2023年1月8日日曜日

吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞 諏訪神社

吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞
それから、伝承とかによれば、中世までそういう風習があったっていうふうに言われているんですけど、いまでいうと長野県ですけど、諏訪地方ですけど、諏訪地方に建御名方神っていうのが神話のなかに出てきて、テンソンロクっていうのに、支配している国をあけ渡すみたいなかたちになるわけですけど、その諏訪神社のあたりを根拠地として、その周辺を治めているわけですけど、その治めているところの、中世まであった、いってみれば、諏訪神社のお祭りなんです。
いまでいうと、御柱祭っていうふうに言われているんですけど、大きな木を切って倒して、それを、木を引きずって、川へ運ぶために、山の上から引きずっておろして、若者たちがそれに乗っかって、時々けが人がでたりっていうような、そういうお祭りがあるわけです。いまでもあります。
その諏訪神社の場合に、伝承によれば、ほんとをいえば、占いをやって、占いがいった地方から、そこに特定される人間になんとなく、素質がありそうな子どもを連れてきて、そいつを連れてきて、諏訪神社で、岩倉っていうわけですけど、石の上に、部屋に引きこもらせて、何か月か暗い部屋で修業をさせまして、ある程度、超能力みたいなのをつけさせたうえで、岩倉の上で、相続式をやって、相続式をやると、それが現人神ってことになって、それが、諏訪地方を中心とする支配している地方に、お祭りのときに出かけていって、地方を巡行するっていうふうになるわけですけど、そういうのをやって、帰ってきて、しばしば、王様にした人は密殺しちゃうっていう、殺しちゃうっていう、そういう伝説があります。諏訪神社の神社史の伝説の中にそれがあります。
そういうのは、古代からの風習でっていうのがあって、それがだんだん、知ってるあれを殺しちゃうのはあれだからっていうので、だんだん後になるにつれて、諸国を放浪している人のところに、どこの人かわからん人を、放浪しているやつを捕まえてきて、それの子どもを捕まえてきて、それを部屋に籠らせて、修行させて、それを岩倉につけて、岩倉で即位してやると、もう現人神だっていうふうにしちゃうっていうふうに、終いには殺されるのは、覚悟の上で、お祭りのときだけ、王様として、神さまとして崇め祀ってあれして、それでお祭りが済んだら殺しちゃうっていう風習があったというふうに言われているあれがあるんです。
それは、やっぱり、ぼくは、そういう風習が実際にあったっていうふうにみても、伝承があったっていうふうに、痕跡があったっていうふうにみても、どっちでもいいんですけど、それは、やっぱり、ぼくは、アフリカ的段階に日本があったときの、ひとつのやりかたなんだって思います。
https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/text-a170.html

1 ヘーゲルを読むなら『哲学入門』がいい

今日は、「ヘーゲルについて」っていうのが、主催者のほうからの、要請っていいますか、注文なんです。それで、どこから、どういうふうに話を入っていったら、入りやすいのかな、わかるのかなっていうふうに、いろいろ考えたんですけど、本来的に云って、ぼく自身が研究家としてヘーゲルを読んでなくて、非常に、自分の関心にとって生々しいところで、ヘーゲルを読んで、それなりに理解してっていうようなことをやってきたものですから、結局はそこからお話して、奥深くいかれればいちばんいいわけですけど、そんなに、ぼく自身もわからないから、そこのところで、まずは、問題になるところとか、なぜヘーゲルっていうのはわからないか、なぜわからないのかってことについての、ぼくなんかは実感があるわけですけど、その実感のところをよくお話できたら、いちばんいいんじゃないかっていうふうに思ったわけです。
なにはともあれ、おおざっぱにヘーゲルの考え方っていうのは、どういうふうになっているかっていうのを、自身が言っているところがありますから、それを申し上げますと、ヘーゲルは、世界についての人間の心の意識から、それから、外の物質界とか、社会とか、国家とか、そういうのを含めまして、世界についての哲学的理解といいましょうか、哲学として、その世界っていうのを理解するっていう場合に、3つに分けています。その分けた3つに従って、自分の考え方を展開しているってことになります。
何かっていいますと、ひとつはようするに精神の世界です、意識のふるまい方っていうのを含めまして。それから、政治制度とか、法律とか、そういうことにも、精神の作用がそこに入っている限りにおいては、それも含めて、精神についての学問っていうのが、ひとつの大きな分野です。
もうひとつ、ヘーゲルが考えているのは、もうひとつは、自然についての学だっていうふうに言っています。自然についてってことは、わかりやすくすれば、こういう目に見える外界の物っていいましょうか、それをつかまえれば、いちばんはっきりするわけです。ようするに、いまのぼくらが通俗的に使っちゃえば、物の世界っていうふうに言ったらいいんでしょうか、それを自然っていうふうに理解すれば、自然についての学問だっていうふうに言っています。
それから、もうひとつ大きなジャンルがあって、それは、何かっていうと、論理についての学だっていうふうに言っています。つまり、論理学っていうふうに言っているものです。ヘーゲルも言っていますし、われわれも論理学っていう言葉を使うんですけど、ほんとをいうと、論理学ってどういうことだっていう場合に、何を言おうとしているか、われわれがふつう理解して使っているようなことと、まるで違います。でもまあ、いずれせよ、論理についての学っていうのは、世界についての理解の場合に、3つのうちのひとつになるんだということは、ヘーゲルの、この世界を、人間を含めて、人間の精神を含めて、この世界を理解する場合に、ひとつの部立てっていいましょうか、分類の仕方っていうのは、その3つに大略されて、その各々について、ヘーゲル自身が考え方を展開してるっていうことになります。
たとえば、論理学については、『大論理学』とか、『小論理学』とかっていうふうに、大とか、小とかって付けてるヘーゲルの大著がありますけど、その大著で、論理学についてやっています。
それから、精神の学っていうのは、いちばん総合的なのは、総合的ってことは、意識のことから、国家、社会、つまり、政治制度とか、社会制度とか、宗教とか、そういうものを含めて、精神が介入する世界について、全部そのなかに入ってくるっていう感じでいえば、『精神現象学』っていうのが、これまた大著であります。それで展開しています。
自然については、ヘーゲルの自然哲学の分野の著作があって、それでやっています。それは、主に物の世界っていう、われわれが、つまり、現在、物理学とか、数学というふうに言っていることも含めて、物の世界を基にしたさまざまな概念の展開のされ方と、それから、理解の仕方っていうようなことは、自然哲学っていうことのなかでやっています。
その三分野、それぞれありまして、それから、もちろん、派生するものもあるわけです。ぼくらが関心を持ってきたのは、歴史哲学っていうふうに言っているものには、とても関心を持ったわけですけど、そういうふうにそこから派生する様々な枝葉がありますけど、主として、その3つの分野でもって考察を進めて、それをぜんぶ総合すれば、ヘーゲルの考え方ってことになるんだと思います。
それで、どこからいくのかなっていう、どうしてこれがわからないのかなっていうことがあるわけです。つまり、いままた、ヘーゲル全集っていうのが、少しずつ出して、たぶん、翻訳されたかたちでいえば、ヘーゲルの全貌っていうのは誰にもわからないっていうことになると思います。でも、徐々に翻訳が出てるし、また、改訳されたものが出てきていて、岩波書店なんかが、いま現在いけばあるっていうふうに出ているのは、『精神現象学』っていうのは、上下2冊くらいで、『大論理学』っていうのは3冊か4冊ぐらいで分冊になって、それはいま出てますし、それから、文庫本でも、『歴史哲学』みたいのも出ていますし、哲学史のまとめたものみたいなのも出ています。文庫本っていうので、たくさん、ぼくなんかの見ているので、4,5冊あると思います。
そして、そのなかで、ぼくなんかがいちばん恩恵を受けて、このくらいだったら、ぼくにもわからないことはないなっていうふうに思えて、恩恵を受けていたのは、『哲学入門』っていう、岩波文庫のあれでは『哲学入門』っていう題になっているんですけど、ヘーゲルの『エンチュクロペディア』っていいましょうか、それの文を、メモとか、講義の草稿とかいうものとしてあるのをまとめたものだと思います。編集してまとめたものだと思いますけど、『哲学入門』っていう表題で出ております。これがいちばんいい本です。
いい本っていう意味は、わかりやすくはないんですけど、これならば、なんとかわかるぞっていう感じがするっていう意味合いでも、いちばんいい本で、もし、ヘーゲルを、関心があって読まれるっていうあれだったら、いま現在、新しい版で出てるか知りませんけど、文庫で出てるか知りませんけど、古本屋さん行けば見つかると思いますけど、『哲学入門』っていうのがあります。それがいちばんいい本です。
ヘーゲルについて、日本で翻訳されている本、あとのあれはあんまりよくないです。よくないっていうのは、ようするにわからないんです、つまり、わからないっていうのは、こっちの知恵がないからっていうのが、もちろん大部分を占めるわけですけど、小部分はやっぱり訳者が悪い、あるいは、訳が悪いんだっていうことになると思います。つまり、自分でわかってて訳しているのかっていう感じになるわけです(会場笑)。もうすこし、ぼくらが語学ができれば、こっちに原書を置いて、翻訳をこっちに置いて、それで読むと、わかりいいんだろうなと思うくらい訳がわかりにくいです。改訳といわれてありますけど、たとえば、金子武蔵さんの訳でいうと、やっぱりわかりにくいです。これがわかったら、逆立ちして歩いてみせる(会場笑)。わかるほうが不思議じゃないかっていうあれだから、ぼくもわかりません。
だから、なんとも言えないので、いちばんわかりやすくて、なおかつ自分が、わりあいにここのところは関心をもって、その関心をヘーゲルの哲学批判というかたちで、たとえば、マルクスならマルクスが、ヘーゲルの法哲学を批判した文書がありますけど、そういうものも一緒にひっくるめて、ぼくらが、いちばんヘーゲルの法哲学っていいましょうか、法についての考察とか、国家についての考察、それから、憲法についての考察みたいなのがあるわけですけど、それが、いちばん影響を受けた、いちばん一生懸命読んで、ある程度、具体性がありますから、具体的な比較もできます。自分がいま住んでいる社会での、国家での、憲法のありかたみたいのと、いろいろ思い合わせることがあったりするものですから、それは、わりあいに関心をもってあれして、そこが入りやすいっていうふうに、ぼくは思いますから、そこから入っています。

