2023年3月6日月曜日

遺伝子で判明、秦氏は中東から渡来した | 日本の歴史と日本人のルーツ

遺伝子で判明、秦氏は中東から渡来した | 日本の歴史と日本人のルーツ

遺伝子で判明、秦氏は中東から渡来した

渡来系氏族、秦氏は朝鮮半島の任那から渡来してきたことは、史実として認められているところであるが、ルーツは中国、朝鮮の何処かであろと通説では考えられていた。


しかし、男性のY染色体のD2系統に着目すると日本人は元々、アジアを飛び越えて地中海、中東の人々に近い。縄文時代以前からユーラシア大陸の北のモンゴル経由、南回りで日本に渡来し、またはD系統以外の民族に駆逐され、中国大陸や朝鮮半島の他の民族と混血・定住することはほとんど無かった。弥生時代、O2b系統のY染色体を持った渡来系弥生人が西日本を中心に定住すると東日本と南西諸島にD2系統のY染色体分布が偏った。


後世、中東のユダヤ系と云われる秦氏が日本に圧倒的な人数で渡来して混血しても、遺伝子的には縄文時代以来のD2系統を駆逐することなく、渡来系弥生人とほぼ同じ地域に定住し、結果的に全国均一なD2系統YAP遺伝子となったことになる。また、秦氏は中国大陸、朝鮮半島を経由して渡来したと云われているが、弓月国付近のシルクロードにD系統の発現があるのを除き、遺伝子的には現在の中国、朝鮮と混血・定住していなかった。(注: 厳密には日本、チベットの他の東アジアの民族集団全般、あるいは東アジアの境界付近の中央アジア、北アジアでも、5%未満ではあるが無いことはない。)


現在までの中東は何千年の戦乱でD系統は存在するかどうか期待出来ないが、近縁のE系統との分岐の場所に近い民族のルツボである中東に故郷を持つ秦氏の先祖はD系統であろう。イスラエルの調査機関は、チベット近辺のシンルン族、カレン族、チャンミン族をユダヤ系と認定した。特にチャンミン族(羌岷族/羌族)は中国にいて、ツングース系民族であり現在約30万人。古の日本語に極めて近い言語といわれ、中国の歴史書にはかなり古くから登場する。これら民族は縄文人と同じ、遺伝子にYAP因子を持つ、D系統である。主流のユダヤはE系統であるが、ある2系統はD系統であろうと言われている。(ユダヤ教では母親がユダヤ人なら子供は皆ユダヤ人であり、男性遺伝子のつながりは必ずしも必要無い)

秦氏は魚介類を食べることで、海人族と共同して運命をともにした。すなわち、秦氏の渡来前から海人族の安曇氏が弥生人や秦氏の渡来に貢献した理由は、彼らの漁獲と渡来人の農作物が容易に交換できることで説明出来るかもしれない。(参考)



参考


wikiによると、男性のY染色体に着目すると、日本人の中には、D2系統、O2b系統、C1系統という、3つの特徴的なY染色体ハプログループが存在することが判明した。D系統はYAP型(YAPハプロタイプ)ともいわれ、現在の東アジア人種に多いO系統よりも地中海沿岸、中東およびアフリカ大陸に広く分布するE系統の仲間である。D2系統は(アイヌ・琉球を含む)日本人にのみ高頻度で確認されているが、2%程度の朝鮮人でも確認されているほか、中国、ミクロネシア、ティモール島でも稀に散見されていて、これらは全て或いはほとんどのケースに於いて日本から影響を受けたためであろうと推測されている。

歴史的には、朝鮮人は半島に勢力を拡大していた「馬韓」という国の末裔である。大陸から移動してきた騎馬民族が秦氏である。紀元前1世紀頃の朝鮮の様子を記した中国の歴史書に「魏志韓伝」があるが、秦氏の習慣・言語・文化は馬韓の人とまったく異なって、中国人でも朝鮮人でも無く、倭人の一派と見ていた(魏志韓伝)。この後、秦氏は任那を建国したが、結局、日本に渡来した。(引用)








D遺伝子を伝えるチャンミン族(女性は男性Y染色体を持たないが、男性と一緒に文化を伝えている)




縄文人、渡来系弥生人、秦氏の渡来について、新しい文化や技術による出生率、生存率の向上と、渡来規模をバラメータとしてシミュレーションしたものである。通常の出生率、生存率を考えた場合、渡来人の渡来規模を100万人くらいは考える必要がありそうである。



縄文時代、縄文人は北東日本に多く住み、西日本に少なかった。D2系YAP遺伝子は北東日本に多く分布することになる。渡来系弥生人の男性染色体YはD系統を持たず中国大陸、朝鮮半島経由のO2bの系統であり(参考)、西日本に多く住み、
縄文人と渡来系弥生人の棲み分けあった。古墳時代中期以降、渡来系弥生人の人口に比して相当の人口の秦氏が渡来し、渡来系弥生人とほぼ同じ地域に住んだ。相当の渡来規模が無いと、秦氏と縄文人のD2系YAP遺伝子で日本列島を均一に分布出来ない。


古墳時代中期から7世紀初めまでの渡来人の数を100万人規模と考える説を集めてみた。検索したら直ぐに、参考1参考2参考3を見つけられた。この程度の渡来が必要であろう。さらに150万人の渡来を言う人もいる。


日本の人口推移を検討し、また中国のそれと対応させた。渡来の必然性とその規模が推測でき、数百万人規模までの渡来の可能性も指摘できる。


秦氏の渡来以前、古代のシュメール人の渡来も残された文字から確認できる。これは縄文時代以前と考えられ、中東の地から極東アジアの日本に直接に到達することは可能であることが証明されている。


縄文人から現代人への遺伝子の受け継ぎは12%程度だった(参考)

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