2023年12月22日金曜日

古事記とオノコロ島伝説をめぐる | 兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会


古事記 


 故太后是の御歌を聞き、いたく忿りたまひ、人を大浦に遣はし、追ひ下ろして8、歩より追ひ去りたまふ。  是に天皇、其の黒日売に恋ひたまひ、大后を欺き、曰りたまはく、「淡道嶋を見むと欲ふ」とのりたまひて、幸行でます時に、淡道嶋に坐し、遥かに望けて、歌ひ曰りたまはく、

 おしてるや9 難波の埼よ10 出で立ちて 我が国見れば 淡島11 おのごろ島12 檳榔の13 島も見ゆ 佐気都島14見ゆ (歌謡番号五三)

そこで、天皇は、その黒日売を恋慕なさり、皇后を騙して、「淡路島を見てみたい」と仰せになって、お行きになった時に、淡路島にお着きになって、遥かに遠くをご覧になり、歌い仰せになった、 

(五三)(海いちめんが輝く)難波の埼から    船出して 我が治める国を見渡すと    淡島 淤能碁呂島    蒲葵の生える 島も見える    遠く離れた島も見える  

 そこで天皇は、淡路島から島伝いに、吉備の国にお行きになった。そして、黒日売は、天皇をその国の山の手にご案内申し上げて、お食事を差し上げた。このとき天皇に召し上がって頂く熱い吸物を煮ようと、その土地の高菜を摘んでいると、天皇はその乙女(黒日売)が高菜を摘んでいる所においでになり、歌って仰せになった、


『古事記』角川ソフィア文庫


 おしてるや 難波の埼よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島 おのごろ島 檳榔の 島も見ゆ 佐気都島見ゆ (歌謡番号五三)

(五三)(海いちめんが輝く)難波の埼から    船出して 我が治める国を見渡すと    淡島 淤能碁呂島    蒲葵の生える 島も見える    遠く離れた島も見える 



古事記 下巻

黒日売(くろひめ)が吉備の国へ帰郷した際に、大雀命(仁徳天皇)は後追い吉備の国へ行幸するが、道中詠った歌にはオノゴロ島が登場する。

原文
於是天皇 戀其黒日賣 欺大后曰「欲見淡道嶋而」 幸行之時 坐淡道嶋 遙望歌曰、
『淤志弖流夜(おしてるや)、那爾波能佐岐用(なにはのさきよ)、伊傳多知弖(いでたちて)、和賀久邇美禮婆(わがくにみれば)、阿波志摩(あはしま)、淤能碁呂志摩おのごろしま)、阿遲摩佐能(あじまさの)、志麻母美由(しまもみゆ)、佐氣都志摩美由(さけつしまもみゆ)』
乃自其嶋傳而幸行吉備國[6]
口語訳
是(ここ)に天皇、其(そ)の黒日賣を恋ひ、大后欺き「淡道嶋を見むと欲(おも)ふ」と曰いて幸行する時、淡路島に坐(いま)して、遥に望みて歌ひて曰く
『押してるや、難波の崎から出で立ちて、我が国見をすると、アハ島 オノゴロ島 アジマサの島も見える、サケツ(先つ)島も見える。[7]
乃(すまわ)ち其の島傳(つた)いて、吉備の国に幸行する。

「押してるや」は難波の枕詞。「我がくにみれば」は、歌を詠んだ仁徳天皇が現在地辺りから眺めると、という意味であり、国見を行ったと解釈されている[7]。国見とは国の地勢や景色、人々の生活状態などを、地位の高い人物が望み見ることを言う[8]


古事記とオノコロ島伝説をめぐる | 兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会

『古事記』の歌の謎

古事記の中に、仁徳天皇が詠んだという歌がある。

『ここに天皇、その黒日賣(くろひめ)を恋ひたまひて、大后(おほきさき)を欺きて曰らさく、「淡道島を見むと欲(おも)ふ。」とのりたまひて、幸行(い)でましし時、淡道島(あはじしま)に坐(いま)して、遙(はろばろ)に望(みさ)けて歌ひたまひて曰く、 おし照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば  淡嶋(あはしま) 淤能碁呂嶋(おのころしま) 檳榔(あぢまさ)の  島も見ゆ 放(さけ)つ島見ゆ とうたひたまひき』

天皇がクロヒメに浮気心を起こしたことはともかく、「淡路島に坐して」歌ったという点は注目に値する。「オノコロ島が見える」と歌われているからには、「オノコロ島」は、淡路島から見える島だったということになるからだ。

最後の「さけつ島」は、はるかに離れた島、あるいはぽつんと離れた島というほどの意味だろうが、おのころ島の前に登場する「淡島」は、現在の何島にあたるのだろう。また檳榔(あじまさ)はヤシ科の植物で、現在はビロウと呼ばれているそうであるが、これはかなり暖地性の植物で、現在の大阪湾周辺には生育場所がないようだ。