2 法の言語と文学の言語

ただ、ようするに、ヘーゲルの法哲学っていう概念、ぼくは自分なりの解釈で、自分なりの理解を、法っていうのに対して、自分なりのもっている理解を申し上げますと、法っていう言葉でわれわれが理解しているのはどういうことかっていうと、ひとつは法律です。法律の条文です。「〜すべからず」とか、ここからここまで卑猥なことが書いてあったら、わいせつ罪だっていうような意味合いで、法律の条項とか、条文とかっていうのも、法ということの中で、漠然とそれを入れています。
それから、法律っていう意味合いでも、法っていう言葉を使っています。それで、ヘーゲルの使い方を言いますと、法っていうのは意志です、人間の、意志して何かをやったとか、意志をもって何かをやったっていう、信念とはちょっと違いますけど、信念に近い意味で、意志っていうのがあります。そういう場合に、ヘーゲルが法っていった場合には、「一般意志」っていう意味合いで、法っていう言葉を使っていると思います。いちばん厳しく使っていると思います。
「一般意志」っていうのは何かっていいますと、たとえば、100人の個人がいるとすると、その人が個々にそれぞれの意志でもって何かしようとか、いろいろ持っている個人個人で違う意志を持って、意志を行使して、ある場合には決めたり、ある場合には何かを判断したりしているわけですけど、その100人なら100人の意志を総和いたしまして、つまり、全部プラスいたしまして、それで、そのプラスしたところで抽象しまして、100人それぞれぜんぶ違うんだけど、そのなかで抽象すると共通だと思われる意志があるかどうかっていうふうに考えて、共通な意志があると考えてたものを、ヘーゲルは、ぼくはそういうふうな言い方をしますけど、「一般意志」っていうふうに言っていると思います。
ヘーゲルが法っていった場合には、その「一般意志」っていうのを指さしているっていうふうに考えるといちばんわかりやすいわけです。つまり、100人なら100人の様々なぜんぶ違う意志の持ち方のなかから、なんか意志ってことで共通だと思われるものを抽象することができたとして、そのできたものを「一般意志」っていうふうに考えて、その「一般意志」っていうのが、ようするに、法だっていうふうにヘーゲルは理解していると思います。
そこが非常に問題のところなんですけど、ぼくならぼくが勝手に、法っていう言葉にもうすこし含めていることがあるんです。それは、何かっていいますと、ぼくは、文学が言葉についての特殊専門的な分野のひとつであると考えて、文学に表現された言葉のうちで、文学作品の物語でない部分の言葉です。つまり、非常に抽象的であるとか、非常にわかりにくい、詩でいいますと、シュールレアリズムみたいにわかりにくい言葉っていうのはあるわけです。つまり、ふつうの物語なんか何もないっていう、詩の言葉だってそうですけど、物語がないと、文学作品みたいな物語もないし、非常に抽象的な言葉だけど、なんかしらないけど、専門家が一生懸命、緊張しながら、その時代につくりあげた言葉っていうのがあるっていうふうに考えますと、その法っていう概念のなかにそれも入れたいわけなんです。
つまり、文学的な言語っていうなかで、非常に緊張度の高いもの、つまり、物語性じゃなくて、緊張度の高いもの、それから、意味よりも緊張度が高く表現されているもの、それはまして専門家がそうしているから、いくらわかりにくいってこともあるわけで、緊張度があることだけは確かで、そういうふうに使われた言葉っていうものも、ぼくは法っていう概念のなかに入れたいわけなんです。だから、文学作品っていうのは、何でできているんだって、言葉でできているんです。それで、文学作品の言葉っていうのは何でできているのかっていったら、ようするに、結局、物語と法でできているんだっていう言い方をすることもできるっていう意味合いで、法っていう言葉も入れたいわけなんです。
そうすると、たとえば、具体例をいいますと、ぼくはひっぱりだされて、2回くらいあるんですけど、一等初めは、サド裁判ですけど、サド裁判でひっぱりだされたことがあるんですけど、その前に、ぼくらは読者として、記録しか読んでないんですけど、チャタレイ裁判っていうのがあるんです。ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』が問題にされて、官憲に訴されたみたいなのがある。ふたつ、日本でいえば、そういう裁判が戦後でもあるわけです。
その場合に争点になったのは何かっていうと、ようするに、検察側っていうのは、法律の専門家ですから、法の専門家であるかどうかわかりませんけど、法律の専門家ですから、法律の専門家がいま、法律の専門法っていうので考えますと、『チャタレイの夫人の恋人』でもいいですし、サドの小説でもいいんですけど、そのなかの作品の、何ページの何行から何行まで読んで、意味をたどると、卑猥なことが書かれているっていう、卑猥だと法律的に判断されることが書かれていると、これは起訴対象になり、かつ有罪であるというのが、非常に明瞭な検察、検事なんかが持っている考え方になるわけです。
この考え方っていうのは、そういう言葉で言っちゃうといけないのかもしれないけど、それは、実証的な言語感なんです。なにはともあれ、全体がどうであろうと、芸術性が高かろうと低かろうと、そんなことはどうでもいいと、ようするに、何行から何行にこういうふうにちゃんと卑猥なことが書いてあるじゃないか、そうだったら、これは有罪だっていうのが、現在、使われている法律の言葉っていうのは、実証的な言語だっていうことを意味すると思います。検察官があれする場合にはそうなんです。
これに対して、文学者とか、文学作品としての弁護者、弁護人というか、ぼくらもそういうことにひっぱりだされたわけで、そうすると、どういうふうに主張するかっていうと、そこにたしかに何行から何行をみると、確かに卑猥なことが字面で書かれていると、しかし、この作品を、はじめから終わりまで、読めば、けっしてこれを卑猥として、読まないで、ある文学的感銘度っていいますか、芸術的感銘度って感じで読むから、全体を読むと、その全体の中の何行って見ると、ここはちっとも卑猥だって感じないで読むことができるんだ。卑猥以外の感じ方で読んじゃうことがありうるんだって、これがようするに芸術文学の立場なんだって、こういうふうに主張するわけです。
そうすると、ぼくらは、結局、弁護人だとかいって、そういう弁護の仕方をするわけですけど、そういう弁護の仕方をしながら、釈然としないところがあるわけです。どうしてかっていうと、やっぱり実証的な言語感っていうのからいけば、全体で芸術的感銘度があってとか、作品の感銘度として読むと、この何行から何行っていうのは、べつに卑猥と感じないで読んじゃうよ、読めるんだよっていうふうにいくら言ったって、実証的にいえば、何行から何行にちゃんとそう書いてあるんだからしょうがないじゃないかっていう主張のほうが、なにか確からしさっていうのがあるんじゃないかっていうふうに思えている。自分ながら、釈然としない感じっていうのが残るわけです。それで、文学一本やりの人だったら、あんまり不思議を感じないで、それは検事の読み方が悪いんであって、こいつは芸術を解しないんだって言えるわけですけど、ぼくらも口ではそういうふうに言ってるんだけど、しかし、どうも釈然としないなっていうふうになるわけです。
やっぱり、法律の言語で、そのことを、つまり、作品全体を読めば、けっして、これは卑猥ってことの理解の仕方とか、感じ方で読むことにならないんだよってことを、何か法律の言葉で言えないかどうかってことを、たえず、一生懸命考えたわけです。そうしたら、やっぱり、それは何かっていったら、文学のある緊張した面から考えられる文学の言葉っていうのは、これは法のひとつであって、しかもそれは、本質的な、実証的なじゃなくて、言語の本質的なところで、言葉を使った、そういう法の言葉だっていうふうに解釈しまして、理解しまして、ほんとうならば、そういう主張をして争うべきだったんじゃないかなって、あとになって一生懸命考えて、自分なりに考えて、そうなんだって考えて、やっぱり、法っていう概念のなかに、文学の緊張度の高い文学の言葉が法の一種であると、しかもこれが、言葉を本質的に使った法の言葉なんだっていうふうに理解すべきじゃないかってところまで、ぼくらの法っていうことに対する解釈の仕方は、そこまで広げて考えたいわけです、

3 法は『一般意志』という考え方

ヘーゲルが言う場合には、「一般意志」っていうことでもって、「法」っていう言葉を解釈しているわけです。ですから、たとえば、ヘーゲルは、「法」っていうのと、法に違反する行為をした場合に、これこれの意図で法に違反する行為をしたっていうふうにして、それは結果的に悪い影響を及ぼした、あるいは、良い影響を及ぼした、そういうふうな場合に、意図がどうであるかってことは、法とは関係ないっていうのが、ヘーゲルの考え方です。
意図なんかとは関係ないって、法のほうは関係ないんだ。つまり、良い意図でもってやっても、悪い結果が出ることがあって、法に触れるってこともありうるわけだし、悪い意図でやっても、その結果が、いいことになっちゃったこともあるから、法っていうのは、それを行使する行動によって何かをする人が、どういう意図を持っているかってこととは、法とは関係ないんだっていうふうに、ヘーゲルはそういうことを言い切っています。
それから、もうひとつ、重要なことであれしているのは、法っていうのはやっぱり道徳っていうこと、つまり、倫理ですけど、倫理・道徳とも、あまり関係がないんだっていうことを言っているわけです。
それはやっぱり、法的にいえば、モチーフが良くて行った行為でも、結果として、倫理・道徳に反するっていう行為をしちゃうってこともありうると、また、逆の場合もありうると、つまり、図らずも、法的な一般意志に触れて、結果として、それは違法行為で、良い意図でやったんだけど違法行為だっていうふうに言われちゃうってときもあると、ですから、そういうふうに考えていくと、法っていうのは道徳ともぜんぜん関係ないと言えるんだっていうのが、ヘーゲルの考え方です。
それで、ぼくらがヘーゲルの法の考え方で、非常にわかりにくくて、しかも、非常に引っかかった部分っていうのは、どういうことかっていうと、ふたつあるわけです。ひとつは、ヘーゲルは法を一般意志だって、つまり、100人なら100人の市民が、それぞれ違う意志を持っているんだけど、そのなかで、100人に共通したところだけを抽象したものが一般意志、法として差し出される一般意志なんだっていうヘーゲルの解釈をとりますと、ようするに、法は、日本国なら日本国をとってきますと、日本国の市民社会の市民のそれぞれの意志の違った点は捨象しちゃって、共通な点だけを抽出したものが法だっていうことになるから、それは、日本に1億人なら1億人の個人がいるとすれば、1億人に共通した意志を抽象して、そして、持ち出したのが法じゃないか、だから、それは1億人の意志をある意味で象徴するっていいますか、代表するってことになるじゃないかってことに、ヘーゲルの法の理解ではそういうふうになります。そこがひとつ、ぼくらが疑問としたところなんです。
その疑問は、幸いにもっていいますか、同時代っていうより、ヘーゲルの一世代後っていいますか、2,30年を一世代としますと、一世代後のマルクスみたいな人が、やっぱり、そこのところを鋭く突っついていまして、そうじゃなくて、ヘーゲルの言うように、法っていうのは一般意志だっていう、その云い方はいいだろうと、しかし、これが、たとえば、その法の下にある1億人なら1億人の市民、あるいは、国民の意志の共通に、抽象した共通性なんだっていうふうに、すぐに言っちゃっていいのかっていったら、それは、厳密にいえば違うっていうふうにマルクスは批判したわけです。そうはいかないよっていうふうに批判したわけです。
そこのところは、やっぱり、ぼくらも、それほど鋭くはそう思わないんだけど、なんとなくそうかなっていう疑問を持っていたところだから、マルクスの考え方に、非常に共鳴するところが多くて、ずいぶん、そこのところはよく突っついて、自分なりに突っついたわけです。

4 法はほんとうに共同意志なのか-マルクスの批判

その場合に、どうやったらほんとかねっていいましょうか、ほんとに1億人の一般意志の共通性がこのなかに入ってるのかね、法の中に入ってるのかねっていうのを、そういうのはちょっと疑問だよなってこととか、マルクスの言うように、それはそうじゃないって、そうはいかないんだっていうことを、うまくわかりやすく自分に実感的に納得させるには、どういうふうに考えればいいかなっていうのも、自分なりに考えたわけです。
ぼくなんかよく考えて、そういう例を引いたりしたんですけど、だいたい人間はふたり集まったところでは、これは集団とは言えないわけなんです。ところが、3人以上集まると集団なんです。3人以上集まろうが、1億人集まろうが、それこそ共通な一般意志として、共通な部分がかならずあるんです。3人以上を共同体なんだって考えれば、3人であろうと、1億人であろうと、おんなじだっていう面が、共通で取り出せるんです。
それなもんだから、それじゃあ1億人っていうとわかりにくくなるから、3人ってことにしようじゃないかっていうので、どういう例がいいかって考えて、ぼくらは文学やっていて、よく自分らで、同人雑誌みたいなのをつくってやったりしてきたから、同人何人かでやってきた、それを例にとれば、いちばんいいんじゃないかっていうふうに考えて、例えば、3人なら3人で、同人雑誌をつくろうじゃないかって、3人で相談したと、よかろうって3人が賛成して、つくろうってなったと、どういうふうにしようかっていった場合に、いまはそうはいかないでしょうけど、月に1万円なら1万円ずつ出し合って、それでまず、半年ぐらいそれを蓄積して、蓄積した金でもって、同人雑誌を出して、ある程度、定価をつけて、全面的じゃないにしろそれを回収して、また次に1万円を積み立てたやつを加えて、次の分を出すってしたらどうだっていうふうに、お金のことは、いちばん重要ですから、3人とも、1万円は高すぎるっていうのもいるし、もちろん、それは1万円じゃ足りないから10万円ずつにしようじゃないかっていう人も3人のうちにいるわけですけど、共通に納得したのが1万円だとすると、少なすぎると思っていても納得だっていう人もいるし、すこし多すぎるなって思っていても、おれの小遣いじゃまかなえないって思っていても、まあいいやって納得して、1万円って取り決めができるとします。
それで、3人で1万ずつ積み立てていくと、1号目ぐらい出たけと、2号目ぐらいになって、またそれを積み立てる場合に、たとえば、A,B,Cでやってんだけど、CならCってやつが、こんなことはいつでも起こりうるわけですけど、病気になっちゃったとか、失業しちゃったとかっていうようなことで、ちょっと1万円月々払ってっていうのがきつくなったぜっていうことっていうのは、しばしば起こりうるし、ありうるわけです。そういう場合に、どうするかっていうことになるわけです。そうすると、1万円払えなくなったCが、同人の集まりのときに、どうもおれはこういう事情で払えなくなっちゃった。だから、おれ、同人雑誌から抜けるか、そうじゃなければ、後払いっていいましょうか、出世払いでいいからっていうことで、おまえたちふたりでおれの分まで負担しといてくれないかっていうので、それで、あとのふたりが、よろしい負担するっていうふうに言っている間は、3人で同人雑誌は続くんですけど、そうじゃなくて、ある程度、そういうふうにやっていたら、いつまでもこうしてたらこっちも苦しくなっちゃったと、あとのふたりが、A,Bが言いだしたと、そうすると、A,Bはやっぱりやめようと、あいつは払えないんだ、ちょっと同人をやめてもらおうじゃないかというふうになることは、また、これもよくありうることで、やめてもらおうじゃないかって同人会のときに言って、A,BがCに、どうもおれたちもきつくなっちゃたから、おまえの分まで払えなくなった、仕方がないから、おまえは同人をやめてくれないかっていうふうになって、それは仕方がないって言って、Cは同人からやめるっていうふうになるってことはありうるわけです。
これは、1億人の場合でもおんなじであって、そのなかのある部分が、ちょっと払えなくなっちゃったって言って、月々の会費1万円っていうのが、3人の共同意志なんで、3人とも納得してつくったものなんですけど、それが履行できなくなっちゃうと、共同意志から落ちちゃう、脱落しちゃうわけです。これは、1億人いたっておんなじで、1億人のうちの1000万人が脱落して、1万円払えないって、そういうふうに、もしなったとしたら、ヘーゲルのいう共通意志、ないしは、共同意志っていうものから自分は脱落してしまうわけです。そういうことっていうのはあるじゃないかっていうのが、ようするに、マルクスの考え方です。
マルクスは、露骨にいえば、当時の時代でいえば、あんまり金がなくて、貧乏して、食うか食わないかってやってる人たちっていうのは、いちばんそういう意味合いで、共同意志から落っこちちゃうっていいましょうか、脱落しやすいのは、その部分じゃないかと、そうすると、共同意志っていうのは、得てしてそういうお金がなくて困って、しょっちゅう働かなくちゃ食えないし、また、そうやって働いているうちに病気にもなりやすいっていう、そういうやつが、共同意志から外れちゃっているにもかかわらず、共同意志のような格好をとっているってことがあるじゃないかっていう疑問が当然生ずるわけです。ぼくもそれはちょっと実感的に、3人で同人雑誌やって、会費をいくらって、そういう取り決めを実例として、それはマルクスのいうほうが正しいんじゃないかなって思ったわけです。
つまり、ありうるんじゃないかって、それで、そういうふうに共同意志たる法を変えるかっていったら、変えないで、もとのまま共同意志だっていうことになって、それが通用している。しかし、実質上、社会状態をみても、そのうちの1000万人は共同意志から外れちゃって、それで、通用しないところにいるんであって、むしろ、通用しないっていうのが、今度は多くなっちゃって、人数がそっちのほうが多くなっちゃうと、脱落するほうが多くなっちゃうと、もう、つくられた共同意志っていうのは、はじめは、たしかに全部が、全員が賛成して決まったんだっていうふうに、1億人の共通の意志だって言えるんだけど、脱落する人たちのほうが多くなっちゃったら、共同意志っていうのは、しばしば、人間の集団の意志、つまり、共通の意志とは逆立ちしちゃうって、逆立しちゃうってことになるんじゃないのか、ヘーゲルからマルクスの時代になっていったときに、ますますそうなっていったわけですけど、これはそこから脱落しちゃったやつのほうが多くなっちゃってるんじゃないかと、それなのに、これは共同意志だ共同意志だって言ってるのはおかしいじゃないかっていうふうに、マルクスはそういうふうに考えて、ヘーゲルの法っていうのの考え方に対して、法は共同意志であるっていう考え方に対して、異を唱えたっていいますか、それは違うと、条件いかんによっては、ぜんぜん逆さまになっちゃうことっていうのはあるよ、つまり、共同意志じゃなくて、人間の共同意志の大部分からみると、それは逆さまだっていうふうになっちゃうってことはありうるよってことを、マルクスは批判しているふうに思います。
ぼくらはそういう実感的実例っていうのを、自分なりに考えだしまして、たしかにそういうふうにいえば、取り決めたときには、たしかに1億人の共同意志だったかもしれないけど、それをやっているうちに、どうしても事情があってそこから外れざるをえなくなった人からみれば、それは共同意志でもなくなったってなるし、それから、今度は、それから脱落しちゃった人間のほうが多くなっちゃったら、これは、1億人のうち7000万人なら7000万人の人の意志とは逆立しちゃっているじゃないか、逆さまになっちゃってるじゃないかってことも言えるようになると、半分を越せばそういうふうになります。そういうふうに言えるっていうふうになる。
そうすると、法っていうのは共同意志だっていうことは、ヘーゲルの言い方はいいとしても、しかし、実際問題として見てみれば、この共同意志は、100人の人の意志を集めて、その中から共通性を抽出したものだっていうふうには言えないぞっていう、条件をつけなきゃこれはダメだっていうふうに、マルクスはそういうふうに考えたわけです。それが、おおざっぱにいいますと、マルクスのヘーゲルの法についての考え方の非常に大きな批判のポイントのひとつなんです。

