戦争の間
Le salon de la Guerre
The War Room
角部屋まで来ました。次はどうやら、鏡の間。戦争の間
Le salon de la Guerre
The War Room
天井画。わかりにくいけど、シャンデリアが垂れ下がっている中央には擬人化されたフランスの女神がいて、彼女のもつ盾にはルイ14世が描かれている。
La France foudroyant ses ennemis
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公式
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Le salon de la Guerre | La France foudroyant ses ennemis
France
Description
La France est peinte au centre de la coupole brandissant le foudre en s’abritant derrière un bouclier orné du portrait de Louis XIV (couronné de laurier). Elle porte le manteau bleu fleurdelysé et un casque à panache orné de la couronne à fleurs de lys d’or. Pierre Rainssant (1687) précise que l’image du roi est peinte « pour faire entendre que c’est lui qui la [la France] rend victorieuse de ses ennemis, et qui la met à couvert de leurs efforts ». Le principe du foudre d’où partent des éclairs qui se propagent dans d’autres compositions est repris de la Prise de la ville et citadelle de Gand en six jours. Le portrait du roi dans le bouclier est une imago clipeata (image en bouclier) qui est « à l’origine de l’introduction de l’image du Christ dans l’iconographie impériale byzantine » et qui constitue ici une sacralisation de la figure du souverain (Milovanovic 2005b).
戦争の部屋|フランスが敵を叩く
フランス
説明
フランスは、ドームの中央で雷を振り回し、ルイ14世の肖像(月桂冠)をあしらった盾の後ろに避難している姿で描かれています。彼女はフルール・ド・リスをあしらった青いマントと、黄金のフルール・ド・リスの冠で飾られた羽飾りのついた兜を身に着けています。ピエール・ランサン(1687年)は、王の像は「彼女(フランス)を敵に勝利させ、彼らの努力から守るのは彼であることを明確にするために」描かれたものであると述べている。他のコンポジションで稲妻が広がる元となる雷の原理は、「ゲントの都市と城塞を6日間で占領したこと」から引用されている。盾の中の王の肖像は、「ビザンティン帝国の図像にキリストの像を導入した原点」であるイマゴ・クリペアータ(盾の像)で、ここでは君主の姿の神聖化を構成する(Milovanovic 2005b)。
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Le salon de la Guerre | La France foudroyant ses ennemis
Victoires
Description
Ces trois Victoires sont ailées et couronnées de laurier : elles portent des tableaux illustrant la bataille de Sinzheim et la prise de Fribourg (la troisième porte seulement une armure). La bataille de Sinzheim a été remportée par le maréchal de Turenne sur les troupes impériales le 16 juin 1674 ; la ville de Fribourg a été prise par le maréchal de Créquy le 16 novembre 1677.
Bibliographie
Mercure galant avril 1687, p. 21.
Index
Allégories : Victoire
Gestes : Désignation : main
Symboles : Ailes | Couronne de laurier | Laurier | Armure
Auteur : Nicolas Milovanovic
© Coproduction RMN – EPV, 2008
戦争の部屋|フランスが敵を叩く
ビクトリーズ
商品説明
この3人の勝利の女神は、翼を持ち、月桂樹の冠をかぶり、シンツハイムの戦いとフライブルクの攻略を描いた絵を持っています(3人目は鎧だけを持っています)。シンツハイムの戦いは、1674年6月16日にテュレンヌ元帥が帝国軍に勝利し、フリブールの町は1677年11月16日にクレッキー元帥が占領した。
書誌情報
Mercure galant 1687年4月号、21ページ。
索引
アレゴリー(Allegories) 勝利の女神
ジェスチャー : 指定:ハンド
シンボル:翼|ローレルリース|アーマー
著者:ニコラス・ミラノビッチ
共同制作 RMN - EPV, 2008
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Commentaire
La France est peinte au centre de la coupole, brandissant le foudre en s’abritant derrière un bouclier orné du portrait de Louis XIV. Les éclairs qui partent de cette figure se propagent dans les voussures où elles effraient les allégories de l’Espagne, de l’Allemagne et de la Hollande. Tout autour sont peintes des Victoires évoquant les batailles de Sinzheim, du pont de Strasbourg, ainsi que la prise de Luxembourg et celle de Fribourg. Cette composition fait symétrie avec la peinture de la coupole du salon de la Paix où est représenté le sujet : La France donne la paix à l’Europe.
