ン主義あるいは唯物史観などでいろんなことを解釈していた。その言説が次々に崩れていってしまう中で「そうか、こういうかたちで世界を分析するというやがあるのか」と柄谷さんの本が受け入れられているんじゃないかと私は思います。
柄谷 人がどう思うかはあまり考えてないんですけどね。僕自身は、以前から気になっているのが、エマニュエル・トッドです。奇妙に、考え方が似ていたからです。家族様式の観点から世界史を見るという彼の考え方が交換様式とどうつながるか、検討したことがあります。彼の考えには、不十分なものも多く、本当はもっと交換式のほうに行かなきゃ駄目ですよ、と言いたいけど·····
池上 厳しいですね(笑)。
柄谷 自分と似た感じがあるんですよ。僕は、帝国の中心でも周辺でもない、どっちにも属さない中間領域を「亜周辺」と呼んでいます。その代表はギリシャ、ローマ、ゲルマンで、日本もそう。トッドはそのような亜周辺を、家族の形態から見ようとしているのだろうと思います。
池上 帝国の話が出ましたが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をどう見ていらっしゃいますか。
柄谷 実は、あなたの『聖書がわかれば世界が見える』という本を読んで、学びました。僕もそうですけど、日本人はウクライナのことを知りません。ロシア正教のルーツは、ロシアではなくウクライナだったんですね。
池上 かつてのキエフ公国です。
柄谷 そここそがロシア正教だという観点に、啓蒙されました。
池上 恐縮です。しかし失礼ながら、これだけの大著を書き下ろす体力はすごいですね。
柄谷 しかし、体力というよりもむしろ知力が衰えて、時間がかかりました。ずっと前から材料は出揃っていたのに、整然とまとめることができなかったんです。自分が過去に何を書いていたのか、思い出せないから非常に困ります。池上さんは何歳?
池上 七十二です。
(多摩丘陵が新しく見えてきた)
[柳田國男 成城に住み、多摩丘陵を散策]
柄谷 まだ若いよ。僕は八十一だから。その年の頃は若かったね(笑)。
池上 普段、どういう生活をしていらっしゃるんですか。
柄谷 大学で教えるのを辞めてから机にへばりつく生活になり、コロナ禍でますますひどくなったんです。あとは、毎日散歩をします。二、三時間歩くこともあります。それで不思議なことに気が付いたんですよ。僕は多摩ニュータウンの一角に住んでいますが、散歩で歩いているのは、かつて柳田國男が盛んに歩き回っていたところ。そんなことで、多摩丘陵自体が自分にとって新しく見えてきました。
池上 柳田國男が歩いた辺りを歩いていると、向こうから何かやって来ますか。
柄谷 そんな感じが確かにします。柳田は、たんに日本の問題として民俗学を考えていたわけじゃありません。彼は国際連盟で働いたりエスペラントを学んだりして、太平洋の島々全体のことを考えていたんです。日本は、そのひとつの例でした。日本は、中華というべき帝国と、周辺にある朝鮮半島に対して、さらに外にある亜周辺ですから。
池上 夷狄のレベルですね。
柄谷 柳田國男は、そういうことを研究した人だと思います。今後書くとしたら、そういう問題かな。
池上 いわば、柳田民俗学の現代版ですか。
柄谷 ここで先に言っちゃったらまずいんだけど(笑)。
池上 柄谷さんの学問がこの先どこへ行くのか、読者としてはぜひ知りたいですからね。
(構成石井謙一郎)70
池上 帝国の話が出ましたが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をどう見ていらっしゃいますか。
柄谷 実は、あなたの『聖書がわかれば世界が見える』という本を読んで、学びました。僕もそうですけど、日本人はウクライナのことを知りません。ロシア正教のルーツは、ロシアではなくウクライナだったんですね。
池上 かつてのキエフ公国です。
柄谷 そここそがロシア正教だという観点に、啓蒙されました。
池上 恐縮です。しかし失礼ながら、これだけの大著を書き下ろす体力はすごいですね。
柄谷 しかし、体力というよりもむしろ知力が衰えて、時間がかかりました。ずっと前から材料は出揃っていたのに、整然とまとめることができなかったんです。自分が過去に何を書いていたのか、思い出せないから非常に困ります。池上さんは何歳?
池上 七十二です。
(多摩丘陵が新しく見えてきた)
[柳田國男 成城に住み、多摩丘陵を散策]
柄谷 まだ若いよ。僕は八十一だから。その年の頃は若かったね(笑)。
池上 普段、どういう生活をしていらっしゃるんですか。
柄谷 大学で教えるのを辞めてから机にへばりつく生活になり、コロナ禍でますますひどくなったんです。あとは、毎日散歩をします。二、三時間歩くこともあります。それで不思議なことに気が付いたんですよ。僕は多摩ニュータウンの一角に住んでいますが、散歩で歩いているのは、かつて柳田國男が盛んに歩き回っていたところ。そんなことで、多摩丘陵自体が自分にとって新しく見えてきました。
池上 柳田國男が歩いた辺りを歩いていると、向こうから何かやって来ますか。
柄谷 そんな感じが確かにします。柳田は、たんに日本の問題として民俗学を考えていたわけじゃありません。彼は国際連盟で働いたりエスペラントを学んだりして、太平洋の島々全体のことを考えていたんです。日本は、そのひとつの例でした。日本は、中華というべき帝国と、周辺にある朝鮮半島に対して、さらに外にある亜周辺ですから。
池上 夷狄のレベルですね。
柄谷 柳田國男は、そういうことを研究した人だと思います。今後書くとしたら、そういう問題かな。
池上 いわば、柳田民俗学の現代版ですか。
柄谷 ここで先に言っちゃったらまずいんだけど(笑)。
池上 柄谷さんの学問がこの先どこへ行くのか、読者としてはぜひ知りたいですからね。
(構成石井謙一郎)70
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