5 国家についての突きつめた考え

もうひとつ、疑いっていいますか、マルクスが批判した点が、もうひとつ、あるんです。それは、国家っていうことなんです。これはヘーゲルの独特っていいますか、徹底した考え方なもんですから、われわれが常識で考えているものとちょっと違ってくるわけなんですけども。
ヘーゲルの考え方は、非常に徹底した考え方なんで、ヘーゲルは共同意志なる法っていうのは、守護者としても、番人としても、それから、監視者としてもっていいますか、あるいは、立法を督促する機関としても、法っていう概念が成立するためには、ぜひとも、絶対的に国家っていう概念が必要であるっていうふうにヘーゲルは考えた。
一般的にいえば、国家っていうのは、ようするに、あってもなくてもいいわけだし、それから、国家なんてのは、いつでも国家なんて頭に置いて生活しているわけじゃないですから、それは、あるときだけ、国家っていうのは、意識にのぼったりしますけど、それ以外のときには、あんまり、直接の拘束性とか、直接の規定とか、そういうのを感じなくて、日々、生活しているわけです。
ですから、そんなにきついことじゃなくていいわけなんですけど、結局、ヘーゲルの哲学の徹底性っていうのは、そこにあるわけですけども。結局、突き詰めていけば、共同意志っていう場合の共同っていうのは、何かって言ったら、これは国家である。つまり、近代国家である。国家っていう概念があるところでなければ、法っていう概念が成り立たないよ、これは不可分であるってヘーゲルは考えたわけです。
これは、たぶん、当時からいうと、徹底のしすぎっていうふうに、当時一般の思想家とか、哲学者から、そう言われたに違いないと思いますし、また、われわれがいま考えても、その当時もそうだったと思いますけど、そんなに、専制凶悪政治でない限り、しょっちゅう日常生活が、国家が頭になければ生活できないかっていうと、そうじゃなくて、そんなことは忘れて、生活しているっていうのが大部分で、ときに、国家っていうのを意識せざるをえないっていうようなことが起こるっていうのが、たとえば、ごく普通の市民生活のあり方だと思うんですけど、ヘーゲルはそれを突き詰めて、市民社会っていうものの上に、もし共通の意志である法っていうのをつくるとすれば、その法っていうのは、国家っていう制度がなければ、それは法っていうのは成り立ちようがないじゃないかっていうふうに考えて、ようするに、法っていう概念と、国家っていう概念は不可分であるぞ、あるいは、近代国家って言ってもいいんですけど、それは不可分であるぞっていうのが、ヘーゲルの考え方だっていうふうに思います。
そうすると、いちばんわかりやすいのは、違う言い方をしますと、国家がどういう政治体制をとるかとか、法的な体制をとるかっていうことの、だいたいのおおよその、おおづかみの方向とか、方針を決めたものが憲法であるっていうふうに、つまり、憲法っていう法は何かっていったら、共通意志たる法と国家とが不可分であると考えた場合に、国家の法を監視するとか、行わせるとか、そういうことの機関と不可分であるというところで考えられた制度の、政治の政体とか、法律のあり方とか、方向性とかっていうのを決めたものが憲法であるっていうふうに、こう考えるわけです。
ヘーゲルの考え方っていうのは、徹底的にそういうふうになる。この国家っていう考え方は、厳しい考え方です。突き詰めた考え方です。これは、やっぱり、マルクスにも受け継がれているわけです。
つまり、国家っていうのは、そこまで突き詰めなくたって、市民社会にそんなに不自由しないんだよって、時々思い出せばいいんだよとかいうふうな程度でいいはずなんだけど、哲学として、法とか、国家とかを突き詰めると、結局、そこまで突き詰めちゃう以外にないってことになって、そして、憲法っていうのも、そこまで突き詰めれば、国家のあり方、あるいは、法的な制度、あるいは、政治的な制度のあり方っていうのを、だいたい決めていくのが憲法だっていうふうな、憲法の規定の仕方になるわけです。そうすると、この憲法っていうのは、ものすごく重要なものだっていうふうに、つまり、西洋近代的概念ではそういうふうになります。

6 なぜ憲法九条について本質的に論じられることがないのか

しかし、われわれは、ぼくもそうですけど、われわれは、そんなに厳しいものと思って、ふだん生活しているわけではないのです。現在みたいに、憲法改正しようじゃないかとか、憲法第二章九条の項目は、解釈によれば、憲法に合致していると思いますって、総理大臣が言ったりすることは、何を言ってるんだってなって、急に憲法を思い出したりするわけですけど、普段は全然そんなことを考えてなくて済んでいるわけです。
だけど、いざそういうふうになってくると思い出すっていうような、だけど、思い出したって、われわれの思い出し方っていうのは、大したことないんです。つまり、常識の範囲を出ないっていいましょうか、これは、憲法を守れっていうやつもそうだし、改正しようっていうやつもそうだけど、じつに簡単にそういうことを言っちゃうわけです。改正しようとか、これは合憲だとか言っちゃうわけでしょ。つまり、そういうのは、憲法っていうのを生み出した西欧の国家、及び、法についての哲学にまで突き詰められた概念からいうと、じつにいい加減な考え方なんです。そこが非常に大きな問題だと思うんです。
ぼくは、法なんてしょっちゅう考えてるわけでもないし、実感しているわけでもないから、いい加減に済んで、生活していけるわけだし、いってるわけなんですけど、そういうのが出てくると、ちょっと本気になって、憲法ならびに日本国の憲法を見てみるとか、憲法改正しようってやつは、どういうような言い方でしようとしているのか見てみると、たとえば、読売新聞の憲法試案っていうのがありますし、たとえば、村山みたいに、解釈で、自衛隊っていうのは、合憲だと思いますみたいに言っちゃったりすると、これはどういうことをこいつはあれしているのかなっていうことを、すこし緊張してっていいますか、ほんきになって突っついたりすると、そうすると、ぼくらが本気になると、つまり、先ほども言いましたように、法の言葉っていうのは、本質的だっていうところまで突き詰められると、絶対に嘘だよってふうになっちゃうんです。文学なんかやってるやつは、とくにそう思うんですけど、そういう感じになっちゃうんです。
その観点からみていきますと、たとえば、憲法を改正しようなんてのは、じつにいい加減なやつだな、いい加減なことを言っているなっていうふうに思いますし、それから、自衛隊の存在は合憲だと思っているって村山首相が言うと、これもじつにいい加減なことを言うやつだなっていうふうになっちゃうんです。そうしといて、自分らの、政治的な組織、あるいは、党派っていうのは、まだ、平和憲法を守れとか、まだ、護憲だとか言っているわけです。だけども、もう、守らなくていいって言ったのはおまえ達だろって、言っちゃっているだろってなるんです。
これは、法律の言葉っていうのは、ものすごく軽く考えているんです。これはちょっと、日本にしかって言ったらおかしいんだけど、ヘーゲルの分け方で、すこし触れますけど、歴史的な分け方でいうと、ヘーゲルのいう旧世界って、アフリカとか、アジアとかの旧世界、ヨーロッパ以外の世界っていうのは、旧世界っていって呼んでますけど、旧世界ではそういう考え方が通るし、そういう考え方が多いんだけど、西欧だったら絶対通用しない考え方です。
自分たちは解釈によって合憲ですって言っちゃったりしているのに、まだ、護憲だとか、平和主義だとか言ってるけど、これはぜんぜん成り立たないよって、それはおかしいんだよ、ほんと意地の悪いことを言うと、おまえらもう潰れちゃったんだよっていう、護憲だとか、平和憲法を守れとか言っている人たちは、もう潰れちゃったんだよっていうふうに言うべきなんです。それぐらい厳しいものなんです、憲法なんかの条項っていうのは。それは、西欧的な考え方です。
ぼくらはべつに普段は、そんなの知らんふりして、生活して、急に憲法なんて言いだして、そういうのが問題になってくると、それを読んで、読むと、なんだこれはってなって、滑稽になってきて、その憲法をぼくらが読む場合には、大まじめに読むわけです。はるかに大まじめに読むから、そうすると、大まじめにいいますと、文学的な言葉、緊張したところで文学的な表現をしたときの言葉も、法っていう概念のなかに入れますから、そういう概念で憲法を読むわけです。そうすると、ふたつすぐに、これはおかしいっていうのがふたつ出てきます。
ひとつは、天皇は国民統合の象徴だっていう、これはおかしいって読めるわけです。それから、先ほど言いましたように、憲法九条は、非戦・非武装の項目なんですけど、これをそのままにして、平和憲法だ、平和憲法だと云いながらも、解釈によって自衛隊は合憲ですって、つまり、国家の法律、国法に、国家の共同意志に合致する存在であるって言ったことは、実質上、自衛隊は国軍だって、国家の軍隊だって言ったことを意味します。これは、厳しく言葉をあれすればそうなります。
だから、おまえはそれを言っちゃってて、海外派遣もしているし、人の国の内戦に介入して、むこうのやつは武器を持ってけしからんって、人の国にちょっかい出すなって言って、鉄砲を撃ちかけてきたら、やっぱり撃たざるを得ないとか、そういうふうになるに決まっているわけだから、もうすでに、護憲だとか、平和憲法は壊しているわけです。実質上、壊しているわけです。
それなのに、まだ言っているっていうのは、まだ通用すると思っているわけだけど、ぼくらの本質的なっていいましょうか、法の言葉っていうので読めば、もう終わってます、それは。そんなのは意味がない。ナンセンスだってなります。
でも、そのくらい日本っていうのは、一般的に、アジア的な世界、アフリカ的な世界っていえばいいんですけど、そういう世界での共同意思とか、国家とかっていうのに対する考察、考え方っていうのは、それくらいあまいものです。つまり、あまいものっていうのは、逆な意味でいうと、情緒的なものです。
あるいは、倫理・道徳と、ヘーゲルが最初にそんなことは関係ないって言ってますけど、悪い倫理意図でも、いい結果を、法律的にいい結果、つまり、合法だっていう結果を生むこともありますし、いい意図をもってやったことが、違憲だって、違法だってなることもある。だから、倫理なんて関係ないと、ヘーゲルはちゃんと言い切っているわけですけど、それを、アジアとか、アフリカの世界っていうのは、それを非常に情緒的に、それから、情念的に読みますから、倫理が入ったり、道徳が入ったりして、気分っていいますか、雰囲気でっていいましょうか、それで済ましちゃっているところがありますから、ちょっと本質的な意味で、憲法なんていうのは論議しようとすると、もう話もなにも、論議の話にもならないよっていうふうになってしまいます。
それが、いまの日本国の憲法に対する、やられている解釈の仕方とか、改変だとかなんとか言っている連中の論議の仕方っていうのは、そういうふうになっているけど、ぼくは、それはぜんぜん通用しないって思っています。そんなこと、おまえら論議したってぜんぜんダメだよっていうふうに、もうダメなんだよっていうふうに、ぼくはそう思っています。
だから、全然、ぼくは憲法九条っていうのは、非常に重要なものだっていうことは、つまり逆な、もっと意地の悪い言い方をしますと、戦後憲法でいいのはこれだけだよって、ぼくはずっと、ぼくなんかの主張でしたけど、護憲だとか、平和主義だって言っているやつと、いっしょに思われたくないっていうのは、いまでもありまして、でも、ぼくはそうじゃないんです、守れうんぬんではなくて、これはやっぱり、本質的な言葉でっていいますか、文学の言葉で、あるいは、法の本質的な言葉で、九条っていうものを読まなくちゃいけないっていうこと。