解説
フランスはドームの中央に描かれ、ルイ14世の肖像画で飾られた盾の後ろに隠れながら、雷を振り回している。この人物から放たれた稲妻は、ヴーズソワールを通ってスペイン、ドイツ、オランダの寓意画を脅かすように広がっています。周囲には、シンツハイムの戦い、ストラスブールの橋、ルクセンブルクとフライブルクの攻略を想起させる勝利が描かれている。この構図は、「フランスはヨーロッパに平和を与える」という主題で描かれた「平和の間」のドームの絵と対称的です。
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Commentaire
L’Allemagne, c’est-à-dire le Saint Empire romain germanique, est l’une des puissances alliées que la France a combattues lors de la guerre de Hollande (1672-1678). Elle se protège à l’aide de son bouclier des éclairs qui proviennent de l’allégorie de la France, peinte dans la coupole. Autour de l’Allemagne, des soldats portant des armes et des étendards partent au combat, à gauche, et sont renversés et mis en déroute, à droite. Cette composition fait symétrie avec celle du salon de la Paix où l’Allemagne est représentée acceptant la paix que lui propose la France : L’Allemagne accepte la paix.
39解説神聖ローマ帝国であるドイツは、フランスがオランダ戦争(1672-1678)で戦った同盟国の一つです。彼女は盾を使って、ドームに描かれたフランスの寓意から来る稲妻から身を守っている。ドイツの周囲では、武器や基準を持った兵士たちが左側で戦いに臨み、右側で倒され敗走している。この構図は、「和平の間」に描かれた、フランスから提示された和平をドイツが受け入れる「ドイツ、和平を受け入れる」と対称的である。41Commentaire
Cette composition montre les ravages de la guerre. Bellone est la déesse romaine de la guerre, parfois identifiée comme l’épouse de Mars. Elle est peinte sur son char qui renverse la balance de la Justice et l’autel de la Religion. La dévastation règne tout autour : la Discorde met le feu à des palais en ruines, la Charité tente de s’abriter. Cette composition fait symétrie avec celle du salon de la Paix où est représentée L’Europe chrétienne en paix.
41解説この構図は、戦争の惨禍を表しています。ベローナはローマ神話に登場する戦争の女神で、マースの妻として認識されることもある。戦車に乗った彼女は、正義の天秤と宗教の祭壇をひっくり返している様子が描かれています。不和は廃墟と化した宮殿に火を放ち、慈愛は避難しようとする。この構図は、キリスト教ヨーロッパの平和を描いた「平和の間」の構図と対称的である。40Commentaire
La Hollande désigne les Provinces-Unies qui sont l’une des puissances alliées que la France a combattues lors de la guerre de Hollande (1672-1678). L’allégorie se protège à l’aide de son bouclier des éclairs qui proviennent de l’allégorie de la France, peinte dans la coupole. Tout autour, des soldats portant des armes et des étendards s’élancent ; des navires, symbolisant la puissance maritime de la République, sont en flammes ou en train de faire naufrage. Cette composition fait symétrie avec celle du salon de la Paix où la Hollande est représentée acceptant la paix que lui propose la France : La Hollande accepte la paix.
40解説オランダとは、オランダ戦争(1672-1678)でフランスが戦った同盟国の一つである連合国のことです。寓意画は、キューポラに描かれたフランスの寓意画から放たれる稲妻から盾で身を守っているのです。彼女の周囲では、武器や旗を持った兵士たちが突進し、共和国の海洋力を象徴する船が炎上したり難破したりしている。この構図は、「サロン・ド・ラ・ペ」の構図と対称的で、オランダはフランスから提示された和平を受け入れているように表現されている(「オランダは和平を受け入れる」)。38Commentaire
L’Espagne est l’une des puissances alliées que la France a combattues lors de la guerre de Hollande (1672-1678). Elle brandit une lance en direction de l’allégorie de la France, peinte dans la coupole, tandis que son lion héraldique est dressé sur ses pattes de derrière. Autour de l’Espagne, des soldats sont terrassés par les éclairs qui proviennent de la composition centrale. Cette peinture fait symétrie avec celle du salon de la Paix où l’Espagne est représentée acceptant la paix que lui propose la France : L’Espagne accepte la paix.
