2026年3月1日日曜日

果てしなきハムレット──ドラゴンの復讐──作業中

https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/8021372109485851469



はじめに

「──ここは、生も死も混じり合う場所。対立するものではない。時もまたしかり。ここでは過去も未来も、常に溶け合っている──」
(本作冒頭、老婆・魔女のセリフ)

「くだらん奴が、くだらんという事は、くだらんものではない証拠で、つまらん奴がつまらんという事は、大変面白いという事でしょう」

(黒澤明『蝦蟇の油』1984年単行本版303頁)


‪本作を最初に見た時は欠点のある野心作という印象だったが3回目を見た時傑作と判断した。劇場で計9回見た。ここまで劇場で見た映画はない。
多分『もののけ姫』以来最も重要な映画だと思う。アニメに限定せず全ての映画なかで。
その興業的な不振の理由は考えるに以下あたりだろう。

・一局推しは他局が推せない。
・宣伝が女性客を軽視した。
・声優ファンがいつものネガキャンをした。
・批評家がハムレット、神曲を読んでないことをバレたらまずいと思った。
・真実を突きつけたので嘘っぱちな生き方をしている人間が反発した。
・評価したスピリチュアル系の影響力が限定的だった(以下の動画を参照)。

果てしなきスカーレット絶賛派動画まとめ:短縮版

果てしなきスカーレット絶賛派動画まとめ:改訂版 https://youtu.be/TpcaHwIaKL4?si=nwBJ9c5VUEJG1GG1 @YouTubeより
https://youtu.be/TpcaHwIaKL4?si=2Fo_d-DEUmShAEHd




しかしこれらは作品の出来とは関係ない。むしろその表現力の高さが後述する宗教的反発を招いたと思われる。YouTuberの発言などを見ていると伏線を張る段階で現代人はオチを期待している。ロラン・バルトが優れた映画の特質であると述べたことのある意味の留保『映像の修辞学』より。文庫版新訳108頁では意味の「宙づり」)を現代人のほとんどが作品の欠点として捉えている。自分が描いた絵や自分の作った作品を否定されたことは誰しもあるだろう。そうした人がこの映画を見て古傷を思い出してあらゆる理論武装を用意してその古傷を隠そうとしているのかも知れない。その意味でこの映画は自分自身を許せない人間達にとっての「ネズミ取り」である。

一見捻りのないストレートな復讐譚なのだが、そもそも本作の主人公スカーレットはハムレットと違う猪突猛進型で面食らう。原作のハムレットは狂気を装うのだからスカーレットとは真逆で腹に一物あり狂気を装い周りを騙すのだ。それだからこそハムレットは一応の復讐を果たす。原作とは関係ないことがわかって純粋に映画を楽しむためには原作を知っておく方がいいということになる(原作では登場人物のほとんどが死ぬのでそれを知っているとスカーレットが次々と彼らと死者の国で邂逅することに驚かない)。

本作のストーリーと参照元との違いのポイント:
①ハムレットは馬鹿のふりをして復讐を遂げるが、スカーレットは逆の性格で猪突猛進。
②神曲ではダンテの相棒は経験豊富だが本作では心許ない(スカーレットは日本人の看護師の聖(ひじり)と死者の国で偶然出会う)。
③オルフェウスの象徴である竪琴を聖は最初は全く弾けない。ギリシア神話では女が消えるが映画では男が…(後述)。

ハムレットを知らなくても楽しめるが(ハムレットは映画を見てから読めば良い)、ハムレットは知っておくと別の楽しみがより増えると思う(例えばハムレットのオフィーリアへのセリフを捩ったスカーレットの聖へのセリフ「…寺へ行け」で爆笑出来るし、ローゼンクランツとギルデンスターンの登場は出オチで面白い)。それだけの戯曲だし上演の歴史がある。

アスタ・ニールセン
女ハムレット
Asta Nielsen • Hamlet (1921/II) • Directed by Svend Gade • Zwischentitel... 


Sarah Bernhardt サラ・ベルナール - ハムレット
Le Duel d'Hamlet (1900) La Société Phono Cinéma Théâtre 

(細田守はインタビューでサラ・ベルナールのハムレットに言及している。)




以下、『果てしなきスカーレット オフィシャルガイドブック』より

《[細田守]…スカーレットの中には、ハムレットとオフィーリアが混ざり合っているつもりで描こうと思いつきました。そのことをアメリカの知人に話したら、「ハムレット」を女性でやった歴史は、けっこう古いのだと資料を見せてくれて。1899年にアルフォンス・ミュシャが「ハムレット」パリ公演のポスターを描いているんだけど、その公演ではハムレットは男装の人(演じたサラ・ベルナールはそれまではオフィーリアを演じていた)という設定だったそうです。…》




アメリカの知人とは映画評論家のチャールズ・ソロモン(エンドロールに名前がある)だろう。

本作以外ではイーサン・ホーク主演のハムレット2000が低予算映画だがおすすめ。
(「ネズミ取り」は芝居ではなくて映画上映で表現される!)

テクノロジーに依拠した現代アニメの歴史より演劇の歴史は古いし、数々の芸術家を刺激してきた(かつてのグローブ座ではマイクなしに群衆に対峙してきたし、それはラストのスカーレットも同じだ。テクノロジーの発達した今見習う点は多い)。
ハムレットについては特にタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。

《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 
 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》(タルコフスキー 『映像のポエジア』単行本版310頁)

この正確なハムレット評は実は本作ではスカーレットにではなく聖の運命に当てはまる。スカーレットにはオフィーリア的要素が映画では重ねられる。

最後のスカーレットと聖の別れのシーンで、to be or not to beを男女の二人の主人公に振り分けたのはハムレット読解(小説版がわかりやすい*)として面白い。

(「生きるべき(to be)じゃない……。復讐に取り憑かれていた私が死ぬべき(not to be)なんだ……」)

このラストはオルフェウスの冥界下りの神話と男女を逆にしたものでもあるし、見つめるという行為も神話と逆だ(そこに至る過程でもスカーレットと聖の関係性は相互に立場が入れ替わる描写がいくつかなされる)。

参考:

聖とスカーレットの相互関係(数字は#シーンナンバーと小説の章番号と文庫版頁数)

#2977砂漠を歩く聖が足手纏い

#46147怪我をして歩くスカーレットが遅れる

#2979砂に飲まれる聖をスカーレットが引っ張る

#70(14)246倒れ込むスカーレットを聖が抱き止める

#3089現実を見ろとスカーレットが説教

#76(14)254生きたいと言えと聖が説教

#39114踊りを笑われる聖(スカーレットは見ているだけ)

#51160聖、スカーレットをダンスでリード


一番重要なのは相互に命を救っていることだ(⑤70,⑧129)。なお中島敦の『名人伝』*を想起させる聖の非戦的セリフ(⑧121「中国の故事にある、究極の弓の名人は…形のない弓で見えない矢を放つ」)とそれに対するスカーレットの反応も最後の復讐の機会を前にしたスカーレットの選択((13)241)と対比的に関係してくる。
(作品全体も非戦的立場を取るが同時に個々の戦士の誇りを描いている点でこの映画にあるのは単なる平和主義ではない。)

名人伝

(金子修介監督が本作のキャラクターの目の動きに着目していたが、主人公二人のうちどちらが生きているかを判断するシーンでの黒目の動きが効果的だった。これはCGというかデジタルで試行錯誤した成果だろう。https://x.com/shusukekaneko/status/1995033217213272372?s=61

神曲にしても一番重要なフレーズを死者の国で知り合う聖に読ませる点で、おやっと思う。死後の世界の三層構造は辺獄ということで一元化して描かれる。とは言え途中の悪夢では神曲の構造が背景に描かれる。


:CG制作の裏側|『果てしなきスカーレット』若手クリエイターインタビュー④ アニメ美術に挑戦した背景表現|DF TALK




:Culture Crave 🍿さんによるXでのポスト

以下を参考にしたのだろう。
「地獄図(地獄の見取り図)」(1490年)サンドロ・ボッティチェッリ


(↑恐怖の明確化という点で、不安を意味ありげに提示するだけのジャパニーズホラーには到達できなかったシーンだ。冒頭の老婆の「──ここは、生も死も混じり合う場所。対立するものではない。時もまたしかり。ここでは過去も未来も、常に溶け合っている──」というセリフも星を見る聖をさらにスカーレットが見るシーンと並んで的確に表現されている。水面自体はラストの鏡像の扉とも対になる。ちなみに『神曲』の構造はダンテがイスラム文化から学んだものだという説*がある。)


ダンテ『神曲』とイスラム文化:メモ再掲
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_21.html

復讐の敵役はハムレットではなくマクベスからセリフ(「…私の心はサソリでいっぱいだ…」)が取られる。
ギリシア神話で有名な冥界を旅するオルフェウスは竪琴の名手だが聖は苦労してリュートを上達する。
復讐を果たすのも主人公スカーレットではなくドラゴンという結末である。

(ドラゴンについて追記しておくと、一般に人智を超えた龍は東洋的なイメージだが、本作のドラゴンは剣や武器で傷ついており西洋的な退治可能な対象でもあるとわかる。東洋の龍と西洋のドラゴンの融合だ。本作は剣でドラゴンを傷つけたであろう人間への復讐をドラゴンが果たすことで終わる。スカーレットではなくドラゴンの復讐というのがこの映画の基本プロットなのだ。ドラゴンによる雷鳴はCGを駆使したものだが一部リミテッドアニメの手法をドラゴンの描写に使っている。スカーレットが負傷した場面で空にいる十字状のドラゴンが反時計回りに断片的に描かれ、時間経過と医療経過の沈静化がシンプルに示唆される。)

このようにストレートなストーリーが実は観客に対する裏切り、挑戦となっているのが本作の物語的特徴である。

視覚的にはコンピューターを使用して手描きアニメとの融合が図られる。
ScreenXではそれが圧倒的な成功を収めていた。





CGの活用は特筆すべきだ。生と死という抽象的概念ばかりではなく、ダンスや格闘や楽器演奏を含む身体表現が(リスペクトされつつ)テクノロジーと融合している。

スタントアクターの証言:

『2001年宇宙の旅』を思わせる視覚効果は厳密には本作のそれはデザイン的に少し異なる。光学的に露光を制御した前者の場合は一本の線状に光線が収束しているが、本作は完全なCGを使用し一点を消失点にしている。


2001: A Space Odyssey "Star Gate" sequence 
https://youtu.be/ou6JNQwPWE0


『果てしなきスカーレット』【劇中歌「祝祭のうた」 スペシャルムービー】11月21日(金)公開 https://youtu.be/vOPY3hEYM4Y?si=A7If9T5O45BIKGIn @YouTubeより

消失点が印象的なショットは終盤でも出てくる。唾を吐きかけられたスカーレットを癒すかのように雨粒が一滴空から落ちるが、その見た目のショットが同じような消失点を示している。



雨粒のぶつかる一瞬のエフェクトはCGかも知れないが、自然界を観察した場合には奇跡の表現には必ずしも特殊効果を必要としない(むしろテクノロジーは邪魔かも知れないとさえクライマックスの影絵への遡行を見て思う)。
  

2.歴史的題材の面白さ

(冒頭のハムレットの城のモデルともなったクロンボー城についてはカール・ドライヤーによる短編ドキュメンタリーがある。
Et slot i et slot | Carlthdreyer カール・ドライヤー 城の中の城 1954

ここで指摘したいのは後半の歴史を扱ったストーリー描写で、上の物語紹介とは違い、若干の解説がある方が新たな楽しみを得られると思うので記したい。

まず敵役のクローディアスはマクベスからモーセに役割が変更する。トランプの塀を連想させるが基本的には旧約聖書が参照される。クローディアスの城も、バベルの塔を連想させるし小説版ではそう明示される(見果てぬ場所という言葉は約束の地という旧約聖書の世界を容易に連想させるが、それでもなるべく明示的にならないように配慮した絶妙な用語だ)。


シェークスピアはハムレットでレビラート婚を批判していると読めるし、ベニスの商人と繋げればユダヤに批判的ということになる。映画は辺獄でキリスト以前のユダヤ教のイメージを使うことでこのシェークスピアの政治的歪みを修正している。みんなモーセの頃を思い出して仲良くやろうよ、ということだ(作品を通じてクローディアスは大審問官的でスカーレットはアリョーシャ的だがこの類推はまた別の話になる)。
ヴォルティマンドの要塞も中東のペトラ遺跡を参照していると公式ガイドブックにある。

(ちなみにペトラ遺跡はインディ・ジョーンズシリーズでも使われ、アガサ・クリスティの小説『死との約束』でも舞台で使われていた。『死との約束』のドラマ化、映画化の際は撮影許可の問題か別の場所に舞台が変更されるのが残念だ。旧約聖書の世界を追体験するにはうってつけの場所なのだろう。https://x.com/studio_chizu/status/2015635836302426490?s=58

群衆は東の太陽の出る方角を目指す。
途中夕陽も描かれるから紛らわしいが基本的にエクソダスは画面上右から左への移動として描かれるので分かりやすい。
東を目指すのは日ユ同祖論的イメージである。
途中廃墟の教会の床に絵がされたモザイクの地図はシナイ山と太陽が一つに描かれる。これはモデルとなるマダバ地図を独自に改変したものだ。



:マダバ地図(ヨルダン)

太陽のモチーフは鳥のモチーフと共に本作で重要だ(注)。
スカーレット自身が空に昇る際、太陽に重なるように昇ってゆくのも偶然ではない。


スカーレットが目覚めた時に見える天蓋の装飾もヘロデ門(現イシュタル門に現存)の太陽を思わせる。

現イシュタル門(古代ヘロデ門が残っている)


十六弁菊花紋


都市伝説的には十六弁菊花紋と比べられるデザインだ。
(シュメール的なものに加え、カフカの短編(『掟の門』)を想起させる大いなる門などもユダヤ的ではあるが明示はされない。むしろ鳥達をとまらせて神道的イメージを使わずに鳥居を表現している。)

本稿では太陽の象徴的意味を強調したが無論太陽の光は当時の農業生産に関わる重大事だと最新の研究でわかっている。小説版では1600年の火山噴火による気候変動も言及される。

《窓の外に小雪が舞う、静かな冬の日。  
 スカーレットは、寒い宿舎の中で、静かに書き物をしていた。扉の隙間に一通の手紙が差し込まれる。筆を置き、立ち上がって手紙を手に取った。エルシノア城の従者からの報告だった。 
『穀物危機で多くの民が飢饉の淵に立たされています。にもかかわらず、クローディアス王は何もしようとしません。その上……』  
 彼女の顔から、血の気が引いていく。 
「……!」  
 居ても立ってもいられず、マントを摑むと部屋を飛び出した。  
 この時期、「小氷期」と呼ばれる14世紀から続く地球の寒冷化の最中にあった。 
 加えて1600年、ペルーのワイナプチナ火山が爆発し、大量の二酸化硫黄が大気中に放出された。その影響で、太陽光が遮られ、世界全体の気温が顕著に低下した。  
 翌年から、ヨーロッパ各地で冷害や霜害が頻発することになる。農作物の生育期が短縮され、収穫量が目に見えて減少した。大麦、ライ麦の収穫に失敗し、ワインの生産は壊滅的だった。穀物不足に伴い、食料品の価格が急騰したことが、社会的な不安を増大させ、一部地域では暴動や反乱が発生した。  
 この寒冷化はデンマークも逃れることはできず、農業が深刻な打撃を受けた。それのみならず、周辺の海域や湖沼が一部凍結し、海運にも大きな影響が出ていた。  人々の生活が危機に瀕している。一刻も早く対策を講じる必要があった。》
(角川文庫『果てしなきスカーレット』37~38頁)

参考:
大噴火が引き起こした地球寒冷化と社会不安 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/24/  

Global Impacts of the 1600 Eruption of Peru's Huaynaputina Volcano
Kenneth L. VerosubJake Lippman
First published: 03 June 2011
https://doi.org/10.1029/2008EO150001Digital

何より気になるモチーフは王冠である。


樹木を模ったとされるが一部ではメノラーを想起させると言われている(本作では正面からの王冠のルックはメノラーとの類推を避けたデザインになっている。つまりデンマークやイングランドの王冠の歴史的資料をあえて無視していることになる。アムレットがプロテスタント、クローディアスがカトリック、それを受け継いだスカーレットはプロテスタント的ではあるが、彼らが冠る王冠は一貫してユダヤ教への回帰を秘めているという見方も可能かもしれない。特にプロテスタントにはユダヤ教への回帰の側面があると言われる*)。

《…また、わたしは慧眼なハインリッヒ・ハイネが、ピューリタニズムとユダヤ教との間の親近性をかなり以前に洞察していたことを想起したいと思う。 「プロテスタントのスコットランド人は」と彼は『告白』のなかでたずねる。「ユダヤ人ではないのか? 彼らの名前は、いたるところで聖書からとられているし、その上信心深そうな言葉は、どこかエルサレム的パリサイ人的だし、宗教もブタ肉を食べてもよいというだけのユダヤ教ではなかろうか?」  
 ピューリタニズムはユダヤ教である。》
(ヴェルナー・ゾンバルト著『ユダヤ人と経済生活』単行本邦訳129頁#11:7)
ゾンバルト再考
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2022/09/blog-post_3.html

こうした歴史的モチーフはストーリー描写の背景にアレゴリカルに配置され、歴史に興味ある人間には刺激的である。
(小説版では歴史上の武器が紹介されさらに興味深い。ちなみに映画でもキーワードになる「ゆるし」という日本語は縄文由来の言葉らしい。紐を縛る、緩めると言う時の「ゆるめる」が語源だという。

「神社年鑑」編集長・水間一太朗
TOLAND VLOG チャンネルより
すべての日本人は見てください。明治時代に封印された〝神道の真実〟を開示します。
日本人は人類救済の鍵だった!?これから起こる世界の大変革の理由がヤバすぎた…
7:45~


これらは証明のしようがないが結縄が普及していたのは確かだろう。結縄はインカ帝国のキープが有名。沖縄にも藁算が残る。市場のシーンで少女がスカーレットにスカーフを巻いて結ぶのも約束という意味合いが感じ取れる。信用貨幣の原点に結ぶという行為があり、緩める、許すという行為もその一環に位置付けられる。さらに小説版で明らかになるが細田守は市場で共通通貨、共通言語が生成されると考えているようだ。旧約聖書ではバベルの塔が崩壊して複数言語に分かれるからバベルの塔の完成は共通言語の形成につながるという考え方もあり得る。)

