テレビでカットされた話。山口敏太郎さんが語る日本人の真の正体がヤバすぎる…【 都市伝説 徳島県 日本 邪馬台国 】
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6:25「ひこずる」
古事記に阿波弁が使われていることは藤井榮著『古代史入門』に書いてあります。
古事記で沼河姫が大国主命に求愛される場面、
「我が立たせれば引こづらひ」は通説では、
「(板の戸を)自分が立っているとぎしぎし引っ張り」
と訳されますが、
《ひこづるは阿波弁では「じらす」という意味。
沼河姫は、大国主命の求婚を直ぐには受け入れず、まさに「じらし」たのである。》
(藤井榮『古代史入門』85,86頁)
藤井榮著『古代史入門』は榊正志著『アマテラス・サーガ』と共におススメです。両方ともkindleで読めます。
古代史入門
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◎ 「多祁御奈刀弥神社」(名西郡石井町浦庄 (しょう) 字諏訪 213-1)
たかし ぬまかわひめ
たけみなかた
=大国主命と高足の沼河姫との子、 「建御名方命」を祀る。 (西北約 1km 弱に甘きのだいじんぐう母沼河姫の「関ノ大神宮跡」がある。 ) 長野県 「諏訪大社」の元社
写真
多祁御奈刀弥神社
【古事記 : 大国主命の沼河姫求婚のくだりの歌】
『…嬢子の寝すや板戸を 押そぶらひ (注1) 我が立たせれば引こづらひ我が立たせれば青山には鳴きぬ・・・』
【現代語訳 (通説)】
(沼河姫の家に行って歌っておっしゃるには) ・・・・乙女が寝ておいでの板の戸をがたがたと押し自分が立っているとぎしぎし引っ張り自分が立っていると青い山で鶏が鳴いた・・・
(中村啓信訳注 「古事記」 (新版) 角川ソフィア文庫参照)
- 85-
ひこずる
ひこづる
(注1)の解説
日本古典文学大系によれば、 この 「我が立たせれば」 からは第一人称的発想に変わっているとしている。 とすれば、 次の 「引こづらひ」の主語は沼河姫になるのであるから、通説のように「ぎしぎし引っ張り」あるいは「何度も引いて」というような解釈には無理がある。
この「引こづらひ」は阿波弁の 「引こづる」という語であるから、 その意は「引きのばす」あるいは 「じらす」ということであり、そう解釈しないとこの場面は意味が通じない。
沼河姫は、大国主命の求婚を直ぐには受け入れず、まさに「じらし」たのである。
阿波弁を知らない学者にはこの場面の解釈は無理だということである。
これ以外にも古事記文中には、 阿波弁が散見される。
阿波人以外には分からないと思うが。
通説は、「高志」を「こし」と訓ませて新潟県のこととしているが誤りで、 『和名抄』にもみえる阿波国名方西郡の 「高志 (多加之)」 郷の物語である。 対岸 (吉野川北岸) の阿波市が国譲りで力競べをした建布都神の本拠地となっている。
写真
関ノ大神宮跡
-86-
真の古代史を解明するには、机上の空論ではなく、全国の神社仏閣・古墳遺跡を探訪し、考古学、魏志倭人伝、記紀、万葉集など諸資料や文献を基に検証や考察を行う必要があります。
例えば、記紀、万葉集をはじめ日本の古代文献には「ヤマト」と「オオヤマト」の2つの倭が書き分けられており、これを奈良大和一国のこととして解釈してきたため古代史の混乱が起こったのです。
●徳島県内の地名には近畿地方と同じ地名がたくさんあるのをご存じでしょうか?
例えば、奈良・京都・嵯峨・祇園・伊勢・難波・和泉・飛鳥・大津・近江・葛城・八坂・山崎など‥‥
●初期王墓とされる奈良の「箸墓古墳」など巨大前方後円墳、奈良で最古級の「ホケノ山古墳」など、これら古墳のルーツだと諸学者が認めているのが、阿波の古墳「西山谷2号墳」(鳴門市大麻町大谷)、「萩原1号墓」、「萩原2号墓」(鳴門市大麻町萩原)ということをご存じでしょうか?
●弥生時代終末期の卑弥呼の時代を中心に、阿波吉野川 南岸産の「結晶片岩」(阿波の青石)が近畿地方の多くの主要古墳の石材として使用され、同じく阿波鮎喰川流域で製作された阿波の土器(「東阿波型土器」等)が、近畿地方の多くの遺跡から大量に出土していることをご存じでしょうか?
●律令期以前、阿波は「粟と長の二国」とされていましたが、全国には「阿波(粟)」と名の付く神社が数多くあり、さらに大和朝廷が重要と認めた延喜式内社が15社もあるのをご存じでしょうか?
●万葉集の冒頭2番目の舒明天皇の国見の歌などは、あの大和三山の天香具山(152m)から詠んだ歌などではなく、阿波小松島の日峯山(旧籠山)頂上から詠まれた歌ということがご理解いただけます。
●筆者が実際に何年にも亘って全国の神社仏閣・古墳遺跡を探訪し、考古学、魏志倭人伝、記紀、万葉集など諸資料・文献を基に、真実の古代史とその舞台の検証・考察を行っています。
本書ではカラー写真や資料もふんだんに取り入れ、できる限り分かりやすく筋道を立てて記述するよう努めた為、総頁数が296ページとなっております。
こうすることにより、これまで見過ごされ隠れていた古代史の真の姿がみえてくるのではないかと思います。
著者について
藤井 榮(ふじい さかえ)
昭和24年 徳島県海部郡美波町(旧日和佐町)生まれ
昭和51年 中央大学法学部法律学科卒
昭和54年 徳島県庁入庁
平成22年 徳島県庁を退職
岩利大閑著『道は阿波より始まる(一~三)』に感銘を受け、かねてより興味を抱いていた阿波古代史についてNPO法人阿波国古代研究所会員として学び始める。平成26年からは中心メンバーの県内外の現地調査や勉強会に参加するなど本格的に勤しむ。
平成27年から『阿波古代史入門講座』(令和元年度に『邪馬台国阿波説入門講座』より改称)を開講。その傍ら板東英二氏のラジオ番組(『板東板東晴れ板東!(ラジオ関西)』、『板東英二の喜怒哀楽(ラジオ大阪)』等)にゲスト出演して阿波古代史を語る。
現在、古代阿波“倭”人全国進出の足跡についての調査を主なテーマとして活動中。
6:25「ひこずる」
古事記に阿波弁が使われていることは藤井榮著『古代史入門』に書いてあります。
古事記で沼河姫が大国主命に求愛される場面、
「我が立たせれば引こづらひ」は通説では、
「(板の戸を)自分が立っているとぎしぎし引っ張り」
と訳されますが、
ひこづるは阿波弁では「引きのばす」あるいは「じらす」という意味…
《沼河姫は、大国主命の求婚を直ぐには受け入れず、まさに「じらし」たのである。》
(藤井榮『古代史入門』85,86頁)
9:30「阿波国風土記」
《空より降ってきた大きな山は阿波国に下りたって、天の元山と呼ばれ、
その山が砕けて、大和国に降り注いで天香具山になった》
(『阿波国風土記』逸文、日本古典文学大系2「風土記」492頁岩波書店、
藤井榮『古代史入門』53頁参照)
藤井榮著『古代史入門』は榊正志著『アマテラス・サーガ』と共におススメです。両方ともkindleで読めます。
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