『古事記 序文(抄)』
臣(しん)安萬侶(やすまろ)言(まを)す。
それ、混元(こんげん)既(すで)に凝(こ)りて、氣象(きしょう)未(いま)だ效(あらは)れず。
名も無く爲(わざ)も無し、誰(た)れかその形を知らむ。
然(しか)れども、乾坤(けんこん)初めて分れて、參神(さんしん)造化(ぞうか)の首(はじめ)となり、陰陽ここに開(あ)けて、二靈群品(ぐんぽん)の(おや)となりき。
所以(このゆえ)に、幽顯(ゆうけん)に出入(しゅつにゅう)して、日月(じつげつ)目を洗ふに彰(あらは)れ、海水に浮沈(ふちん)して、神祇(じんぎ)身を滌(すす)ぐに呈(あらは)れき。
故(かれ)、太素(たいそ)は杳冥(ようめい)なれども、本教(ほんきょう)によりて土(くに)を孕(はら)み島をみし時を識(し)り、元始(がんし)は綿(めんぱく)なれども、先聖(せんせい)によりて神を生み人を立てし世を察(し)りぬ。
寔(まこと)に知る、鏡を懸(か)け珠(たま)を吐きて百王相續(そうぞく)し、劒(つるぎ)を喫(く)ひ蛇(おろち)を切りて、萬神(ばんしん)蕃息(ばんそく)せしことを。
安(やす)の河(かは)に議(はか)りて天下(あめのした)を平(ことむ)け、小濱(をばま)に論(あげつら)ひて國土(くに)を淸めき。
ここをもちて、番仁岐命(ほのににぎのみこと)、初めて高千嶺(たかちほのたけ)に降(くだ)り、神倭天皇(かむやまとのすめらみこと)、秋津嶋(あきづしま)に經(けいれき)したまひき。
化熊(くわいう)川を出でて、天劒(てんけん)を高倉(たかくらじ)に獲(え)、生尾(せいび)徑(みち)を遮りて、大烏(たいう)吉野に導きき。
(まひ)を列(つら)ねて賊(にしもの)を攘(はら)ひ、歌を聞きて仇(あた)を伏(したが)はしめき。
身読に最も相応しい文章である。
意味なんぞはどうでもいい。
言葉自体が力を持っている。
ただ繰り返し声に出して読む。
天地に自分に聴かせるのだ。
すると感応してくるものがある。
かの森田正馬が患者に音読させたことでも知られる。
余り知られていないがこういうところこそが、森田の面目躍如たるところである。
あなたにも音読を強くお勧めする、何回でも、無限回でも。
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