38解説スペインは、フランスがオランダ戦争(1672-1678)で戦った同盟国の一つである。キューポラに描かれたフランスの寓意に向かって槍を振りかざし、紋章の獅子は後ろ足で立っている。スペイン周辺では、中央の構図から兵士たちが雷に打たれて倒れている。この絵は、「和平の間」に描かれた、フランスから提示された和平を受け入れるスペインが描かれた絵(スペイン、和平を受け入れる)と対称的である。39ドイツ38スペイン 女神 40オランダ41ベローナ~~~~39ドイツ38スペイン女神 40オランダ41イタリア(ベッローナ)
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War Room France Holding Lightning And A Shield, Surrounded By Victories By Charles Le Brun
[SUB]【美術散歩】ヴェルサイユ グランアパルトマン 宮殿散歩
25:35
スペイン獅子 女神 オランダ
ドイツ鷲
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新 ベルサイユ宮殿 5 (戦争の間と平和の間)
戦争の間(The Salon of War)
画家シャルル・ル・ブラン(Charles Le Brun)
平和の間(The Peace Salon)
ルイ15世のメダリオン(medallion)
下は位置確認です。ウィキメディアのパノラマ写真を借りてきました。中に書き込みしています。
庭からの宮殿。
右側ピンク 平和の間(The Peace Salon)
中のブルー 鏡の回廊(Hall of Mirrors)
左側ピンク 戦争の間(The Salon of War)
地図も位置を確認して下さい。下の図は宮殿正面側からです。
鏡の間の向かって右端が戦争の間で、左の端が平和の間と呼ばれています。
戦争の間の側(右翼)が王様の寝所などの領域で、左の平和の間の側(左翼)が王妃の寝所などの領域に分けられています。鏡の間の向こう側が、広大なベルサイユの庭園がある側です。
※ 団体の観光ルートでは正面右のガブリエル棟から入り、王の間の領域を抜けて、鏡の間に入り、王妃の間の領域を見学するコースになっていますが、個人の入口は反対の旧棟かららしいです。
因みに2018年頃に王の内庭の地下に大きなトイレが設置され混雑緩和になったようです。
戦争の間(The Salon of War)
1678年マンサールがこの部屋の建設に着手し、装飾は画家シャルル・ル・ブラン(Charles Le Brun)(1619年~1690年)
1679年2月頃から造営。天井はクーポラ仕立て
壁には大理石が貼られ、その上に金箔青銅の武具装飾と、武器類が流れるようなデザイン飾りとしてとり付けられ、天井にはル・ブランにより、勝利の女神に取り巻かれる戦勝国フランスの姿が描かれている。
主題は、「ニメーグ和平における軍隊の勝利」
そもそも「鏡の間」自体がルイ14世の戦争の勝利など功績が描かれ、栄誉をたたえる構成図案になっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3
シャルル・ルブラン
シャルル・ル・ブラン | |
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ニコラ・ド・ラルジリエール《シャルル・ル・ブランの肖像》、ルーヴル美術館蔵 | |
生誕 | Charles Le Brun 1619年2月24日 フランス王国、パリ |
死没 | 1690年2月22日(70歳) フランス王国、パリ |
国籍 | フランス王国(ブルボン朝) |
運動・動向 | フランス・バロック |
選出 | 王立絵画彫刻アカデミー |
後援者 | ルイ14世 |
シャルル・ル・ブラン(Charles Le Brun, 1619年2月24日 - 1690年2月22日)は、フランスの画家、室内装飾家、美術理論家。ルイ14世の第一画家としてヴェルサイユ宮殿、ルーヴル宮殿等の内装を担当。王立絵画彫刻アカデミー(後の芸術アカデミー)やゴブラン工場(w:Gobelins Manufactory)の設立運営にも関わり、17世紀フランス工芸・美術界に強い影響を与えた。
生涯
画家、装飾家として
1619年2月24日、パリで彫刻家の家に生まれる。1632年フランソワ・ペリエに絵画を学び、その後ル・ブランの才能を認めたセギエにより、1634年にシモン・ヴーエの工房へ預けられる。1638年にはすでに宮廷画家としてリシュリューから最初の注文を受けていたが、1642年にセギエの経済的支援により、プッサンと共にローマへ渡り、4年間プッサンの下で最先端の美術を学んだ。
