2022年12月25日日曜日

開成・鎌田亨教諭 エロ小説だと生徒が騒いだ中学の課題図書 | 日経BOOKプラス

開成・鎌田亨教諭 エロ小説だと生徒が騒いだ中学の課題図書 | 日経BOOKプラス

開成・鎌田亨教諭 エロ小説だと生徒が騒いだ中学の課題図書

「古文なんて勉強して意味あるの?」

 こう質問されたことは数えきれません。それは受験を前にした生徒が自身にとっての意味を問うものであったり、古文の教師として生きる僕に向けられたものであったり。

 どんな意味を持つかは人によって様々でしょう。

 ただ、これだけは伝えたいと思うのは、「古典を読むってすごく楽しいんだよ」ということです。1000年も前に生きた人が何を感じていたのか、即興で詠んだその歌にどんな思いを託したのか。1000年の間、人々を共感させてきた文章に、今を生きる僕らが触れられる奇跡が、面白くないはずはないんですよ。

鎌田亨(かまたとおる)。開成中学校・高等学校 国語科教諭。1975年東京都生まれ。開成中学校、高等学校を経て、東京学芸大学を卒業、同大学院修了。趣味はオーボエ、ワイン、読書。現在、高校2年生を担任

鎌田亨(かまたとおる)。開成中学校・高等学校 国語科教諭。1975年東京都生まれ。開成中学校、高等学校を経て、東京学芸大学を卒業、同大学院修了。趣味はオーボエ、ワイン、読書。現在、高校2年生を担任

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 とはいえ、残念なことに古典は「言葉の壁」が高く、とっつきにくい。だから感情移入しづらくて、面白さを感じられないままの人が多いのも確かなんですね。でも、それではあまりにもったいない。

 そこで僕の授業では、古典への入り口となり、その先にワクワクするような世界が広がっていることを感じさせてくれる作品を、中学生の夏休みの課題図書としています。

古典の入り口にいる生徒たちをその先へいざなってくれる

 2年前の夏に中学3年生の課題図書として取り上げ、1学年300人全員で読んだのが『 小説伊勢物語 業平 』(髙樹のぶ子著、日本経済新聞出版)です。

 多くの段が「むかし、男ありけり」で始まる『伊勢物語』は、125章段からなる歌物語。主人公は実在の歌人、在原業平だとされていますが、作者は不詳で後世の人が手を加えて作られたと言われています。内容はバラバラで昔話の集合のようであり、時間が時折前後するうえ、業平ではない「男」の話も含まれていて分かりやすいとは言い難いんですね。

 ところが、著者の髙樹のぶ子さんは、このちょっとつかみどころのない古典を、業平の15歳の元服から辞世までの一代記として小説化することで、今の時代によみがえらせてしまった。原典に親しんできた僕としては、あの小さなエピソードをこんなところへ持ってきてこうつなげるのかと、作家のその想像力に圧倒される思いでページをめくりました。

 業平といえば、"希代のモテ男"。ストーリーは業平の恋の遍歴が軸になり、様々な女性との恋愛の場面がたっぷり。でも、時代背景や歌に込められた思いが丁寧に描かれることで、血の通った情に厚い人物として業平の像が浮かび上がってくるんですね。思春期真っただ中の夏に、こういう物語を味わうのもいいかもしれない。

 さらにこの文体の魅力です。美しく雅(みやび)やか、しかもリズミカルで読みやすい。これなら、古典の入り口にいる生徒たちをその先へきっといざなってくれるはずだ。

「

「"希代のモテ男"と様々な女性との恋愛の場面がたっぷり。思春期真っただ中の夏に、こういう物語を味わうのもいいかもしれない」

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「わっ、エロ小説だ」なんて口にする生徒も

 そういった理由で課題図書に選んだのですが、学校で配ったら「わっ、エロ小説だ」なんて口にする生徒も。いやいや、そうじゃない(笑)。

 450ページを超える作品だし、中学生が独力で読むには少々難しいので、ヒントになるような四択のクイズ問題をたくさん作って、オンライン授業のサイトにアップしました。ちゃんと読んでいれば答えられる問題で、解いていくうちに自然に読破できる仕掛けです。

 みんな「エロい」とか何とか言いながら、結構楽しんでいたようです。

 そして、2学期の授業では印象的な場面を取り上げ、「原典を見てみましょう」とみんなで『伊勢物語』を読みました。

 歌の味わい方や人物への理解が深まることもさることながら、「古典って面白い」と分かってもらえたのではないかな、と思います。

「この本は、歌が詠まれた情景を描いた挿絵も雅を感じさせてくれます」

「この本は、歌が詠まれた情景を描いた挿絵も雅を感じさせてくれます」

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髙樹のぶ子さんが来校して特別授業を

 『小説伊勢物語 業平』を開成中学の教材として採用したことを偶然、著者の髙樹さんがお知りになり、それがきっかけで髙樹さんを学校にお招きして特別授業をしていただくという、またとない機会につながりました。著者自らが語る、五音と七音を意識した文体について、業平が体現した「雅」について、さらに、業平の挫折と重ね合わせてご自身の挫折体験について。生徒たちは熱心に耳を傾け、質疑応答ではたくさんの手が挙がりました。

 「内容や使われている言葉は難しいのに、すらすら読めたのは五七五のリズムの文体のおかげだったんですね」という感想や「印税いくらですか?」という質問、「業平みたいな男が実際にいたら、髙樹先生はどうしますか」なんて聞いていた生徒もいました。

