ジークムント・フロイト - 収集した作品 (心理学的ノンフィクション) Kindle版
ジークムント・フロイト (著), アンドレ・ホフマン (編集, 翻訳) 形式: Kindle版
https://www.amazon.co.jp/dp/B09D2V8NWP/
ジョークとその無意識との関係
(1905)
ユダヤ人の話に限らず、同じような意味でシニカルなジョークは、宗教的なドグマや神への信仰そのものを攻撃するものもあります。ラビのリュック」の話は、空想と現実を同一視するという思考の過ちが手法となっていますが(転換という見方も可能でしょう)、奇跡を起こす人や、確かに奇跡を信じることに対して向けられた、そのようなシニカルで批判的なジョークです。ハイネは、瀕死の人の状況で、直接的に神を冒涜するようなジョークを言ったと言われている。親切な司祭が彼に神の慈悲を伝え、神のもとで罪の許しを得られるという希望を与えたとき、彼はこう答えたと言われています。「Bien sûr, qu'il me pardonnera; c'est son métier.[神は私をお許しになるのは当然です。それが彼の仕事なんだから]これは軽蔑的な比較であり、技術的には暗示の価値しかありません。例えば、職人や医者は1つのメティエ、ビジネスや職業を持っており、彼は1つの109メティエしか持っていません。しかし、このジョークの強さは、その傾向にあります。それ以外には何も書かれていないはずです。きっと彼は私を許してくれるでしょう。そのために彼は存在するのですから、他の目的のために私は彼を手に入れたのではありません(医者や弁護士を手に入れるように)。そして、無力な瀕死の人間には、機会があれば神を利用するために、自分のために神を創造し、神に力を与えたという意識がまだ残っているのです。想定される生物は、破壊される直前に創造主であることを明らかにする。
著作集4
全集8
フロイトとスピノザ (III-4) 河村厚
結びに代えて
フロイトは『機知』(1905年)の中で、機知の例としてハイネの数々の言葉を取り挙げているが、ハイネの場合、最期の言葉さえが「シニカルな機知」であったと言う。フロイトによると、臨終のハイネに親しい神父が「神の慈悲に頼るように勧め、犯した罪を神は許してくださるだろう、希望は持てる」と言った時、ハイネは「神は私をお許しになるのは当然です。それが彼の仕事なんだから Bien sûr, qu'il me pardonnera; c'est son métier」と答えたと言う58)。フロイトはハイネのこの臨終の言葉を「露骨に瀆神的な機知」として捉えて、その機知についてこう分析を施している。
「これは引きずり下ろす比喩で、技法としてはせいぜい仄めかしに相当する。というのも、《メチエ métier》、つまり仕事や職業を持つのは職人や医者であり、この連中はたつた一つの《メチエ métier》しかできない。しかし、この機知の強みはその傾向にある。言いたいことはまさに、「神は私を許すに決まっている。そのために神はいるし、その目的のために私は雇ったのだから……」ということである。このように、死の床にぐったりと横たわっていてもなお、自分が神を創造して力を与えたのであり、機会があれば神を使うのだと
いう意識が働いている。被造物とされる人間が、塵に還る寸前に、自分こ創造主だと主張しているのである」(Freud: GW/VI/126 邦訳:136-137)