音楽について言えば、世界音楽というジャンルを個々の差異を解消することなく打ち立てている点で画期的だと思う。普遍宗教というものが自らの宗教を普遍的だとする勘違いの危険を孕んでいるように、世界音楽なる言葉は同じ危険を孕むが、この映画はそうした勘違いを自戒するようなストッパーが製作者のインタビュー及び作風の選択から感じられる。
例えば渋谷の音楽はサンバではないと言う。一般化したリズムを使用しているというのだろう。ハワイアンや古楽の使用からは流行から身を引く姿勢、その音楽独自の歴史を重視する姿勢を感じる。
これ以上の分析には細かい作業が必要だが本作の音楽は超越的な世界音楽なるものが存在しないことを自覚するが故に結果的に自らが世界音楽を体現している。

ただし本作の魅力はこうした要素を上回る宗教的とも言える倫理的使命感にある。この宗教性は日本の一部の観客を激怒させ、反発させたものだ。

「君が私たちの無事を、神様に願ってくれたおかげさ」

冒頭部分のアムレット王のこんな小さなセリフでさえ宗教的構造は複雑だ。
願いをアニミズム的に作用させるのではなく神というワンクッションをわざわざ介在させる論理は日本の観客には理解し難いだろう。呪術と宗教の違いは以下の図解が参考になる。

   呪術         祈り(宗教)
                神
   行為       行 い↗︎ \
 (まじない)    為 の/   \
人-----→効果   り/     ↘︎
            人       効果

岸本英夫『宗教学』50頁より


岸本英夫『宗教学』50頁より


昨今のアニメーションブームには文字通り思考回路に呪術的アニマを復活させるという退行的な側面があるということは自戒を込めて追記しておきたい。テクノロジーを駆使すれば駆使するほどブラックボックス化の恐れは大きくなるので退行が進む危険がある。
(ブラックボックス化解決のヒントは先のセリフは父と娘のスキンシップを描くなかで発せられるということにある。テクノロジーを背景にして流行する退行を防ぐのはむしろ単純なスキンシップかも知れない。スカーレットが経験した絵画教育もそうした観点で捉え直すことは有益だろう。本作のキャラクターデザインはCGを導入しながらも3Dではなくあえて2D、つまりスカーレットが劇中で描いた絵の延長上にある。我々の手に届くところにキャラクターデザインを置いている。)
さらに宗教的反発については以下の言葉が正確だ。

“Whatever is truthful haunts you and don't let you sleep at night. Especially anybody who's living a lie gets hurt. You get a lot of ugly reactions from people not familiar with it. …
…Make something religious and people don't have to deal with it, they can say it's irrelevant. …There does come a time, though, when you have to face facts and the truth is true whether you wanna believe it or not, it doesn't need you to make it true... ”
Bob Dylan“Biograph” liner notes (1985)

《真実であるものは何であれ、人の心に付きまとい、 眠れなくなってしまう。 特にうそっぱちな生き方をしている者たちは、真理を聞かされると傷つくんだ。 そこでいろんな険悪な反応が返ってくるんだ。…
…なにか宗教的なものに対しては、 人は面と向かわないで、関係ないよと言わんばかりの顔をする。 ‬…だけど、 事実に直面しなければならない時が来るし、 信じたくても、 信じたくなくても真理は真理であるという時が必ず来る。》
‪(ボブ・ディラン『バイオグラフ』旧版ブックレット38,94頁より)
 
柄谷行人の用語で言えばこの映画は交換様式Dを目指している。柄谷行人は共同体(交換様式A)の高次元の回復を説くが、この映画ではキャラバンと市場のシーンが主人公二人を高次元に高める。詳細は別稿に譲るが交換様式Aは交換様式BCを経てDに至る(市場のシーンがCに当たる)。それは恋愛感情を含めてだ…ただしスカーレットの獲得する愛は愛する人との永遠の別れと引き換えである(フロイトの超自我は柄谷行人によれば交換様式Aに位置付けられるが本作の「許せ」という言葉はまさしく超自我=交換様式Aの高次元の回復であり交換様式Dへの鍵である)。

『果てしなきスカーレット』交換様式仮説
(スカーレットはAから反時計回りでDに移行する。聖のDは最終的に気づく。)

 B

クローディアス

 A 

 アムレット 

 C

少女


単純に場面では分類出来ないが逆に登場人物では綺麗に分類出来る。

(アムレットはAだがカントの『永遠平和のために』(1795)を先取りしている。キャラバンは原遊動性Uであり通常はA以前に区分されるが全体として多面性を持つ。長はA、排他的旅人はB、楽器を渡す女性はC。クローディアスは御恩と奉公で戦士達に命令するが大いなる門は官僚的で開かない。これはBである。柄谷行人は本作がスカーレットのモデルにしたエリザベス一世の救貧法について国家=交換様式Bを強化するものとして批判的だ。)

…王はたんに権力によって民を支配するのではなく、同時にそれの聖なる「力」によって民を“治療”するような存在となったのである。これはまた、絶対王政が厳重に民衆を処罰・監視するとともに、同時に、福祉・救貧をおこなうにいたったことと連関している。

柄谷行人『力と交換様式』2022年,235~6頁

 イギリスでは一五世紀以来、都市で浮浪貧民が増加し、盗みをはたらく事件が頻発した。それに対して、王は一方で、厳しい処罰をおこない、処刑・監禁・強制労働を課した。しかし、他方で、彼らを救済する政策をとった。たとえば、一五三一年には、王令によって貧民を病気等のために働けない者と怠橋ゆえに動かない者に分類し、前者には物乞いの許可を与え、後者には親打ちの刑を加えることとした。この王令はその後、成文法化され、後の悪名高い「救貧法」の端緒となった。

 こうして、王は、一方で監禁・感謝や規律訓練により、他方で貧民救済対策によって、中世末期から生じた問題を解決しようとしたわけである。王がこのように事態に介入したことが、イギリスにおける産業資本主義の基礎を創るものであった。それが、「自由」であると共に「規律」をもった「労動力商品」を生みだしたといってもよい。もちろん、王はそれを意識しておこなったのではない。

《彼らはこのことを意識はしないが、そうやっているのだ》(『資本論』)。


柄谷行人『力と交換様式』2022年,247頁


 ヴェーバーは、ソロモン王のころ“エジプト”とは「専制貢納国家」の典型を示すものであり、ゆえに、“出エジプト”とは、エジプト的な専制国家に転化しつつあった状態からの脱出を象徴的に意味する、という説を紹介している(『古代社会経済史』上原専禄ほか訳、東洋経済新報社[171頁])。つまり、“出エジプト”は、イスラエルの民のエジプトからの脱出という出来事を指すだけではなく、イスラエルの民がパレスティナで王国として降盛していた時期を批判的に見る隠喩でもある。したがって、「出エジプト記」には、原遊動性を保持していた民が、エジプト的な専制国家となってしまったことへの批判が込められている、といってよい。

柄谷行人『力と交換様式』2022年170頁1:4:④

『永遠平和のために』(1795)

https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/04/zum-ewigen-frieden.html

『救貧法』(1597,1601)

https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/04/httpswww.html


細かい技術的なことを言えば聖とスカーレットの別れのシーンの音楽が再び使われて歌詞が付け加わりエンドロールになる。愛する人の喪失は歌の獲得として表現される…。
(ここで超自我は「許せ」から「生きたい」に超自我は上書きされる。)
この作品はある一定の精神的危機を乗り越えた際には指標となるであろう芸術作品特有のスキャンダラスな典型的反応を周囲にもたらした。
細田守は一歩一歩前進し宮崎駿を乗り越えた。スカーレットが透明な階段を登るシーン、ナルシスティックな浮揚感を排除した描写を見て自分はそう確信した。



大部分の観客はそれに気づいていないが、『果てしなきスカーレット』は傑作としてこれからの新たな観客に開かれて残る。

(魔女はマクベスから取られたが、大友克洋のキャラに似ている。これは『もののけ姫』で宮崎駿がシシガミの最後の表情を手塚治虫風にしたのを連想させる。超越的なものを形にする知恵、その方法論それ自体を受け継いでいる点で細田は他のジブリ模倣者と一線を画す。)



最後に鳥のモチーフについても追記しておきたい。
スイミー的なオチは劇場によって捉え方が変わる。特に鳥の声の分離は劇場差が大きい。
虚無の在り方も我々次第ということだ。ここは一部海外批評家から仏教的と評された。




ドラゴンを鳥の集合体としたことは民衆の集合力をアレゴリカルに示したもので途中描かれた群衆の悲劇とも対応する。
最後の群衆の前に立つスカーレットはチャップリンの『独裁者』を想起させる。チャップリンと違うのはスカーレットが対話を試みるという点だ。

時にはうるさい、時には静かな群衆はスカーレットの問いかけによって対話する個々の人格を付与される。

《…わたしたちにとっての唯一の教師は、わたしたちに対して「私と共にやりなさい」と言う… 》 (ジル・ドゥルーズ『差異と反復』単行本49頁、文庫上74頁より)


。。。

細田守最新作『果てしなきスカーレット』徹底感想トーク!ネットの酷評、実際のところどうなのか?:第414回 銀幕にポップコーン https://youtu.be/kxU6DHhYBpw?si=nMuu73sim5Q2wvxn @YouTubeより

自分は3回目を見た時に傑作と判断しました。計9回見ました。
最初アムレットと出てくるからハムレットかと思うと叔父と母はマクベスで、ハムレットのように気狂いのふりをするかと思うと主人公は猪突猛進で…こうしたストーリー上の裏切りが沢山あり爽快です。
オルフェウスに擬せられた聖は竪琴(映画ではリュート)を最初は全く弾けないし、神曲を引用してこれで辺獄の設定を神曲と違うようにあえてしたと思わせておいて夢のシーンで神曲そのものの小世界を提示する…。
復讐にしても、最初に聖が通り魔への擬態的復讐を果たし、次にドラゴンが剣を持つものに対して自分に刺さりまくった剣の復讐を果たします。結局スカーレットは復讐を断念します。
スカーレットではなくドラゴンの復讐の物語というオチです。
果てしなき場所は旧約聖書で言うところの約束の地です。基本的にスクリーンで右から左へという方向でエクソダスは提示されます。それだけ頭に入れておけば混乱はしないでしょう。
後半の旧約聖書の世界への遡行は民族同士対立していても元は同じなのだから仲良くしようよというメッセージでしょう。
(アラブとイスラエルの対立に関してはモーセよりも古いアブラハムの時代まで遡る必要があるかも知れない。)
この映画に関してはスピリチュアル系のyoutuberの直観的理解の方が優れているように思います。


自分は3回目を見た時に傑作と判断しました。計9回見ました。
最初アムレットと出てくるからハムレットかと思うと叔父と母はマクベスで、ハムレットのように気狂いのふりをするかと思うと主人公は猪突猛進で…こうしたストーリー上の裏切りがありまくりです。
オルフェウスに擬せられた聖は竪琴(映画ではリュート)を最初は全く弾けないし、神曲を引用してこれで辺獄の設定を神曲と違うようにあえてしたと思わせておいて夢のシーンで神曲そのものの小世界を提示する…。
復讐にしても、最初に聖が通り魔への擬態的復讐を果たし、次にドラゴンが剣を持つものに対して自分に刺さりまくった剣の復讐を果たします。結局スカーレットは復讐を断念します。(ドラゴンと聖の復讐の物語というオチです。)これは愛ではなくガンジーと同じ意志による選択的倫理的積極的行為です。
小説版を読んでから再度ご覧になることを勧めます。
あと果てしなき場所は旧約聖書で言うところの約束の地です。基本的にスクリーンで右から左へという方向でエクソダスは提示されます。それだけ頭に入れておけば混乱はしないでしょう。
この映画に関してはスピリチュアル系のyoutuberの直観的理解の方が優れているように思います。

この映画には黒澤明の影響がある。

太陽が雲に隠れるシーン、伝令。これらは『乱』の影響。見上げる空も『乱』に近い。

聖がいきなり馬に乗る…のは和平の為。これは『隠し砦』のパロディ。

ガートルードの「なぜ生きている」というセリフ。

これは『野良犬』『乱』にあったセリフ。マクベス夫人より『乱』の楓の方に近い。

決闘シーンは『用心棒』『椿三十郎』的。


https://x.com/studio_chizu/status/1997281688486097143?s=61


仕込み杖は『座頭市』だが。

『もののけ姫』冒頭の木漏れ日も『羅生門』的だったが全体としては宮崎駿より細田守の方が黒澤明を意識している。


コーネリウスが杖に刀を仕込んでいるシーンは座頭市という人気映画シリーズへのオマージュです。
The scene where Cornelius hides a sword inside his cane is a tribute to the popular film series *Zatoichi*.

元動画:

スタジオ地図

2025/12/06

https://x.com/studio_chizu/status/1997281688486097143?s=61


||◤果てしなきスカーレット 

    本編映像チラ見せ1️⃣◢||

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スカーレットのかっこいいアクション⚔️


続きは... 劇場でご覧ください!


映画『#果てしなきスカーレット』

🎥大ヒット上映中


フアン・ルイス・ビベス
https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/04/blog-post_13.html 

当時の王冠の形との比較からわかるように映画は時代を再現しようとしていない。教育書が必要とされるのは教育論がまだ未確定であったということだ。
フアン・ルイス・ビベス[ヴィーヴェス]はトマス・モアの友人だったそうだ。ユートピア的なものの志向を共有していたのかも知れない。
ここではルター(カトリックより強固な戒律をつくった)以上に後のルソー(特にその教育論)が重要になる。
以下の批判的note記事はスカーレットに手を伸ばす地獄の亡者のように時代考証に執拗だが映画については何も語っていない。壁に映った光が何かを感じさせたとしたら時代考証以上のものがそこにあったことになる。

ハムレット』の舞台となった時代は、本来はカトリックの文化が廃されてすでに数十年が経過している時代なのである。

にもかかわらず、戯曲では、ハムレット前王の亡霊が「弟(クローディアス)によって耳に毒を流し込まれて殺害されたため、生前に懺悔をして罪を清めることができず、煉獄の火に焼かれている」と語る。また、クローディアスも自らの所業に対して罪の意識を覚えており、人目を忍んで天に向かって懺悔を行う場面がある。
この、懺悔によって生前の罪が赦される(本来は懺悔に対して司教が赦しを与える)とされる改悛かいしゅん秘跡ひせきという儀式や、「生前に罪を清められなかった者が、浄化のため煉獄へ落とされ業火に焼かれる」という概念は、紛れもなくカトリックのものであり、プロテスタントにおいては否定されている。

これは、シェイクスピアの生きたイングランドでは、デンマークのように一気にプロテスタント化が進んだわけではなく、

  • ヘンリー8世の時代(カトリック教会→イングランド国教会への移行)

  • メアリー1世の時代(プロテスタントへの苛烈な弾圧)

  • エリザベス1世の時代(プロテスタント化の推進とカトリックの抑圧的な容認)

というように、カトリックとプロテスタントの文化が複雑に入り乱れる政治的な事情があったためと考えられている。

また、戯曲の設定によれば、「ハムレット前王によって隣国のノルウェーは領土を奪われており、ノルウェーの王子フォーティンブラスがその奪還に野心を燃やしている」ということになっている。そして、最終場面では、フォーティンブラスによってデンマークは制圧され、物語の幕が閉じられるのである。
しかし、16世紀当時のデンマークというのは、1397年のカルマル同盟に始まり1814年まで続いたデンマーク=ノルウェー連合王国であり、一つの国家を形成していた。フォーティンブラスが「隣国ノルウェーの王子」として登場すること自体、当時の歴史的状況とは全く一致していないのである。


ルソー エミール


《…また、わたしは慧眼なハインリッヒ・ハイネが、ピューリタニズムとユダヤ教との間の親近性をかなり以前に洞察していたことを想起したいと思う。 「プロテスタントのスコットランド人は」と彼は『告白』のなかでたずねる。「ユダヤ人ではないのか? 彼らの名前は、いたるところで聖書からとられているし、その上信心深そうな言葉は、どこかエルサレム的パリサイ人的だし、宗教もブタ肉を食べてもよいというだけのユダヤ教ではなかろうか?」  
 ピューリタニズムはユダヤ教である。》
(ヴェルナー・ゾンバルト著『ユダヤ人と経済生活』単行本邦訳129頁#11:7)


樹木を模ったとされるが一部ではメノラーを想起させると言われている(本作では正面からの王冠のルックはメノラーとの類推を避けたデザインになっている。アムレットがプロテスタント、クローディアスがカトリック、それを受け継いだスカーレットはプロテスタント的ではあるが、彼らが冠る王冠は一貫してユダヤ教への回帰を秘めているという見方も可能かもしれない。特にプロテスタントはユダヤ教への回帰の側面がある)。

樹木を模ったとされるが一部ではメノラーを想起させると言われている(本作では正面からのルックはメノラーとの類推を避けている)。
アムレットがプロテスタント、クローディアスがカトリック、スカーレットは隠れたユダヤ教徒という見方も可能かもしれない。

ネット上で唯一『果てしなきスカーレット』を絶賛している動画【映画読解レビュー】 https://youtu.be/RGRNzT2Yhgs?si=sqxe1RoEbbsmbTPe @YouTubeより
カルチャびっと

元動画:
ttps://x.com/studio_chizu/status/1998346894532051267?s=61
【公式】『果てしなきスカーレット』@スタジオ地図
⁦‪@studio_chizu‬⁩

本作の日本での不評の理由としては、女性向けではない、インフルエンサーによる教養の拒絶、キャンセルカルチャー、アニメファンの声優以外ボイコットキャンペーン、戦争の準備風潮等があるだろう。
特にYouTuberは減点法で映画を観るから必然的に映画を作らない自分が一番偉いということになる。
豚に真珠、猫に小判、YouTuberにスカーレットである。

『果てしなきスカーレット』【初日舞台挨拶】大ヒット上映中



少女役 /白山乃愛 ≪死者の国≫でスカーレットが出会う少女。 

12:58
市場の少女役
重要なセリフがある。
「わたし、ほんとうはお姫様に生まれたかったな。あなたもそうよね。そうでしょう?」  
 「もしわたしがお姫様だったら、したいことがあるの」 
 「わたしたちみたいな子供が、死なない世界にする」


https://x.com/solokiriya/status/2011801643676033053?s=61


カフカ 掟の門

Vor dem Gesetz Franz Kafka

Before the Law 


The Trial / Le procès: Franz Kafka (Orson Welles / 1962) HD https://youtu.be/IlKEybkVl0M?si=zNP4sFd062yOLvsh @YouTubeより


【モヤモヤした人向け】映画 果てしなきスカーレット 率直な感想&スッキリ深掘り解説動画!


