2017年5月9日に日本でレビュー済み
だって、「空想より科学へ (岩波文庫 白 128-7)」なんでしょ、ウィリアム・モリス「ユートピアだより (岩波文庫)」なんて一刀両断だったでしょ?
そうやって生ぬるい系の社会主義者たちを屠ってきたはずのマルクス主義の末裔が、ユートピアなんていまさら何の冗談?と思ったわけです。
種明かしは解説でなされていました。
『ブロッホは(中略)プロレタリアが、社会変革と人間解放の主体になることを認める。プロレタリアの階級的利害と共産主義の道徳的純粋性とが結びつくことによって、真の「御国」としての社会主義の実現が可能になる。しかしブロッホによれば、ブルジョワの俗流唯物論を受け継いだ無神論にもとづいて築かれた社会主義には、人間の魂の問題は存在する余地がなく、したがって物質的な次元での平等にのみ固執している社会主義は真の「御国」になりえないと考える。キリスト教に限らずすべての宗教の根源にある願望、すなわち「世直しのあらゆる運動と目標のなかで、自己を神のような本質的存在にならしめ、最終的に自己をして千年王国的に、慈悲、自由、目標の光の国に住まわせために、生に活動の余地を与えよう」と言う願望は、この社会主義の中でこそ生かされなければならない。そのため「マルクスを上方の空間に照準し直すと言う義務」が生じてくる。それは、言い換えれば「あまりにも窮屈に押さえられた社会構築作業を再びヴァイトリングやマーダーやトルストイのユートピア的に卓越した愛の世界に、ドストエフスキーの人間模様の新しい力強さに、異端視のキリスト祭殿主義の中に持ち込むことを意味する」と言うのだ。』p.412-413
即物的な平等主義の世界はつまんないので、幸せになれるようにちょっと夢見心地でいこうよ。
と言い換えると、超訳しすぎでしょうか。
でもこんなこと公言してはマルクス主義者としては、自由すぎますよね。
(戦後、東ドイツライプツィヒ大学で哲学教授になったものの、居心地が悪くなって西ドイツに移住することになったみたいですね)
「もはや意識されないもの」「まだ意識されないもの」というブロッホの代名詞のような概念には、パラメータとしての時間が封入されています。
とっても目新しさを感じたけれど、これは「希望の原理 第一巻 (白水iクラシックス)」の柄谷行人氏による解説で、カント、ヘーゲル、マルクスにおける時間的な視点の与えられ方とともに明らかにされるところです。
もうほんとに目からウロコです。
そうかあ、ここでこういう風に時間を使ってくるかあ、という感じです。
(時間論にもずっと興味があったのですが、こういう時間という概念の使い方というか、時間のとらえ方というのは、びっくりしてしました。本当に頭のいい人たちの思考には、うっとりしてしまいますね)
文章は比較的平易な文体で、辟易とか難渋することはなかったです。
ブロッホの原文がそうなのか、訳者の努力によるものかは残念ながらわかりかねますが。
そうやって生ぬるい系の社会主義者たちを屠ってきたはずのマルクス主義の末裔が、ユートピアなんていまさら何の冗談?と思ったわけです。
種明かしは解説でなされていました。
『ブロッホは(中略)プロレタリアが、社会変革と人間解放の主体になることを認める。プロレタリアの階級的利害と共産主義の道徳的純粋性とが結びつくことによって、真の「御国」としての社会主義の実現が可能になる。しかしブロッホによれば、ブルジョワの俗流唯物論を受け継いだ無神論にもとづいて築かれた社会主義には、人間の魂の問題は存在する余地がなく、したがって物質的な次元での平等にのみ固執している社会主義は真の「御国」になりえないと考える。キリスト教に限らずすべての宗教の根源にある願望、すなわち「世直しのあらゆる運動と目標のなかで、自己を神のような本質的存在にならしめ、最終的に自己をして千年王国的に、慈悲、自由、目標の光の国に住まわせために、生に活動の余地を与えよう」と言う願望は、この社会主義の中でこそ生かされなければならない。そのため「マルクスを上方の空間に照準し直すと言う義務」が生じてくる。それは、言い換えれば「あまりにも窮屈に押さえられた社会構築作業を再びヴァイトリングやマーダーやトルストイのユートピア的に卓越した愛の世界に、ドストエフスキーの人間模様の新しい力強さに、異端視のキリスト祭殿主義の中に持ち込むことを意味する」と言うのだ。』p.412-413
即物的な平等主義の世界はつまんないので、幸せになれるようにちょっと夢見心地でいこうよ。
と言い換えると、超訳しすぎでしょうか。
でもこんなこと公言してはマルクス主義者としては、自由すぎますよね。
(戦後、東ドイツライプツィヒ大学で哲学教授になったものの、居心地が悪くなって西ドイツに移住することになったみたいですね)
「もはや意識されないもの」「まだ意識されないもの」というブロッホの代名詞のような概念には、パラメータとしての時間が封入されています。
とっても目新しさを感じたけれど、これは「希望の原理 第一巻 (白水iクラシックス)」の柄谷行人氏による解説で、カント、ヘーゲル、マルクスにおける時間的な視点の与えられ方とともに明らかにされるところです。
もうほんとに目からウロコです。
そうかあ、ここでこういう風に時間を使ってくるかあ、という感じです。
(時間論にもずっと興味があったのですが、こういう時間という概念の使い方というか、時間のとらえ方というのは、びっくりしてしました。本当に頭のいい人たちの思考には、うっとりしてしまいますね)
文章は比較的平易な文体で、辟易とか難渋することはなかったです。
ブロッホの原文がそうなのか、訳者の努力によるものかは残念ながらわかりかねますが。
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