1658年よりル・ブランは、建築家ルイ・ル・ヴォー、造園家ルノートルと共に財務卿ニコラ・フーケが所有するヴォー=ル=ヴィコント城の建設に着手した(1661年完成)。ヴォー=ル=ヴィコント城はこの3人による初めての共同作品であり、彼らがこの城のために造ったあらゆる景色、製造物による絢爛豪華な新秩序は、その後のルイ14世様式の始まりである。彼らはフーケの失脚後、ヴェルサイユ宮殿を造った。
ルイ14世は、ル・ブランのヴォー=ル=ヴィコント城での仕事や、王が依頼したアレクサンドロス大王の歴史画[1]を賞賛、1664年、ル・ブランは王の第一画家(fr:Premier peintre du Roi)として爵位と年間12,000リーブルの年金を与えられた[2]。国王は彼を「古今の最も偉大なフランスの芸術家である」と宣言した。
絵画・彫刻アカデミー、ゴブラン工場の設立
ル・ブランは、組織のリーダーとしての才能があり、アカデミーや王立工場の設立のため中心的な役割を担い、それぞれの要職を歴任した。
17世紀前半パリでは、中世から続くギルドの既得権を守るため、ギルドに属さない宮廷美術家の活動は制限されていた。1646年にローマから帰国したル・ブランは、他の宮廷美術家と共に、ギルドからの自由を目指し、ギルドに対抗する拠所として1648年に王立絵画・彫刻アカデミーを設立した。
1660年、ル・ブランはコルベールと共にゴブラン工場の設立に貢献し、工場の責任者となる。彼らが設立したゴブラン工場は、初めはタペストリーだけでなく、王宮で必要なあらゆる什器家具を製造する学校であった。
1661年、王立絵画・彫刻アカデミーの保護副会長に選任されたコルベールは、アカデミーをギルドに代わって美術家を支配し、絶対王政と重商主義政策に奉仕する機関として再編、1663年にル・ブランを学長に推薦した。そこでル・ブランはアカデミズムの基準を作り、アカデミーの発展のために尽くした。彼らは1666年にパリのアカデミーの支部としてローマにアカデミー・ド・フランスを設立した。
コルベールの死後、コルベールの政敵であったルーヴォワが公共事業の最高責任者を継いだ。王は引き続きル・ブランを支持したが、ルーヴォワは、コルベールのお気に入りであったル・ブランを冷遇した。しかしルーヴォワの思惑に反し、ル・ブランはアカデミーの学長に再選される。
ル・ブランは1690年2月22日にパリの私邸で病没した。
ル・ブランは、彼が指導したゴブラン工場とアカデミーを通してフランスの工芸や美術界全体を支配し、フランスで製造されたあらゆる製品に彼の豪華で強烈な個性を刻み込んだ。彼はルイ14世様式の生みの親であり、彼の死後何世紀にも渡ってフランス人の趣味傾向に影響を与えた。
ギャラリー
『宰相セギエ』
『馬に乗るルイ14世』
『ルイ14世の肖像』
『ルイ14世とコルベール』
『神となったルイ14世』
『天国の戦争』
『聖母の被昇天』
脚注
- シャルル・ル・ブランは1660年にフォンテーヌブロー宮殿のために《アレクサンドロスの足元にひれ伏すペルシア王妃たち》(ヴェルサイユ宮殿)を制作した。この作品ではイッソスの戦いで勝利したアレクサンドロス大王が、逃亡したペルシア王ダレイオスの家族に保護を申し出ている。縦4メートル、横7メートルを超えるこの巨大な作品でル・ブランは、支配者の徳の高さ、人物の多様な感情を描いている。この大作の成功はアレクサンドロスの生涯を描く連作にル・ブランを取り組ませ、《アレクサンドロス大王のバビロニア入城》、《グラニコス川の横断》、《アルベラの戦い》、《アレクサンドロス大王とポルス》の4点が描かれた。これら4点は1673年のサロンに出品され、ルイ14世コレクションに収蔵された。その後連作を基に、ル・ブランが指導していたゴブラン制作所でタピスリーが制作された。ただし絵画作品は当初からタピスリーのカルトン(下絵)として制作されたかどうかは明らかではない。cf. ルーヴル美術館の作品解説サイト
- ル・ブランはこの職を1690年の死の年まで務める。なお前任はニコラ・プッサン、後任はピエール・ミニャールである。
参考文献
- ニコラウス・ペヴズナー 『美術アカデミーの歴史』 中森義宗・内藤秀雄訳、中央大学出版部〈UR双書 25〉、1974年。
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、シャルル・ル・ブランに関するメディアがあります。
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