イスラムへの蔑視的描写にも関わらず『神曲』の構造はダンテがイスラム文化から学んだものだという説があるが、本作の描写はオスマン=トルコ兵の描写等イスラムにも配慮している。

 ScreenXでもう一度観たい。この映画で描かれる広大な地平線、見果てぬ場所への道程は劇場でこそはじめて体感し得る。内容的にも技術的にも再評価されるべき映画だ。

2026年04月10日

 

#3
37
小説版では1600年の火山噴火による気候変動が言及される。

 窓の外に小雪が舞う、静かな冬の日。  
 スカーレットは、寒い宿舎の中で、静かに書き物をしていた。扉の隙間に一通の手紙が差し込まれる。筆を置き、立ち上がって手紙を手に取った。エルシノア城の従者からの報告だった。 
『穀物危機で多くの民が飢饉の淵に立たされています。にもかかわらず、クローディアス王は何もしようとしません。その上……』  
 彼女の顔から、血の気が引いていく。 
「……!」  
 居ても立ってもいられず、マントを摑むと部屋を飛び出した。  
 この時期、「小氷期」と呼ばれる14世紀から続く地球の寒冷化の最中にあった。  
 加えて1600年、ペルーのワイナプチナ火山が爆発し、大量の二酸化硫黄が大気中に放出された。その影響で、太陽光が遮られ、世界全体の気温が顕著に低下した。  
 翌年から、ヨーロッパ各地で冷害や霜害が頻発することになる。農作物の生育期が短縮され、収穫量が目に見えて減少した。大麦、ライ麦の収穫に失敗し、ワインの生産は壊滅的だった。穀物不足に伴い、食料品の価格が急騰したことが、社会的な不安を増大させ、一部地域では暴動や反乱が発生した。  
 この寒冷化はデンマークも逃れることはできず、農業が深刻な打撃を受けた。それのみならず、周辺の海域や湖沼が一部凍結し、海運にも大きな影響が出ていた。  人々の生活が危機に瀕している。一刻も早く対策を講じる必要があった。

角川文庫『果てしなきスカーレット』37~38頁


参考:
大噴火が引き起こした地球寒冷化と社会不安 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/24/  

Global Impacts of the 1600 Eruption of Peru's Huaynaputina Volcano

First published: 03 June 2011


参考:
大噴火が引き起こした地球寒冷化と社会不安 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/24/

大噴火が引き起こした地球寒冷化と社会不安

ペルー南部のワイナプチナ火山の衛星写真(2006年5月8日)。 新しい研究によれば、1600年に起きたこの火山の噴火は、短い期間ではあるが地球全体の寒冷化をもたらし、世界中の社会を動揺させたという。 

Image courtesy Jet Propulsion Laboratory 

 1600年にペルーで発生した火山の大噴火が地球に短期的な寒冷化をもたらし、世界が混乱に陥ったという新しい研究結果が発表された。 その火山はペルー南部のワイナプチナ山で、その噴火の規模は南アメリカで最大と考えられている。この噴火によって大気圏の上層部に放出された硫黄が太陽光をさえぎって日照量が減少したため、地球の寒冷化が1年にわたって続いた。その結果、ヨーロッパとアジアは厳しい寒さに見舞われたのだという。

 研究論文の著者の1人であるカルフォルニア大学のジェーク・リップマン氏は、1601年当時の記録を洗い直した結果、関連性があると思われる一連の出来事を発見した。ロシアでは厳冬によって凶作と社会不安によって帝位の交代が起こっていた。また、スウェーデンは冬の記録的な降雪により、春になって洪水と不作が発生し、飢餓と病気に苦しんだ。さらに、1601年にはワイン生産が世界的に壊滅状態に陥っていた。

 リップマンの研究について、ワイナプチナ山の噴火が社会経済に与えた影響を調査研究してきたオレゴン州立大学の地質学教授、シャナカ・デ・シルバは「リップマン氏の研究は実際の噴火ではなく世界への影響に焦点を当てており、独自のデータに基づいて気候上の影響を論証している。私の見解もまったく同じだ」と話す。

 また、カリフォルニア大学の地質学教授、ケネス・ベロサブ氏は「この研究が正しければ、寒冷化を引き起こしたが記録に残されていない火山活動がほかにも存在する可能性がある。それを証明したとまでは言えないが、さらに深く調べる価値があることは示した」とコメントしている。


Image courtesy Jet Propulsion Laboratory

Global Impacts of the 1600 Eruption of Peru's Huaynaputina Volcano



  1.  Verosub, K. L.; Lippman, J. (2008). “Global Impacts of the 1600 Eruption of Peru's Huaynaputina Volcano”. Eos, Transactions American Geophysical Union 89 (15): 141.doi:10.1029/2008EO150001.
  2.  桃木至朗 (2011年). 〈絵で見る歴史と環境〉 17世紀オランダの冬 (PDF).高等学校 世界史のしおり 2011年度 2学期号. 帝国書院. 2015年12月20日閲覧。


影絵への遡行








《[細田守]…スカーレットの中には、ハムレットとオフィーリアが混ざり合っているつもりで描こうと思いつきました。そのことをアメリカの知人に話したら、「ハムレット」を女性でやった歴史は、けっこう古いのだと資料を見せてくれて。1899年にアルフォンス・ミュシャが「ハムレット」パリ公演のポスターを描いているんだけど、その公演ではハムレットは男装の人(演じたサラ・ベルナールはそれまではオフィーリアを演じていた)という設定だったそうです。その頃パリはベル・エポックの最中で女性解放運動の側面もあったのかもしれません。それを踏まえて今やるとしたら、単に男性を女性に変えただけではない意味をはらむ必要があるんじゃないかと感じて、自ずとオフィーリアと一体化していきました。一方で実は、聖にもオフィーリアが混ざり込んでいる。聖にはホレイショー(ハムレットに寄り添う親友)とオフイーリアの両方が投影されていると言えます。》

最後のガートルードのセリフ、伝令の走り方、海の色。
細田守は、宮崎駿以上に黒澤明を意識している。


スカーレットにとっては過酷な世界、受難ヒロイン。上空に現れる巨龍も怖い。全体かなり暗いが突然来世で未来的なダンスシーンが入り明るくホッとする。この世界と往復するような話になるのかと予告を見て思ったが・・・会話の時目玉が動くのは新機軸なのかな、最近のアニメでは他でもやっているのか。
2025/11/30

ちなみに金子修介監督はキャラクターの目の動きに着目していたが、主人公二人のうちどちらが生きているかを判断するシーンでの黒目の動きが効果的だった。これはCGというかデジタルで試行錯誤した結果なのではないか?)

。。。




 
 
【公式】『果てしなきスカーレット』@スタジオ地図
⁦‪@studio_chizu‬⁩
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『 #果てしなきスカーレット 』
  プロダクションノート
    <ロケ取材編>
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ロケ取材編4日目は、同じくヨルダンからペトラ遺跡。 pic.x.com/nhzRIxWBx8
 
2026/01/26 13:00
 
 
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『 #果てしなきスカーレット 』
  プロダクションノート
    <ロケ取材編>
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ロケ取材編4日目は、同じくヨルダンからペトラ遺跡。

ビルほどはありそうな巨岩の隙間の細道を抜けると、岩を削ってつくられた多数の遺跡群が広がります。
ローマに征服されるまではナバテア人の王国があったといわれており、独自の遺跡だけでなく、ローマ文化が反映されたと思わしき遺跡もありました。

天然の要害に国を築くという発想は、鎌倉の谷しかり、やはり万国共通のようです🧐

ちなみにペトラ遺跡はインディ・ジョーンズシリーズでも使われ、アガサ・クリスティの小説『死との約束』でも舞台で使われていた。『死との約束』のドラマ化、映画化の際は別の場所に舞台が変更されるのが残念だ。旧約聖書の世界を追体験するにはうってつけの場所なのだろう。)

。。。。。

‪ 『果てしなきスカーレット』評


はじめに
1.ストーリー上の工夫
2.歴史的題材の面白さ
3.倫理的、宗教的課題
4.追記

はじめに
‪本作を最初に見た時は欠点のある野心作という印象だったが3回目を見た時傑作と判断した。劇場で計9回見た。ここまで劇場で見た映画はない。
多分『もののけ姫』以来最も重要な映画だと思う。アニメに限定せず全ての映画なかで。
その興業的な不振の理由は考えるに以下辺りだろう。

・一局推しは他局が推せない。
・宣伝が女性客を軽視した。
・声優ファンがいつものネガキャンをした。
・批評家がハムレット、神曲を読んでないことをバレたらまずいと思った。
・真実を突きつけたので嘘っぱちな生き方をしている人間が反発した。
・評価したスピリチュアル系の影響力が限定的。

しかしこれらは作品の出来とは関係ない。むしろその表現力の高さが後述する宗教的反発を招いたと思われる。

1.ストーリー上の工夫
一見捻りのないストレートな復讐譚なのだが、そもそも本作の主人公スカーレットはハムレットと違う猪突猛進型で面食らう。原作のハムレットは狂気を装うのだからスカーレットとは真逆で腹に一物あり狂気を装い周りを騙すのだ。それだからこそハムレットは一応の復讐を果たす。原作とは関係ないことがわかって純粋に映画を楽しむためには原作を知っておく方がいいということになる。
名作映画以上にハムレットは知っておいた方がいい。それだけの戯曲だし上演の歴史がある。
テクノロジーに依拠した現代アニメの歴史より演劇の歴史は古いし、数々の芸術家を刺激してきた(かつてのグローブ座ではマイクなしに群衆に対峙してきたし、それはラストのスカーレットも同じだ。テクノロジーの発達した今見習う点は多い)。
ハムレットについては特にタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。

《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 
 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》

この正確なハムレット評は実は本作ではスカーレットにではなく聖の運命に当てはまる。


スカーレットにはオフィーリア的要素が映画では重ねられる。
本作でto be or not to beを男女の二人の主人公に振り分けた(小説版がわかりやすい)のはハムレット読解として面白い。

神曲にしても一番重要なフレーズを死者の国で知り合う聖に読ませる点で、おやっと思う。死後の世界の三層構造は辺獄ということで一元化して描かれる。とは言え途中の悪夢では神曲の構造が背景に描かれる。
(恐怖の明確化という点で、不安を提示するだけのジャパニーズホラーには到達できなかったシーンだ。)
復讐の敵役はハムレットではなくマクベスからセリフ(さそり云々)が取られる。
オルフェウスは竪琴の名手だが聖は苦労してリュートを上達する。
復讐を果たすのも主人公スカーレットではなくドラゴンという結末である。
このようにストレートなストーリーが実は観客に対する裏切り、挑戦となっているのが本作の物語的特徴である。

視覚的にはコンピューターを使用して手描きアニメとの融合が図られる。
ScreenXではそれが圧倒的な成功を収めていた。





CGの活用は特筆すべきだ。生と死という抽象的概念ばかりではなく、ダンスや格闘や楽器演奏を含む身体表現が(リスペクトされつつ)テクノロジーと融合している。

『2001年宇宙の旅』を思わせる視覚効果は厳密には本作のそれは構造的に少し異なる。光学的に露光を制御した前者の場合は一本の線状に光線が収束しているが、本作は完全なCGを使用し一点を消失点にしている。消失点が印象的なショットは終盤でも出てくる。唾を吐きかけられたスカーレットを癒すかのように雨粒が一滴空から落ちるが、その見た目のショットが同じような消失点を示している。雨粒のぶつかる一瞬のエフェクトはCGかも知れないが、自然界を観察した場合には奇跡の発見には必ずしも特殊効果を必要としない。

2.歴史的題材の面白さ
ここで指摘したいのは後半の歴史を扱ったストーリー描写で、上の物語紹介とは違い、若干の解説がある方が新たな楽しみを得られると思うので記したい。
まず敵役のクローディアスはマクベスからモーセに役割が変更する。トランプの塀を連想させるが基本的には旧約聖書が参照される。クローディアスの城も、バベルの塔を連想させるし小説版ではそう明示される。
シェークスピアはハムレットでレビラート婚を批判していると読めるし、ベニスの商人と繋げればユダヤに批判的ということになる。映画は辺獄でキリスト以前のユダヤ教のイメージを使うことでこのシェークスピアの政治的歪みを修正している。みんなモーセの頃を思い出して仲良くやろうよ、ということだ。)
ヴォルティマンドの要塞も中東のペトラ遺跡を参照していると公式ガイドブックにある。群衆は東の太陽の出る方角を目指す。
途中夕陽も描かれるから紛らわしいが基本的にエクソダスは画面上右から左への移動として描かれるので分かりやすい。
東を目指すのは日ユ同祖論的イメージである。
途中廃墟の教会の床に絵がされたモザイクの地図はシナイ山と太陽が一つに描かれる。これはモデルとなるマダバ地図を独自に改変したものだ。



:マダバ地図(ヨルダン)

太陽のモチーフは鳥のモチーフと共に本作で重要だ。
スカーレット自身が空に昇る際、太陽に重なるように昇ってゆくのも偶然ではない。
スカーレットが目覚めた時に見え天蓋の装飾もヘロデ門(現イシュタル門に現存)の太陽を思わせる。

現イシュタル門(古代ヘロデ門が残っている)


十六弁菊花紋


都市伝説的には十六弁菊花紋と比べられるデザインだ。
何より気になるモチーフは王冠である。


これは私見ではローマ帝国と交流があったと噂される古代新羅の王冠に似ている。
樹木を模ったとされるが一部ではメノラーを想起させると言われている。

こうした歴史的モチーフはストーリー描写の背景にアレゴリカルに配置され、歴史に興味ある人間には刺激的である。
(小説版では歴史上の武器が紹介されさらに興味深い。ちなみに映画でもキーワードになる「ゆるし」という日本語は縄文由来の言葉らしい。紐を縛る、緩めると言う時の「ゆるめる」が語源だという。証明のしようがないが結縄が普及していたのは確かだろう。結縄はインカ帝国のキープが有名。沖縄にも藁算が残る。市場のシーンで少女がスカーレットにスカーフを巻いて結ぶのも約束という意味合いが感じ取れる。信用貨幣の原点に結ぶという行為があり、緩める、許すという行為もその一環に位置付けられる。さらに小説版で明らかになるが細田守は市場で共通通貨、共通言語が生成されると考えているようだ。旧約聖書ではバベルの塔が崩壊して複数言語に分かれるからバベルの塔の完成は共通言語の形成につながるという考え方もあり得る。)

音楽について言えば、世界音楽というジャンルを個々の差異を解消することなく打ち立てている点で画期的だと思う。普遍宗教というものが自らの音楽を普遍的だとする勘違いの危険を孕んでいるように、世界音楽なる言葉は同じ危険を孕むが、この映画はそうした勘違いを自戒するようなストッパーが製作者のインタビュー及び作風の選択から感じられる。
例えば渋谷の音楽はサンバではないと言う。一般化したリズムを使用しているというのだろう。ハワイアンや古楽の使用からは流行から身を引く姿勢、その音楽独自の歴史を重視する姿勢を感じる。
これ以上の分析には細かい作業が必要だが本作の音楽は超越的な世界音楽なるものが存在しないことを自覚するが故に結果的に自らが世界音楽を体現している。

3.倫理的、宗教的課題
ただし本作の魅力はこうした要素を上回る宗教的とも言える倫理的使命感にある。この宗教性は日本の一部の観客を激怒させ、反発させたものだ。

「君が私たちの無事を、神様に願ってくれたおかげさ」

冒頭部分のアムレット王のこんな小さなセリフでさえ宗教的構造は複雑だ。
願いをアニミズム的に作用させるのではなく神というワンクッションをわざわざ介在させる論理は日本の観客には理解し難いだろう。呪術と宗教の違いは以下の図解が参考になる。

   呪術         祈り(宗教)
                神
   行為       行 い↗︎ \
 (まじない)    為 の/   \
人-----→効果   り/     ↘︎
            人       効果

岸本英夫『宗教学』50頁より


岸本英夫『宗教学』50頁より


昨今のアニメーションブームには文字通り思考回路に呪術的アニマを復活させるという退行的な側面があるということは自戒を込めて追記しておきたい。テクノロジーを駆使すれば駆使するほどブラックボックス化の恐れは大きくなるので退行が進む危険がある。
(解決のヒントは先のセリフは父と娘のスキンシップを描くなかで発せられるということにある。テクノロジーを背景にして流行する退行を防ぐのはむしろ単純なスキンシップかも知れない。スカーレットが経験した絵画教育もそうした観点で捉え直すことは有益だろう。)
さらに宗教的反発については以下の言葉が正確だ。

“Whatever is truthful haunts you and don't let you sleep at night. Especially anybody who's living a lie gets hurt. You get a lot of ugly reactions from people not familiar with it. …
…Make something religious and people don't have to deal with it, they can say it's irrelevant. …There does come a time, though, when you have to face facts and the truth is true whether you wanna believe it or not, it doesn't need you to make it true... ”
Bob Dylan“Biograph” liner notes (1985)

《真実であるものは何であれ、人の心に付きまとい、 眠れなくなってしまう。 特にうそっぱちな生き方をしている者たちは、真理を聞かされると傷つくんだ。 そこでいろんな険悪な反応が返ってくるんだ。…
…なにか宗教的なものに対しては、 人は面と向かわないで、関係ないよと言わんばかりの顔をする。 ‬…だけど、 事実に直面しなければならない時が来るし、 信じたくても、 信じたくなくても真理は真理であるという時が必ず来る。》
‪(ボブ・ディラン『バイオグラフ』旧版ブックレット38,94頁より)
 
柄谷行人の用語で言えばこの映画は交換様式Dを目指している。柄谷行人は共同体の高次元の回復を解くが、この映画ではキャラバンと市場のシーンが主人公二人を高次元に高める。詳細は別稿に譲るが交換様式Aは交換様式BCを経てDに至る(市場のシーンがCに当たる)。それは恋愛感情を含めてだ…ただしスカーレットの獲得する愛は愛する人との永遠の別れと引き換えである。細かい技術的なことを言えば聖とスカーレットの別れのシーンの音楽が再び使われて歌詞が付け加わりエンドロールになる。愛する人の喪失は歌の獲得として表現される…。
この作品はある一定の精神的危機を乗り越えた際には指標となるであろう芸術作品特有のスキャンダラスな典型的反応を周囲にもたらした。
細田守は一歩一歩前進し宮崎駿を乗り越えた。スカーレットが透明な階段を登るシーンで自分はそう確信した。
大部分の観客はそれに気づいていないが、『果てしなきスカーレット』は傑作としてこれからの新たな観客に開かれて残る。

(魔女はマクベスから取られたが、大友克洋のキャラに似ている。これは『もののけ姫』で宮崎駿がシシガミの最後の表情を手塚治虫風にしたのを連想させる。超越的なものを形にする知恵、その方法論それ自体を受け継いでいる点で細田は他のジブリ模倣者と一線を画す。)



追記(群衆と鳥):