 「先生みたいな想像力を身に付けるにはどうしたらいいですか」という質問に、髙樹さんは「もう想像があふれ出てしょうがないの。次から次へと書きたいことが出てくるんです」と。これって、「どうしたらいいですか」という質問の答えにはまったくなっていないのですが(笑)、想像力で物語を紡ぎ出す作家のすごみのようなものの一端に触れることができました。

『小説伊勢物語 業平』を開成中学の教材として使っていることを著者の髙樹のぶ子さんが偶然知り、特別授業が実現した(写真提供:開成学園)

『小説伊勢物語 業平』を開成中学の教材として使っていることを著者の髙樹のぶ子さんが偶然知り、特別授業が実現した(写真提供:開成学園)

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『枕草子』を読んでも見えてこない、闇の部分が見えてくる

 もう1冊お薦めしたいのが、清少納言の生涯を描いた小説『 はなとゆめ 』(冲方丁著、角川文庫)です。一人称で書かれているため、清少納言がどのように生き、いかに『枕草子』を書くに至ったのかが、彼女の目線で語られます。

 『枕草子』というと、冒頭の「春はあけぼの…」の部分を暗唱させられたことや、「うつくしきもの」「すさまじきもの」…と、「もの」を羅列する部分くらいしか記憶にない人が大半ではないでしょうか。そして、清少納言に対しては『源氏物語』の紫式部との比較もあって、どこか才気走ったキャリアウーマンのようなイメージを抱きがちです。でもそれは彼女の一面でしかありません。

 清少納言は一条天皇のきさきである中宮定子に仕え、その定子に認められ引き立てられることで才能を開花させていきます。美しく、知性と教養にあふれ、人を導く才能にも恵まれた定子。清少納言はそんな定子をかけがえのない存在として敬い、定子の素晴らしさや定子との幸せな記憶を残すために『枕草子』をつづるのです。

 だから、『枕草子』に描かれている定子のサロンやそこに集う人々は、みな明るく美しい。でも、『はなとゆめ』を読めば、現実は美しいばかりでなく、定子や清少納言たちが一族の争いに巻き込まれて翻弄されていたことが分かります。

 そんな苦しい状況を明るくユーモアに変え、自分たちを陥れようとした人への恨みを口にする代わりに、自分たちの持つ良いもの、美しいものを言葉にして残そうとした、それが『枕草子』なのです。

 『はなとゆめ』を読むことで、『枕草子』を読んでも見えてこない闇の部分が見えてきます。

 この本も、数年前の夏休みの課題図書でした。政治的な抗争の激しさが印象に残るのか、「宮仕えは大変だ」「こんなに苦労するならやめればいいのに」といった感想を口にする生徒が多かったですね。「栄華を極めた藤原道長こそ立派な人物のように感じてきたけれど、『はなとゆめ』を読んだら藤原伊周(これちか)が気になってたまらない人物になりました」という感想もありました。すごくいい入り口になったのではないかと思います。

「『枕草子』に描かれている世界は美しいですが、『はなとゆめ』を読めば定子や清少納言たちが一族の争いに巻き込まれて翻弄されていたことが分かります」

「『枕草子』に描かれている世界は美しいですが、『はなとゆめ』を読めば定子や清少納言たちが一族の争いに巻き込まれて翻弄されていたことが分かります」

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教科書に載っている「抜粋した一部分」だけでは、古典は楽しめない

 「原典に当たってこそ古典の授業だ」「小説化された作品なんて扱うな」という意見は、もちろんあります。

 でもどうなんでしょうか。まったく読まないよりは何か読んだほうがいい。それが入り口やきっかけになるなら、どんどん触れたほうがいい。

 たとえば海外ドラマや映画を字幕や吹き替えで見て、「ファン」を名乗るのは間違いでしょうか。また「のだめカンタービレ」を見て、クラシック音楽のキャッチーで有名なサビの部分だけを聴き、「クラシック音楽大好き」と語ったらダメなんでしょうか。全然かまわないですよね。分かりやすいドラマがあり、そこで耳にしたサビをたどって、たぶん数パーセントの人はその曲を通しで聴くようになります。さらにその数パーセントの人は他の曲にも興味を持つでしょう。

 もちろん『小説伊勢物語 業平』や『はなとゆめ』を読んで古典に興味を持ったからと言って、自分で原典をひもといて全部読んでくれたりする生徒は、恐らくほとんどいないでしょう。でも、少なくとも、教科書に載っている一部分を抜粋したものに触れているだけでは、『伊勢物語』や『枕草子』は楽しめないということに気付いてもらえたんじゃないか。そんな子は授業に先立って全訳を読んでみたりしています。古典がそうやって身近になるなら僕はうれしいし、もしかしたらそれが未来の専門家を生み出す素地になっている可能性だってある。

 それで十分じゃないかと思うんですよ。

「『原典に当たってこそ古典の授業だ』『小説化された作品なんて扱うな』という意見はもちろんあります。でも、古典が身近になるなら、そういった作品にもどんどん触れたほうがいい。僕はそう考えます」

「『原典に当たってこそ古典の授業だ』『小説化された作品なんて扱うな』という意見はもちろんあります。でも、古典が身近になるなら、そういった作品にもどんどん触れたほうがいい。僕はそう考えます」

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取材・文/平林理恵 写真/稲垣純也

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