7 「天皇は国民統合の象徴」といういい方

それでいいますと、もうひとつ問題があって、天皇は国民統合の象徴だっていう言い方があります。これは非常に曖昧な、何が曖昧かっていうと、象徴っていう言葉が曖昧なんです。つまり、象徴っていう言葉を、たとえば、みなさんがどういう概念であれするかわからないけど、いちばん広い概念でとれば、これは政治行為だって、これは国民統合の象徴のための政治行為だよっていう解釈の仕方もできます。
そういう解釈をとれば、とれますし、それから、象徴っていうのだから、何もそんなことは、その手のことはちょっとでも、つまり、政治的なことが関与するとか、国家的なあれが関与するようなことは、天皇はやっちゃいけないっていうふうに象徴っていう言葉を解釈すれば、天皇は何にもすることができない。
いま、たとえば、どこか、イギリスとか、エジプト行って、むこうの王室と仲良くしてとか、どっか見学してとかやって、親善のなんとかってやってるんです。それだって政治行為だよっていうふうに、それで、象徴行為だよっていうこともできるし、政治行為じゃないかって言おうと思えば言える、つまり、象徴ってことは、時代時代でどういうふうでも解釈できます。こんな馬鹿らしい条項っていうのはないってことになります。
つまり、こんなのはヘーゲル的に言わせれば、こんなのナンセンス中のナンセンスの条項だってことになります。これは、それが通っているってことが、あいまいに通っていることがあります。そうすると、このふたつの条項っていうのは、どう考えたって、これは通用せんよっていう、日本人でなければ、こういうものの論理は、いまやられているような論理は通用せんよっていうような理解になるのが、大まじめな理解の仕方だと思います。
なぜっていうこともあるわけです。なぜこんな条項が入っているのかっていうと、たくさんあるんですけど、それを言っちゃうと、ヘーゲルの論理じゃなくて、ぼくの勝手な論理になっちゃうから、あんまり言わないことにしますけど、なぜ、この象徴みたいな条項が入るんだろうかってことを、準法的にだけ申し上げますと、これは、日本みたいな、アジアはみんなそうなんですけど、日本みたいに、法っていう考え方、掟っていう考え方ですけど、その考え方はすこぶる情緒的で、情念的で、ヘーゲルのいうように、ほんとに一般意志そのものであって、道徳とも、動機とも関係ないものなんだっていうところまで突き詰めた考え方っていうのは、日本人には不得手だし、そんなものはないですから、そのなかった伝統的な日本人の実感に叶う考え方と、それから、体裁だけは、日本だって、明治以降、近代国家ですから、そういうのと、実感的な憲法を持っている国家だって、立憲的な国家だっていいたいような、その外的な体裁をちゃんと持っているっていう、そういう考え方と、西洋近代のあれを模倣して憲法のかたちをつくって、しかし、伝統的な日本の掟とか、法とかの考え方があって、つまり、道徳とあんまり区別できないような考え方があって、それしか、ほんとに日本人にはないんです。ほんとに実感の延長からいったら、どうしてもそうなっちゃうんです。
それは、みなさんがご自分のことを考えればすぐわかるんで、ぼくは、そういう意味では日本人っていうのは信用していないです。つまり、日本人で法的な言語をほんとうに使える人が、法律学者でもいるかどうかっていったら、ぼくはいないと思っています。たいてい情念的だと思います。情緒的に使っていると思います。護憲とか、平和主義って言っている人も情念的で、戦争いやだとか、人殺すのは嫌だとか、そういうふうな意味合いで言っているので、ほんとうに法的に九条をとことんまで守り、かつ、主張するっていう意味合いで護憲って言っている人は、日本にはいないと思いますけど、たぶんに情念的、倫理的な平和主義だと思っております。
ですから、そこまでいっちゃうと、どうしようもないってことになって、戦後憲法で、天皇は国民統合の象徴だっていう項目が入っているのは、ぼくは、いわば、西洋近代の模倣によって成り立っている憲法概念と、それから、日本の伝統的な掟の概念ですね、それとが、うまくどこかでひとつだけつながりをもっている、象徴的につながりをもっている項目がどっかひとつないと、成り立たなかったんです。
戦後憲法成立のいきさつをいえばそうなんですけど、それがないと、実感が納得しないっていうふうな時点で、その項目はどうしても入ってきて、この象徴という曖昧な言葉、どうにでもとれる言葉がここに入っているってことになっていると、ぼくは法的に解釈します。
それで、それ以前の明治憲法っていうのは、天皇は神聖であって、犯すことができない、犯すべからずっていうのが戦前までの、あるいは、戦争中までの日本国憲法だった。これはやっぱり、伝統的な日本の考え方と、近代的な憲法の考え方と折衷した場合、折衷できる唯一の項目だっていうので、それはあったわけです。で、戦後になって、それが、国民統合の象徴ってことで、折衷案が、その項目で成り立っているってことになっているわけです。それが、日本国憲法の、いまでも問題になりうるふたつの項目、非戦・非武装項目と天皇制の国民統合の象徴っていう項目が残っている所以だと思います。
たとえば、みなさんが歴史で習ったことでいえば、聖徳太子の十七条憲法っていうのがあるでしょ、あれが日本のいちばん最初の憲法ですよね。あれをみれば、すぐにわかるんですけど、たとえば、第一項っていうのは、みなさんもよくご存じで、「和を以て貴しとなす」っていうのが第一項なんです。つまり、和っていうのは和らぎです。和合っていいますか、和合することが貴しとなすっていうのが、聖徳太子の憲法の第一条なんです。
和らぎをもって貴しとなすっていうのは、これは法の規定なのか、それとも、道徳、あるいは、倫理の、倫理・道徳の規定なのか、区別がつけられないでしょ、つまり、そこを区別するようには、日本の精神性っていうのは成り立たなかった、まして、哲学性とか、制度性っていうのは成り立ってこなかったっていうことの、いちばん最初の象徴なわけなんです。
そんなの、だんだん、ほんとに法的な西欧並みの法的な言葉になっていったかっていうと、そんなことはないのです。ぼく、たまたますぐ、出てきた本からあれしたのが、ここに北条氏があれした『建武式目』っていう、建武時代に幕府でつくった法なんです。
幕府法なんですけど、幕府の法律であるっていうことは、実質上、国法、憲法と実質上同じだって理解して、それほど間違わないで、むこうのいろんな、つまり位階勲等の規定だったら、そのときだって朝廷が、京都の朝廷の承認なしには、左大臣、右大臣、なんとかのかみとかいう役目をもらえないっていうふうにはなっていましたけど、けっしてべつに国家の方針を決める法律っていうのは、幕府法っていうのはそういうものだって考えて、そんなに間違わないんですけど、やっぱり、『建武式目』の第一条っていいますか、最初の条項っていうのは何かっていうと、「倹約は行われるべきこと」、いまの人は喜ぶかもしれないけど、いまの第三次産業の企業なんてのは、政府なんかもそうかもしれないけど、こんなこと喜ぶかもしれないけど、これが憲法第一条なんです。
鎌倉期ないし室町期の、室町時代の国家を治める為の第一条は「倹約は行われるべきこと」、それから、その点、第二項目は、群飲佚遊、だから、たくさんの人で飲んで遊んだりとかってことだと思うんですけど、佚遊っていうのは遊ぶってことだと思います、いい気になって遊ぶってことだと思います。佚遊を制せらるべきこと、制すっていうのは、ようするに整然する、制するわけです。それが第二項目です。
いずれも喜びそうな、道徳的な、いまだって会社の首脳は喜ぶでしょうけど、つまり、こんなのしか、室町時代になってもそうだけど、江戸幕府法をもってきたって、細目はずいぶん詳しくなっているんですけど、つまり、刑罰の規定とか詳しくなってるけど、基本はおんなじなんです。道徳なんです。いや、道徳じゃない、法律だ、あるいは、掟だっていうふうになって、それは言われているんだけど、実質上、ぼくらが頭で考えると、これは道徳じゃないの、つまり、守るべき道徳っていう意味じゃないのっていうのがあるんです。
つまり、日本国の憲法に該当する国法っていうのは、ことごとく、道徳・倫理っていうものと、それから、法的な、論理としても明晰だし、制度についてとことんまで突き詰められているものに比べたら、お話にもならないわけです。
しかし、実感的にいうなら、ぼくもそうだから、みなさんだってそうだと思うけど、憲法なんて、大まじめに普段なんか何にも考えてなくて、けっこう生活もぐちゅぐちゅしないわけですよ。また、天皇は国民統合の象徴だっていったって、目くじら立てないで、どっか行って友好関係を樹立し、皇室外交をやったとかいったって、ああそっかそっかって、あんまり関係ないやっていうふうに思って、ああそっかそっかなんて思ってそれで済んじゃうっていう程度しか、ぼくは実感的にいって、それだけしか思い浮かばないから、それでけっこう生活していますから、成り立っていますから、ぼくは、人をおまえは遅れてるなんて絶対言わないですけど、でも、遅れてることはたしかなんで、曖昧なことはたしかに、大江さんとて曖昧なんで、曖昧なことはたしかなんです。

8 マルクス、ヘーゲルより法概念を拡張する

だから、この道徳・倫理っていうのと、法っていうのとを区別してないっていうことがあるわけです。これは、ぼくに言わせれば、逆手をとれば、ようするに、法って概念、考え方を拡張しようじゃないかと、ヘーゲルが言ってるより、もっと拡張しようじゃないかと、ヘーゲル、マルクスが言ってるより、もっと拡張したい、ようするに、文学とか、芸術とか、そういう言葉を、法の言葉っていうふうに解釈しちゃおうじゃないかと、そういう言い方をすると、文学っていうのは、法と物語からできているっていうふうに言ってよろしいわけです。
つまり、法と物語からできているのが文学なんだって言っていいわけです。それから、法と色彩かフォルムで、絵画・彫刻っていうものの本質を語っても、そんなに間違えることはないんです。それから、また、言語からいうのならば、ぼく流の言い方をすれば、文学っていうのは、言語の自己表出性と、それから、指示表出性と、両方から成り立っている。指示表出性っていうのは、物語の起伏とか、物語の構成とか、コンポジションっていうのが、言語の指示表出の延長線上に理解できるのである。
それから、いま先ほど、法といいました、法の言葉に匹敵する、非常に緊張した言葉の使い方っていうのは、言葉の、言語の、自己表出っていう概念で、これは言うことができるんだって、ぼく流にいえばそうなっちゃいますけど、もっともうすこし手前でいえば、法の言葉と物語の言葉っていうのでできているのが文学ですよっていうところまで、法っていう概念を拡張してしまえばいいんじゃないかとは、かなり自在に、憲法みたいな、国法みたいなものを、自在に理解することができるっていうふうになるんじゃないかっていうふうに思います。
ぼくらは普段は、実感では、そういうことなしに生活して、けっこう生活は成り立っているので、だから、いちような言い方をすれば、日本は世界にかんたるっていいますか、けんたる経済大国で、非常に進んだ、先進的な資本主義なんだっていうと、だいたいのことは言えちゃってるんです。
だけど、ほんとうに厳密にいいますと、そのうえに象徴天皇っていうのがいるんだよっていうことを言わないと、日本国とは何かっていうことは、間違えると思います。でも、厳密に言わないときは、日本は先進的な、世界の1,2を争う経済大国で、経済的に進んだ国であってっていうふうにいうと、おおよそのところはそれで済むと思います。それで、西欧の日本の理解っていうのも、だいたいそれで済んでいると思います。
で、天皇制が国民統合の象徴だっていうことをよくわかっている、そういうことまでわかって、日本国っていうのを言っている、ヨーロッパとか、アメリカとかの知識人っていうのは、それは存在しないわけです。それは、存在しないのはなぜかっていうと、こっちが存在させないからですけど、それは存在しないんです。つまり、厳密に言えばそうです。
日本は高度の資本主義で世界にかんたるでまあいいじゃないのって、おおよそいいんじゃないのっていうんだけど、だけど、象徴天皇っていうのは何か知らないけどあるんだぜっていう、で、象徴とは何ですかっていったら、これは、法律の言葉としては、非常に厳密化しないと、なかなか厳密な定義をつくらないとしょうがない、政治行為も象徴行為だといえば言えるし、それから、非政治的な行為を、どこそこを訪問したっていう行為でも、ただ友好親善関係のために行ったって、これを政治行為と解釈すれば、これだって、象徴だけど政治行為だっていうふうにも言えちゃうし、そんなの全然どれも政治的な行為じゃないよっていうふうに言っちゃえば、そうだっていうふうに、曖昧なところで済んでいる。
しかし、ほんとうに日本国とは何者なんだっていうのを、ほんとうに云いたい場合には、そこまで言っちゃわないと、言わないとダメだってことになっていくと思います。
だいたいにおいて、法とか、憲法とかを主体にして考えますと、どれだけ、ヘーゲルとか、マルクスとか、つまり、法を哲学まで突き詰めた、つまり、とことんまで突き詰めた、とくに共同意志たる国法っていうものを、どこまで、国家と不可分な法律ですけど、どこまで、とことん突き詰めたら、どういうことになるかっていう、ヘーゲル・マルクス流のところまで極端に突き詰めると、そこになっていくと思います。
それに対するわれわれの理解のいまの場所っていうのは、いま申し上げましたところにあると思います。そのギャップっていうのを埋める為には、ぼくはやっぱり、いざとなったら、法的な言語、言葉っていうものは、法律の条項をあれする言葉っていうのは、実証的な言語じゃなくて、本質的な言葉っていうところでもって、法の言葉を理解するっていうところまで、いざとなったら、いつだってやれるぜってところまで、突き詰めておいとけば、いちおうは調節はつくだろうなっていうのが、さしあたって、ぼくらが考えているごまかしようって言ったらおかしいんですけど、解決法です。
つまり、もっと単純に考える人は、日本が西欧的になっちゃえばいいんじゃないかっていうふうに、そうすればいいんだ、そうならないのは、日本人が無知だからっていうんだって言って済んじゃっている人たちもいますけど、ぼくらはそれに賛同しないんです。
そんなことは簡単なことよって、つまり、頭のなんとかを非常に緊張させて突き詰めたところで、言葉を主体にして読めば、それなら、そこにいくってことが簡単にできるんだ。だけど、そんなところにはちっとも問題はないのです。それと、伝統的な法と道徳、区別つかない、われわれの伝統と実感っていのを、どこでそれを調和させるか、あるいは、どこでどういうふうにすれば、だいたい解決したってことになるのかっていうことが非常に重要なので、ぼくは重要だと思います。
それから、その観点からいくと、いま申し上げましたところが、日本における、現在までにおける、あるいは、伝統的な法理解っていうものと、それから、西欧近代の法理解、とくに西欧近代でも、法とか、法律とかっていうのを哲学の領域まで突き詰めていっちゃった場合の、そういう見解との落差っていいましょうか、実感の落差っていいましょうか、それが、いま申し上げましたところに、いちばん肝心なところがあると思います。