《…わたしたちにとっての唯一の教師は、わたしたちに対して「私と共にやりなさい」と言う… 》 (ジル・ドゥルーズ『差異と反復』単行本49頁、文庫上74頁より)

最後に鳥のモチーフについても追記しておきたい。
スイミー的なオチは劇場によって捉え方が変わる。特に鳥の声の分離は劇場差が大きい。
虚無の在り方も我々次第ということだ。ここは一部海外批評家から仏教的と評された。
ドラゴンを鳥の集合体としたことは民衆の集合力をアレゴリカルに示したもので途中描かれた群衆の悲劇とも対応する。
最後の群衆の前に立つスカーレットはチャップリンの『独裁者』を想起させる。チャップリンと違うのはスカーレットが対話を試みるという点だ。
時にはうるさい、時には静かな群衆はスカーレットの問いかけによって対話する個々の人格を付与される。

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‪本作を最初に見た時は欠点のある野心作という印象だったが3回目を見た時傑作と判断した。劇場で計9回見た。ここまで劇場で見た映画はない。

多分『もののけ姫』以来最も重要な映画だと思う。アニメに限定せず全ての映画なかで。

一見捻りのないストレートな復讐譚なのだが、そもそも本作の主人公スカーレットはハムレットと違う猪突猛進型で面食らう。原作のハムレットは狂気を装うのだからスカーレットとは真逆で腹に一物あり狂気を装い周りを騙すのだ。それだからこそハムレットは一応の復讐を果たす。原作とは関係ないことわかって純粋に映画を楽しむためには原作を知っておく方がいいということになる。

ハムレットは知っていた方がいい。それだけの戯曲だし上演の歴史がある。

テクノロジーに依拠した現代アニメの歴史より演劇の歴史は古いし、数々の芸術家を刺激してきた。

ハムレットについては特にタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。


《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 

 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》


この正確なハムレット評は実は本作ではスカーレットにではなく聖の運命に当てはまる。スカーレットにはオフィーリア的要素が映画では重ねられる。

本作でto be or not to beを男女の二人の主人公に振り分けた(小説版がわかりやすい)のはハムレット読解として面白い。


神曲にしても一番重要なフレーズを死者の国で知り合う聖に読ませる点で、おやっと思う。死後の世界の三層構造は辺獄ということで一元化して描かれる。とは言え途中の悪夢では神曲の構造が背景に描かれる。

復讐の敵役はハムレットではなくマクベスからキャラクターが取られる。

復讐を果たすのも主人公スカーレットではなくドラゴンという結末である。

このようにストレートなストーリーが実は観客に対する裏切り、挑戦となっているのが本作の物語的特徴である。


視覚的にはコンピューターを使用して手描きアニメとの融合が図られる。

ScreenXではそれが圧倒的な成功を収めていた。

CGの活用は特筆すべきだ。生と死ではなくダンス、格闘を含む身体表現がテクノロジーと融合している。


ここで指摘したいのは後半の歴史を扱ったストーリー描写で、上の物語解説とは違い、若干の解説がある方が新たな楽しみを得られると思うので記したい。

まず敵役のクローディアスはマクベスからモーセに役割が変更する。トランプの塀を連想させるが基本的には旧約聖書が参照される。クローディアスの城も、バベルの塔を連想させるし小説版では明示される。

ヴォルティマンドの要塞も中東のペトラ遺跡を参照していると公式ガイドブックにある。群衆は東の太陽の出る方角を目指す。

途中夕陽も描かれるから紛らわしいが基本的にエクソダスは画面上右から左に描かれるので分かりやすい。

東を目指すのは日ユ同祖論的イメージである。途中廃墟の教会の床に絵がされたモザイクの地図はシナイ山と太陽が一つに描かれる。これはモデルとなる地図をオリジナルに改変したものだ。

太陽のモチーフは鳥のモチーフと共に本作で重要だ。

スカーレットが目覚めた時に見え天蓋の装飾もペロデ門の太陽を思わせる。

都市伝説的には16弁菊花紋と比べられるデザインだ。

何より気になるモチーフは王冠である。

これは私見ではローマ帝国と交流があったと噂される古代新羅の王冠に似ている。

樹木を模ったとされるが一部ではメノラーを想起させると言われている。

こうした歴史的モチーフはストーリー描写の背景にアレゴリカルに配置され、歴史に興味ある人間には刺激的である。


ただし本作の魅力はこうした要素を上回る宗教的とも言える倫理的使命感にある。この宗教性は一部の観客を激怒させ、離脱させるものだ。


「君が私たちの無事を、神様に願ってくれたおかげさ」


冒頭部分のこんな小さなセリフでさえ宗教的だ。

アニミズムではなく神を介在させる論理は日本の観客には理解できないだろう。


“Whatever is truthful haunts you and don't let you sleep at night. Especially anybody who's living a lie gets hurt. You get a lot of ugly reactions from people not familiar with it. …

…Make something religious and people don't have to deal with it, they can say it's irrelevant. …There does come a time, though, when you have to face facts and the truth is true whether you wanna believe it or not, it doesn't need you to make it true... ”

Bob Dylan“Biograph” liner notes (1985)


《真実であるものは何であれ、人の心に付きまとい、 眠れなくなってしまう。 特にうそっぱちな生き方をしている者たちは、真理を聞かされると傷つくんだ。 そこでいろんな険悪な反応が返ってくるんだ。…

…なにか宗教的なものに対しては、 人は面と向かわないで、関係ないよと言わんばかりの顔をする。 ‬…だけど、 事実に直面しなければならない時が来るし、 信じたくても、 信じたくなくても真理は真理であるという時が必ず来る。》

‪(ボブ・ディラン『バイオグラフ』旧版ブックレット38,94頁より)

 

柄谷行人の用語で言えばこの映画はDを目指している。


ある一定の精神的危機を乗り越えた際には指標となる芸術作品特有のものと言える。

細田守は一歩一歩前進し宮崎駿を乗り越えた。スカーレットが透明な階段を登るシーンで自分はそう確信した。

大部分の観客はそれに気づいていないが、傑作はこれからの新たな観客に開かれて残る。


(魔女はマクベスから取られたが、大友克洋のキャラに似ている。

これは『もののけ姫』で宮崎駿がシシガミの最後の表情を手塚治虫風にしたのを連想させる。

超越的なものを形にする知恵、その方法論を受け継いでいる点で細田は他のジブリ模倣者と一線を画す。)


最後に鳥のモチーフについても追記しておきたい。

スイミー的なオチは劇場によって捉え方が変わる。特に鳥の声の分離は劇場差が大きい。

虚無の在り方も我々次第ということだ。

ドラゴンを鳥の集合体としたことは民衆の集合力をアレゴリカルに示したもので途中描かれた群衆の悲劇と対応する。

時にはうるさい、時には静かな群衆はスカーレットの問いかけによって対話する個々の人格を付与される。


。。。


本作を最初に見た時は欠点のある野心作という印象だったが3回目を見た時傑作と判断した。

多分もののけ姫以来最も重要な映画だと思う。アニメに限定せず全ての映画なかで。
一見捻りのないストレートな復讐譚なのだが、そもそも本作の主人公スカーレットはハムレットと違う猪突猛進型で面食らう。原作のハムレットは狂気を装うのだからスカーレットとは真逆で腹に一物あり狂気を装い周りを騙すのだ。それだからこそハムレットは一応の復讐を果たす。原作とは関係ないことわかって純粋に映画を楽しむためには原作を知っておく方がいいということになる。ハムレットはそれだけの戯曲だし上演の歴史がある。‪本作を最初に見た時は欠点のある野心作という印象だったが3回目を見た時傑作と判断した。
多分『もののけ姫』以来最も重要な映画だと思う。アニメに限定せず全ての映画なかで。
一見捻りのないストレートな復讐譚なのだが、そもそも本作の主人公スカーレットはハムレットと違う猪突猛進型で面食らう。原作のハムレットは狂気を装うのだからスカーレットとは真逆で腹に一物あり狂気を装い周りを騙すのだ。それだからこそハムレットは一応の復讐を果たす。原作とは関係ないことわかって純粋に映画を楽しむためには原作を知っておく方がいいということになる。ハムレットはそれだけの戯曲だし上演の歴史がある。
テクノロジーに依拠した現代アニメの歴史より演劇の歴史は古いし、数々の芸術家を刺激してきた。
ハムレットについては特にタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。

《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 
 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》

この正確なハムレット評は実は本作ではスカーレットにではなく聖の運命に当てはまる。
本作でto be or not to beを男女の二人の主人公に振り分けたのはハムレット読解として面白い。

神曲にしても一番重要なフレーズを死者の国で知り合う聖に読ませる点で、おやっと思う。死後の世界の三層構造は辺獄ということで一元化して描かれる。とは言え途中の悪夢では神曲の構造が背景に描かれる。
復讐の敵役はハムレットではなくマクベスからキャラクターが取られる。
復讐を果たすのも主人公スカーレットではなくドラゴンという結末である。
このようにストレートなストーリーが実は観客に対する挑戦となっているのが本作の物語特徴である。

視覚的にはコンピューターを使用して手描きアニメとの融合が図られる。
ScreenXではそれが圧倒的な成功を収めていた。
ここで指摘したいのは後半の歴史を扱ったストーリー描写で、上の物語解説とは違い、若干の解説がある方が楽しめると思うので記したい。
まず敵役のクローディアスはマクベスからモーセに役割が変更する。トランプの塀を連想させるが基本的には旧約聖書が参照される。クローディアスの城も、バベルの塔を連想させるし小説版では明示される。
ヴォルティマンドの要塞も中東のペトラ遺跡を参照していると公式ガイドブックにある。群衆は東の太陽の出る方角を目指す。
途中夕陽も描かれるから紛らわしいが基本的にエクソダスは画面上右から左に描かれる。
東を目指すのは日ユ同祖論的イメージである。途中廃墟の教会の床に絵がされたモザイクの地図はシナイ山と太陽が一つに描かれる。これはモデルとなる地図をオリジナルに改変したものだ。
太陽のモチーフは鳥のモチーフと共に本作で重要だ。
スカーレットが目覚めた時に見え天蓋の装飾もペロデ門の太陽を思わせる。
都市伝説的には16弁菊花紋と比べられるデザインだ。
何より気になるモチーフは王冠である。
これは私見ではローマ帝国と交流があったと噂される古代新羅の王冠に似ている。
樹木を模ったとされるが一部ではメノラーを想起させると言われている。
こうした歴史的モチーフはストーリー描写の背景にアレゴリカルに配置され、歴史に興味ある人間には刺激的である。

ただし本作の魅力はこうした要素を上回る宗教的とも言える倫理的使命感にある。この宗教性は一部の観客を激怒させ、離脱させるものだ。

「君が私たちの無事を、神様に願ってくれたおかげさ」

冒頭部分のこんな小さなセリフでさえ宗教的だ。
アニミズムではなく神を介在させる論理は日本の観客には理解できないだろう。

“Whatever is truthful haunts you and don't let you sleep at night. Especially anybody who's living a lie gets hurt. You get a lot of ugly reactions from people not familiar with it. …
…Make something religious and people don't have to deal with it, they can say it's irrelevant. …There does come a time, though, when you have to face facts and the truth is true whether you wanna believe it or not, it doesn't need you to make it true... ”
Bob Dylan“Biograph” liner notes (1985)

《真実であるものは何であれ、人の心に付きまとい、 眠れなくなってしまう。 特にうそっぱちな生き方をしている者たちは、真理を聞かされると傷つくんだ。 そこでいろんな険悪な反応が返ってくるんだ。…
…なにか宗教的なものに対しては、 人は面と向かわないで、関係ないよと言わんばかりの顔をする。 ‬…だけど、 事実に直面しなければならない時が来るし、 信じたくても、 信じたくなくても真理は真理であるという時が必ず来る。》
‪(ボブ・ディラン『バイオグラフ』旧版ブックレット38,94頁より)
 
柄谷行人の用語で言えばこの映画はDを目指している。

ある一定の精神的危機を乗り越えた際には指標となる芸術作品特有のものと言える。
細田守は一歩一歩前進し宮崎駿を乗り越えた。スカーレットが透明な階段を登るシーンで自分はそう確信した。

(魔女はマクベスから取られたが、大友克洋のキャラに似ている。
これは『もののけ姫』で宮崎駿がシシガミの最後の表情を手塚治虫風にしたのを連想させる。
超越的なものを形にする知恵、その方法論を受け継いでいる点で細田は他のジブリ模倣者と一線を画す。)

細田守は宮崎駿を超えた。大部分の観客はそれに気づいていないが、傑作はこれからの新たな観客に開かれて残る。





。。。


本作を最初に見た時は欠点のある野心作という印象だったが3回目を見た時傑作と判断した。

多分もののけ姫以来最も重要な映画だ。アニメに限定せず全ての映画で。

一見捻りのないストレートな復讐譚なのだが、ハムレットと違う猪突猛進型の主人公で面食らう。何しろハムレットは狂気を装うのだから腹に一物あるのだ。それだから一応の復讐を果たす。

神曲にしても一番重要なフレーズを死者の国で知り合う聖に読ませる点で、おやっと思う。死後の世界の三層構造は辺獄ということで一元化して描かれる。とは言え途中の悪夢では神曲の構造が背景に描かれる。

復讐の敵役はハムレットではなくマクベスからキャラクターが取られる。

復讐を果たすのも主人公スカーレットではなくドラゴンという結末である。

このようにストレートなストーリーが実は観客に対する挑戦となっているのが本作の物語特徴である。

視覚的にはコンピューターを使用して手描きアニメとの融合が図られる。

ScreenXではそれが圧倒的な成功を収めていた。

ここで指摘したいのは後半の歴史を扱ったストーリー描写で、上の物語解説とは違い、若干の解説がある方が楽しめると思うので記したい。

まず敵役のクローディアスはマクベスからモーセに役割が変更する。トランプの塀を連想させるが基本的には旧約聖書が参照される。クローディアスの城も、バベルの塔を連想させるし小説版では明示される。

ヴォルティマンドの要塞も中東のペトラ遺跡を参照していると公式ガイドブックにある。群衆は東の太陽の出る方角を目指す。

途中夕陽も描かれるから紛らわしいが基本的にエクソダスは画面上右から左に描かれる。

東を目指すのは日ユ同祖論的イメージである。途中廃墟の教会の床に絵がされたモザイクの地図はシナイ山と太陽が一つに描かれる。これはモデルとなる地図をオリジナルに改変したものだ。

太陽のモチーフは鳥のモチーフと共に本作で重要だ。

スカーレットが目覚めた時に見え天蓋の装飾もペロデ門の太陽を思わせる。

都市伝説的には16弁菊花紋と比べられるデザインだ。

何より気になるモチーフは王冠である。

これは私見ではローマ帝国と交流があったと噂される古代新羅の王冠に似ている。

樹木を模ったとされるが一部ではメノラーを想起させると言われている。

こうした歴史的モチーフはストーリー描写の背景にアレゴリカルに配置され、歴史に興味ある人間には刺激的である。

ただし本作の魅力はこうした要素を上回る倫理的使命感にある。

宗教的とも言える。この宗教性は一部の観客を激怒させ、離脱させるものだが、ある一定の精神的危機を乗り越えた際には指標となる芸術作品特有のものと言える。

細田守は一歩一歩前進し宮崎駿を乗り越えた。スカーレットが透明なない階段をの登るシーンで自分はそう確信した。

大部分の観客はそれに気づいていないが、傑作はこれからの新たな観客に開かれて残る。


“Whatever is truthful haunts you and don't let you sleep at night. Especially anybody who's living a lie gets hurt. You get a lot of ugly reactions from people not familiar with it.”

Bob Dylan“Biograph” liner notes (1985)


真実であるものは何であれ、人の心に付きまとい、 眠れなくなってしまう。 特にうそっぱちな生き方をしている者たちは、真理を聞かされると傷つくんだ。 そこでいろんな険悪な反応が返ってくるんだ。…》

ボブ・ディラン『バイオグラフ』旧版ブックレット38頁より


 “Make something religious and people don't have to deal with it, they can say it's irrelevant. …There does come a time, though, when you have to face facts and the truth is true whether you wanna believe it or not, it doesn't need you to make it true... ”

Bob Dylan“Biograph” liner notes (1985)


‪《なにか宗教的なものに対しては、 人は面と向かわないで、関係ないよと言わんばかりの顔をする。 ‬…だけど、 事実に直面しなければならない時が来るし、 信じたくても、 信じたくなくても真理は真理であるという時が必ず来る。》

‪ボブ・ディラン『バイオグラフ』旧版ブックレット94頁より





“Whatever is truthful haunts you and don't let you sleep at night. Especially anybody who's living a lie gets hurt. You get a lot of ugly reactions from people not familiar with it. …

…Make something religious and people don't have to deal with it, they can say it's irrelevant. …There does come a time, though, when you have to face facts and the truth is true whether you wanna believe it or not, it doesn't need you to make it true... ”

Bob Dylan“Biograph” liner notes (1985)


真実であるものは何であれ、人の心に付きまとい、 眠れなくなってしまう。 特にうそっぱちな生き方をしている者たちは、真理を聞かされると傷つくんだ。 そこでいろんな険悪な反応が返ってくるんだ。…

なにか宗教的なものに対しては、 人は面と向かわないで、関係ないよと言わんばかりの顔をする。 ‬…だけど、 事実に直面しなければならない時が来るし、 信じたくても、 信じたくなくても真理は真理であるという時が必ず来る。》

‪(ボブ・ディラン『バイオグラフ』旧版ブックレット38,94頁より)

 

柄谷行人の用語で言えばこの映画はDを目指している。


力と交換様式
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/2022.html


https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/03/blog-post_0.html


https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/8021372109485851469


https://dylan2023bible.blogspot.com/2026/03/scarlet-critica-mamoru-hosoda-volta-com.html



https://vt.tiktok.com/ZSuHb9NWg/

果てしなきスカーレット
Scarlet et l'éternité  (フランス語)
Scarlet La Película  (スペイン語)
Scarlet (英語)

Scarlet永無止境的史嘉蕾 (中国語)

끝이 없는 스칼렛 (ハングル)


Скарлет (ウクライナ語)

اسکارلت (ペルシャ語)


吹替

Erin Yvette


台湾

【Scarlet永無止境的史嘉蕾】史詩篇 - 12月10日(週三)正式上映 https://youtu.be/LjjxQNGzxio?si=VLGs_OlCan5xS43s @YouTubeより


スペイン語 Scarlet La Película


https://youtu.be/C9BqAl26HqY?si=ecA27vO8ZKUMsgXY


https://x.com/libretacinefila/status/2027033905610588646?s=61


El 27 de febrero, Sony estrena en los cines españoles #Scarlet #película de #animación escrita y dirigida por #MamoruHosoda (La chica que saltaba a través del tiempo). 