国産み神話では、蛭子神の次に生まれたのが淡島であり、これも満足な子ではなかったため、イザナギ、イザナミ両神の子として数えないとされているが、もしかすると歌にでてくるのは、この淡島なのだろうか。そうすると、仁徳天皇の歌に出てくる島のうち、淡島や檳榔島は、現実には存在しない=見えない島だったかもしれないとも思えてくる。だとすると、この歌で「見ゆ」と詠まれた「オノコロ島」も、本当は見えなかったのではないか、見えたのははるか彼方の「さけつ島」だけで、他の島々は、天皇の心の中だけで見えた島だったかもしれない。

オノコロ島は、はるかな祖先たちが自分たちの故郷を心に思い描いた、伝説の中だけに生きる島だったのだろうか、それとも・・・。

https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/legend2/story14/journey10/

オノコロ島はどこに

ひょうご伝説紀行 神と仏

日本神話の中で、オノコロ島は特別な島である。神様が日本の島々を作ったとき、最初にできた島だからである。そもそもオノコロ島というのは、数多い列島の中でどの島なのか。それともあくまでも空想上の島で、現実には存在しないのか。古くからいくつもの説が出されてきた。

兵庫県の淡路島には、自凝島神社(おのころじまじんじゃ)がある。それだけではなく、淡路島の南西に浮かぶ沼島にも自凝神社(おのころじんじゃ)があって、そのどちらにもオノコロ島の発祥地だとする考えがある。それだけではない。播磨灘(はりまなだ)を隔てた家島こそがオノコロ島だという説も、実は根強く存在する。

いずれが正しいかを判定するのは、到底僕の手に負えない仕事だけれど、「日本発祥の地」を探す旅はそれだけで十分魅惑的で、何だか解けない謎を追う探偵のような気分にさせてくれるのだ。

用語解説

淡路島は、島をあげて「淡路=オノコロ島説」を主張している。その舞台のひとつが自凝島神社だろう。南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社は、国道28号線の円行寺(えんぎょうじ)から北西へ、三原川に沿って1.5kmほど行った所にある。

巨大な鳥居をくぐり、階段を登ると、思ったよりも質素な社殿が建っている。ここにお祭りされているのは、もちろんイザナギノミコト・イザナミノミコトである。神社の周辺には、「天浮橋(あめのうきはし)」や「芦原国(あしはらのくに)」など、国産みの物語にちなむ場所がお祭りされている。

現在は、周囲はかなり市街地化しているが、かつてはどうだったのだろう。

伊弉諾神宮(参道)
伊弉諾神宮(参道)
伊弉諾神宮(門)
伊弉諾神宮(門)
伊弉諾神宮(拝殿)
伊弉諾神宮(拝殿)
淡路名所図絵
淡路名所図絵

淡路島には伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)もある。淡路市一宮町多賀にあるこの神社は延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、やはりイザナギノミコト・イザナミノミコトがお祭りされている。本殿の下には、イザナギノミコトが葬られた古墳があるとも伝えられていて、オノコロ島であると同時に、神様の永眠の地でもあるそうだ。深い森は、いかにもその地にふさわしく思える。

沼島(遠景)
沼島(遠景)
沼島
沼島

さて、「オノコロ神社」は、実はもう一つある。淡路本島の南西に浮かぶ、沼島(ぬしま)にある自凝神社である。 南あわじ市灘の土生(はぶ)にある港から、連絡船に15分ほどゆられると、沼島港に着く。そこから港に沿って南へ歩き、細い山道を、息を切らしながら10分ほど登った尾根の上に、自凝神社がある。沼島は空から見ると、ちょうど勾玉(まがたま)のような形をしているが、自凝神社はその一方の先端にあると思ってもらえばよい。

沼島自凝神社(本殿)
沼島自凝神社(本殿)

小さな神社である。特別な飾りも、目立つ鳥居もなく、ただ質素な社殿が雑木林に囲まれてひっそりと建っている。社殿の背後へ続く道を歩くと、淡路島の南部から四国までのすばらしい展望が開ける。

本殿までの  長い階段
本殿までの長い階段
イザナギと  イザナミ
イザナギとイザナミ
社殿裏からの眺望
社殿裏からの眺望
沼島自凝神社  (石碑)
沼島自凝神社(石碑)

沼島の港から、家の間を抜ける細い道を行くと、やがて島の中ほどの丘を越えて、島の東側の海岸に出る。ちょうどその海岸にあるのが上立神岩(かみたてがみいわ)である。巨大な岩石が崩落してできた荒磯の先の海中に、天を裂くような三角形の先端を見せながら屹立(きつりつ)する巨岩である。高さが15mあるという岩は、イザナギとイザナミがオノコロ島に降り立ち、巨大な柱の周囲をまわって婚姻をおこなったという、「天の御柱」だともいわれている。

もちろん、長い自然の営みでできた巨岩の柱なのだろうが、そこに砕ける波頭を見ていると、あまりの雄大さに、神威を感じてしまうのも確かである。

用語解説

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