9 日本の法概念の利点と弱点

それで、マルクスの言い草をいえば、ヘーゲルの法哲学っていいますか、法をそこまで突き詰めたっていうのは、ヘーゲルがはじめてであるし、また、これは、極限までいっているんだ。だから、ドイツ国っていうのは、当時のヘーゲルとか、マルクスの時代ですけど、当時、ドイツ国っていうのは、非常に遅れているんだけど、フランスとか、南、西のほうに位置している国に比べれば、西欧の国に比べれば、ドイツ国っていうのは遅れているんだけど、しかし、国家、法についての哲学だけは、その人たちよりも、ヘーゲルが突き詰めたところの、ドイツの法哲学のほうが、はるかに進んでいるんだ。だから、これは、そういう意味合いで、頭脳としていえば、全ヨーロッパの頭脳になりうるところまで、ヘーゲルは、法とか、国家っていう概念を突き詰めてしまったんだ。
だから、これは、さしあたっての課題っていうのは、ヘーゲルが突き詰めたところを、あるところで、引っくり返ることがあるよってことと、ひっくり返って考えなきゃダメだよってことと、それから、ヘーゲルの哲学を、全ヨーロッパの国家哲学、法哲学っていうふうに位置づけることをやれば、それがその当時の現在の問題であって、現在の問題っていうのは、マルクス流にいえば、その時の革命の問題であるっていうのが、マルクスの考え方です。マルクスはそういう考え方で、いろいろな社会の問題っていうのは、そういうふうに考えていったわけです。
日本の場合にも、法と道徳っていうのを、区別つかないところで考えていますから、いまでもおんなじです。それを、区別つかないところで言われていたりしますから、それは、われわれの日本人なんかがもっている通性だっていいますか、通学だって言ってもいいんですけど、通学だと考えれば、よろしいんじゃないかっていうふうに、ぼくはそう思います。
だから、これを逸脱しちゃうとどうなるかっていうと、やっぱり、いまの検察庁みたいなのとおんなじ考え方になって、何行から何行までに、こういうふうに卑猥なことっていうのが書いてあるじゃないの、だから、この作品は猥褻なあれで、罪科に該当するっていうふうな、実証的な理解の仕方になってしまうわけなんです。だけど、本質的な理解をすると、そうじゃないんだっていうこと、作品全体の流れで読んでいくと、何行から何行までの卑猥な意味だけの言葉が書いてあるそれは、卑猥というふうには読めないんだよっていう、そういう本質的な理解の仕方をすると、そういう理解になると思います。
それは、法律家も、法律の担当者も、実際的な担当者の意見には合わないでしょうけど、法的な言語っていうのを、ほんとうに使う場合には、そういうふうに考えないと、ほんとうには使えないよっていうことっていうのはあると思います。それは、西欧の近代がつくりあげた法的な概念っていうのと、日本人のもっている道徳と、法の言葉とはぜんぜん区別がついていないっていう、そういうある程度、実感にはかなうわけですけど、そういう考え方とのギャップになると思います。
だから、論理としていえば、検事のほうがとおりがいいように思えますけど、いったん異議をさしはさむと、その読み方はダメなんだよって、言葉として、その読み方はダメなんだよっていうことを言わざるを得ないっていう読み方もあると、ぼくは思います。
これは、いま起こっている問題では、サリン事件っていうのがあって、ぼくは、テレビとか、新聞とか、一生懸命まじめになって追っかけて読んでますけど、ことごとくダメです。つまり、本質的にいいますと、どういうことかっていいますと、誰それが、これこれを、こういうふうに、サリンをこういうふうにつくって、持っていて、証拠もあって残っていると、それを持っていた人が、どこそこへ行って、それをぶっちゃまけたと、そうしたらば、こういう人が、こういうふうにして亡くなった、それの特定ができなければ、なかなか有罪っていうのはむずかしいと思います。
現在の段階は何かっていうと、誰かを誘拐したとか、サリンを誰がつくったってことを、警察庁自体が告発するとか、検地をして、裁判所がそれを告発してっていうようなところのまったく以前にある問題ですから、誰が犯罪人であるかっていうのは、ぜんぜん何も言うべきでないっていうのが、ぼくの、つまり、本質的な言語からいった法律の理解の仕方です。
これは、テレビとか、そういうのを見ていると、もうあいつにちげえねぇとか、あいつが怪しいとか、それは前提になって出てくる、学者をとして出てくるゲストのやつもまた、おんなじなんです。これはかなわないなっていうのが、ぼくの本音です。かなわねえやつらだなって、これは、なんとかやり直したほうがいいんじゃないのって思うわけです。というのが、いまのところのぼくの感想です。
もし、こういうことで、いろんなことが非常にはっきりしてきたときには、ぼくもなんか言ってみたいって思っていますけど、いまの段階でいうと、何か言うことないかとか、コメントしてくれとか、書いてくれとかっていうのが、3つくらいありましたけど、何にも言えないんじゃないかな、まだ何も言うべきあれはないから、段階じゃないから、そういうのが決まってきたら、言ってみたいなって思ってるんですけど、それはぜんぜん決まっていないんだから、何にも言うことはないっていうのが、ほんとうの法の理解です。
だけど、もうその前に、あいつは人殺したんじゃないかみたいなのが、なんとなく、わあわあわあわあ言っているうちに、道徳的な疑いとか、なんとなく怪しい気配だっていう、それとが、映像と結び付いたら、もうそうだというふうに思い決められたところで、はじまっちゃって、かたっぽのそのところに、盛んに大小から出てきて、これは、ぼくはテレビとかで見てると、ああまたかっていう、もうすこし、展開、進展がないものかっていうのが、ぼくらの正直な感想です。
これはもっと本質的なところまでいっちゃうと、どうしても、道徳・倫理的な予感っていうものと、それから、法的な違反っていうものとが、日本人の法概念っていいましょうか、掟の概念では、どうしても、そこを分離することができていないんです。いまでも、できていないんです。だから、そういうことになってるんですけど、これは、利点として出てくるところっていうのは、法っていう概念をもっと拡張したいって、西欧近代がつくりあげたより、もっと拡張したい、芸術・文学とかの表現も法の概念のなかに入れてしまえっていうようなふうに、法の概念を拡張するっていうようなことのモチーフとしては、非常に利点になると、ぼくは思うんですけど、つまり、ヨーロッパの人は、そんなこと考えないと思うけど、ぼくらはそういうことを考えます。
ですから、そういう拡張っていうのはいいなっていう、概念としては危険なんですけど、弱点としては、いま言いましたようなことが、たくさんあるんですけど、悪い言い方をすると、ぼくは、田中角栄っていう人、なんか5億円かなにかわからないけど、ロッキード社からもらって、それを政治資金に使っちゃったとか、そういうことで起訴されたりしているんです。それで、自殺した人も出てきたりとか、いろいろあるわけです。そうすると、その段階で、田中角栄っていうのは、被疑者として、道徳的に非難するっていうふうに、やっているわけです。
その時もよく見てましたけど、ひでぇなって思うわけです。なんか限りなくクロに近い、疑わしいと思うけど、クロだと誰も断定できないよっていう、三浦和義っていう人が、奥さんを殺して、保険金とったとかとらないとかいう、それになったときもやっぱり、もう殺人者として、そういうのもジャーナリズムがいっせいに取りたてたってなっちゃったんです。これは、そうしますと、三浦和義は非常にまいったでしょうけど、それに我慢して、耐えてっていうふうにやってきているけど、つまり、法的な被疑者であっても、犯罪者っていうにはむずかしいんですよ。
それはまた、逆にいいますと、先ほどのヘーゲルの言葉じゃないけれど、犯罪的な動機と、犯罪的な行為に結び付けられるんだけど、それが違法だとはいえない、あるいは、違法にはならなかったっていうことがありえますし、その逆の場合もありうるわけです。それは、法律っていうものですから、実際にやったかやらないかっていうことと、そういう実証的なことと、それから、法律がそれを処罰できるかできないかっていうこととは、違うことだっていうことを、よくよく考えないと、考えたりしないとダメなんで、そこを何にも言えないときから、もうそういうふうに言っちゃってるわけです。
それはやっぱり、ぼくに言わせると、間接的な、法と道徳を混同したために、起こした殺人であるっていうふうになると思います。日本のジャーナリズムっていうのは、何回もやってるんです。そういう殺人っていうのをやっているし、もちろん、正しいこともやったかもしれないけど、殺人もやりましたし、それから、あとになって無罪だっていうことになって、それじゃあ、その人が被った損害っていうのはどうするんだ、おまえ腹でも切ってくれって言いたい奴はたくさんいるわけですけど、へー太郎で新聞は続きますし、やってるわけです。
つまり、そういうのは、ほんとうはものすごく問題なんで、ちょっと、話にもならないってことになると思います。つまり、法っていうのは、それくらい、本質的な言語としていえば、それくらい厳しいものだって、ぼくは思っています。それは、全然、弱点としていえばダメだってことになってくと思います。そういうことは幾たびもあるわけで、それは、道徳と法と、それから、ある場合には宗教と、それとの区分っていいましょうか、区分け、あるいは、部類別っていうのが一生懸命ちゃんとできていないっていうことに起因すると思います。

10 アフリカ的段階の痕跡が残っている日本の神話

そこまできたんですから、ぼくは、とびとびで申し訳ないんですけど、歴史哲学の概念に入っていきます。どうして、アジア・アフリカっていうところの人間っていうのは、そういうふうな心情っていいましょうか、心情的な善悪と、法的な、論理的な善悪っていうのを区別できないっていうふうに、どうしてそういうふうになるんだろうかっていうことになるわけです。
これは、アフリカ的な国家でも、アジア的な国家でも、中国でもそうですけど、アジア的国家でもおんなじで、大なり小なり、倫理的国家であって、宗教的国家であったりするわけです。たとえば、アフリカなんかで、日本にもありましたし、アフリカなんかだと、小さな部族が寄り集まって、一種の近代国家じゃないですけど、部族連合国家みたいなのをつくるわけです。そのときのいちばん有力な部族の長っていうのが、いちばん王様だって、国王だってなるとします。
それで話が済んでいる道徳的国王、あるいは、宗教的国王として済んでいるときはあるんですけど、たとえば、飢饉とか、それから、災害とかっていうのが、連続的に続いたってなって、そうすると、これは、宗教的な神の怒りだっていうふうに考えまして、そして、宗教的なおまじない、おはらいでもって、これを災害をまぬがれようっていうようなことを、部族社会ではやるわけです。国王っていうのは、こういうふうな災害をもたらした、張本人の、いちばんの責任は国王であるってなるわけです。
国王っていうのはどうなるかっていうと、もちろん、みんなで退位させちゃうっていうのが、いい場合はそれくらいで済むわけで、だけど、もっとあれなときには、王は犠牲として殺害されるわけです。王は宗教的な犠牲に供せられて、そうすることによって、魔防的な殺害を逃れるっていうやりかたをするわけです。
そうすると、こういう段階にある国家を、仮にアフリカ的国家っていうふうに申し上げますと、そのアフリカ的国家の痕跡っていうのは、日本にあるかどうかってことになりますと、ぼくは、初期の神話にあるっていうふうに思っているわけです。初期の日本神話っていうのは、アフリカ的国家の段階のことをしてるなって思うところがあるわけです。
たとえば、いちばんあれなのは、日本の古代法っていうののなかに、「天津罪」っていうのと、「国津罪」っていうのが、ふたつあると、「天津罪」っていうのは、慨していえば、農耕に関する罪だっていうのがあるわけです。たとえば、闇に乗じて、鎌で切っちゃって、田の水を自分の田んぼにだけ流し込んじゃって、何食わぬ顔してあれしてっていうようなことをやると、「天津罪」っていうのに該当して、そいつは罰せられる。罰せられるのは、いろんな罰しかたがあって、体罰から、追放罰とか、いろいろあるわけですけど、そういうふうに罰せられる。そういう農耕に関する罪っていうのを、慨していえば、「天津罪」っていうふうに言われているものです。
もうひとつ、「国津罪」っていう名前のものがあります。これは、慨していえば、ようするに、まじないの罪です。たとえば、いまでいえば、身障者なんですけど、生まれながらに白線があるとか、目がかたっぽ見えないで生まれてきたとか、腕がなしに生まれてきたとかっていうような、そのころの言葉でいえば、シロヒトとか、コフミとかって呼ばれるんですけど、そういうふうに生まれたのは、すでに親が悪いことをしたんだっていう、つまり、親の罪なんだっていうことになって、ご本人の罪ではあるんだしょうけど、親の罪になるんだってことになって、それを解消するには、おまじないでもって、解消しちゃうより以外ないんだっていう、で、おまじないでもっぱら解消しようとするわけです。
そういう日本の「国津罪」っていう概念は、日本がアフリカ的な国家の段階にあったときの風俗・習慣とか、道徳的違反とか、生まれながらのなんとか、前世からの罪だとか、そういうふうに思われていたこととか、そういうことのひとつのあらわれだと思います。
社会的な段階でいいますと、神話の中に、自然の草とか、木とか、動物とかが、たとえば、風なら風が吹いて、ひゅーっと枝が揺れて、音を立てたりしたっていうと、それは、草木がしゃべっている言葉なんだっていうふうな、そういうところが、神話の記述の中にありますけども、草木っていうのの言葉なんだっていう考え方の概念は、やっぱり、社会段階としていえば、これは国家段階じゃなくて、社会段階としていえば、これはアフリカ的な段階なんだ。
つまり、自分と外界の自然との間の区別っていうのが、それほどついていない、ですから、逆なことをいいますと、自分は、動物と同じように、自然のなかにまみれて住んでいて、自然の言葉っていうのは聞き分けることができるみたいな、そういう段階に人々がいるわけなんです。そういう段階にあると、記述があると、ぼくらは、これはアフリカ的段階に日本があったときの神話的概念が残ってるんだろうなっていうふうに解釈するわけです。

