『空海は古代ユダヤの錬金術師だった』 月海黄樹 (徳間書店) 《前編》
横帯にあるように、海部家秘伝の歴史資料を基に記述された著作。ほぼ20年ぶりの再読。その頃は、神社巡りを始めた頃で、多くの神社の後ろの正面には古代ユダヤの影があることを知るようになった時期だった。1996年9月初版。
海部(あまべ)とは海人(あま)族のことであるが、この海部氏の系図が戦後公開され、研究されるにつれ海人族こそが原初の天孫族であり古代天皇家の創設にかかわっていたことや、丹後地方に日本で最大かつ最古の海人族が存在し、日本の歴史に重要なポイントを占めていたことが明らかになったのである。(p.16)
このような海人族であったにもかかわらず、複雑な民族闘争の過程で、海人族は身分の低い民としての扱いを受けるようになった。この過程を知ることが、空海という人物の謎を解く鍵になっている。 竹野神社・元伊勢神宮の神は、「月と水の女神、豊受之大神」という龍神であると海部家には伝えられている。
竹野神社に仕える海人王族の巫女は「竹野の姫神」と呼ばれ、お伽噺で有名な「かぐや姫」のモデルとなった。
月の女神に仕える竹野の姫神が、月から来て竹の中から生まれた「かぐや姫」にと変化した。そして、大勢の貴公子のプロポーズを受け、最後には帝の求愛さえも断って月に帰っていく。「かぐや姫」は、代々大和朝廷との政略結婚を強制された丹後王国の王女たちの物語だったのである。(p.20-21)
我々が大和朝廷と対抗する古代王国として最もよく耳にするのは出雲王国の存在であるが、海部氏にいわせると出雲王国は丹後王国の一部(現在の京都府亀岡市の付近から紀伊半島にかけての地帯)であったものが、大和朝廷の盗伐の末に現在の島根県に移動したというのである。実際、亀岡には出雲大社がここから遷宮されたと記録に残る元出雲大社が存在している。(p.21)
「元伊勢」が、天橋立の北端にある籠神社(与謝宮)…「元出雲大社」が、出雲大神宮(丹波国一之宮)。
古代、丹後の人々は海を渡って日本に上陸し、その最初に到達した場所をタイザと呼んだ。
ちょうど、丹後半島を西に下っていったところに間人(たいざ)の地名はある。前述した竹野神社が位置する竹野川は、間人を横切っている。(p.21-22)
現在の伊勢神宮の祭祀一族である古代ユダヤ民族(海人族)の渡会氏は、自らを「ウルノフル」と呼ぶという。
「ウルノフル」とはシュメール語で、ウル(シュメールの都市の名)の王という意味である。これは、ユダヤ人の祖アブラハムが、歴史的に見るとシュメールのウルから旅立ったシュメール人だったことに起因すると思われる。(p.66)
「ユダヤ人の祖アブラハム」とあるけれど、これは正確な表現ではない。アブラハムには、サラとの間にイサクが、ハガルとの間にイシュマエルがいる。 《参照》 『闇の終焉と地球元年』 中矢伸一&ベンジャミン・フルフォード (VOICE)【旧約聖書とコーラン】
《参照》 『日本人のご先祖様は聖書のアブラハム』 小石豊 (ヒカルランド)
三種の神器は、「勾玉、剣、鏡」と言われているけれど、古代ユダヤ民族のレガリアは違う。
日本の古代ユダヤ人(海人族)の伝承を総合すると、「三種の神器」は元伊勢神宮・与謝宮に伝わっていた「マナの壺」「潮満・潮干玉」に加えて「鉄製の天の逆矛・あるいは剣」の名が挙げられる。(p.39)
「十戒石」は「鑑」→「鏡」と置き換えられるけれど、モーゼの「十戒石」も、「潮満・潮干玉」と同じく2枚で一組だった。勾玉も2つ一組で太極の円を成す形状である。 《参照》 日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】【 御御輿とその中身 (神社の御神体) 】
近年出版されている日本古代史関連の著作で、饒速日(ニギハヤヒ)王朝と言われているのが、海人族であり、それを本書では「古代ユダヤ民族」と表現している。そして、3世紀以降に渡来してきたと言われている応神天皇以下を「天孫族」と表現している。
《参照》 『古代日本人とユダヤの真実』 中丸薫 (KKベストセラーズ)
