ちくま史記8
列伝四
淮南衡山列伝第五十八
また徐福をつかわし、東海に入って神仙・不死の薬を捜させましたが、帰還していつわりごとを申し、『わたくしは海中の大神に会った』と言いました。大神が『おまえは西の皇帝(始皇)の使者か』と問うので、『そうです』と答え、『おまえはなにを求めているのか』と問うと、『延年長寿の薬を得たいのです』と答えた。神は『おまえの秦王の礼物が手厚くないから、見せてつかわすが取ることは許さぬ』と言い、ただちに彼を従えて東南のかた蓬萊山に行き、霊芝(瑞草)の生えている宮殿を見せてくれたというのです。そこには使者がおり、銅色で竜の形をし、光がさしのぼって天を照らしていました。そこで彼は再拝して、『いかなる礼物を持参して献上すればよろしいか』と問うと、海神は『良家の男子、良家の女子および百工を献ずれば、得られよう』と言ったと申しました。秦の皇帝はすこぶる喜んで良家の男女三千人を遣わし、五穀の種と百工を携行させました。徐福は平原・大沢を手に入れ、そこにとどまって王となり、帰らなかったのです。
古代神話は史実を反映している?
まず『史記』秦始皇本紀には齊人徐巿(注)等上書、言海中有三神山、名曰蓬莱・方丈・瀛洲、僊人居之。請得齋戒、與童男女求之。於遣徐市童男女數千人、入海求僊人。
斉の人徐巿(福)らが始皇帝に上書して、「海中に蓬莱・方丈・瀛洲の三神山があって、仙人が住んでいます。斎戒して男女の子供を私に与え、探しに行かせてください」と言った。そこで始皇帝は童子童女数千人を与え、徐福を船出させ、仙人を求めさせた。
という記事が見え、『漢書』郊祀志になると、
秦始皇初并天下、甘心於神僊之道、遣徐福・韓終之屬多齎童男童女入海求神采藥、因逃不還、天下怨恨。
秦の始皇帝が初めて天下を統一してから、神仙の道にのめり込み、徐福・韓終らの一派に男女の子供をたくさん与え、船出して神仙を求め仙薬を採らせたが、そのまま逃げて戻らず、天下の人々が恨んだ。
という話になります。
又使徐福入海求神異物、還為偽辭曰、『臣見海中大神、言曰、「汝西皇之使邪。」臣答曰、「然。」「汝何求。」曰、「願請延年益壽藥。」神曰、「汝秦王之禮薄、得觀而不得取。」即從臣東南至蓬莱山、見芝成宮闕、有使者銅色而龍形、光上照天。於是臣再拜問曰、「宜何資以獻。」海神曰、「以令名男子若振女與百工之事、即得之矣。」』秦皇帝大説、遣振男女三千人、資之五穀種種百工而行。徐福得平原廣澤、止王不來。於是百姓悲痛相思、欲為亂者十家而六。
又使尉佗踰五嶺攻百越。尉佗知中國勞極、止王不來、使人上書、求女無夫家者三萬人、以為士卒衣補。秦皇帝可其萬五千人。於是百姓離心瓦解、欲為亂者十家而七。
(始皇帝は)また徐福に船出して神仙を求めさせましたが、戻って「私は海中の大神に会い、『そなたは西皇の使者か』と言うので、私が『そうです』と答えると、『そなたは何を求めているのか』『不老長寿の薬をいただきたいと存じます』すると神は『そなたの秦王の礼は丁重でない故、見ることはできても手に入れることはできぬ』そこで私を従えて東南の方蓬莱山に行き、そこで霊芝でできた宮殿や、銅の色で龍の形をした使者がいて、光が天を照らしているのを見ました。そこで私は再び拝礼して尋ねました。『どのようなものを献上すればよろしいのでしょうか』すると海神は『名声ある男子と童女にもろもろの作業にあたらせれば、手に入れることができる』と言いました」とうそを言いました。始皇帝は大喜びして、男女の子供三千人に、五穀を植えることやもろもろの作業を教え込んで行かせました。ところが徐福は平原や広い沼地を手に入れると、そこにとどまって王となり、戻ってきませんでした。そこで庶民は痛み悲しみ、反乱を起こそうとした者は十人中六人にもなりました。
(始皇帝は)また尉佗に五嶺を越え百越(今の広東省にいた異民族)を攻めさせましたが、尉佗は中国が疲弊しきっているのを知って、そこにとどまって王となり、戻って来ず、人に上書させて、夫のない女三万人を求め、兵卒の衣類の繕い役にしたいと言いました。始皇帝は一万五千人ならよいと許しました。そこで庶民の心は始皇帝から離れてばらばらになり、反乱しようとする者は十人中七人にもなりました。
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