11 日本固有ではないアフリカ的段階の風習

もうひとつ、そういう解釈ができるところがあるんです。それは、何かっていいますと、王様、日本だと天皇なんですけど、天皇の祖先とか、父親の父親とかっていうのの、神話のなかの記述で、何々ノミコトが、浜辺の部落へ行って、そこの娘さんと仲良くなって、子どもを産んだみたいな、そういう記述みたいなのが、初期の神話のなかに出てくるわけです。
そういうとき、妊娠した浜辺の娘さんが、産小屋のなかに入って妊娠すると、いまでも南のほうの風俗でありますけど、中へ入って妊娠すると、そういう習慣で、そこへ入って妊娠しようとしているところ、出かけていた男のほうが、何なんだろうなと思って、覗いてみたら、女性が本国における姿をして、つまり、鰐の姿をして暴れまわっていて、それで子どもを産もうとしている、それを見てびっくりしちゃって、逃げ出そうとするわけです。そうすると、お姫様のほうは、妊娠はするんですけど、おまえ見たなっていうあれで、見るなっていうのを見たんだってあれして、本国へ帰っちゃうっていうような、そういう神話の記述があるわけです。
そういうふうに産まれた子どもは、産小屋の屋根がまだできていないうちに、のぞき見やなんかできるようなときに、生まれちゃったっていうので、名前を鵜葺屋葺不合命っていうふうに、そういう名前をつけたんだって、それは、神武天皇の親の親だったっていうふうな神話的記述があるとしますと、鵜葺屋葺不合命ってのは何かっていいますと、茅葺の屋根を葺き終わらないうちに生まれちゃったから、鵜葺屋葺不合命っていう名前にしたんだっていうふうになっているわけです。
そういう馬鹿な名前の付け方があるっていうことを想像することができないわけです。つまり、いまの日本的な概念から、われわれの生命に対する概念からいえば、そんな名前つけるわけないじゃないかっていうふうになるから、これは神話の荒唐無稽なっていいましょうか、つまり、神話だからでたらめなんだっていう、でたらめにいい気になってつけちゃったんだよっていうふうに思うわけなんですけど、そうでもないんです。
アフリカ的な社会の、アフリカ的王国がいまでも残っているとすれば、そういう王国では、王様の係属で生まれると、生まれるときになんでもいいんですけど、嵐が来ないうちに生まれたっていうのでもいいし、嵐が吹きあえずのみことでもなんでもいいんですけど、そういうふうにあだ名を付けちゃう命名法っていうのは、アフリカ的段階では、部族国家、あるいは、部族連合国家的段階では、しばしばあるってことは、いまでもあるわけです。
それは、民俗学者とか、人類学者がよく調べてあるわけで、つまり、それとおんなじだなって理解すると、かならずしも、このアホらしい、子供だましみたいな名前の付け方っていうのは、嘘だっていうふうには言えないのです。そういう名前の付け方の時代っていうのはあった。
ぼくらは、それは、アフリカ的段階にあったときだなっていうふうに思うわけですけど、その段階にあるときには、日本神話のなかでも、これはどういうところの地勢とか、建興とか、雰囲気ですけど、ちょっとどこだかっていう、空間的になんか特定ができないなって感じがするわけです。それはきっとどこかなんだろうと思いますけど、どっかでのことなんだろうって思いますけど、そういう段階があったっていう、そういう神話的記述は、そこを明らかにしないですけどっていうのは、つまり、神話以降の、歴史以降の、日本の王族っていうのは、たぶん、いろんな制度、あるいは、もしかすると、騎馬民族説みたいなのからあれすると、大陸のほうから、文明を背負ってやってきたっていうのが、王族になったっていうことかもしれないし、また、大陸の文明を受け取ったからっていうことかもしれないし、それは確定できないけども、いずれにせよ、文明が発達してからの神話を編纂したのは、そういう人たちですから、場所・空間を特定しないで、しかし、言い伝えとしてはこういうふうにあったっていうふうにつくってあるんだと思いますけど、空間的には、どこかっていうのは、あんまり指定できないっていうんですけども、そのうちの非常に隠された記述としてあるんだけど、けっして、なんかおかしくはないっていいますか、それは、たぶん、アフリカ的段階にあったときの言い伝えっていうのをちゃんと入れてあるよなっていうことっていうのがあるわけです。
それから、伝承とかによれば、中世までそういう風習があったっていうふうに言われているんですけど、いまでいうと長野県ですけど、諏訪地方ですけど、諏訪地方に建御名方神っていうのが神話のなかに出てきて、テンソンロクっていうのに、支配している国をあけ渡すみたいなかたちになるわけですけど、その諏訪神社のあたりを根拠地として、その周辺を治めているわけですけど、その治めているところの、中世まであった、いってみれば、諏訪神社のお祭りなんです。
いまでいうと、御柱祭っていうふうに言われているんですけど、大きな木を切って倒して、それを、木を引きずって、川へ運ぶために、山の上から引きずっておろして、若者たちがそれに乗っかって、時々けが人がでたりっていうような、そういうお祭りがあるわけです。いまでもあります。
その諏訪神社の場合に、伝承によれば、ほんとをいえば、占いをやって、占いがいった地方から、そこに特定される人間になんとなく、素質がありそうな子どもを連れてきて、そいつを連れてきて、諏訪神社で、岩倉っていうわけですけど、石の上に、部屋に引きこもらせて、何か月か暗い部屋で修業をさせまして、ある程度、超能力みたいなのをつけさせたうえで、岩倉の上で、相続式をやって、相続式をやると、それが現人神ってことになって、それが、諏訪地方を中心とする支配している地方に、お祭りのときに出かけていって、地方を巡行するっていうふうになるわけですけど、そういうのをやって、帰ってきて、しばしば、王様にした人は密殺しちゃうっていう、殺しちゃうっていう、そういう伝説があります。諏訪神社の神社史の伝説の中にそれがあります。
そういうのは、古代からの風習でっていうのがあって、それがだんだん、知ってるあれを殺しちゃうのはあれだからっていうので、だんだん後になるにつれて、諸国を放浪している人のところに、どこの人かわからん人を、放浪しているやつを捕まえてきて、それの子どもを捕まえてきて、それを部屋に籠らせて、修行させて、それを岩倉につけて、岩倉で即位してやると、もう現人神だっていうふうにしちゃうっていうふうに、終いには殺されるのは、覚悟の上で、お祭りのときだけ、王様として、神さまとして崇め祀ってあれして、それでお祭りが済んだら殺しちゃうっていう風習があったというふうに言われているあれがあるんです。
それは、やっぱり、ぼくは、そういう風習が実際にあったっていうふうにみても、伝承があったっていうふうに、痕跡があったっていうふうにみても、どっちでもいいんですけど、それは、やっぱり、ぼくは、アフリカ的段階に日本があったときの、ひとつのやりかたなんだって思います。
この特有の方法っていうのは、いまのチベットのダライ・ラマなんてのはそうだと思います。たぶん、そうだと思っています。つまり、誰でもわからんやつを連れてくるんじゃなくて、いまはたぶん、占いをやって、どこの地方からさらってこいみたいなふうになっていて、そこの地方で、やや素質があって、こいつ神がかりしやすいようだっていう子を連れてきて、それで、やっぱり、何か月かこもって修練させて、それですこし、超能力的あれをつくって、ダライ・ラマとしてあれするってことになるんだろうって思います。
その風習は、日本固有でもないし、日本のアフリカ的段階における日本だけにあるっていうわけじゃなくて、まず、そういうアフリカ的段階にあったところは、だいたいそういうふうにあったっていうふうに考えたほうがいいくらい普遍性があるわけです。

12 アフリカ的段階の少し先にあるアジア的段階

ヘーゲルは旧世界で、野蛮で、アフリカ人っていうのは、動物と区別つかないんだって言って、国家的なものがあったとしても、部族国家であって、真に共同意志たる法をもって、法が道徳と分離されていて、きちっとできていて、国家もそういうふうにできててっていうふうには、絶対なっていないんだ。宗教的、あるいは、呪術的国家としか成立しないし、住んでいる人たちも、自然と自分とを区別することをしていない。だから、自分が自然の声を聞いたりすることもできるっていうような、そういうふうに考えていて、自然のなかにまみれながら生きている。
そういうことを段階でいえば、アジア的段階っていうのは、それからすこし進んだ段階なわけです。そこでは、国王が、道徳的な憲法しか持てないけれども、国王がちゃんといて、専制政治を行っていて、国王の言うことは聞く、そのかわり、万事のことは、国王がぜんぶ取り仕切るっていう、たとえば、それは、農耕に関することでも、アジアでは国王の共同体がそれを取り仕切る。
で、一般の農耕民っていうのは、自分で、灌漑水利とかなんかを、自分でやってくることはやらないものだから、王国の共同体のやることを請け負うことになって、だから、王国が、たとえば、後退しちゃって、次の次の王国で滅ぼされて、王国がいなくなっちゃうと、たちまちのうちに、いままで栄えていた、農耕も栄えていた、そういう古代的な都市っていうのは、たちまちのうちに廃墟と化してしまうっていうのは、東洋ではしばしば起こるわけですけど、それは、ようするに、国王に水利に関することを、ぜんぶ取り仕切られている、あるいは、取り仕切ることなんて、農民が進んで、自分たちの水利、灌漑は、自分たちで工事したりするっていうのをやらないものだから、すぐそういうふうになっちゃうんだって理解の仕方になりますけど、そういうふうな、アジア的段階ではそうなので、そういう考えは、宗教的、あるいは、倫理・道徳と、国法、法律は区別つけられないんだけども、でも、国王がいて、国王の言うことは何でも聞くって、専制的になっていて、言うことをきく、そのかわり、生きる為のあらゆることは、国王の協議体がぜんぶ取り仕切ってやる。そういうふうになっているのが、アジア的段階における国家っていうものの特徴なんだっていう考え方をします。
そして、そういう場合の、税金は勝手に取り上げるわけですけど、取り上げる場合も、現物で取るっていうのは、アジア的な段階における国家の非常に大きな特徴なんだっていうのを考えてあげるわけです。
現物で取り上げるっていうのは、日本でいえば、江戸時代の末期までは、日本でも、農民の税金っていうのは、ぜんぶ現物で取るってなっていたんです。明治時代になってはじめて、西欧の農業政策についての学問が入ってきて、やっと、現物じゃなくて、市場でつくった農産物を売り飛ばして、そのお金でもって、税金を納めるっていうこともいいよって直したのは、明治になってからなんです。
明治までは、日本っていうのは、少なくとも、現物で、アジア的専制の、全部がそうではないんですけど、法律の中に残っていて、そういうふうにやられていたんです。そういうときには、農政学者っていうのは、だいたいにおいて、篤農家を選ぶわけです。つまり、農業に熱心な人で、こうしたらいいよって、村の人に教えてやったり、何を植えるときはこうしたいいよって教えてやる、二宮尊徳みたいなやつが、農政学者の役割をしていた。でも、言っていることは、道徳的なことです。おまえら農耕なんかやっているだけでは、お金なんか貯まらないんだ、貧乏しどうしだぞ、だから、すこし無理があろうけども、夜なべをして、縄をもって、わらじをつくったりとか、なんとかそういうことをやって、それを売って、それでお金をもらって、それを貯めるっていうことをしないとダメだぞみたいなことを言うのが、二宮尊徳みたいなやつなわけです。
町でいえば、商科、商業の場合には、お客さんには、こういうふうに丁寧に扱って、商売をうまくやって、そして、家を栄えるようにしたほうがいいぞ、家はそれぞれの家訓をもって、家訓に従っていったほうがいいぞっていうふうに、それは、石田梅岩みたいに、いわゆる石門心学って言われている、心の学っていうふうに言われているんですけど。これも商業のやりかたを道徳的に説いているっていいますか、徳川時代末期まではそれだっていう、そういう篤農家が農政学者の役割をしていたことになって、道徳学者かなんかの区別がつかないっていうあれなんです。
それで、明治になってはじめて、一代目が留学して、むこうの農政学っていうのを学んできて、日本で初めて農政学をあれするし、西洋的にいえば、市場をつくって、藩ごとの市場だけじゃなくて、全体的な市場をつくって、農産物を売って、お金でもって納めてもいいぞっていうふうに、そういうふうに直ったのは、わずかに、明治になって初めてそうなったっていうくらいなものなわけなんです。つまり、そういう段階は、幕末まで続いていたっていうふうなのが妥当なところです。
つまり、そんなところだって考えたほうが考えやすいので、日本は、近代的に、先進国に確かにいったんですけど、いっているところはいっているんですけど、いかないところはありますよとか、道徳と法とが区別ついてないですけどとか、いまだって、消費社会まで進んでいくってことは、けっして倫理的なわけではないんだよっていう、倫理の問題じゃないんだよっていうほうは、評判悪いんですけど、精神のなんとかみたいに、得質のほうは、いまでもやっぱり、評判いいんです。
つまり、いまも残ってる、ふっ切れてないんです。それは特徴なんだからしょうがないって、これが直るのは、一代かそこらじゃちょっと間に合わないぜっていうふうに考えるか、それとも、相当その人、個人個人がめちゃくちゃがんばったって、普段はぐったりして、がんばるときだけがんばって、本質的な言葉とか、本質的な法の言葉っていうのと、道徳・倫理とは違うんだっていうことを、区別できるっていうところを、いざとなれば、おれはできるぜっていうところまで、個人個人ががんばっちゃうか、どっちかしかないですね、いまのところ。それくらい、道徳・倫理と、法っていうのを区別することは、むずかしいところで、日本国っていうのは、現在に至っているわけです。