【「日本」を規定したユダヤ人】
秦氏に代表される「天孫族」も、畢竟するに「古代ユダヤの系譜にある人々」なのだけれど、日本渡来の時期も大きく異なっていたので、完全融和はないまま現代まで来てしまったことになる。
しかし、20年に1度の式年遷宮を行う伊勢神宮と、60年に一度遷宮を行う出雲大社の遷宮が、2013年に初めて重なったことで、現在は、分離ではなく融和が締結されているらしい。
崇神天皇が神殿に伏し拝んでいるとき、そこにユダヤの神(三輪の神)が顕れ、自分の祭事をオオタタネコという大国主の神の子孫にまかせれば悪疫が収まると告げるのである。・・・中略・・・。
すなわち、祭政一致であるはずの古代社会において、政を天孫族が、祭事を古代ユダヤ民族が司るという変則的な政治形態が発生したことになる。(p.48)
そして、天武天皇の時代になると厳しい国政が敷かれ、『帝紀』『旧辞』というそれまであった(日本国のユダヤ民族の歴史が書かれていた)歴史書が焚書され、あらたに天孫族に都合のよい『古事記』が編纂された。(p.60)
ここから先が、本書の主人公である空海が生きた時代であり、下記リンクに、「古代ユダヤ民族」である空海が果たした役割が記述されている。 《参照》 『「超古代」の黙示録』 後藤まさし (たま出版) 《前編》【天武天皇による大弾圧】
こうした朝廷の圧政の中にあって、根強く天孫族に対抗する畿内の古代ユダヤ民族(海人族)の勢力が存在した。
その最たるものが。葛城山系の大豪族である葛城氏だった。(p.61)
朝廷の強力な後押しを得て、仏教熱が国中に蔓延する中、葛城氏系の豪族・鴨族の中から国家仏教に対抗しようという新たな動きが起こってきた。
それは634年(舒明天皇6年)加茂役君小角(かものえだちのきみのおずぬ)の出生から始まった。
世にいう、役小角(えんのおずぬ)である。(p.69)
下記リンクには、後に空海が「第八祖」となる密教に、役小角が先んじて関わっていたという、超スピな内容が記述されている。入唐以前に日本で密教(修験道)の多くを学んでいた空海だからこそ、短期間で恵果からすべてを伝授され「第八祖」になれたのだろう。
《参照》 『神仙界に行く三つの方法』 深見東州 たちばな出版
【役の小角】 【行基】 【空海】
葛城山系、大峰山、高野山、熊野といった山岳信仰の中心となる山々を結ぶ一つの拠点となる神社がある。
それが、奈良県吉野郡天川村坪内にある天川神社である。(p.76)
この社は古の昔、本来は元伊勢・与謝宮の別宮としてこの地に祭られたものを始まりとしているのである。
天川神社の古称は「天の安川にいます宗像女神神社」といった。つまり天の安川にいる宗像氏(宗像市は北九州を本拠地とする有数の海人族)の女神である。その女神の具体的な名は市寸嶋姫(いちきしまひめ)(航海の女神)であった。
実はこの女神は海部氏の家系図の上で、海部の祖先である火明命(ほあかりのみこと)の妻と記されている女神なのだ。
さらに海人族の口伝で、市寸嶋姫の別名に、天道姫(天道=太陽の妻)、天宇津女(あめのうずめ)が付け加えられる。
さて、ここでちょっと頭をひねって考えてみよう。天宇津女は海人族の太陽神である猿田彦神(ミトラ)の妻となった女神である。ここから次のような関係図が描けることになる。(p.77-78)
〔妻〕 市寸嶋姫 ― 太陽神の妻(天道姫)― 天宇津女
つまり、天川神社は海人族にとっての太陽神(火明命=猿田彦=ミトラ)と、その妻である月の女神(市寸嶋姫=天宇津女=アシュトラ)を祭っている元伊勢なのである。
その証拠に、天川神社の川を挟んですぐ近くには八坂神社(スサノオ=バール=ミトラ=火明命=猿田人を祀る神社)があって、元伊勢としての痕跡をとどめている。・・・中略・・・。天川神社こそは、大和朝廷に三輪山を牛耳られた後の畿内山岳の古代ユダヤ民族(海人族)の信仰の中心地だったのである。(p.78-79)
【聖域:八ヶ岳】
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