58) キルヒャーは、ハイネのこの逸話に関して、こう解釈している。「一方また、彼の信仰告白における基本的姿勢は、決して全能の神に対する恭順や服従ではない。……神の恩寵とか、罪の許しとかを全く問題にしないような、一種の理性が、〔晩年の〕ハイネの中では依然として生きていた。だから彼は、神の責任を追及したり、神を批判することを、許されると考えたのだ」(Kircher:1973,167-168 邦訳:163)
本稿で詳しく見てきたハイネの哲学観と宗教観の変化を考えると、フロイトのこのような解釈はハイネを「不信仰の同志」として思う余りの行き過ぎた解釈になっていると言わざるをえない(フロイトは『機知』の他の箇所では、ハイネの『バーニ・ディ・ルッカ』における、カトリックとプロテスタントへのアイロニーを機知の例として挙げている)。フロイトはハイネをあくまで徹底的な無神論者にしたいのである。
本稿が確認したように、フロイトはスピノザを直接に「不信仰の同志」と考えていたわけではないが、フロイトが全著作の内、スピノザについて触れたたった2回のうちのひとつがこの『機知』の「我が不信仰の同志スピノザ」であることを考えると、フロイトがスピノザを(間接的に)「不信仰の同志」と思っていたと考えたくなる。しかし、(本稿は「フロイトとスピノザ」ⅠとⅡでフロイトがスピノザから受けた影響について確かに確認したが)フロイトがスピノザについて著作や書簡で述べたどの箇所を読んでも、スピノザの神概念(「神即自然」の汎神論)からの影響は見られない。
しかし本当にフロイトはスピノザの宗教批判(「神即自然」の汎神論)から影響を受けていなかったのだろうか。
本論で述べたことも重なるが、ハイネ自身が『北海』第2版以降で自ら削除した「ただし、我が不信仰の同志スピノザが言っているように」という単なる挿入句を、フロイトが敢えて、『機知』の中で―宗教的問題とは全く関係のない―機知の一例として拾ってきて例示したのは、おそらく、フロイトがスピノザの宗教批判(「神即自然」の汎神論)から大きな影響を受けつつも、それを隠してきた「負い目」が、削除され「隠されたスピノザ」を無意識のうちに、光の下へ引っ張り出してこさせたのだろう。
フロイトはスピノザの著作から直接、人格神批判を学んだのではないかもしれない。しかし、『機知』の緒言でフロイトが、クーノ・フィッシャーの『機知について』(1889年)を先行研究として挙げながら、「機知は秘匿されたもの、隠されたものを引っ張り出してこなければならない」(GW/VI5)というフィッシャーの言葉を紹介していることは、フロイトがフィッシャーの『スピノザの生涯、作品、教説』(1898)を大切に亡命先まで持って逃げたという事実(本論「フロイトとスピノザ」Ⅰ、注27参照)と共に、この説を励ましてくれるだろう。
またこの『機知』でも他の著作でもフロイトはハイネを無数に引用している。ハイネの『ドイツの宗教と哲学の歴史』を読んでスピノザ汎神論の革命性や人格神批判を学んでいた可能性はかなり高い。
しかし、結局フロイトにとっての「不信仰の同志」とは、「無神論」者としてのハイネを意味していたが、ハイネにとっての「不信仰の同志」は「汎神論者」としてのスピノザを意味していた。『よせて』でのハイネは、スピノザとヘーゲルを汎神論として重ねて捉え、自分の哲学的立場もそこに依託していたので、この三人を「不信仰の同志」として捉えることは可能である。しかし、ハイネが―晩年だけでなく生涯にわたり無神論そのものを積極的に全面肯定はしなかった―最終的に無神論を退けた以上、厳密な意味ではフロイトとハイネとスピノザの三人が「不信仰の同志」となることはないのである。
「フロイト全集」収録論文リスト