13 「段階」という考え方

ぼくは、アフリカ的段階って、自分でもって付け足したり、勝手に移っちゃったりして、自分なりのイメージのなかでつくり変えちゃっているところがあるんですけど、ぼくらが、アフリカ的とか、アジア的っていうときには、かならずしも空間概念じゃないんです。
つまり、これは、アフリカ行けば、いまもありますよとか、あるいは、これは、西欧の近代に比べれば地域的に遅れている地域ですよとか、アジア的って言っても、アジア的にいいますと、こういうところがたくさん残ってますよとかって、そういう意味合いが、もちろん、ないことはないんですけど、そういう意味合いだけで言っているんじゃなくて、空間的意味合いだけで言っているんじゃなくて、普遍的な意味合いでっていうか、一般的な意味合いでっていうか、一般的な段階っていう概念の意味合いで言っているんです。ですから、時間的な概念でもあるわけなんです。
ですから、もちろん、西欧に、アジア的段階とか、アフリカ的段階はあったのかっていったら、もちろんあったんです。だけど、ようするに、すみやかにそこを通り過ぎたっていうだけなわけです。すみやかにそこを通り過ぎてしまって、通り過ぎたことがいいか悪いかっていうのは、また、おのずから、ヨーロッパ人だったら、反省もいろいろあるわけでしょうけど、反省していいとはいえないとか、いろいろあるでしょうけど、でも、すみやかにそこは過ぎちゃった。だから、世界史的段階としてみるかぎり、やっぱり、同じように、そういう段階はあったんだと、だけども、そこはすみやかに通り過ぎちゃった。
なぜ、西欧人だけそこをすみやかに通り過ぎて、それから、東洋人はいまでも残って、まあ一段階だけはそこを過ぎたんだって、遅れて過ぎたんだっていうふうになっているのか、それから、アフリカ的段階がいまだってあるかもしれない、どうしてそうなっているんだっていう、今度は論議になるわけです。
それは、たいへんむずかしい論議になりますけど、ぼくはやっぱり、いろんなことと関連する、つまり、そこらへんはやっぱり、ぼくらは、一生懸命、突っかかっているところのことになるわけですけど、日本でも、アフリカ的段階は、わりあいに、すみやかに過ぎたところなんで、どこで過ぎやすかったかっていうと、いわゆる、いまの区別でいえば、縄文人っていうのがいて、弥生人っていうのが、だいたいにおいてそうだと思うんですけど、大陸のほうから、朝鮮経由して、九州のほうから、つまり、中国南部から直接とか、北のほうから直接とか、日本に入ってきた人がいるわけです。農耕を持って入ってきた。それから、もっというと、南のほうの島のほうから、島づたいに、農耕に近い、焼き畑農耕みたいなものを持って、入ってきたのもいるかもしれない、そこのところは確定的ではないんですけど、それ以降、かなり中国文明に受けてて、かなりいろんなことを知っている人が入ってきたことがある。それ以後、日本っていうのは、アフリカ的段階を離脱しやすくなったことは確かなんです。
離脱して、いまではわずかに、神話なら神話のなかに、それをよく読めば、ああこれはアフリカ的段階の名残りだなっていうものが、わずかに残っているとか、いまでも、アイヌ文化とか、それから、琉球文化っていうののなかを、よくよく追及していくと、アフリカ的段階の遺制とか、言葉とか、かなりな程度、残っているのがあるんです。そうすると、そのわずかに残っている部分を見て、ああ日本にもこういう段階があったんだなっていう、おおざっぱにいえば、縄文的段階って言われているものは、だいたいその段階じゃないかなみたいなふうな、検討をつけるわけです。
そこのところから、アジア的段階に移っていって、その人たちの主たる産業的な働きが、田畑の耕作っていうようなことをやり始めたっていうことになっていって、江戸時代から、明治の終わりに近い頃まで、だいたい日本は農業国だって言っていいくらいに、農業の人口パーセントも、全体の経済的規模に対する農業の大きさも、半分以上あったっていうふうになるわけですけども。そういう農耕国家だっていうふうに言っていいときがあったんですけど、いまでは、到底到底そうはいえなくて、つまり、第三次産業の、流通、貿易、消費の国家であるといったほうがいいくらい、労働者もそっちのほうが多くなっちゃってますし、すべてがそうなるのに近くなっていくっていう方向にいっているっていう段階なんです。でも、農業国とは到底到底いえないし、工業国とも、まずまず言えないっていうふうな、そういう段階も過ぎてしまったよっていうところにいってるわけですけど、そういうふうにして進んでいくわけなんです。

14 日本とは何か

日本っていうのは何なんだっていう、アジア的国家っていうところからいくと、国家制度が宗教的なあれを残していながら、しかし、国家がひとつの国法を持って、専制政治的なものをひいて、国家らしいかたち、つまり、日本でいえば、十七条の憲法っていうのは、まだあれなですけど、でも、あれ以降、なんとなく国家らしいかたちができて、位階勲等みたいなのができて、もっとすれば、律令制っていうのができて、もっと法律的には細分化されてきて、国家らしいかたちはもっと整うわけですけど、そういうふうに、だんだんなってきたんだよってことになるわけですけど、それ以前をたどれば、そんなことで、もっと以前をたどれば、それはアフリカ的な国家なんだよって、そのときには、自然祭祀、農耕よりも、自然のものを取って食っちゃったりとか、生き物を取って食っちゃったりとか、魚を取って食っちゃったりとかのほうが多かったよっていうふうに言えると思います。
つまり、そういう段階からきたっていうふうに考えると、日本っていうのは、なんとなく、アジアのなかで、アジア的な段階の要素とか、アフリカ的段階の要素が、あんまり痕跡しか残っていないところまでいっちゃったよなっていうふうになるわけですけど、国家と密接にかかわっている意味での、法律とか、国法とか、それから、国家とかっていうのでいえば、まだまだ、アジア的な段階での遺制っていうのは残っていますよっていうふうに、残っているかと思えば、一方では、西欧の超近代的なっていいますか、先進国並みのところまでいっちゃっているところもあるわけです。
そういう不可解なっていうか、不思議な国っていったらいいんでしょうか、不可解な国です、日本っていうのは。むずかしい国っていうか、面倒な国です。面倒なことがいっぱいある国です。これを面倒じゃないように理解するための、ぼくの考え方では、唯一の考え方、つまり、理解しやすい考え方っていうのは、この「段階」っていう考え方です。
日本は、アフリカ的段階の要素を、すこしだけ残して、それから、アジア的段階のところから、近代以降、明治以降はじめて、西欧的段階のところに突入していって、それが、近々、百数十年でしょうか、その間に、西欧のいちばん先端のところまで、産業経済的には駆け抜けていっちゃって、そういう非常に不可解で、不可思議な国なんですけど、そこまでいっちゃったっていう、その3つのものが、適当なっていいますか、ある非常に特異な交わり方をしているのが、日本国であるっていうふうな認識をとると、大枠はそれでいいと思います。
それで、細部のことを段階の問題に照らして、細部のことを日本っていうのは突き詰めていくと、日本っていうのは何なんだっていうのは、わりあいに、わかりやすいんだと思います。
で、日本っていうのは何なんだっていうことで、ぼくらが納得するような日本っていうことを言ってる人っていうのはいないんですよ。つまり、そういうことはとてもはっきりさせなきゃいけない、たいていは、どっかで日本っていうのを言っちゃってるんです。たとえば、京都なら京都の人っていうのは、平安時代までの日本です。日本の政治形態とか、成長形態とか、それから、自然とのかかわりかたですね、つまり、四季が、さまざまな自然があって、それを楽しんだり、味わったり、それを受容したりしてるっていう、それが日本文化の特徴だっていった場合に、その日本文化は、ようするに、奈良朝から平安朝まで、もうすこしさかのぼれば、さかのぼってもいいですけど、まあそこまでの日本っていうことで言っている日本にしか過ぎないので、日本文化っていうふうに言ってるけど、それは整っていえますけど、それで日本文化っていったら、そんなことはあてになりはしないわけです。だけど、その手のあれが多いんです。いや縄文文化が日本文化なんだ、縄文文化っていってみて、それを強調している人もいますし、近代文化とは明治以降さっていうふうに言って、それ以前のやつは、みんな迷妄だっていうふうに考えて、一生懸命、モダンだ、モダンだって思っている人もいるわけだし、さまざまいるわけだけど、ぼくは、相対的にいって、日本っていうのはこうだぜっていう場合に、おおよその枠組みでもいいから、こうだぜっていうことを言ったっていう人はいないわけです。
そういうふうに言ったら、みんな、ふるまい方が、ぼくらもそうですけど、ふるまい方が間違ってるよっていうふうにしか言えないと考えて、それくらい、ただ大変なところだぜっていうふうに、たいへんなことがあるところだぜって思うわけです。だから、とてもむずかしいわけです。
たとえば、ぼくらは、沖縄の人とか、アイヌの人っていうのは、比較的多く、旧日本人として、縄文日本人的要素、たぶん、大部分は南方系の要素を、中央の人よりも、より多く、痕跡として持ってる人なんだぜって、文化としても、言葉としてもそうだぜって、おおよそ、そういう検討をつけていますけど、もちろん、いまだって、それから、つい最近までだって、アイヌっていうのは異民族だよって思ってる人たちもいるわけです。民俗っていう概念は、近代国家と対応する概念として考えれば、民族を構成しないと、ぼくは思っています。北方系じゃなくて、南方系だって思っています、アイヌの人たちは。それから、沖縄にいる人もそうだって、大部分、南方系だ、あるいは、南方系を非常に多く、ほかの日本人よりもって、中央の日本人より。京都の日本人より、いっぱいもってる人たちだっていうふうに、そういうふうに思っていますけど、それも、さまざまなイメージとして、説を分かれて、それを、それぞれが言い張っているっていうのが、現在の段階で、ほんとうにきちっと言えているなっていうふうに、ぼくらが感心して、きちっと言えているな、だからやっぱり、まねできるとか、ここから習っていくものがたくさんあるっていうふうに思えている人っていうのはいないんです。それはいないっていうことが言えます。
そういうことを考えて、ヘーゲルは段階っていう、世界っていうのを全部そういうふうに分けちゃった、アフリカ的段階からアジア的段階になって分けて、あとはもう未開・野蛮しかないわけです。それしかないっていうふうに考えちゃって、発達するとそういう経路で発達するんだと、つまり、アフリカ的段階の次にアジア的段階がきて、それから、西欧的段階がきて、こういうふうにいくっていうふうに、ヘーゲルは疑いなく考えたわけです。
たしかに、ある意味では、それは疑いないんです。そういうふうに考えると、非常に考えやすいです。日本だってそうです、アジア的段階を離脱して、西欧的段階を自由にたくさん獲得していったのが、いまの日本だと考えると、なんとなく筋道が通っているように見えるでしょ、また、実感にかなうものを持ってるわけです。
しかし、それは違います。厳密にいうと、そういうふうに、簡単には言えなくて、つまり、なぜかっていうと、時間的な概念として、アジア的とか、アフリカ的とかっていうのを、時間的概念としてだけ使っているからです。空間的概念として使っていないんです。
つまり、なぜ西欧は、アジア的段階をはやくなくなっちゃったとか、アジア的段階をどうして通り過ぎちゃったっていうことを、自分たちが問えなければ、しょうがないわけです。また、それを問えないと、それは地域概念になっちゃう、地域概念じゃないんです。だから、それはほんとうに、非常に重要なことで、地域概念であるとともに、時間概念で、その複合なんです。複合という段階の概念なんです。