Más información en el blog: lalibretacinefila2.blogspot.com/2026/02/scarle…


#Estreno #Cine #Anime #ScarletLaPelícula #FelizJueves


https://x.com/leo_kageyama/status/2030071648234394072?s=61


フランス語版『果てしなきスカーレット』、翻訳は“Scarlet et l'eternité”。

https://x.com/misakikusanagi/status/2029976598376780101?s=61


https://vimeo.com/1173930750

https://youtu.be/TZJpjiGdoHs?si=WSibca-vOrAzv6TS


Le traître doit recevoir le châtiment qu'il mérite. 

Père, non !

 Je vais le retrouver et je vengerai mon père.
C'est mon destin, ma vie est ainsi. Prêtez-moi allégeance.
Tu dois vivre. Je vivrai.


ハングル

끝이 없는 스칼렛


ウクライナ語


Скарлет (фільм)


ペルシャ語

https://fa.wikipedia.org/wiki/%D8%A7%D8%B3%DA%A9%D8%A7%D8%B1%D9%84%D8%AA_(%D9%81%DB%8C%D9%84%D9%85_%DB%B2%25DB%25B0%DB%B2%DB%B5)

اسکارلت (فیلم ۲۰۲۵)


Critique Scarlet et l'éternité : purgatoire pour un monde meilleur


したがって、聖書的あるいは現代的な比喩は偶然ではなく、『Scarlet and Eternity』は暴力の連鎖を止める必要性を唱える実際の反戦パンフレットです。血が流れるようにしかできない悪循環であり、キャラクターの親密なドラマ、あるいは映画全体の宇宙の真の核心です。

この映画は、セシル・Bに匹敵するほどの巨大な群衆のショットも並行して撮影されます。デミル(怠惰と死が絶望と混ざり合う場所)から、より良い世界と同義の酔わせるような巨大なダンスシークエンスへ。二元論は再びシンプルですが、効果的です(特に岩崎大成のBOが美しいので)純粋な内臓的観点から。

https://dylan2023bible.blogspot.com/2026/03/critique-scarlet-et-leternite.html

https://x.com/misakikusanagi/status/2032127854910324795?s=61


FNAC のLouise Lepense 氏の『果てしなきスカーレット』評。

「批評家たちは作品を高く評価し、テレラマ誌は『率直で感動的な平和のメッセージ』、ル・パリジャン紙は『形式も内容も驚くべき作品』、プルミエール誌は『アニメーション映画の傑作』と評している」
#果てしなきスカーレット #Scarlet pic.x.com/18hQM8H9X1

2026/03/13 1:



 
misaki kusanagi
⁦‪@MisakiKusanagi‬⁩


FNAC のLouise Lepense 氏の『果てしなきスカーレット』評。
「批評家たちは作品を高く評価し、

テレラマ誌は『率直で感動的な平和のメッセージ』、


ル・パリジャン紙は『形式も内容も驚くべき作品』、


つまり、『スカーレット』の驚異的なビジュアルスタイルは、宮崎駿の『ナウシカ』とNetflixシリーズ『アルカン』の間を行き来していると言えるでしょう。言い換えれば、高度な手作業による2Dアニメーションと最先端の3D技術が絶え間なく融合し、驚異的な作品に仕上がっているのです。

プルミエール誌は『アニメーション映画の傑作』



https://x.com/misakikusanagi/status/2032128108825039147?s=61



スペイン

Scarlet, a Crítica

結局のところ、『スカーレット』は平和を歌った歌であり、許しの力に訴えかける物語だ。時折、ややナイーブに感じられる部分もあるが、そのナイーブさこそが魅力の一部となっている。そこには戦争のない世界という夢があり、ナイーブであろうとなかろうと、憎しみが蔓延する現代において、この思いは非常に心に響く。大スクリーンでは、スカーレットと聖(ヒジリ)と共に、そんな夢は描かれない。





 
 
fukuko2025
⁦‪@fukuko2025‬⁩
Ya está aquí la última película del director Mamoru Hosoda, #ScarletLaPelícula ... youtube.com/shorts/b4gdaBx… pic.x.com/gBDl1uC4B5
 
2026/03/10 20:08
 
 

座頭市

仕込み杖

コーネリウス




『果てしなきスカーレット』【初日舞台挨拶】大ヒット上映中



少女役 /白山乃愛 ≪死者の国≫でスカーレットが出会う少女。 

12:58
市場の少女役
重要なセリフがある。
「わたし、ほんとうはお姫様に生まれたかったな。あなたもそうよね。そうでしょう?」  
 「もしわたしがお姫様だったら、したいことがあるの」 
 「わたしたちみたいな子供が、死なない世界にする」


https://x.com/solokiriya/status/2011801643676033053?s=61


끝이 없는 스칼렛 (2025)

果てしなきスカーレット

Scarlet

시간을 달리는 소녀는 7월의 여름이면 생각나던데..

#끝이없는스칼렛 #果てしなきスカーレットScarlet


https://x.com/animate_lotte/status/2019259740195586074?s=61


【#Gratte/#끝이_없는_스칼렛】


『운명에 맞서는 소녀의 끝없는 선택』


끝이 없는 스칼렛 공개 기념 Gratte 진행중💕

✨1/19(월)~2/15(일)✨


💙3만원 당 브로마이드 1장 랜덤 증정!


※그라떼는 애니메이트 카페에서 구입이 가능합니다.


#잠실롯데 #애니메이트 에서 만나요 ദി >⩊<︎︎ ͡ 𐦯


https://x.com/yojisekimoto/status/2026982570819522781?s=61


『果てしなきスカーレット』論


見れば見るほどよくなる。

生涯のベスト5に入る。

『もののけ姫』を越えている。自分はもののけ姫のラスト1時間を評価していない。

ちなみにベスト5は、

『乱』

『イワン雷帝』

『ノスタルジア』

『豚小屋』

『果てしなきスカーレット』

特に権力について考えているところを評価する。


https://x.com/yojisekimoto/status/2021903593788637422?s=61


ーー

自分は今後の人生『果てしなきスカーレット』だけ繰り返し見ていればいいと思っています。『TOKYOタクシー』も『新解釈・幕末伝』も魅力的でしたが扱う歴史の厚みが足りない。シェークスピアとダンテ、さらにその背景にある『果てしなきスカーレット』後半の旧約聖書モチーフはそれだけ強烈です。

スカーフのシーン。

軍事的意味があるのだろう。

少女のスカーフを結ぶ行為は信用貨幣的だ。

金貨より結ぶ行為が重要。

プペルなどはせっかく減価貨幣を扱いながら金属貨幣のイメージにとらわれている。

あれではビットコインと同じだ。


https://x.com/tiikituukahana/status/2023922585545961915?s=61


https://x.com/fukuko2025/status/2023790555730505935?s=61


シェークスピアはハムレットでレビラート婚(引き直し)を批判していると読めるし、ベニスの商人と繋げればユダヤに批判的ということになる。映画は辺獄でキリスト以前のユダヤ教のイメージを使うことでこのシェークスピアの政治的歪みを修正している。みんなモーセの頃を思い出して仲良くやろうよ、ということだ。


https://x.com/fukuko2025/status/2023776688623297014?s=61


自分が注目するのは王冠の形で、ローマと交流のあった新羅で発見された王冠に近い。

これはメノラーを密かに模倣しているという説があり、隠れたユダヤ教ということになる。




映画でもキーワードになる「ゆるし」という日本語は縄文由来の言葉らしい。

証明のしようがないが結縄が普及していたのは確かだろう。結縄はインカ帝国のキープが有名。沖縄にも藁算が残る。

vt.tiktok.com/ZSmDASan4/


聖について歴史的なことを追記すると、日を知るという語源は疑わしい。

タミル語では僧侶に先行して雷の意味があるらしい。

日本語のタミル語起源説を細田守が知っていたかはわからないが、絶妙なネーミングだ。


聖(ひじり)の語源についての一説


「ひじり」はタミル語 pitir-am [thunderbolt (雷電)] と対応する日本語、 *fitir-i > fidir-iであろうと思われる。つまり、「ひじり」の原義は「雷電」即ち「大王」を意味していたところ、時代を経るにしたがって、高徳な人、優れた人となり、仏教が伝来してからは僧侶を意味するようになったと思われる。


田中孝顕(たなかたかあき)

日本語の真実

タミル語で記紀、 万葉集を読み解く

2006年

 


ハムレットについてはタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。


《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 

 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》


「ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。」という指摘は本作では聖の弓を引くシーンに当てはまる。


普遍言語の考え方は3種類ある。

元々一つだったか一つになりつつあるか。あるいはその両方か。

バベルの塔(クローディアスの城のモデル)が崩れて多言語になったのであれば塔を作れば普遍言語が可能とも考えられる。

人類アフリカ起源説を否定できないならシュメール言語起源説も否定できない。

細田守は市場で普遍通貨と普遍言語が生まれると考えているようだ。無論不可能という考え方もあるが鳥の言語も最近わかったばかり。


バベルの塔(クローディアスの城のモデル)が崩れて多言語になったのであれば塔を作れば普遍言語が可能とも考えられる。 

人類アフリカ起源説を否定できないならシュメール言語起源説も否定できない。 

細田守は市場で普遍通貨と普遍言語が生まれると考えているようだ。無論不可能という考え方もある。   2026/02/27 0:20   


https://x.com/yojisekimoto/status/2027041018269634724?s=58


性的事象を究極(=ラストシーン)の暗喩に使うキューブリックみたいな作家もいる。時計仕掛けやアイズワイドは直截的だが、フルメタルジャケットの射殺シーン↓や2001の宇宙船の形は分かりにくい。もののけ姫も性的な解釈が出来る。スカーレットは多分あらゆる身体性を考慮しているがラストの歌まで禁欲的だ。キスシーンが生きるのは全体的に禁欲的だから。


https://x.com/1aeltopo/status/1900456652119433323?s=61


唾と雨



この映画に唯一不満があるとすれば最後の歌の場面に歌詞の字幕が付いていないことです。ラストの歌は合唱したい(笑)


https://x.com/fukuko2025/status/2027053825795018877?s=61


民衆の集合力と集合体としてのドラゴン


細田守の言葉を借りれば、「世界中で胸が張り裂けるような紛争を目の当たりにしている中、愛を見つけ、団結して共に生きることを選ぶことが、より良いものへと導くと信じています。」だからこそ、これまで以上にこの新しい映画を世界に共有したいのです

聖を刺す通り魔は細田守監督自身に似ている(笑)。
『国宝』でも主人公を棒でなぐる男を監督自身に似た役者に演じさせていた。
まあ出鱈目な個人的推察に過ぎないが。
演技とはいえ犯罪者にさせるわけだから監督も気を使う。そういう時代になった。

本作のドラゴンは西洋のドラゴンと東洋の龍の融合。
剣に刺されたドラゴンは剣を持つ者に復讐する。
果てしなきスカーレットはスカーレットではなくドラゴンの復讐の話。
果てしなきドラゴン…

ドラゴンのスイミー化は劇場によって鳥の鳴き声の聞こえ方が違うので、その聞こえ方次第になる。
ScreenX版では鳥の声が分離してよく聞こえたので復讐をやり遂げたドラゴンの成就という印象になった。
つまり虚無は我々の見方次第。


⁦‪@fukuko2025‬⁩ そこで集合体としてのドラゴンですよ。あの映画の主役は集合力を活用した鳥たちなんです。途中ちょこちょこ映ってたのはフリだった。力を合わせればトランプの壁も倒せる…かも。まあ見果てぬ場所をチラつかされてネット上で制御不能になる危険もありますが。 2026/03/06 10:28

後半に関してわからないという人が多いようだ。
クローディアスの言う果てしなき場所は容易にユダヤ人の約束の地を想起させるし、ヨルダンにロケハンも行ったようである。マダバ地図もその時実際に観たらしい。本作の地図の元デザインになっている。

歴史上、失われた十支族は東へ向かった。つまり太陽の出る方角だ(映画では夕陽も出てくるが)。
民族移動は画面上で右から左へ動く。
スカーレット自身が空に昇る際、太陽に重なるように昇ってゆくのは偶然ではない。
スカーレットが最後に目覚める時も菊花紋のような太陽の紋章を見ている。


無論映画全体は十字架のモチーフが支配する。
死者の国へ落ちる手を広げるスカーレット、
スカーレットの剣、
途中のドラゴンのロングショット、
王冠も十字架の変形と言える。
(それにしても王冠に関してはあんな風に十字架の先を曲げるかね?とは思うが)
歴史的には仮にユダヤ教の影響だとしても古代イスラエル人で金属加工に優れたユダヤ教徒の職人が王様に内緒で勝手にやっているくらいが真相とは思うが。
天壇で燔祭があったくらいだからユダヤ教は我々の思う以上に広まっていたはと思う。

映画は意識的に旧約聖書のモチーフに遡っているのでキリストの意義を白紙の状態から再確認しているということは言える。

神曲も地獄の構造設計にイスラム文学からの影響があるらしいので旧約聖書に遡行することはシェークスピア読解以上に神曲読解にも意義を持つ。

二つのエルサレム。
果てしなき場所は約束の地の言い換えではあるが、既存のエルサレムではないところが味噌だ。
ディズニー映画などは今あるエルサレムに第三神殿としてのディズニーランドを建てようとしているとしか見えない。

プロテスタントにはユダヤ教再興の側面があり、逆を言えば、今の正統派ユダヤ教徒こそプロテスタントの精神を体現している。
映画から離れるが現実のアレゴリーとして優秀な作品ということだ。

映画でもキーワードになる「ゆるし」という日本語は縄文由来の言葉らしい。
証明のしようがないが結縄が普及していたのは確かだろう。結縄はインカ帝国のキープが有名。沖縄にも藁算が残る。
https://vt.tiktok.com/ZSmDASan4/

緩める、締める

スカーフのシーン。
軍事的意味があるのだろう。
少女のスカーフを結ぶ行為は信用貨幣的だ。
金貨より結ぶ行為が重要。
プペルなどはせっかく減価貨幣を扱いながら金属貨幣のイメージにとらわれている。
あれではビットコインと同じだ。

https://x.com/tiikituukahana/status/2023922585545961915?s=61

https://x.com/fukuko2025/status/2023790555730505935?s=61

シェークスピアはハムレットでレビラート婚を批判していると読めるし、ベニスの商人と繋げればユダヤに批判的ということになる。映画は辺獄でキリスト以前のユダヤ教のイメージを使うことでこのシェークスピアの政治的歪みを修正している。みんなモーセの頃を思い出して仲良くやろうよ、ということだ。

https://x.com/fukuko2025/status/2023776688623297014?s=61

自分が注目するのは王冠の形で、ローマと交流のあった新羅で発見された王冠に近い。
これはメノラーを密かに模倣しているという説があり、隠れたユダヤ教ということになる。

映画でもキーワードになる「ゆるし」という日本語は縄文由来の言葉らしい。
証明のしようがないが結縄が普及していたのは確かだろう。結縄はインカ帝国のキープが有名。沖縄にも藁算が残る。
vt.tiktok.com/ZSmDASan4/

本作を理解する上で読んだ方がいい本:
ダンテ『神曲』
シェークスピア『ハムレット』『マクベス』
ギリシア神話(オルフェウスの冥界くだり)
中島敦『名人伝』
カフカ『掟の門』
『旧約聖書』特に創世記、出エジプト記。

自分が鑑賞七回目で初めて思ったこと。
聖を刺す通り魔は細田守監督自身に似ている(笑)。
『国宝』でも主人公を棒でなぐる男を監督自身に似た役者に演じさせていた。
まあ出鱈目な個人的推察に過ぎないが。
演技とはいえ犯罪者にさせるわけだから監督も気を使う。そういう時代になった。

本作のドラゴンは西洋のドラゴンと東洋の龍の融合。
剣に刺されたドラゴンは剣を持つ者に復讐する。
果てしなきスカーレットはスカーレットではなくドラゴンの復讐の話。
果てしなきドラゴン…

ドラゴンのスイミー化は劇場によって鳥の鳴き声の聞こえ方が違うので、その聞こえ方次第になる。
ScreenX版では鳥の声が分離してよく聞こえたので復讐をやり遂げたドラゴンの成就という印象になった。
つまり虚無は我々の見方次第。

後半に関してわからないという人が多いようだ。
クローディアスの言う果てしなき場所は容易にユダヤ人の約束の地を想起させるし、ヨルダンにロケハンも行ったようである。マダバ地図もその時実際に観たらしい。本作の地図の元デザインになっている。

歴史上、失われた十支族は東へ向かった。つまり太陽の出る方角だ(映画では夕陽も出てくるが)。
民族移動は画面上で右から左へ動く。
スカーレット自身が空に昇る際、太陽に重なるように昇ってゆくのは偶然ではない。
スカーレットが最後に目覚める時も菊花紋のような太陽の紋章を見ている。

市場を描いたシーンは秀逸で、小説版を読むとこの部分が重要だとわかる。
プペル(ヘブルのアナグラム)を見ているなら貨幣観を比べてもいいだろう。
スカーレットにスカーフを結ぶ行為が重要で、結ぶという行為が歴史的には信用貨幣の基礎になるのである(プペルの方は減価通貨という最重要アイテムを扱いながら金属主義を脱していない)。

とにかくハムレットを愛読してる人間はアニメを見ないだろうし、アニメ好きはハムレットを読まない。
日本は精神的に貧しくなった。
細田守監督の演劇へのリスペクトは映画とは何か、考えることによって狭くしてきたのではないかと反省させられる。
エクリチュールとしての映画はイメージの明確化をむしろ阻害してきた側面がある。
本作の夢のシーンなど不安を煽る描写に長けたジャパニーズホラーでは出来なかった表現だ。

本作の日本での不評の理由としては、女性向けではない、インフルエンサーによる教養の拒絶、キャンセルカルチャー、アニメファンの声優以外ボイコットキャンペーン、戦争の準備風潮等があるだろう。
特にYouTuberは減点法で映画を観るから必然的に映画を作らない自分が一番偉いということになる。
豚に真珠、猫に小判、YouTuberにスカーレットである。


ハムレットについてはタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。


《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 

 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》


「ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。」という指摘は本作では聖の弓を引くシーンに当てはまる。


マダバ地図 - Wikipedia


_______________

 『 #果てしなきスカーレット 』
     プロダクションノート
    <3D内2D美術編>
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昨日ご紹介した廃教会の床のモザイク画も、2D美術によるもの。
世界最古のパレスチナ地図・マダバ地図をモチーフにした、この"見果てぬ場所"の地図は、美術スタッフがなんと約1か月半をかけ、ひとりで描き上げた力作!ひとつひとつ手作業で描かれたモザイク画は必見です👀❤️‍🔥

