2023年12月11日月曜日

ブギウギー村山愛助(水上恒司)のモデルは吉本頴右(よしもと・えいすけ)

ブギウギー村山愛助(水上恒司)のモデルは吉本頴右(よしもと・えいすけ)

ブギウギー村山愛助(水上恒司)のモデルは吉本頴右(よしもと・えいすけ)

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する村山愛助(水上恒司)の実在のモデルのネタバレです。

「ブギウギ」の村山愛助(水上恒司)

朝ドラ「ブギウギ」に登場する村山愛助(水上恒司)は、演芸会社・村山興業の御曹司で、花田鈴子(趣里)の大ファンである。

村山愛助(水上恒司)は花田鈴子(趣里)と運命的な出会いを果たして大恋愛の末、結婚を約束し合うが、村山愛助の母親から結婚を反対され、結婚は出来ずにいた。

朝ドラ「ブギウギ」の村山愛助
出典:朝ドラ「ブギウギ」など

その後、福来スズ子は結核に感染した村山愛助を献身的に介護していたことから、村山興業の東京支店長・坂口(黒田有)に認められるが、坂口の説得にも村山トミ(小雪)は首を縦に振らず、2人の交際は認められなかった。

現時点で判明している村山愛助のネタバレはここまでですが、モデルの笠置シズ子の実話と照らし合わせると、村山愛助は戦後、病気で死ぬことは確実だろう。

そして、福来スズ子は村山愛助の子供を妊娠しており、村山愛助の死後、赤ちゃんを出産し、1人で子供を育てるために、乳飲み子を抱えたままステージに上がり、歌手として活動を再開し、「ブギの女王」として活躍することになるだろう。

ブギウギー村山愛助(水上恒司)のモデルのネタバレ

朝ドラ「ブギウギ」に登場する村山愛助(水上恒司)のモデルは、吉本興業の御曹司・吉本頴右(えいすけ)です。

吉本頴右は、吉本興業の創業者・吉本せいの次男で、長男が夭折しているおり、吉本興業の跡取りとして帝王学を学んで育ち、東京の早稲田大学へと進学し、東京で生活をしていた。

そして、吉本頴右は、東京吉本の小屋や劇場にも顔を出しており、かなりの芸能通だったので、東京で服部良一とコンビを組んで「スイングの女王」として活躍していた笠置シヅ子の事も知っており、笠置シヅ子のファンだった。

さて、昭和18年(1943年)6月28日、吉本頴右は和歌山県に釣りに行く途中に名古屋に寄っており、名古屋の御園座の楽屋で笠置シヅ子を見かけた。

笠置シヅ子はジャズ歌手として活躍していたのだが、戦争の影響でジャズが適性音楽として規制されており、ジャズを歌いにくくなっていた。

笠置シヅ子自身も敵性歌手として警察に目を付けられていたので、笠置シヅ子は戦地慰問には呼ばれず、国内に残って地方巡業や工場慰問を続けており、仕事で名古屋を訪れていたのだ。

笠置シヅ子も楽屋に来た吉本頴右に気付いたが、そのときは言葉は交わさず、後日、吉本頴右が吉本の関係者を伴って、笠置シヅ子の楽屋を訪れて言葉を交わし、2人は関西方面に行くことが分かったので、一緒の汽車に乗る約束をした。

このとき、笠置シヅ子は29歳で、吉本頴右は20歳だった。9歳も年の差があり、笠置シヅ子は吉本頴右を弟のように扱っていたのだが、吉本頴右の方が笠置シヅ子にゾッコンだったようで、次第に恋愛に発展していき、結ばれた。

音楽部長の松本四郎が常々、笠置シヅ子に「恋をするなら、年寄りを相手にしなさい」と教えていたが、効果は無かったようだ。

さて、第2次世界大戦の末期に、笠置シヅ子も吉本頴右も空襲で自宅を失ったので、疎開をしようとしていたが、吉本興業の東京支配人・林弘高が借りていたフランス人宅に、空襲で焼け出された知人を収容していたので、笠置シヅ子と吉本頴右もフランス人宅に入り、つかの間の同居生活を楽しんで終戦を迎えた。

戦後、笠置シヅ子と吉本頴右は結婚に向けて準備をするため、同居を解消し、吉本頴右は早稲田大学を中退して、東京吉本に就職する。

そのようななか、吉本頴右は大阪吉本からの帰阪要請を受けており、一度、大阪に戻ることにしたので、笠置シヅ子は琵琶湖まで吉本頴右を見送った。

その直後に笠置シヅ子は妊娠に気付くのだった。

笠置シヅ子は結婚したら芸能界を引退することにしていたので、最後の舞台を終えると、新居を購入して吉本頴右が帰ってくるのを待った。

しかし、吉本頴右は大阪で結核を拗らせており、一度は持ち直したが、再び悪化し、危篤状態に陥ってしまう。

吉本興業の林正之助は、船をチャーターして、お腹の大きい笠置シヅ子を大阪まで運ぼうとしたが、吉本頴右が笠置シヅ子の体を気遣って断った。

笠置シヅ子も吉本頴右に会いに行こうとしたが、医師から「身重の貴女が行けば、不安にさせてしまう」と言われて止められた。

こうして2人は最後に会うことが出来ず、吉本頴右は死去し、出産のために入院していた笠置シヅ子は病院で訃報を聞くのだった。

笠置シヅ子は吉本頴右の死後、女児を出産すると、吉本頴右の遺言で「エイ子」と名付け、1人で亀井エイ子を育てるために、作詞家の服部良一に曲作りを頼み、「東京ブギウギ」でヒットを飛ばし、「ブギの女王」として活躍していく。

笠置シヅ子は自分が養子で本当の両親を知らない事から、亀井エイ子を私生児にしたことを後悔しており、死後認知について調べてもらったが、新憲法でも難しく、裁判になるだろうということだったので、死後認知を諦めた。

吉本側は、吉本頴右の死後も、しばらくの間、笠置シヅ子が吉本頴右の財産を狙っているのではないかと警戒したという。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデルについては「ブギウギー実在のモデル一覧」をご覧ください。

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