岩波書店の「フロイト全集」シリーズ全22巻の収録作を一覧にまとめました。人文書院の「フロイト著作集」と異なり、岩波版は論文を発表順に並べて収録しているのが特徴です。
このシリーズでは、既に定着している訳語がところどころで新たに訳されています。例えばLibidoを「リビード」と訳すなど。好みは分かれると思います。
フロイト全集
- 失語症の理解にむけて (中村靖子訳)
- 大学記念留学奨学金によるパリおよびベルリンへの研究旅行(1885年10月-1886年3月末)に関する報告書(兼本浩祐訳)
- J.M.シャルコー著『神経系の疾病をめぐるサルペトリエール講義』への訳者まえがき(兼本浩祐訳)
- あるヒステリー男性における重度片側感覚脱失の観察(渡邉俊之訳)
- アーヴァーベック著『急性神経衰弱』書評(渡邉俊之訳)
- ウィアー・ミッチェル著『ある種の形態の神経衰弱とヒステリーの治療』書評(渡邉俊之訳)
- ベルカン著「聾唖の改善の試みとその成果」書評(兼本浩祐訳)
- H.ベルネーム著『暗示とその治療効果』への訳者序文(渡邉俊之訳)
- H.ベルネーム著『暗示とその治療効果』ドイツ語訳第二版への序言(渡邉俊之訳)
- オーバーシュタイナー著『催眠法―その臨床的および司法的意義』書評(兼本浩祐訳)
- ヒステリー、ヒステロエピレプシー(事典項目)(渡邉俊之訳)
- オーギュスト・フォレル著『催眠法』についての論評(渡邉俊之訳)
- 心的治療(心の治療)(兼本浩祐訳)
- 催眠(事典項目)(渡邉俊之訳)
- J.M.シャルコー著『サルペトリエール火曜講義(1887-88年)』翻訳への序言と注解(渡邉俊之訳)
- J.M.シャルコー著『サルペトリエール火曜講義(1887-88年)』翻訳への注解抜粋(兼本浩祐訳)
- 講演「催眠と暗示についてについての報告」(兼本浩祐訳)
- 『ヒステリー研究』に関連する3篇(芝伸太郎訳)
- 症例「ニーナ・Rについての4つの記録文書」(芝伸太郎訳)
- ヒステリー諸現象の心的機制について(講演)(芝伸太郎訳)
- 催眠による治癒の一例―「対抗意志」によるヒステリー症状の発生についての見解(兼本浩祐訳)
- 器質性運動麻痺とヒステリー性運動麻痺の比較研究のための2、3の考察(立木康介訳)
- シャルコー(兼本浩祐訳)
- 防衛-神経精神症(渡邉俊之訳)
- ある特定の症状複合を「不安神経症」として神経衰弱から分離することの妥当性について(兼本浩祐訳)
- 強迫と恐怖症、その心的機制と病因(立木康介訳)
- ヒステリー研究(芝伸太郎訳)
- 心理学草案(総田純次訳)
- 「不安神経症」に対する批判について(山岸洋訳)
- 三部講演「ヒステリーについて」の二つの報告(芝伸太郎訳)
- 講演「強迫表象と恐怖症の機制」についての報告」(武本一美訳)
- P.J.メービウス著『偏頭痛』についての論評(野間俊一訳)
- A.ヘーガル著『性欲動―社会医学的研究』についての論評(野間俊一訳)
- 神経症の遺伝と病因(立木康介訳)
- 防衛-神経精神症再論(野間俊一訳)
- ヒステリーの病因論のために(芝伸太郎訳)
- 私講師ジークムント・フロイトの学問的業績一覧(武本一美訳)
- 神経症の病因論における性(新宮一成訳)
- 度忘れの心的機制について(角田京子訳)
- 遮蔽想起について(角田京子訳)
- ある正夢(新宮一成訳)
- 自伝的覚え書き(武本一美訳)
- 夢解釈I(新宮一成訳)
- 夢解釈II(新宮一成訳)
- あるヒステリー分析の断片「ドーラ」(渡邉俊之・草野シュワルツ美穂子訳)
- 性理論のための3篇(渡邉俊之訳)
- 夢について(道籏泰三訳)
- ゲオルク・ビーデンカップ著『脳桿菌との闘い』についての論評(越智和弘訳)