15 ヘーゲルのすごさ

それは、ヘーゲルっていうのはすごい人だなと思う、つまり、そんなことを言っても、だいたい当たっちゃうんです。当たんなきゃすごくないんです、ただ抽象化しただけなんです。だけど、当たっちゃうわけです。これは、ヘーゲルの論理学っていうのが、いかに優れているかってことの証拠なんですけど、つまり、抽象的なことをして、当たっちゃうんです。つまり、アジア的段階とか、アフリカ的段階っていうふうに言っちゃって、そんなかでひっくるめちゃうんですけど、世界の歴史を全部ひっくるめちゃうんですけど、ほぼ当たっちゃうんです。
具体的なことを言うと、非常にくだらないことを言ったり、余計なことを言ったりしてるんです。あんな野蛮人、どうしようもないんだとかっていうふうに、ヘーゲルは平気で言うわけです、アフリカ的っていうのは、平気で言うんです。たとえば、王様も、そういうことで野蛮で殺しちゃうんだとかって言うんだけど、ぼくらは、それは野蛮じゃないんだよって、ある段階における人類っていうのは、殺すことと、王様にすること、つまり、崇拝することとはおんなじだったっていうふうに、そういう意識のある段階があったんだっていうふうに、いま、ぼくらだったら理解します。
これだけ野蛮で、けしからんやつだったんだけど、あんなに発達して、西洋的になったんだよっていうのが、ヘーゲルの言い方ですけど、それはもう一面的な云い方で、一方では当たっているんですけど、別な意味ではそうでないですっていうふうに言う以外にないんです。そういうことで、うんと間違ったり、おかしなことを言ったりしてるんですけど、おおよそのところ、ここだってことで、アフリカ的段階とは何かっていうと、それはもう、人間っていうのが、まだ自然にまみれて、動物の生活と自分とは、あんまり区別つけてないんだよっていう言い方をすると、まるで妥当するんです。世界史に妥当するんです。もし、西欧に少数の島かなんかあって、そういうやつが住んでいたっていったらば、そこにも妥当するわけです。そういうことでスパッと言っちゃってることが、抽象的に言っちゃってることが、具体的なことをあてると、そんなに見当はずれしてないんです。
アジア的ってところでもそうだと思います。アジア的専制っていうのはどうなのか、それは、前身としていえば、王朝が専制政治をやって、貢物を現物でとって、倉へ入れておく、日本もそうです、倉へ入れとく、けっして、お金を使って、お金で税金を払ってって言わないのが、アジア的専制の非常に特徴であるとか、それから、そのかわり、人民・民衆の農耕とか、そういうことでお金がかかって、農耕用の灌漑用水の工事みたいなのをしようってときには、王族がそれを担当するので、けっして、農民は担当しないで、農民は耕してるだけなんだっていう、そういう特徴も、やっぱりアジア的っていうことの、非常に大きな特徴なんです。
だから、王朝が滅びたら、惨めなまでに、都会が、たちまち砂漠っていうふうになっちゃう、これは、中近東にいまでもたくさん遺跡が残っているわけですけど、それは、当然そうなっちゃう、王朝が栄えて、それが滅びてどっかいっちゃったら、違う王朝が入ってきたら、もうそこに住めないんです。水がないんだから、水が自分でつくれないですから、水道の道っていうのを自分でつくれない、やったことがないものだから、移動するよりないんです。そういうのがアジア的特徴だってことも言うわけです。そういういくつかの特徴をとらえて、アジア的っていうのは言えちゃうんです。
そうすると、日本なんか、ずいぶん違反するところがあるんです、それに。たくさんあるんです。平地があって、平地っていうのは、農耕を特徴とするアジアの特徴なんですけども、大陸だったら揚子江の沿岸とかいえばいいんだけど、日本なんか狭いです。まわりを丘とか、丘陵に囲まれて、ちょっとした平地があって、まわりには海があって、火山があって、そういうのが日本における村である。
ところが、そうじゃなければ、高地なんです。高地っていうのは、アフリカ的段階の特徴なんです。アフリカ的段階の地域の特徴なんです。チベットなんかは高地農業なんです。アジア的な土地なんだけど、やってることは非常にアフリカ的段階にならざるを得ないのは高地だからです。日本だと、高地で、狩猟民っていうのがいまして、移動していましたけど、それは、農耕民と混合しちゃって、川の流域があって、狭い流域に、そこが村になっちゃって、農耕をやってって、ちょっと特異なところで、海がまわりにあってっていう、これも特異で、これがあるところっていうのは、だいたい、ヘーゲル的概念でいえば、商業とか、貿易とかっていうのは、発達するのはそういうところ、つまり、カルタゴみたいな国家っていうのは、海の近辺だから、商業が発達した商業国家だっていうふうになったんだって、そうすると、日本っていうのは、全部の要素を持っているんです、小規模ですけど。ぜんぶ小規模です。
灌漑用水は、たしかに朝廷がつくっているんですけど、ようするに、池です。これは依網の池であるとか、何々天皇は、何々の池を掘らせたとか、出ているんです。池っていうのは、ようするに、灌漑用水の貯水です。その程度で、それで井戸を掘るっていうこと、山の斜面にせき止めて、そこを貯水池にする、その3つで、日本の朝廷は済んでいるんです。だから、そんなに無理しなくても済んだりして、交代するにも、そんなアホなところくるような王朝なんか、そんなにいないわけです。内戦でもやればべつですけど、そうじゃないかぎり、代々、萬世一系に近いものが続くわけです。そういう灌漑用水も少なくて済むっていうような、非常に特異な要素を持った国です。
だから、いまでもそうですし、西欧文化の入り方もそうですし、これから、西欧文化を突き詰めてもっといくっていう要素っていうのは、産業経済的にだけいえば、非常にありうることなわけで、その段階に突入しつつあるわけです、日本なんかは。あと政治形態とか、社会形態からいくと、どうしても、まだ、なかなかそういうことじゃなくて、非常にアジア的なあれを引きずってるってなるんだけど、そうじゃなくて、産業経済っていうところでいえば、もっとも発達した資本主義を離脱しようとしている要素っていうのが日本にあるわけです。現在あるんです。また、これは特異な国です。
ですから、非常に特異な国ですけど、いろんな要素をぜんぶ持っている国です。人種としても混血です。それから、言葉、日本語っていうのも混合物です。われわれが常識的にいえば、奈良朝以降の日本語っていうのを、日本語って言ってるんだけど、それが日本語だと思ったら、おおいに違いますよっていうのが、ほんとうの言い方で、それは、しょうがないので、われわれの現在の課題になっているっていうあれなんです。
これのもとになっている、少なくともぼくなんかはそうです。ぼくなんかは、どっからこういう知識を得たんだ、こういう考えを得たのかっていったら、やっぱりヘーゲルからだっていうより仕方がないのです。

16 本質へ向かう論理学

ヘーゲルはどうもわからないことがあるんです。いまの精神現象論なんかでも、なに言ってんのこいつはとか、わかりっこないよこれっていうのが、たくさんあるんです。
論理学でも、論理学っていうと、たとえば、こういうふうに考えると考えやすいんです。ここにマイクロフォンみたいなのがあって、録音できるようになってるんだと、これは、これこれの部品と、これこれの部品と、これこれの部品があって、この作用はこういうふうになって、音の作用が電気作用に転換できるような装置がここに含まれているんだ。それを利用するためには、テープっていうのがあって、そこに打つことによって、それを逆回しすれば、それが出てくるんだっていう、だから、いろいろそういうふうに説明するのが、論理的説明だっていうふうに、ぼくらは常識的に思うわけです。
ヘーゲル以前の、つまり、アリストテレスからヘーゲルまでといえばいいのでしょうか、その論理学っていうのは、大なり小なり、国家についても、法についても、社会についても、大なり小なり、社会というのは、こういう要素と、こういう要素から成り立っていて、これを分類するとこうなるっていうふうに、そういう論理的にあれするのが論理学っていうふうな概念だと、ヘーゲルはそれをまったくひっくり返して変えてしまったんです。
おもしろいところなんですけど、つまり、論理学っていうのは、何の前提もないんですよっていう、いきなり対象にぶつかって、この対象は何だってことを言っちゃうっていうのが論理学の基本なんだっていう、ヘーゲルだってさまざまな規定をしているわけです。つまり、法とは何かとか、憲法とは何かとか規定してるんだけど、ようするに、その規定が論理学だと、ヘーゲルはそういう言葉は使わないで、そう思ってもらいたくないわけです、
こんなことは、ほんとは余計なことなんだって、人がいままでやっているからそういうふうに言っているんだけど、おれが思っているのは、おれが考えているのは、全然そんなことじゃない、こんな規定なんかどうでもいいんだって言って、ただようするに、根本へ、根本へっていうふうに、対象そのものって、ヘーゲルはよく言うよって、日本人が訳して「在」、「有」っていう、有もへそもないので、あるって、これだっていうところから、出発するって以外、なんの前提もなしにこれだっていうふうに言えちゃうっていうし、言っちゃう、これのなかには本質があって、これとこれをそれだと思っている人間があって、もっといいますと、こっちに意識、あるいは、自我っていうのがあって、ここに対象があってっていうふうにやれば、精神現象学、精神の学になっちゃう。
そうじゃなくて、論理学っていうのは、そう言いたいところであるけど、それは、結果論であって、そうはいきたくないんだ。論理学は、もっと根本なので、こういうふうに言っちゃう以前の何かがあれば、対象であろうと、自分であろうと、そんなことの区別なしに、それ自体をはじめに前提として、あるもの、在として、それを前提としちゃって、どんどん前提として、前提から規定を設けていくっていうのは、反対なんだと、前提からどんどんどんどん、前提となる概念をどんどん消していっちゃうってことが、論理学の、ほんとうの、究極の目的っていうのが、そういうことになるんだっていうのが、ヘーゲルの論理学についての根本概念です。
これがようするに、いってみれば、ここに自我があって、ここに対象があって、自我は対象を考察していく、自我のほうも発達していって、両方とも発達していって、精神現象学っていうふうに、それが国家になり、それから、法ができとかいうふうになったり、自然の学のほうに突っ込んでいったり、倫理学ができたり、こういうふうになるわけですけど、それをまったく逆回しして、こういう概念がほんとうに出てくるのは、人間がいて、ものがまわりにあってっていうところから出発するからそうなっちゃうんだって、しかし、なにも前提なんか、そんなふうに前提をとらなかったら、そこに何かがあるっていう、人間も何かがあるのなかに入っていて、それを無規定に前提とする以外にないじゃないかっていうふうになるわけです。
それで、どんどん無規定に前提としていきながら、無規定という規定さえもどんどん解いちゃうっていうふうになる。そうすると、いまある人間と、いまある世界との対話っていうんだったら、ぜんぶ精神の学になっちゃうんだけど、そうじゃなくて、それ以前にヘーゲルは、無限、あるいは、絶対の本質といいましょうか、ヘーゲルは神という呼び名をしたりするんですけど、ようするに、神と人間がありうべき、いま現在にはないんだけど、存在としてはないんだけど、どんどん本質的なほうへ、人間という概念がどんどんどんどん、無前提にもっていっちゃうと、無限に本質に近づいていっちゃう、無規定にもなっている部分っていうのもなんかっていうふうになっちゃうんです。それと、神との対話っていうところにいけば、論理学は究極のところまでいったっていうことになりますよっていうのが、ヘーゲルの考え方です。
ですから、非常におおざっぱに言っちゃうと、ぼくらが論理学とか、口で言えばこうだよって言っているものの、ぜんぶ反対なんです。それをひっくり返しちゃったわけです。全部ひっくり返しちゃって、だけど、そういう規定を使わざるをえないなっていうのはあるんだけど、ほんとはそんなことはやりたくもないんだぞっていうのが、論理学におけるヘーゲルの考えで、これが、根本になって、どんどんどんどん無規定にさかのぼって、神対無限の人間との対話というか、ごちゃまぜというか、そこまでいっちゃうんだっていうのが、論理学の究極の点だっていうふうに、だいたい言っちゃえば、ヘーゲルの論理学の概念はとれるんです。
なんでこんなのが役に立つかっていうと、ようするに、論理学が規定しているアフリカ的でも、アジア的でもいいんですけど、歴史が規定しているそういうのがあるでしょ、ようするに、そういうのだけだったらくだらない、本質的にいうとくだらないので、ようするに、歴史学になっちゃうんです。個別的な歴史学、いま流行りのあれでいえば、アナール派っていうわけです。個々具体的に、家具の歴史はどうだとか、そういう具体物の歴史っていう概念にいっちゃうわけです。
それはくだらなくて、そっちのほうが、ほんとうじゃないか、それだって、なんかマルクス主義を経て、ヘーゲルを転倒して、それがなれの果てじゃないですけど、それが、だんだんいってって、そういうことになっちゃったんだよって言えば、それでもいいじゃないですかってなるわけですけど、ヘーゲル的な概念でいえば、まったく違うみたいなので、そんなことはどうでもいいじゃないかと、もっと本質的に、ただ見たり、無意識につかんでいる、そういうところでも、論理学の基本はちゃんとつかめているとか、その人間の本旨はみんなつかめているとか、世界の話は全部つかめているっていうふうになっちゃうよっていうところにいくのが、目的なんだよっていうのが、ヘーゲルの論理学のあれで、それがふつうの歴史学に対して、それが逆作用しているものですから、ぼくは、ヘーゲルがアフリカ的っていうことは、違うんですよ、ふつうの歴史で、アフリカ社会についての専門家だとか、アフリカ神話についての専門家なんていっぱいいるけど、そんな人たちと違うのは、ようするに、ヘーゲルがアフリカ的って言っても、時間概念も、空間概念も、段階概念もぜんぶ入ってなくて、それは普遍的なんです。そうとう的確に言えちゃってるんです。
それが、逆作用から言ってるものですから、論理学を壊すっていうところから言ってるものですから、当たっちゃうわけです。抽象的なことをいいながら、当たっちゃってる。あるいは、抽象的なことと、アフリカとはどういう社会かみたいな、だいたい行ったこともないくせに、言ったってわかるものかって、けっこう言っちゃってるそういう人たちと比べて、なぜ本質的なところにいっちゃってるか、いまなくなったアフリカについてさえも言えるっていうようなことになっちゃってるかっていったら、反対概念からいう段階っていう概念、時間・空間と両方の概念のアフリカ的に入っちゃうわけです。だから、かなり正確なことを言っています。
具体的な歴史をいうと、たくさん間違えているし、違うことを言うなとか、誰でもインチキだ言えるようなこともいっぱいしてますけど、そんなことは、ほんと云うとどうでもいいし、ヘーゲルだってどうでもいいよって言うに違いないと思います。そうじゃないんだと、おれがやろうとしたことはそんなことじゃないんだというふうに言うと思います。
それは、何なのかっていったら、ぼくがいま言ったみたいに、本質概念のところに行こうとする論理学を歴史概念に当てはめるっていうのはおかしいですけど、両方からひっくり返して、あくまでも具体性にいかなければ、歴史的ないい記述とはいえないよっていうふうにいうのが、歴史学の概念だとすれば、反対に抽象的にいかないと、歴史学なんて成り立たんぞっていう、ヘーゲルの論理学の概念です。それが、ちょうど緊張して引きあっているところで、アフリカ的とか、アジア的とか、そういう概念を、ヘーゲルは使っているからだと思います。
これは、ぼくは学ぶに値するので、重要な概念で、同時代でいえば、ヘーゲルひとりをこっちにもってくれば、ルソーからスピノザまで、全部こっちにもってきても、秤の重さはこっちが重くなることにはならないよっていうくらい重要で、大きい存在だと思います。
といいながら、ぼくはちっとも読んじゃいないんで(会場笑)、わからないんです、読んでもわからないからしょうがねえやっていう、なんかわからないのは、ぼくのせいにしたくないです。わからないのによく言うよって、専門家には言われちゃう、おまえ説明してみろよっていうことになっちゃう、そうすると、わたしが説明すればわかりますっていうのも、それは曖昧でしょって、ぜんぶ翻訳されてもいない、そんなのいるわけないじゃないかっていうふうに思います。これを原文でぜんぶ読みこみましたなんて人はいるわけがない、そういうふうに考えると、誰もわからないじゃないか、やっぱり仕方がないから、できるだけこういう言い方をして、あいつは、いっぱいヘーゲルのことを、ほんとうによく知っている人がいると仮定して、その人からみて、与太話として、どれだけヘーゲルっていうのは、わかってるのかなって、この人よりわかってるんじゃないか、いいんじゃないかなと思えるか、思えないかの問題だけでしかないんですけど、ぼくは、そういうふうに読んだり、勉強したり、いろんな概念をつくるのに学んだりっていうふうにしたと思っております。
まだ、言わなくちゃいけないことが、たくさんあるんですけど、わからないところも、わかるようにしなくちゃいけないんですけど、おいおいするとしまして、ぼくらがいちばん熱心に突っ込んで、熱心に自分なりのことを考えて、熱心に解釈した、理解したところの、根本的なところは、申し上げたところで、だいたいいいんじゃないかと、言えたんじゃないかと思いますので、すげえ時間を大幅に、申し訳ないんですけど、またチャンスがありましたら、またお話する機会があったら、また続きをやろうかっていうふうに思ってます。今日はこれで。(会場拍手)


テキスト化協力:ぱんつさま

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