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%90%E5%9C%B0%E5%9B%B3


『果てしなきスカーレット』論


見れば見るほどよくなる。

生涯のベスト5に入る。

『もののけ姫』を越えている。自分はもののけ姫のラスト1時間を評価していない。

ちなみにベスト5は、

『乱』

『イワン雷帝』

『ノスタルジア』

『豚小屋』

『果てしなきスカーレット』

特に権力について考えているところを評価する。



ストーリー


『果てしなきスカーレット』はスカーレットによる復讐を試みる話だが、映画のラストをネタバレすると復讐を果たすのはドラゴンである。

本作にはこうしたストーリー上のギミックが無数にある。日本の映画系youtuberは減点法でなおかつどうコメントしようか一々考えながら見るので全体を見渡すことがない。

例えばハムレットを下書きにしているとはいえスカーレットの外的性格は猪突猛進でハムレットとは違うと言うことがハムレットを読んでないとわからないと言うのが重要だ。

クローディアスは明らかにマクベスを意識した造形であり、『神曲』の三層構造は最初から破棄されることが明示される。

『君たちはどう生きるか』よりもずっと本質的な神曲への言及がある。

細田守の出発点にあるのはハムレット観劇体験だが、ダンテの現世批判を神秘体験を通じてアレゴリーとして行いという部分だ。


本作は夢オチではあるが、苦労して獲得した単純さだ。異世界物、多次元物の氾濫に観客は辟易してある。ただしそこに慣れてしまったのでそこから逸脱するものを受け入れる勇気がいる。


オルフェウスは竪琴の名手だが聖は苦労してリュートを上達する。


駄目な映画評論家が貶す映画はだいたい傑作である。自分は蓮實重彦が貶した作品は必ず見ることにしている。それはハズレがない。


造形

辺獄をCGで描くことが本作の特性だが、肝心なところは手描きだ。

スカーレットが描いたデッサンは本作の方向性を決めている。

十字架をモチーフにしているが、後半でそこを避けている部分を評価したい。

集合力

革命

ドラゴンと民衆


太陽に向かって進むのだが、目覚めた時も太陽の紋章が天蓋にある。

これは16弁菊花紋を容易に連想させる。


歴史的背景

デンマークが舞台とはいえモデルはエリザベス一世と作者は明言する。


深読みとはいえ後半は旧約聖書の舞台が参照される。

サグラダファミリアをバベルの塔にした美術は見事だ。


「許し」は縄文起源の言葉という説がある。縄文土器の紋様に魔力を締める場合とそれを緩める場合がるということだ。

本案的要素が多い本作もキーワードに大和言葉を選択している。

聖(ひじり)も日知りが語源とされる場合が多いが、タミルの語の雷鳴、先生、僧侶が起源という説がある。

これが本当なら雷と関係する絶妙なネーミングである。


王冠は新羅の王冠を思わせる。これはローマとの交流が噂される造形でありメノラーの形を秘めているという説がある。本作はメノラーとの類似を敢えて避けているがその避け方が意識的なので逆にユダヤ教の影響を勘繰ってしまう。


小説版は世界軍事史的な資料をかなり勉強した形跡が見られる。


マダバ遺跡などはシナイ山を描いた部分を朝日入りにして改変している。

だから旧約聖書を連想することは作者も勘案済みである。


総評。

倫理的部分が本作の魅力だし、反発を生んだ部分だろう。

「神様に祈ったおかげ」

このセリフは宗教的に無自覚な人間には理解出来ない。

スカーレットの立場で最後に何を演説するか、いやどのように立つか?

ここを是非体感してほしい。


娘へのメッセージがギミックより上にある。



渋谷

ダンス

病院

通り魔

階段、時かけを補強

殺陣

大友克洋




自分は3回目を見た時に傑作と判断しました。計6回見ました。
最初アムレットと出てくるからハムレットかと思うと叔父と母はマクベスで、ハムレットのように気狂いのふりをするかと思うと主人公は猪突猛進で…こうしたストーリー上の裏切りがありまくりです。
オルフェウスに擬せられた聖は竪琴(映画ではリュート)を最初は全く弾けないし、神曲を引用してこれで辺獄の設定を神曲と違うようにあえてしたと思わせておいて夢のシーンで神曲そのものの小世界を提示する…。
復讐にしても、最初に聖が通り魔への擬態的復讐を果たし、次にドラゴンが剣を持つものに対して自分に刺さりまくった剣の復讐を果たします。結局スカーレットは復讐を断念します。(ドラゴンと聖の復讐の物語というオチです。)これは愛ではなくガンジーと同じ意志による選択的倫理的積極的行為です。
小説版を読んでから3回目をご覧になることを勧めます。あなたの一生の財産となるでしょう。
あと果てしなき場所は旧約聖書で言うところの約束の地です。基本的にスクリーンで右から左へという方向で約束の地は提示されます。それだけ頭に入れておけば混乱はしないでしょう。
昨今の映画系youtuberは教養がないからこれを機会に勉強してほしい。この映画に関してはスピリチュアル系のyoutuberの直観的理解の方が優れているように思います

「シネマランキング2025」スペシャルPODCAST第7部Part-3(終):宇多丸の駆け込みムービーウォッチメン『果てしなきスカーレット』編


聞こえない死に際の父の声→なぜか聞こえるスカーレットの声
明るい渋谷の未来→渋谷の病院で死ぬ聖

こうした劇作はかなり練られており、普遍言語についても市場で作られたという説明が小説版ではある。
自分も初回見た時は欠点のある野心作という感想だったが、3回見て傑作と判断した。スクリーンX版を含め6回観て30年に一度の名作とわかった。スピリチュアル系の人は真っ直ぐに受け止めている。これを酷評した批評家は信用出来ない。

@luminous woman: 基本的にスクリーン右から左へという方向性で見果てぬ場所への行程は描かれる。それだけ知っておけばストーリーを見失うことはない。

プレスシートより:


『生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ』
今、世界のあちこちで起こる争いや戦争の光景は、「地獄」のように凄惨なものだ。
この悲劇を前に、大人も若い人も子供も、未来に希望や明るさを持てないでいる。
先の見えない不安な世界で、私たちはどう生きるべきか。それが問題だ。
世界中の誰もが、答えを求めている。

父を殺された中世デンマークの王女スカーレットが、
復讐に失敗して堕ちた 「死者の国」で、仮死状態でやってきた現代日本の看護師の青年と出会い、 旅をする。
王女の最終目的地は、「見果てぬ場所」と呼ばれる天国のような所。 そこにいる絶対に許せない父の仇に復讐すること。
もしできなければ、虚無となり存在が消え去ってしまう。血だらけ泥だらけになりながら、彼女は父の仇を追い求める。
現実主義な王女と理想主義の青年は、何もかも対照的で、事あるごとに衝突する。
だが旅の中で、両者は対立を超え、やがて信頼とささやかな愛情を育むことになる。
果たして王女は、憎き父の仇に、復讐を果たすことができるのか?
それとも青年は、復讐を超えた人生の価値を、王女に示すことができるのか?

復讐劇の古典、シェイクスピアの『ハムレット』は、「生きるべきか死ぬべきか」、
つまり、より自分らしい生き方とはなにか、を説いた。
400年後の現代でも、私たちは同じ問題を突きつけられている。
先の見えない今、私たちの苦悩と葛藤、 そして希望はどこへ向かうのか。
不自由の中で自分らしく生きることができず、自由を求めている人は老若男女を問わずたくさんいる。
映画『果てしなきスカーレット』は、死者の国を旅する男女が 「生きる」ことを見つける物語である。
血と泥にまみれた死者の国を描くのは、生きづらい現実の切実な反映であり、逆説的に現世を肯定したいがためである。
「死」を描く、 とは、つまり「生きる」を描くことなのだ。

人は何のために生きるのかを問う、骨太な力強い映画を目指したい。
今、この「生きる」という大きなテーマを、観客と一緒に考えたい。

                                        ―細田守

15分

15:50


ーーーーーーーー



。。。。


5:55
この映画のメッセージは明確です。本家のハムレットみたいにボケたフリをしてる場合じゃないということ。
自分は3回見ましたが見れば見るほど面白くなります。細かい違和感はなくなります。ハートが技術を上回っているからだと思います。

アニメ専門声優ファン、さらに死後の世界を信じていない人がリトマス試験紙のように反応しているのでしょう。そうした人は夢オチだと考えればいいのです。細田守だって死んでシェークスピアに褒めてもらおうなんて考えてない。「超野心的」という評があったがまさにその通り。



⁦‪@key_chan_asd‬⁩ 本当に見るべき映画ですね。
死者の国の赤い風景が脳を想起させるという説があります。
x.com/funashows/stat…

2025/12/09 14:20

ネット上で唯一『果てしなきスカーレット』を絶賛している動画【映画読解レビュー】
大橋直樹
すごく勇気ある動画で感動しました。映画は自分は3回見てここ数年のベストです。死後の世界を信じていない人がこの映画を叩いているのだと思っていましたが、もう少し考えてみます。
小説版では龍は鳥たちの集合体だそうです。映画でも龍の最後に鳥の声が重ねられていましたがわかりづらかったかもしれません。
(剣を刺された龍が復讐を果たして解体したという解釈でもいいと思いますが)
分離壁を民衆が壊すシーン、ダンスのシーン、集合力への期待がこの映画にはあり、そこが興味深いです。
最後は群衆ではなく対話する個人という形で描写されましたが。
集合力は戦艦ポチョムキン、ゴジラマイナスワンでも描かれたように映画の醍醐味ですが、扱いが難しい場合があります。
匿名のマスは悪意に流されるいうのはこの映画の反響が証明してしまいました。
スカーレットでは集合力を断片的ですが上手く描いていたと思います。

参考:
果てしなき伊澤さん


細田守監督、伊澤彩織は「凄まじくカッコいい」 日本アクション界のゴールデンコンビとタッグ|シネマトゥデイ

‪劇場で9回観ました。自分にとっては最高の映画で音楽も素晴らしかったです。自分はビルスマなど古楽派のアプローチが好きな人間です。‬
‪いつか上映会と演奏会のコラボを観てみたいです。‬


東京都渋谷区広尾4-1-22

日本赤十字社医療センター

https://www.med.jrc.or.jp


聖(ひじり)の勤務先という設定


https://x.com/fukuko2025/status/1998318530140200961?s=61













































"The truth about anything in this society, as you know, is too threatening. Gossip is King. It's like 'conscience' is a dirty word. Whatever is truthful haunts you and don't let you sleep at night. Especially anybody who's living a lie gets hurt. You get a lot of ugly reactions from people not familiar with it. A lot of times you don't even bother.…”


《「この社会のことに関する真理は恐しいものだ。 ゴシップが王様だ。 まるで「良心」 という言葉は卑猥な言葉ででもあるかのようだ。 真実であるものは何であれ、人の心に付きまとい、 眠れなくなってしまう。 特にうそっぱちな生き方をしている者たちは、真理を聞かされると傷つくんだ。 そこでいろんな険悪な反応が返ってくるんだ。 多くの場合は少しも気にしないけどね。 …」》

ボブ・ディラン、バイオグラフ旧版ブックレット38頁より

Dylan considered the thought.
"The truth about anything in this society, as you know, is
too threatening. Gossip is King. It's like 'conscience' is a dirty
word. Whatever is truthful haunts you and don't let you sleep at
night. Especially anybody who's living a lie gets hurt. You get a
lot of ugly reactions from people not familiar with it. A lot of
times you don't even bother. Not that I'm an expert or anything
but I've always tried to stick that into my music in some kind of
way or at least not to leave it untouched. The old stuff stayed in
your head long after it was over, you know, even something as
simple as 'to know, knou, know him is to love, love, love him, it
became monumental in some kind of way, now it's just blabber-
ing noise and after you shut it off you've forgotten about it and
you're glad-Some Like It Hot. Oh mercy! Spare me please! These
things are just hooks, fish hooks in the back of your
neck...nothing means anything, people just showing off, danc-
ing to a pack of lies-lotta people gotta be dead first before any-
body takes notice, the same people who praise you when you're
dead, when you were alive they wouldn't give you the time of
day. I like to wonder about some of these people who elevated
John Lennon to such a mega-god as if when he was alive they
were always on his side. I wonder who they think he was singing
to when he sang 'just give me some truth.' Everything is just too
commercial, like a sprawling octopus, too much part of the sys-
tem. Sometimes you feel like you're walking around in that
movie Invasion Of The Body Snatchers and you wonder if it's got
you yet, if you're still one of the few or are you 'them' now. You
never know do you? When people don't get threatened and chal-
lenged, I mean in some kind of way, they don't get confronted,
never have to make decisions, they never take a stand, they never
grow, live their lives in a fishtank, stay in the same old scene for-
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この映画のメッセージは明確だ。本家のハムレットみたいにボケたフリをしてる場合じゃないということ。

だが細田守はタブーを破った。だから批判される
そのタブーはアニメ専門声優を起用していないということなどではない。
新海誠も宮崎駿も神道的価値観を貫いている。だがこの映画で度々言及される「見果てぬ場所」は明らかにユダヤ的だ(実は『君たちはどう生きるか』は旧約聖書的なのだが)。それが日本人には受け入れられない。ただし日ユ同祖論的にはユダヤ教と日本の神道は直結している(例えば禰宜の語源は、王子、統治者を表すヘブライ語 נגיד (nagid、ナギッド)ではないかという説がある)。


とりあえずアニメファンにハムレットの名が刻まれれば良しとするか。

「名前だけでも覚えて帰って下さいね」




ハムレットは馬鹿のふりをして復讐を遂げるが、スカーレットは逆の性格で猪突猛進。オルフェウスの象徴である竪琴を聖(ひじり)は最初は全く弾けない。ここだけ押さえれば恐ろしく面白い映画。教養が必要というよりも人類の叡智への謙虚な姿勢が必要。

チャップリンの独裁者のように、民衆を前に率直に対峙するスカーレット。アニメファンには偏見を捨ててこのシーンを見て欲しい。

勘違いしている人がいるがこれは親から娘へのメッセージだ。

自分の理解を超えるものを排除する風潮は危険だ。この映画はそうした風潮に抗っている。次の世代により良いものを残そうと…

ちなみに殺陣は椿三十郎を想起させるアイデアがいくつかあって秀逸。これは文句なしに楽しめる。

スラムダンクもそうだがアニメ専門の声優を使わないとどうしても反発するアニメファンが多い。シェークスピア俳優を集めたのはこの作品の完成度としては成功しているが。

予告編では物語の舞台を死者の国ではなく狂気の世界と紹介しているようだが、これは秀逸。

何も知らず狂気の世界に入る主人公たちのようにこの映画を楽しめば良い。

多くの人に見てもらいたい。この映画が行き渡ることが世界平和につながるとさえ思う。


とにかくこの映画に対する批判コメントはレベルが低い。外国人の貴族が主人公の物語を日本のアニメ会社の奴隷たちが主人公として描くとは何事かというレベルだ。

アニメファンにはこれを機会にハムレットを読んでもらいたい。
読まなくても楽しめる映画だが、読んだ方が人生が豊かになる。アニメよりも広い世界があるのだ。
またアニメに興味を持たない人にも見て欲しい。
イタリアでは芸術扱いされて、英語圏では極上のエンタメとして楽しまれたようである。
日本では低俗なエンタメとして蔑まされている。
『君たちはどう生きるか』へのアンサーとしてはこれ以上のものはないのに。
ジョージ・ルーカスはスターウォーズを鍋みたいなものと言っている。いろんな要素を入れることの出来る器ということだ。この映画も臨死体験をストーリーの器にして多様なものを入れている。これらは世界情勢に反応した真摯なものと評価出来る。
フラダンスは海洋系の民族にとっての宝のようなものだ。
見果てぬ場所、太陽への眼差し、これらは日ユ同祖論的な渡来人の苦労を彷彿とさせる。
死者の国では飢餓の問題はないようだが、ドラゴンからマナが降ってきたのではという想像も膨らむ。


ハムレットについてはタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。


《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 

 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》


「ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。」という指摘は本作では聖の弓を引くシーンに当てはまる。


さらにタルコフスキー日記における遺稿



《1986年12月15日 パリ(遺稿)

 ハムレット……一日中ベッドのなかだ。身を起こすこともできない。下腹部と背中が痛む。神経も、足を動かすことができない。シュヴァルツェンベルクはこの痛みがどこから来るか分からないでいる。化学療法のせいで昔のリューマチがぶりかえしたのではないかと思う。 腕もひどく痛む。これも一種の神経痛のようだ。結節か何かだろう。身体がひどく弱っている。死ぬのだろうか。まだひとつ可能性がある。治療と私自身を、サルセールの病院でも私を診てくれたあの医者の監視のもとにおくのだ。 ハムレット 腕と背中の痛みがなければ、化学療法で回復したと言えるのだが。しかし今は、何をする力も残っていないそれが問題だ。》

『タルコフスキー日記 殉教録』549頁

1991年7月6日 

著者 アンドレイ・タルコフスキー 訳者 鴻 英良/佐々洋子 株式会社キネマ旬報社



臨死体験はファンタジーとして片付けられるか?高畑勲に聞いてみたい。


最初はスラムダンクの時のようにアニメ専門声優ファンがキャンペーンを張っていたようですが、知識人が右に倣えして酷評し始めました。空気を読むというやつです。こうなると映画の内容は関係ないですね。映画は鏡です。


「嘘っぱちな生き方をしている連中は真実を言われると傷つく。それで陰険な反応が返ってくる」ボブ・ディラン

「つまらない人間がつまらないと言うのは面白いと言うこと」黒澤明


『果てしなきスカーレット』初日鑑賞。争いに満ちた世界へ日本アニメ界からベタな一撃。これは見た方が良い。細かい批判はどうでもいい。アニメファンがハムレットや神曲を読み始めることを期待する。


https://x.com/yojisekimoto/status/1993223781159219313?s=20



https://youtu.be/Ek3gdx9YuoU?si=8Bj_maboFcGkJvTV
スカーレットはプペルもそうだが見た方がいい映画。アニメファンはアニメ専門の声優を使わないとスラムダンクの時のように反発する傾向がある。ハムレットは読んでなくとも楽しめる(出来れば映画を見た後読んで欲しい。)主人公のキャラが正反対だということだけ押さえておけばいい。宮崎駿の『君たちはどう生きるか』が好きなら必見。

https://www.amazon.co.jp/%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%8D%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E3%81%A4%E3%81%B0%E3%81%95%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%B4%B0%E7%94%B0-%E5%AE%88-ebook/dp/B0FVK6PJ2Q/ref=tmm_kin_swatch_0