- ジョン・ビジェロウ著『睡眠の神秘』についての論評(越智和弘訳)
- アルフレート・バウムガルテン著『神経衰弱―本性・治癒・予防』についての論評(越智和弘訳)
- レーオポルト・レーヴェンフェルト著『心的強迫現象』についての論評(越智和弘訳)
- 追悼文「S.ハンマーシュラーク教授」(越智和弘訳)
- 精神療法について(越智和弘訳)
- 神経性病因論における性の役割についての私見(越智和弘訳)
- 『性理論のための3篇』第2版へのまえがき(渡邉俊之訳)
- R.ヴィーヒマン著『神経衰弱患者のための生活規律』についての論評(越智和弘訳)
- 『神経症小論文集成 1893-1906年』初版へのまえがき(渡邉俊之訳)
- 日常生活の精神病理学にむけて(高田珠樹訳)
- 機知―その無意識との関係(中岡成文・太寿堂真・多賀健太郎訳)
- W.イェンゼン著『グラディーヴァ』における妄想と夢(西脇宏訳)
- 精神分析について(福田覚訳)
- 舞台上の精神病質的人物(道籏泰三訳)
- 事実状況診断と精神分析(福田覚訳)
- アンケート「読書と良書について」への回答(道籏泰三訳)
- 強迫行為と宗教儀礼(道籏泰三訳)
- 『応用心理学叢書』の告知(道籏泰三訳)
- 子供の性教育にむけて(道籏泰三訳)
- 詩人と空想(道籏泰三訳)
- ヒステリー性空想、ならびに両性性に対するその関係(道籏泰三訳)
- 「文化的」性道徳と現代の神経質症(道籏泰三訳)
- 性格と肛門性愛(道籏泰三訳)
- 幼児の性理論について(道籏泰三訳)
- ヒステリー発作についての概略(道籏泰三訳)
- 神経症者たちの家族ロマン(道籏泰三訳)
- ヴィルヘルム・シュテーケル博士著『神経質性の不安状態とその治療』への序言(道籏泰三訳)
- フェレンツィ・シャーンドル博士著『心の分析―精神分析関連論文集』への序言(道籏泰三訳)
- ある5歳男児の恐怖症の分析「ハンス」(総田純次訳)
- 強迫神経症の一例についての見解「鼠男」(福田覚訳)
- 強迫神経症の一例(「鼠男」)のための原覚え書き(総田純次・福田覚訳)
- レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出(甲田純生・高田珠樹訳)
- 自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察「シュレーバー」(渡辺哲夫訳)
- 精神分析療法の将来の見通し(高田珠樹訳)
- 原始語のもつ逆の意味について(高田珠樹訳)
- 『アントロポピュテイア』に関するフリードリヒ・S.クラウス博士宛書簡(高田珠樹訳)
- 自殺についての討論のための緒言・閉会の辞(高田珠樹訳)
- 精神分析的観点から見た心因性視覚障害(高田珠樹訳)
- 神経症者たちの病因的空想の露見例(高田珠樹訳)
- 「横暴な」精神分析について(高田珠樹訳)
- 男性における対象選択のある特殊な型について(『性愛生活の心理学への寄与』 I)(高田珠樹訳)
- ヴィルヘルム・ノイトラ博士著『神経症の女性たちへの手紙』についての論評(高田珠樹訳)
- 心的生起の二原理に関する定式(高田珠樹訳)
- 精神分析の基本原理ともくろみについて(高田珠樹訳)
- 精神分析における夢解釈の取り扱い(高田珠樹訳)
- 母音列の意義(高田珠樹訳)
- 「偉大なるかな、エペソス人のディアナ」(高田珠樹訳)
- 夢解釈への補遺(新宮一成訳)
- G.グレーフェの講演「ある不安状態の心理とその治療」についての論評(高田珠樹訳)
- ヴィルヘルム・シュテーケル著「露出症の心理学にむけて」へのコメント(高田珠樹訳)
