弥生系。途中で日本に入って来た。養蚕技術は持っていない。騎馬技術は持っている。馬に乗る。
いかがでしょう? ぜんぜん違いますよね。
これだけミームが違うのは、別民族、別の国です。まあ、同じアジア人でも、台湾人とモンゴル人くらい違うというイメージです。」
(自分のコラムから、再掲)
ということだ。
両方なくなったので、他探さないといけないのだが、あとは「四国のどこか」「瀬戸内海に面した中国地方 たとえば岡山・山口あたり」のどっちかしかない。気温がどうみても温帯っていうか、亜熱帯な気がする。関東や東北、越前はもう論外だ。
というわけで、2本ほど書きました。
それで、じゃあ、「四国=邪馬台国」とすると、四国に「鏡」「絹」の出土はあるのか? というのをみつけないといけません。
一応、この古墳時代前期から後期にかけて、今治にある古墳の発掘資料がありますので、リンクします。
http://www.ehime-maibun.or.jp/kankobutsu_hoka/hokokusyo/146/hokokusyo_146.pdf
別名一本松古墳というので、古墳時代前期らしいので、邪馬台国時代になんとかひっかかっている。
(あんまり後だと、邪馬台国にはあたらないので、だめ。)
「表面には絹布の巻き付けが顕著に残る」とあります。まあ、四国に絹はあったわけです。
表にもなっています。(ただ、古墳時代後期の分も混じっているのでちょっと注意が必要。)
ついでに鏡も出ています。「中国鏡」とはっきり書いてあります。はい、四国から、中国産鏡出ました。
まあ、鏡は腐らないし、模様から見て中国産でかつ、弥生時代終わりか古墳時代前期なので、3世紀後半の邪馬台国にちょうど時期的にもあいます。
この人のページに、絹と鏡の発掘数がグラフで出ているのだが、1990年とまあ、30年も前の資料なので、ブラッシュアップしてもらいたいのでありますな。
まあ、とりあえずみつかったので、他の古墳の資料も丁寧にみていけば、もっと出てくると思います。
とりあえず、高知は邪馬台国のライバル国なので、愛媛と徳島、香川をメインで見ていくのがいいと思います。
正直1つずつ見ていかないといけないので、これはこれでしんどい。
ではまたー。
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