文庫版にはついていない挿絵があるから読みやすい。内容はほぼ同じでルビと挿絵が加わっている。

文庫版のレビューで書いたが「市場」の章が個人的に興味深い。作者は歴史上の戦争についてよく調べたに違いない。



竜は西欧では退治される対象。日本では龍は神そのもの。

本作は両者の折衷。

人間に剣で刺され続けた龍は復讐の機会を窺い続け、それが成就されたと考えられる。



小説では龍は鳥の集合体だが映画ではそうは見えない。設定を変えたのではないか?


https://x.com/fukuko2025/status/1993860143327379591?s=61

新海誠も宮崎駿も神道的価値観を貫いているが、この映画で度々言及される見果てぬ場所は明らかにユダヤ的だ。それが受け入れられない。ただし日ユ同祖論的にはユダヤ教と日本の神道は直結している。例えば禰宜の語源は、王子、統治者を表すヘブライ語 נגיד (nagid、ナギッド)だという説がある。


聖は渋谷で刺されて死ぬのだからダンスシーンはそれと合わせて解釈すべきでしょう。

自分としては多様なライフスタイルを描写可能にした臨死体験というストーリーの器は評価したいです。

過去の細田作品にこのスケールの大きさはありませんでしたし、他作家のバーチャル空間、世界系作品といってもここまで歴史を包括する作品はありませんでした。

実を言えば核心としては新海誠や宮崎駿が帰依した神道的価値観がないからこの作品は批判されていると思います。

見果てぬ場所はあからさまにユダヤ的です。

(しかし神道は実はユダヤ教に影響を受けているのですがこれはまた別の話です。)

フラにしたって海洋民族の聖典で無関係に見えますが、海洋民族とユダヤは関係します。

声優を使わないことに反発するアニメファンの先導に誤魔化されてはいけません。『スラムダンク』も『君たちはどう生きるか』(これは実は旧約聖書的だが)も今では評価は落ち着いてきています。この作品もきっとそうなるでしょう。

言いたくはないですがこの作品は鏡です。この作品を酷評するyoutuberは自らの教養のなさをさらけ出しているだけです。

ハムレットに関してはタルコフスキー 『映像のポエジア』を読んで欲しい。

映画系youtuberはみんなアクセス数を稼げるジャンル映画をおもちゃにしすぎてどうかしてしまった。


クリシェを批判するというクリシェ。

細田守は一歩づつ階段を上がっているのに観客側がそれに気づいていない。


https://x.com/fukuko2025/status/1993860916996395254?s=61


ハムレットは馬鹿のふりをして復讐を遂げるが、スカーレットは逆の性格で猪突猛進。

オルフェウスの象徴である竪琴(映画ではリュート)を聖(ひじり)は最初は全く弾けない。

神曲ではダンテの相棒は経験豊富だが本作では心許ない。

これだけ押さえておけばいい。



細田守は一歩づつ階段を上がっているのに観客側がそれに気づいていない。

ハムレットについてはタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。


《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 

 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》

ハムレットは豪華なソ連版(Hamlet - Grigori Kozintsev - Innokenty Smoktunovsky - 1964 -Multiple Sub…)がyoutubeで視聴可能。自分のオススメは低予算のイーサン・ホーク版ハムレット。黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』も巌窟王というよりハムレットでそう思ってみると見方が変わります。


これはジェンダーについて意識的な知識人にも刺さる言葉です。

Hamlet - Grigori Kozintsev - Innokenty Smoktunovsky - 1964 - Multiple Su...

https://youtu.be/OzN1isLYc_A?si=Tr9PJ3B5aa5jj5WL


Hamlet (2000) - Ophelia's Funeral


https://youtu.be/0UwyhqmI4aw?si=zsiStCF4GtgnarG9


墓掘り人が見張り塔からずっとを歌っている

Hamlet 2000 Ethan Green Hawke


https://youtube.com/playlist?list=PLZbXA4lyCtqrKybzWtvPBgfTMQrMm42hR&si=C4O7Wh6OYxkG6xeU


Hamlet (2000) - "Get thee to a nunnery"


https://youtu.be/5FXNIAHkq8g?si=1pnauutahTF6DjOq


Hamlet (6/11) Movie CLIP - To Be or Not To Be (2000) HD


https://youtu.be/1Up-oGfiosE?si=gEN1NxYea6tOc-8X


Hamlet (8/11) Movie CLIP - The Mousetrap (2000) HD

https://youtu.be/oBfLI1WWrAI?si=gZvcCYuHxrysVSRj


11/11

https://youtu.be/0XjLzDVi03c?si=diGid8sqYL6XnJec


https://x.com/fukuko2025/status/1992187398445572435?s=61



目次 

1プロローグ     


『──ここは、生も死も混じり合う場所。対立するものではない。時もまたしかり。ここでは過去も未来も、常に溶け合っている──』  老婆のしわがれた声が、虚空に響き渡った。



2エルシノア城  


「敵対より友好と信頼を。わたくしは父さまの望む王女になります」  と父の目をまっすぐ見つめた。揺るぎない心からの敬愛を込めて。  アムレットは苦笑した。 「王女の前に君はひとりの女の子だ。気にせずのびのび生きなさい」  彼女は「できた」と言って、嬉しそうに描いた紙を見せた。そこには、幼い筆致でいくぶん歪んだアムレットの顔が描かれていた。  彼は絵を見て、 「アハハ。いい男だ。嬉しい」  と、心から楽しそうに笑った。





 アムレットが王女に気がつくと、それまで冷静だった表情が瞬時に崩れた。娘を見上げて、眉を顰め悲痛な表情で何かを叫んだ。 「……○○○……」  しかし言葉は、人々の騒然とした声にかき消され、聞こえない。



3復讐 



「自分だけは毒を盛られないと思うお前は、赤ん坊でなくて何だ?」  クローディアスは完全に覚醒しており、酔った様子は微塵も見られなかった。  傍らのガートルードが、哀れな子供よ、お前に王位など相応しくない、と嗤っている。  スカーレットは悔しさで涙をぽろぽろ流しながら、怒りと屈辱に震えた。 「許さない……」  全身が経験したことのない痛みに包まれる。それでも歯を食いしばってクローディアスを見た。 「絶対に……許さない」  クローディアスはその言葉を嘲るように笑いながら背を向け、大広間から立ち去っていった。  慌てて駆けつける侍女たちの声が聞こえる。 「……王女様? 王女様……?」  視界がぼやけ、深い井戸の中へ落ちていくように、意識が遠のいていく。 「王女様!?……王女様……!?」


4死者の国  

  ──そう、私は死んだ──。  暗闇が、心の声を静かに吞み込んだ。  スカーレットの汚れなき白い顔が驚愕に引き攣り、現実を受け入れられない瞳は見開かれていた。純白のドレスを纏ったまま、ゆっくりと落下してゆく。  ──憎き仇への復讐に失敗して、死んだ──。  生の領域から足を踏み外し、ゆっくりと深淵へと堕ちていく。  血と泥の上へと着地した。  が、泥のように思えたものは、様々な時代の戦士たちの無数の遺体だった。古代ローマの軍団兵、遊牧民の騎馬兵、中世の騎士、中東の戦士……。赤黒い液体の中から次々と浮かび上がる。彼らの顔には恐怖や痛みの表情が刻まれ、この地が全ての戦いの終着点であることを如実に物語っていた。  スカーレットの純白のドレスが、どす黒い血に染まっていく。髪は泥で汚れ、顔にも血が飛び散っている。恐怖で青ざめた唇で、荒い息を繰り返していた。震える手で体を支え、よろめきながらも立ち上がろうとした。  そのとき、突如として戦士の遺体が動き出し、スカーレットの髪を摑んだ。 「!?」  朽ちかけた手が次々と伸びて、彼女のドレスを摑む。驚愕の声を上げる間もなく、遺体の山の中へと引きずり込まれる。必死に抵抗を試みるが、多くの手に捕らわれ、身動きが取れず、血と泥の中へと埋もれていく。 「ハアッ……ハアッ……」  荒い息遣いの中で、スカーレットの瞳から涙が溢れ出す。恐怖ではなく、悔しさの涙だった。震える唇を血が滲むほど嚙みしめた。どうしてこんなことになったのか?  生きた者の足音が届かぬ孤独の中、ポツリとつぶやいた。 「ここが死んだ後の世界なら、父さんと再会できるかな……」  せめてもの気持ちだった。



 その声を聞きつけ、遠くから老婆の嗄れた嘲笑が風に乗って届いた。 「ヒヒヒ。人間とは愚かなものよ。もう既に死んでおるというのに、まだ死にたくないと願っておる」  と、崖の上から見物するように見下ろしている。


5聖    


「俺は看護師です」  彼──聖は胸に手を当て、簡潔に答えた。  看護師──。彼女にとっては初めて聞く単語だ。 「僧侶なら寺へ行け」  

  見回すと、自然にできた岩のアーチが目に留まった。そこに刻まれたイタリア語の落書きを見つける。 『Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate(cancello dell'inferno)/この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ(地獄の門)』 「地獄? 地獄だって? 笑う」


https://x.com/studio_chizu/status/1990706550579642514?s=61



  𝟎𝟔 | 古戦場跡


スカーレットと聖が出会う

<死者の国>にある場所。


"この地獄の門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ"

という文字が彫ってある。



6砂漠   


力任せに摑んで耳元で怒鳴りつけた。 「現実を受け入れろ! 目の前を見ろ、いい子ちゃん!」






「職場でよく言われた。看護師だったら、人が死ぬのに慣れていかないと仕事にならない。いちいち悲しんでいたらキリがないって。でも、死ぬのに慣れて心が麻痺したら、きっと別の何かを失う」



愛について教えてよ  誰もが知っている奇跡  この胸を満たして  愛のすべてを教えて  私が生きる意味を  心を無くしてしまう前に  歌は、病院の外の、渋谷の街並みにも届いた。宮益坂のいつもと変わらない日常。街路樹に差し込む夏の眩しい光──。



 聖は、焚き火を見つめながら呟いた。 「何のために人は生きる? 人生は何のためにある? いつかわかる時が来るのか?」 「そんなもの、生きているうちに考えておけ。今更もう遅い」




7年寄りたち 


「……どんな手を使ったんだ?」 「手なんてない。みんなの今までの頑張りを、ゆっくり聞かせてもらっただけだ」


8遺跡にて 


「私には……何も聞こえなかった!」 「では知りたくはないか? 俺が伝えなければ、あんたは決して王の最期の言葉を知ることはできない」  ヴォルティマンドは、脂汗を浮かべながら、選択を迫るように問いかける。



 視界を覆い尽くす古代と中世の、アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパなど、様々な戦士たちが、狂おしいほどの思いで手を伸ばしている。  クローディアス王は両手を広げ、戦士たちに応えた。分厚い鎧に身を包んだたくましい姿は、全世界の運命を掌中に収めているかのように見えた。 「我と共に戦う者は、ひとり残らず見果てぬ場所へ迎え入れる」  戦士たちは歓喜の涙を流し、武器を天高く掲げて絶叫した。




9許せ 


「俺の意見だが──。言ってもいいか?」  彼は確認するように見る。 「……なんだ?」 「『憎き叔父、クローディアスを、許せ』」  それを聞いて、スカーレットは怒りを隠すことなくヴォルティマンドを睨みつけ、拳を固く握りしめた。 「……なぜ? なぜだ? 叔父は父を殺し、国を、民を、故郷を、何もかもを奪った。そんな悪逆非道な男を許せる訳がない」 「その悪逆非道な男を、許せ、と、俺は解釈した」 「絶対に無理だ」  スカーレットは激しく首を振る。 「俺もそう思う。聖人だとしてもできない」 「なら、どうして」 「だが近くでその言葉を聞いた俺は、なぜかそうとしか思えない。そこには何か、王の真意のようなものを感じた」


軽快な膝上丈のシンプルな紺のワンピース。薄桃色の軽やかなショートボブの髪。ノースリーブの腕を広げ、生き生きと踊っていた。  その女性の顔を見て、スカーレットは、自分の目を疑った。 「あれは、私……?」  その女性は、スカーレット自身だった。  聖の時代に生きて、聖の時代の服を身にまとい、聖の時代の音楽に合わせて踊る、もうひとりの自分がいた。素肌の腕と足を大胆に放り出し、ワンピースの裾をふわりと広げてしなやかに回転している。この世界のありとあらゆる喜びを享受して、キラキラと輝いているように見えた。 「もうひとりの……私……」  スカーレットは呆然としたまま、自分自身を見つめ続けた。  再び、あの歌が聞こえてきた。


https://youtu.be/vOPY3hEYM4Y?si=f4Tazn4EQFOCH4Uh








 唇を震わせ、子供のような無防備さで、聖の院外医療用の制服の裾を、ぎゅっと摑んだ。  そんな彼女の切実さが、聖の胸を打った。 「スカーレット。泣くな。俺がそばにいる。だから、もう泣くな」  そう聖が言ってくれて、スカーレットは心の底から救われた気がした。彼女は、求めるままに聖の頭に両手を回した。その温もりが、自分の存在を繫ぎとめる錨のように感じられた。聖も、彼女に応えるように抱き寄せた。湿った肌と肌が、初めて触れ合った。聖に抱かれて、スカーレットはいままでにはなかった新たな経験を得た。






10市場    


 人々は、代金を支払って望みのものを手に入れる。利用する人々の数だけ、時代も地域も異なる多くの種類の通貨も存在した。だがここではそれぞれの貨幣の絶対的価値が不思議と決まっているらしく、両替を介さず取引できた。時代も地域も異なる多くの言語が、ここでは不思議と翻訳なしに話せるのに似ていた。


聖は躊躇した。リュート弾きの女性にもらった物だ。しかし、この弓籠手は今後の戦いに不可欠かもしれない。 「必ずや、ふさわしい持ち主の許へと届けよう」



だが少女は、憧れるような眼差しで言った。 「もしわたしがお姫様だったら、したいことがあるの」 「……なに?」 「わたしたちみたいな子供が、死なない世界にする」


11戦い 


「見果てぬ場所への階段が……、ない……」


12見果てぬ場所 


 左右に逃げ場はない。左からの横一文字で斬りつけてくる剣を、咄嗟に彼女は体をうしろに反らせ、ぎりぎりのところで躱した。しかし間髪を容れずポローニアスが、仰向けになった王女に覆いかぶさってくる。彼女は反射的に両手で押し返すも、顔前に剣を突きつけられてしまう。  風が鳴る。戦いのせいで散らしたたくさんの粉雪が、宙を舞う。 「うううう……」






「ここまできたなら復讐を果たせ」  コーネリウスが、王女へ低く付け加えた。


 空の海を見上げると、光が水面越しに静かにたゆたっている。 「……」  口から小さな驚きの声が漏れた。光は祝福するように優しく輝いた。それは希望の光であり、未知への入り口のように思えた。瞬きもせず、じっと光を見つめた。  胸の中は興奮と不思議な多幸感で満ちていた。これまでの人生で経験してきた全てのものが、今この瞬間、あまりにも小さく感じられた。復讐心も、憎しみも、恐れも、全てが遠い記憶のように感じられてしまう。  空の海の先には何が待っているのだろう? きっと想像を絶する光景なのではないか。現実とも幻想とも区別がつかない、まったく新しい世界なのではないか。  彼女の体が宙に浮かび、眩しい輝きの中へと溶け込んでいった。




13クローディアス 


スカーレットは、はっとして目を見開いた。 「自分を……」  唇から、かすかな言葉が漏れた。 『許せ』  父の声が、深い記憶の底から響いた。  彼女はもう一度、声にならない声でその言葉を繰り返した。 「自分を……」 『許せ』  再び父の声が、胸の奥に静かに響いた。  彼女は空を仰ぎ見て、自分自身の唇で呟いた。 「自分を……、許せ……」  まるで長い闇の旅路の果てに、突如として光明を見出したかのように。  雷が鳴る。

 閃光がクローディアスを再度直撃し、火花が四方八方に飛び散った。 「あああああああああ」  雲の向こうで、ドラゴンの影が、ひとつの巨大な塊から細かい粒に分割されていく。ひとつひとつの粒が羽ばたいているように見える。  鳥だ。鳥の群れだ。  ドラゴンの影のように見えていたものは、無数の鳥の集合体であった。この死者の国において、ドラゴンとは一体何なのか、それが放つ雷とは何なのか、誰にもわからない。だが、この世を司るたったひとつの絶対の存在、というわけでは必ずしもなさそうだった。


14生と死 


「……ええ。それは彼のことです。最初から言っていました。自分は死んでいないって。何かの間違いでここに来たんだって。だから──」  聖は彼女の言葉を遮った。 「違う。俺じゃない」 「え?」 「それは君だ。スカーレット」

 胸の中の心臓が鼓動に合わせて光を放っている。ドクッ、ドクッ、と心臓が脈打つ力強い律動を手のひらに感じた。彼女がまだ生きていることを、はっきりと証明するように。彼女は戸惑い、混乱し、思わず胸を手で隠した。聖に背を向け、手のひらで顔を覆って俯いた。自分の鼓動を聖に見られたくなかった。 「生きるべき(to be)じゃない……。復讐に取り憑かれていた私が死ぬべき(not to be)なんだ……」  死ぬべき、という言葉が、胸の鼓動を見るからに弱らせた。光が徐々に萎んでいく。聖より自分なんかが生きる価値が少しでもあるだろうか、と自らの心臓に問う。聖の命が消えゆく運命と現実を、彼女はどうしても受け入れることができない。

「死ぬとは? 生きるとは? そして──、愛とは?」


15帰還


 エルシノア城の教会は、荘厳な静けさに包まれていた。  巨大なステンドグラスから差し込む光が、赤や青、金色の光となって大理石の床に描かれた紋章を浮かび上がらせている。  スカーレット王女は、戴冠式用の衣装に身を包み、ゆっくりと歩みを進めながら、教会の奥にある祭壇へと向かっていた。大司教が王女の前に立った。デンマークの慣習に従い、スカーレットは聖油を両肩の間と腕に塗油された。大司教の手には、デンマーク王国の歴代の君主が戴いてきた王冠が輝いている。王女は軽く頷き、息を整える。 「新しい女王に神のご加護を」  大司教は厳かな声で宣言し、ゆっくりと王冠を頭に載せた。王女は、その重みを感じながら背筋を伸ばした。  貴族、諸侯、家臣たちが一斉に跪き、声を揃えた。 「新しい女王に栄光あれ」  エルシノア城の鐘が鳴り響いた。  鐘の音は遠く離れた村々にも届き、国中に新しい時代の訪れを告げた。




「みなさん」  彼女の力強い声が、広場全体に響き渡る。 「もしわたくしをこれからの国の責任を担う者として選んでくださるなら、みなさんの幸せのため、最善を尽くし奉仕します」  人々は驚きのあまり目を見開いて彼女を見た。 「隣国とは友好と信頼を。子供は絶対死なせない。たとえ苦しみながらでも、もがきながらでも、もう争わないで済む道を諦めずに探すことを約束します」  彼女は、誠実なまなざしで人々を見つめ、訴えた。言葉のひとつひとつに、過去の旅路で得たねばり強さが漲っていた。  人々は息を吞んで、彼女の声に聞き入った。 「これまで争いがなくなるように願って亡くなった、全ての人々のために。これから幸せを願い生まれてくる、全ての人々のために」  言い終えると、彼女の言葉の重みを受け止めるような沈黙が広場に漂った。  最初に声を上げた女性が、声を震わせながらその沈黙を破る。 「ほんとうに、争いがなくなる世界がやってきますか?」  と胸に手をあてて、切実そうに問いかけた。 「……はい」  とスカーレットは、真っ直ぐに女性を見つめた。「あなたが賛同して、協力してくれたら」













①ハムレットは馬鹿のふりをして復讐を遂げるが、スカーレットは逆の性格で猪突猛進。
②オルフェウスの象徴である竪琴(映画ではリュート)を聖(ひじり)は最初は全く弾けない。
③神曲ではダンテの相棒は経験豊富だが本作では心許ない。
これだけ押さえておけばいい。
ハムレットについてはタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になる。

《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 
 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》

ハムレットは豪華なソ連版(Hamlet - Grigori Kozintsev - Innokenty Smoktunovsky - 1964 -Multiple Sub…)がyoutubeで視聴可能。自分のオススメは低予算のイーサン・ホーク版ハムレット。黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』も巌窟王というよりハムレットでそう思ってみると見方が変わります。

とりあえずアニメファンにハムレットの名が刻まれれば良しとするべきでしょうか。
「名前だけでも覚えて帰って下さいね」


ハムレットは豪華なソ連版(Hamlet - Grigori Kozintsev - Innokenty Smoktunovsky - 1964 -Multiple Sub…)がyoutubeで視聴可能。自分のオススメは低予算のイーサン・ホーク版ハムレット。黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』も巌窟王というよりハムレットでそう思ってみると見方が変わります。

とりあえずアニメファンにハムレットの名が刻まれれば良しとするべきでしょうか。
「名前だけでも覚えて帰って下さいね」


Hamlet (Ethan Hawke  2000) - Ophelia's Funeral 
https://youtu.be/0UwyhqmI4aw?t=50s

Gravedigger sings ALL ALONG THE WATCHTOWER.

http://hyperion2satyr.blogspot.com/2014/05/vi-gravedigger-scene-hamlet-2000.html
 A gravedigger "with no feeling of his business" sings Bob Dylan's All Along the Watchtower. 