- ジェームズ・J.パットナム著「精神神経症の病因と治療について」へのコメント(高田珠樹訳)
- 民話の中の夢付 ダーフィト・エルンスト・オッペンハイム宛書簡(高田珠樹訳)
- トーテムとタブー(門脇健訳)
- 転移の力動論にむけて(須藤訓任訳)
- 神経症の発症類型について(須藤訓任訳)
- 性愛生活が誰からも貶められることについて(『性愛生活の心理学への寄与』 II)(須藤訓任訳)
- 精神分析治療に際して医師が注意すべきことども(須藤訓任訳)
- 自慰についての討論のための緒言・閉会の辞(須藤訓任訳)
- 精神分析における無意識概念についての若干の見解(須藤訓任訳)
- 幼年期の夢の実例求む―編集者より(須藤訓任訳)
- 「未開人の心の生活と神経症者の心の生活における若干の一致点について」への導入の文章(須藤訓任訳)
- アーネスト・ジョーンズ「ローズベルトを精神分析する」への付記(須藤訓任訳)
- 小箱選びのモティーフ(須藤訓任訳)
- ミケランジェロのモーセ像(渡辺哲夫訳)
- 精神分析運動の歴史のために(福田覚訳)
- ナルシシズムの導入にむけて(立木康介訳)
- 証拠手段としての夢(道籏泰三訳)
- オスカル・プフィスター博士著『精神分析的方法』へのはしがき(道籏泰三訳)
- 夢における童話の題材(道籏泰三訳)
- マクシミリアン・シュタイナー博士著『男性能力の心的障害』への序言(道籏泰三訳)
- 子供のついた2つの嘘(福田覚訳)
- 強迫神経症の素因(立木康介訳)
- 精神分析への関心(福田覚訳)
- ジョン・グレゴリー・バーク著『諸民族の風俗、慣行、信仰ならびに慣習法における汚物』へのはしがき(道籏泰三訳)
- 治療の開始のために(道籏泰三訳)
- 特殊な意味を持った幼年期の夢(道籏泰三訳)
- 分析実践の経験と事例(道籏泰三訳)
- 分析作業中の誤った再認(「すでに話した」)について(道籏泰三訳)
- ギムナジウム生徒の心理学のために(道籏泰三訳)
- 想起、反復、反芻処理(道籏泰三訳)
- 夢における「偉業」の叙述(道籏泰三訳)
- 転移性恋愛についての見解(道籏泰三訳)
- フレデリク・ヴァン・エーデン宛書簡(道籏泰三訳)
- ある幼児期神経症の病歴より「狼男」(須藤訓任訳)
- 戦争と死についての時評(田村公江訳)
- 欲動と欲動運命(新宮一成訳)
- 抑圧(新宮一成訳)
- 無意識(新宮一成訳)
- 夢学説へのメタサイコロジー的補遺(新宮一成訳)
- 喪とメランコリー(伊藤正博訳)
- 精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告(伊藤正博訳)
- 転移神経症展望(本間直樹訳)
- 無常(本間直樹訳)
- 欲動変転、特に肛門性愛の欲動変転について(本間直樹訳)
- ヘルミーネ・フォン・フーク=ヘルムート博士宛 1915年4月27日付書簡(本間直樹訳)
- 精神分析入門講義(新宮一成・高田珠樹・須藤訓任・道籏泰三訳)
- 精神分析作業で現れる若干の性格類型(三谷研爾訳)
- ある可塑的な強迫表象の神話的並行現象(吉田耕太郎訳)
- ある象徴と症状の関係(本間直樹訳)
- アーネスト・ジョーンズ著「ジャネ教授と精神分析」へのコメント(本間直樹訳)
- 精神分析のある難しさ(家高洋訳)
- 『詩と真実』の中の幼年期の想い出(吉田耕太郎訳)
- 処女性のタブー(『性愛生活の心理学への寄与』 III)(本間直樹訳)
- 精神分析療法の道(本間直樹訳)
- 精神分析は大学で教えるべきか?(家高洋訳)
