古事記 下巻
黒日売(くろひめ)が吉備の国へ帰郷した際に、大雀命(仁徳天皇)は後追い吉備の国へ行幸するが、道中詠った歌にはオノゴロ島が登場する。
- 原文
- 於是天皇 戀其黒日賣 欺大后曰「欲見淡道嶋而」 幸行之時 坐淡道嶋 遙望歌曰、
- 『淤志弖流夜(おしてるや)、那爾波能佐岐用(なにはのさきよ)、伊傳多知弖(いでたちて)、和賀久邇美禮婆(わがくにみれば)、阿波志摩(あはしま)、淤能碁呂志摩(おのごろしま)、阿遲摩佐能(あじまさの)、志麻母美由(しまもみゆ)、佐氣都志摩美由(さけつしまもみゆ)』
- 乃自其嶋傳而幸行吉備國[6]。
- 口語訳
- 是(ここ)に天皇、其(そ)の黒日賣を恋ひ、大后欺き「淡道嶋を見むと欲(おも)ふ」と曰いて幸行する時、淡路島に坐(いま)して、遥に望みて歌ひて曰く
- 『押してるや、難波の崎から出で立ちて、我が国見をすると、アハ島 オノゴロ島 アジマサの島も見える、サケツ(先つ)島も見える。[7]』
- 乃(すまわ)ち其の島傳(つた)いて、吉備の国に幸行する。
「押してるや」は難波の枕詞。「我がくにみれば」は、歌を詠んだ仁徳天皇が現在地辺りから眺めると、という意味であり、国見を行ったと解釈されている[7]。国見とは国の地勢や景色、人々の生活状態などを、地位の高い人物が望み見ることを言う[8]。
『古事記』の歌の謎
古事記の中に、仁徳天皇が詠んだという歌がある。
『ここに天皇、その黒日賣(くろひめ)を恋ひたまひて、大后(おほきさき)を欺きて曰らさく、「淡道島を見むと欲(おも)ふ。」とのりたまひて、幸行(い)でましし時、淡道島(あはじしま)に坐(いま)して、遙(はろばろ)に望(みさ)けて歌ひたまひて曰く、 おし照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡嶋(あはしま) 淤能碁呂嶋(おのころしま) 檳榔(あぢまさ)の 島も見ゆ 放(さけ)つ島見ゆ とうたひたまひき』
天皇がクロヒメに浮気心を起こしたことはともかく、「淡路島に坐して」歌ったという点は注目に値する。「オノコロ島が見える」と歌われているからには、「オノコロ島」は、淡路島から見える島だったということになるからだ。
最後の「さけつ島」は、はるかに離れた島、あるいはぽつんと離れた島というほどの意味だろうが、おのころ島の前に登場する「淡島」は、現在の何島にあたるのだろう。また檳榔(あじまさ)はヤシ科の植物で、現在はビロウと呼ばれているそうであるが、これはかなり暖地性の植物で、現在の大阪湾周辺には生育場所がないようだ。
国産み神話では、蛭子神の次に生まれたのが淡島であり、これも満足な子ではなかったため、イザナギ、イザナミ両神の子として数えないとされているが、もしかすると歌にでてくるのは、この淡島なのだろうか。そうすると、仁徳天皇の歌に出てくる島のうち、淡島や檳榔島は、現実には存在しない=見えない島だったかもしれないとも思えてくる。だとすると、この歌で「見ゆ」と詠まれた「オノコロ島」も、本当は見えなかったのではないか、見えたのははるか彼方の「さけつ島」だけで、他の島々は、天皇の心の中だけで見えた島だったかもしれない。
オノコロ島は、はるかな祖先たちが自分たちの故郷を心に思い描いた、伝説の中だけに生きる島だったのだろうか、それとも・・・。
オノコロ島はどこに
日本神話の中で、オノコロ島は特別な島である。神様が日本の島々を作ったとき、最初にできた島だからである。そもそもオノコロ島というのは、数多い列島の中でどの島なのか。それともあくまでも空想上の島で、現実には存在しないのか。古くからいくつもの説が出されてきた。
兵庫県の淡路島には、自凝島神社(おのころじまじんじゃ)がある。それだけではなく、淡路島の南西に浮かぶ沼島にも自凝神社(おのころじんじゃ)があって、そのどちらにもオノコロ島の発祥地だとする考えがある。それだけではない。播磨灘(はりまなだ)を隔てた家島こそがオノコロ島だという説も、実は根強く存在する。
いずれが正しいかを判定するのは、到底僕の手に負えない仕事だけれど、「日本発祥の地」を探す旅はそれだけで十分魅惑的で、何だか解けない謎を追う探偵のような気分にさせてくれるのだ。
用語解説
淡路島は、島をあげて「淡路=オノコロ島説」を主張している。その舞台のひとつが自凝島神社だろう。南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社は、国道28号線の円行寺(えんぎょうじ)から北西へ、三原川に沿って1.5kmほど行った所にある。
巨大な鳥居をくぐり、階段を登ると、思ったよりも質素な社殿が建っている。ここにお祭りされているのは、もちろんイザナギノミコト・イザナミノミコトである。神社の周辺には、「天浮橋(あめのうきはし)」や「芦原国(あしはらのくに)」など、国産みの物語にちなむ場所がお祭りされている。
現在は、周囲はかなり市街地化しているが、かつてはどうだったのだろう。
淡路島には伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)もある。淡路市一宮町多賀にあるこの神社は延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、やはりイザナギノミコト・イザナミノミコトがお祭りされている。本殿の下には、イザナギノミコトが葬られた古墳があるとも伝えられていて、オノコロ島であると同時に、神様の永眠の地でもあるそうだ。深い森は、いかにもその地にふさわしく思える。
さて、「オノコロ神社」は、実はもう一つある。淡路本島の南西に浮かぶ、沼島(ぬしま)にある自凝神社である。 南あわじ市灘の土生(はぶ)にある港から、連絡船に15分ほどゆられると、沼島港に着く。そこから港に沿って南へ歩き、細い山道を、息を切らしながら10分ほど登った尾根の上に、自凝神社がある。沼島は空から見ると、ちょうど勾玉(まがたま)のような形をしているが、自凝神社はその一方の先端にあると思ってもらえばよい。
小さな神社である。特別な飾りも、目立つ鳥居もなく、ただ質素な社殿が雑木林に囲まれてひっそりと建っている。社殿の背後へ続く道を歩くと、淡路島の南部から四国までのすばらしい展望が開ける。
沼島の港から、家の間を抜ける細い道を行くと、やがて島の中ほどの丘を越えて、島の東側の海岸に出る。ちょうどその海岸にあるのが上立神岩(かみたてがみいわ)である。巨大な岩石が崩落してできた荒磯の先の海中に、天を裂くような三角形の先端を見せながら屹立(きつりつ)する巨岩である。高さが15mあるという岩は、イザナギとイザナミがオノコロ島に降り立ち、巨大な柱の周囲をまわって婚姻をおこなったという、「天の御柱」だともいわれている。
もちろん、長い自然の営みでできた巨岩の柱なのだろうが、そこに砕ける波頭を見ていると、あまりの雄大さに、神威を感じてしまうのも確かである。
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