この映画のメッセージは明確です。本家のハムレットみたいにボケたフリをしてる場合じゃないということ。ハムレットについてはタルコフスキー 『映像のポエジア』が参考になります。

《…私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである。 
 このような観点から私にとって興味深いのは、シェイクスピアの『ハムレット』である。『ハムレット』を私は、いずれ、映画にしたいと思っている。このもっとも偉大な劇のなかには、最高度の精神的レベルにありながら、同時に低劣で汚れた現実との相互関係のなかに入っていくことを余儀無くされた人間についての、永遠の問題が考察されている。これは、もし未来の人間が自分の過去のなかで生きることを余儀無くされたとするならばどうなるか、というような問題を抱えている。ハムレットの悲劇も、私の考えによれば、ハムレットが破滅するということのなかにではなく、ハムレットが死を前にして自分の精神的欲求を放棄し、普通の殺人者にならなければならないということのなかにある。このような変節のあとでは、死は彼にとって至福の出口と言えるのである。あのように決闘で死ななかったならば、ハムレットは自殺することで自分の生命を絶たなければならなかっただろう。》

ハムレットは豪華なソ連版(Hamlet - Grigori Kozintsev - Innokenty Smoktunovsky - 1964 -Multiple Sub…)がyoutubeで視聴可能。自分のオススメは低予算のイーサン・ホーク版ハムレット。黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』も巌窟王というよりハムレットでそう思ってみると見方が変わります。

とりあえずアニメファンにハムレットの名が刻まれれば良しとするべきでしょうか。
「名前だけでも覚えて帰って下さいね」


これはジェンダーについて意識的な知識人にも当てはまる言葉です。


1986年12月15日

十二月十五日 パリ(遺稿)

 ハムレット……一日中ベッドのなかだ。身を起こすこともできない。下腹部と背中が痛む。神経も、足を動かすことができない。シュヴァルツェンベルクはこの痛みがどこから来るか分からないでいる。化学療法のせいで昔のリューマチがぶりかえしたのではないかと思う。 腕もひどく痛む。これも一種の神経痛のようだ。結節か何かだろう。身体がひどく弱っている。死ぬのだろうか。まだひとつ可能性がある。治療と私自身を、サルセールの病院でも私を診てくれたあの医者の監視のもとにおくのだ。 ハムレット 腕と背中の痛みがなければ、化学療法で回復したと言えるのだが。しかし今は、何をする力も残っていないそれが問題だ。


549


タルコフスキー日記殉教録

ⓒ 1991 Printed in Japan

1991年7月6日 初版発行

著者 アンドレイ・タルコフスキー

訳者 鴻 英良/佐々洋子

装幀 友成 修

(ドイツ語翻訳 飯沼隆一)

発行所 株式会社キネマ旬報社


‪アニメ専門声優を起用しないとアンチキャンペーンが始まるんですよ。‬

‪『スラムダンク』でも『君たちはどう生きるか』もそうでした。それで映画の内容に関する議論が出来なくなる。『果てしなきスカーレット』という傑作にインスピレーションを与えた『ハムレット』の名前だけでも覚えておいて欲しい。‬





ボブ・ディランバイオグラフ旧版ブックレット97頁

しばらく前にすべてを納得したので、今はどっちの方向にだって行けるんだ。ぼくのいかなる歌の中にも、ぼくが大きくて不思議な虹の端にある失われた黄金を探しているなんてことを示唆しているところはどこにもない。プロパガンダ、それだけだ。ぼくが内側をのぞき込んでいるアウトサイダーだなんて考えたこともない。ぼくの行動はすべて内側から外に向けられているんだ。ぼくと同じ経験をしたことのない者たちにとってのみぼくは神秘なんだ。ぼくの歌を言葉で表現することはできない。
告白的な歌は書かない。感情というものとそれとは関係がない。ただそう見えるだけだ。ローレンス・オリヴィエがハムレットだと思われているのと同じようにね。そんな感じの歌を昔書いたことがあったが、あまりいい出来ではなかった。それを録音したのは間違っていた。後悔している。3枚目か4枚目のアルバムに入っている。


ボブ・ディランバイオグラフ旧版ブックレット97頁

Fools, they limit you to their own unimaginative mentality. They never stop
to think that somebody has been exposed to experiences that they haven't
been...anyway it's not even the experience that counts, it's the attitude
toward the experience. There is so much misunderstanding by people who
are caught up in their own little worlds laid on you...contrary to what some
so-called experts believe, I don't constantly 're-invent' myself-I was there
from the beginning. 

I'm also not any seeker or a searcher of God knows what, had it all together awhile back and can go any kind of way. There's nothing in any of my songs to ever imply that I'm even halfway searching for some lost gold at the end of any great mysterious rainbow-propaganda, that's all that is...never have considered myself as an outsider looking in, everything I do is done from the inside out, you know, I'm a mystery only to those who haven't felt the same things I have...you can't take my stuff and verbalize it, like 
I don't write confessional songs. Emotion's got nothing to do with it. It only seems so, like it seems that Laurence Olivier is Hamlet...well, actually I did write one once and it wasn't very good-it was a mistake to record it and I regret it...back there somewhere on maybe my third or fourth album."
同64頁


ボブ・ディランバイオグラフ旧版ブックレット

92~4頁


エヴリィ・グレイン・オブ・サンド

EVERY GRAIN OF SAND

1981年5月、ロサンゼルスで録音。


 ディランは言う。「この歌は霊感を受けてできた歌だ。少しも困難なことはなかった。どこからかやってくる言葉を紙に写しているような感じだった。 とにかく最後まで写したんだ。 クライディーが一緒に歌っている。 1回で録音したと思う。 クライディーは最高の歌手だ。 彼女が息をするのを聞くだけで背筋がぞくぞくする。声の質に特色がある。 深くて、 ソウルフルで、タフであると同時にとても繊細なんだ。彼女は電話帳を歌っても、聞く者を感動させることができる歌手だ。 この歌の最初の2行を初めて聞いただけで、とにかく彼女が言ったんだ。この歌はクラシックになるってね。100年たったらわかるだろう。 この歌は、時代の流れに遅れまいとするようなことは超越しているんだ。 時代に遅れまいとしたり、80年代の詩人であるとか、90年代のロックンローラーであるというようなこととは一切関係がない。 罠にはまってはいけない・・・・・・あらゆることを学び、必要な時に呼び出せればいい。 古いやり方が、今でも一番役に立ち、窮地から脱することを可能にしてくれる。今はすべてのものが歪んでいる時代ですべてのサインは間違った方向を指している。 バベルの塔の時代に住んでいるかのようだ。あらゆる言語が混乱している。我々は金星に向けて塔を建てている。 一体それはどこにあるんだい。 何をそこで見い出すことができるだろう。 聖書には「愚か者でも口を閉じている時は、賢く見える」と書かれている。 聖書の言葉なんて言うと、すぐにそっぽを向いてしまう人がいる。なにか宗教的なものに対しては、 人は面と向かわないで、関係ないよと言わんばかりの顔をする。 「悔い改めよ。 天国は近づけり」というような言葉を聞くと、人は脅えてしまう。そんなことは避けて通りたいんだ。 誰かにその言葉を言ってごらん。 彼の敵になってしまう。 だけど、 事実に直面しなければならない時が来るし、 信じたくても、 信じたくなくても真理は真理であるという時が必ず来る。 人間の側で、真理にしたりしなかったりすることはできない。


人は誰も自分の真理を心に持っているという偽りが、多くの害をもたらし、人々を狂わせたんだ。自分の敵を征服するためには、まず最初に自ら悔 い改め、ひざまづき、あわれみを乞わねばならないということを聞いたことがあるかい。 ウェスト・ポイントではそのことを教えるかな。 神は傲慢な態度を嫌うんだ。現在の状況は、とても混乱している。人々は自分が誰であるかわからないように仮面をつけて、仮装して歩き回っている。このことだけは言えるーー誰かに自分の夢や希望を話す時は、その人が兄弟のように愛してくれているということだけは確かめておいた方がいいということだ。さもなくば、その夢や希望は、恐らく実現することはないだろう。生きのびるためには、少々迷信深いことも必要だ。 人はアメリカの新しいイメージについて語りたがるが、ぼくにとっては昔ながらのアメリカだ――マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、マリリン・モンローであっコンピューター、コカイン、デイヴィッド・レターマンじゃない。そういうものからは逃げ出さなければいけない。 ヘディ・ラマー、ドロシー・サンドリッジ、それがぼくのアメリカのイメージだ。 そして一体、誰がアメリカのイメージをよくしただろうか。 ある架空のくだらん兵隊が、空想上の外国で10万人の人間を殺すことだってありえる。でもそれは幻想にすぎず、長く続きはしない。人はもし選択することができるならば、今でもレット・バトラーになりたいと思うだろう。90年代には、あるいは21世紀には、人々は80年代はマスターベイションの時代であったと考えるだろう。しかもそれが極限まで押し進められた時代であったと考えるだろう。とにかく、どこを見てもそのような状態ばかりだ。 だからぼくはぼくの価値観を聖書の言葉に基づいて置きたいんだつまり変化することのないものの一部でありたいんだ。実際それはそれほど大変なことではない。 人は今でも、愛し憎しみ、 結婚し子供を産み、 心の中の欲望に隷属し、互いの顔面を張りたおしたり、あなた電気を消してくれない、 と言ったりしている。古代ギリシャの時代と全く何も変っていないんだ。何も変わっていない。 アブラハムが父親の偶像をこわしたのはいつのことなのか。 先週の火曜日だ。神は今でも審判者であり、 悪魔が今でも世界を支配している。 何も変化したものはない。 自分が重要人物だと考えているうちに、歴史は過ぎて行ってしまう。 まるで牧師のようなしゃべり方だね。世に出ようとしているソング・ライターやシンガ

一に言いたいのだが、今流行しているものはすべて無視し、忘れるようにした方がいい。 ジョン・キーツやメルヴィルを読んだり、ロバート・ジョンソンやウディ・ガスリーを聞いた方がよっぽどいい。 映画についても同じことが言える。 沢山の映画を見たが、心に残っているのはどんな映画だろう『シェーン』、『赤い河』、 『波止場』、『フリークス』、それにもう二、三本だけだ。 先日、 映画を見たが、終ったとたん、 その映画について何も思い出すことができなかった。 見ている時はとても重要なものに思えたんだが」





57~9頁に原語英文


2 EVERY GRAIN OF SAND

Recorded in Los Angeles 5/81

(SHOT OF LOVE-8/12/81)

"That was an inspired song that came to me," said Dylan. "It wasn't

really too difficult. I felt like I was just putting words down that were coming

from somewhere else, and I just stuck it out. Clydie sings this with me, I

think it's a first-take thing. Clydie's one of the great singers ever, I get chills

when I hear her just breathe, something about the texture of her voice so

deep and so soulful, so tough and sensitive at the same time. She's one of


them singers that could like sing the telephone book and it would just put a

bolt through you. Anyway, she said that this would be a classic when she

a hundred years. About the song,

heard the first two lines. Maybe I'll know in

you have to get past the keeping-up-with-the-times stuff. It's not about

keeping up with the times, being a poet for the eighties, rock 'n' roller for the

nineties, you don't want to get trapped...you have to learn about it all and

call it up when you need it. The old trades are still the most useful, can get

you out of a jam. Everything is crooked now and the signs all point you the

wrong way-it's like we're living at the time of the Tower of Babel, all our

tongues are confused. We're building a tower to Venus. Where the hell is

that? What are we going to find there? God? The Bible says 'Even a fool when

he keeps his mouth shut is counted wise, but it comes from the Bible, so it

can be cast off as being too quote religious. Make something religious and

people don't have to deal with it, they can say it's irrelevant. 'Repent, the

Kingdom of God is at hand! That scares the shit out of people. They'd like to

avoid that. Tell that to someone and you become their enemy. There does

come a time, though, when you have to face facts and the truth is true

whether you wanna believe it or not, it doesn't need you to make it

true...That lie about everybody having their own truth inside of them has

done a lot of damage and made people crazy. Did you ever hear that to

conquer your enemy, you must repent first, fall down on your knees and beg

for mercy? Does West Point teach that? I don't know, I do know that God

hates a proud look. It's a messy situation. People are just out parading

around in disguises, wearing faces that don't let you know what they

think...I'll tell you this much-when you tell somebody your dreams and


hopes you better make sure they love you like a brother or your dreams and

hopes probably won't come true... You got to be somewhat superstitious to

survive. People like to talk about the new image of America but to me it's still

the old one-Marlon Brando, James Dean, Marilyn Monroe, it's not

computers, cocaine and David Letterman, we gotta get off that-Hedy

Lamarr, Dorothy Dandridge, that's my idea of America..... and who's

improved on it? Some phoney imaginary soldier can kill a hundred thousand

people in a foreign country of his own mind but it's a fantasy and it doesn't

stick-people, if they had a choice, would still want to be Rhett Butler. Maybe

in the '90's or possibly in the next century people will look upon the '80's as

the age of masturbation, when it was taken to the limit, that might be all

that's going on right now in a big way...I like to keep my values scripturally

straight though-I like to stay a part of that stuff that don't change. Actually

it's not that difficult-people still love and they hate, they still marry and have

children, still slaves in their minds to their desires, still slap each other in the

face, and say 'honey can you turn off the light' just like in ancient Greece.

What's changed? When did Abraham break his father's idols? I think it was

last Tuesday. God is still the judge and the devil still rules the world so what's

different? No matter how big you think you are history is gonna roll over you.

Sound like a preacher don't I? To the aspiring songwriter and singer I say

disregard all the current stuff, forget it, you're better off, read John Keats,

Melville, listen to Robert Johnson and Woody Guthrie. Movies too, I've seen

hundreds of them, how many of them stay with you? Shane, Red River, On

The Waterfront, Freaks? Maybe a handful of others...I just saw one the other

night, as soon as it was over, I couldn't remember a thing about it. Seemed

real important at the time though."


映画のポエジア#5

 この考察の初めで、性格像と呼ばれるものを、われわれは視野から意図的に排除してきた。この文脈でこの問題を話題にすることは意味のあることだと思う。たとえばバシマーチキンやオネーギンを挙げてみよう。彼らは芸術的典型として、みずからのうちに、彼らを登場させることになった社会的法則性を蓄積している。これが彼らのひとつの側面である。ところがもう一方で彼らは全人類的なモチーフを内包している。実際、文学の登場人物が典型的であるのは、彼らのなじみの現象、それはある一般的法則性の帰結なのだが、その現象の全体を彼らが表現しているときなのだ。だから典型としては、バシマーチキンやオネーギンに似た人はたくさんいる。典型に関してはそうである! 確かにそうなのだ! しかし芸術的イメージに関しては、彼らはまったくユニークな、反復不可能な存在なのだ。彼らは芸術家によってきわめて具体的にされ、異常なほど大きく増幅されている。また彼らは、作家のまなざしをきわめて豊かにそのうちに抱え込んでいるので、オネーギンは、本当に、この人は、まるでぼくの隣人みたいだと言えるほどだ。あるいは、歴史的、社会的パラメーターのなかで決定されているラスコーリニコフのニヒリズムも、もちろん典型的だ。しかし彼のニヒリズムは、同時に、私的で個人的なイメージのパラメーターのなかで決定されたもので、やはり反復不可能なものだ。ハムレットも疑いもなくやはり典型的である。しかし乱暴な言い方をさせてもらえば、「あなたはどこかでハムレットとかいう人に出会いました、え!?……」というわけなのである。
  ここで、逆説的な状況が起こってくる。つまり、性格=イメージは典型的なもののもっとも完全な表現だけれども、イメージが典型的なものをより完全に表現しようとするときに、それ自体はより個人的な、よりユニークなものになるということだ。なんと幻想的なものだろうか、イメージというのは! ある意味で、イメージは人生そのものよりも遥かに豊かなものなのだ。おそらくそれは絶対的真理の理念を表現しているからだろう。


サクリファイス
言葉言葉言葉
(hamlet2:2)


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