- 『戦争神経症の精神分析にむけて』への緒言(本間直樹訳)
- ジェームズ・J.パットナム追悼(本間直樹訳)
- 国際精神分析出版社と精神分析に関する業績への賞授与(本間直樹訳)
- 「子供がぶたれる」(三谷研爾訳)
- ヴィクトール・タウスク追悼(本間直樹訳)
- テーオドール・ライク博士著『宗教心理学の諸問題』第一部「儀礼」への序文(本間直樹訳)
- 不気味なもの(藤野寛訳)
- 快原理の彼岸(須藤訓任訳)
- 集団心理学と自我分析(藤野寛訳)
- 意識の機能に関するE.T.A.ホフマンの見解(藤野寛訳)
- 戦争神経症者の電気治療についての所見(須藤訓任訳)
- 夢学説への補遺(須藤訓任訳)
- 女性同性愛の一事例の心的成因について(藤野寛訳)
- 分析技法の前史にむけて(須藤訓任訳)
- アントン・フォン・フロイント博士追悼(須藤訓任訳)
- ある4歳児の連想(藤野寛訳)
- J.J.パットナム著『精神分析論集』への序言(高田珠樹訳)
- クラパレード宛書簡抜粋(須藤訓任訳)
- 精神分析とテレパシー(須藤訓任訳)
- 夢とテレパシー(須藤訓任訳)
- 嫉妬、パラノイア、同性愛に見られる若干の神経症的機制について(須藤訓任訳)
- ヨーゼフ・ポッパー=リュンコイスと夢の理論(須藤訓任訳)
- J.ヴァーレンドンク著『白昼夢の心理学』へのはしがき(須藤訓任訳)
- 賞授与(須藤訓任訳)
- 懸賞論文募集(須藤訓任訳)
- 無意識についてひとこと(須藤訓任訳)
- レーモン・ド・ソシュール著『精神分析の方法』へのはしがき(須藤訓任訳)
- メドゥーサの首(須藤訓任訳)
- 自我とエス(道籏泰三訳)
- みずからを語る(家高洋・三谷研爾訳)
- 『みずからを語る』補筆(家高洋訳)
- 『みずからを語る』その後―1935年(家高洋訳)
- 「精神分析」と「リビード理論」(本間直樹訳)
- 夢解釈の理論と実践についての見解(三谷研爾・吉田耕太郎訳)
- 17世紀のある悪魔神経症(吉田耕太郎訳)
- 幼児期の性器的編成(性理論に関する追加)(本間直樹訳)
- 神経症と精神病(吉田耕太郎訳)
- 精神分析梗概(本間直樹訳)
- ルイス・ロペス=バイェステロス・イ・デ・トッレス宛書簡(本間直樹訳)
- フリッツ・ヴィッテルス宛書簡(本間直樹訳)
- M.アイティンゴン著『ベルリン精神分析診療所に関する報告』への序言(本間直樹訳)
- フェレンツィ・シャーンドル博士(50歳の誕生日に)(家高洋訳)
- 雑誌『ル・ディスク・ヴェール』への寄稿(家高洋訳)
- マゾヒズムの経済論的問題(本間直樹訳)
- エディプスコンプレクスの没落(太寿堂真訳)
- 神経症および精神病における現実喪失(本間直樹訳)
- 「不思議のメモ帳」についての覚え書き(太寿堂真訳)
- 精神分析への抵抗(太寿堂真訳)
- 『国際精神分析雑誌』編者のことば(本間直樹訳)
- 否定(石田雄一訳)
- 制止、症状、不安(大宮勘一郎・加藤敏訳)
- 素人分析の問題(石田雄一・加藤敏訳)
- 解剖学的な性差の若干の心的帰結(大宮勘一郎訳)
- 精神分析(大宮勘一郎訳)
- 『ユダヤ・プレスセンター・チューリヒ』編集人宛書簡(大宮勘一郎訳)
- ヘブライ大学開校式に際して(大宮勘一郎訳)
- アウグスト・アイヒホルン著『不良少年たち』へのはしがき(大宮勘一郎訳)
- 夢解釈の全体への若干の補遺(大宮勘一郎訳)
- ヨーゼフ・ブロイアー追悼(大宮勘一郎訳)
- ライク博士ともぐり診療の問題(石田雄一訳)
- ブナイ・ブリース協会会員への挨拶(石田雄一訳)
- ロマン・ロランに宛てて(石田雄一訳)
- カール・アブラハム追悼(石田雄一訳)
- E.ピックワース・ファロウ著「生後6カ月の幼年期の想い出」についての見解(石田雄一訳)
- エーヴァルト・ヘーリングについてのコメント(石田雄一訳)
- フモール(石田雄一訳)
- フェティシズム(石田雄一訳)
- ある宗教体験(石田雄一訳)
- ドストエフスキーと父親殺し(石田雄一訳)
- リットン・ストレイチ宛書簡(石田雄一訳)
- ある錯覚の未来(高田珠樹訳)
- 文化の中の居心地悪さ(嶺秀樹・高田珠樹訳)
- テーオドール・ライク宛書簡抜粋(嶺秀樹訳)
- アーネスト・ジョーンズ50歳の誕生日に寄せて(嶺秀樹訳)
- マクシム・ルロワ宛書簡―デカルトの夢について(高田珠樹訳)
- 「1930年ゲーテ賞」 1、アルフォンス・パケ博士宛書簡 2、フランクフルトのゲーテハウスにおける挨拶(嶺秀樹訳)
- ジュリエット・ブトニエ宛書簡(嶺秀樹訳)
- S.フロイト/W.C.ブリット共著『トーマス・ウッドロー・ウィルソン』への緒言(嶺秀樹訳)
- エドアルド・ヴァイス著『精神分析要綱』へのはしがき(嶺秀樹訳)
- ハルスマン裁判における医学部鑑定(高田珠樹訳)
- ヘブライ語版『精神分析入門講義』への序文(嶺秀樹訳)
- ヘブライ語版『トーテムとタブー』への序文(嶺秀樹訳)
- 小冊子『ベルリン精神分析研究所の10年』への序言(嶺秀樹訳)
- 『メディカル・レヴュー・オヴ・レヴューズ』第36巻へのはしがき(嶺秀樹訳)
- リビード的な類型について(高田珠樹訳)
- 女性の性について(高田珠樹訳)
- 火の獲得について(高田珠樹訳)
- 英語版『夢解釈』第3版(改訂版)へのまえがき(高田珠樹訳)
- ヘルマン・ヌンベルク著『精神分析的な基盤に基づく神経症総論』へのはしがき(高田珠樹訳)
- プシーボル市長宛書簡抜粋(高田珠樹訳)
- タンドラー教授宛書簡抜粋(高田珠樹訳)
- ゲオルク・フックス宛書簡抜粋(高田珠樹訳)
- 戦争はなぜに(高田珠樹訳)
- リヒャルト・シュテルバ著『精神分析事典』への序言(高田珠樹訳)
- ジークフリート・ヘッシング宛書簡(高田珠樹訳)
- ヨーゼフ・ポッパー=リュンコイスと私の接点(高田珠樹訳)
- 続・精神分析入門講義(道籏泰三訳)
- 終わりのある分析と終わりのない分析(渡邉俊之訳)
- シャーンドル・フェレンツィ追悼(道籏泰三訳)
- マリー・ボナパルト著『エドガー・ポー―精神分析的研究』への序言(道籏泰三訳)
- ある微妙な失錯行為(道籏泰三訳)
- チェコ語版『精神分析入門講義』へのまえがき(道籏泰三訳)
- トーマス・マン60歳の誕生日に寄せて(福田覚訳)
- ロマン・ロラン宛書簡(福田覚訳)
- ゲオルク・ヘルマン宛書簡3通(道籏泰三訳)
- トーマス・マン宛書簡(福田覚訳)
- ブラウン教授死去に際して(道籏泰三訳)
- ルー・アンドレアス=ザローメ追悼(道籏泰三訳)
- 分析における構築(渡邉俊之訳)
- モーセという男と一神教(渡辺哲夫訳)
- 精神分析概説(津田均訳)
- 精神分析初歩教程(新宮一成訳)
- 防衛過程における自我分裂(津田均訳)
- 反ユダヤ主義にひとこと(渡辺哲夫訳)
- 『タイム・アンド・タイド』女性編集者宛書簡(渡辺哲夫訳)
- イスラエル・コーエン宛書簡(渡辺哲夫訳)
- イスラエル・ドリュオン著『リュンコイスの新国家』への緒言(渡辺哲夫訳)
- イスラエル・ドリュオン宛書簡2通抜粋(渡辺哲夫訳)
- 成果、着想、問題(高田珠樹訳)
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