人麻呂は阿波の人だった
飛鳥時代、白鳳時代までの皇都は、阿波にあったと考えています。
とすると、柿本人麻呂は阿波で生涯を過ごしたことでしょう。
その痕跡となるものを集めてみたいと思います。
万葉集作者部類
宮内庁が図書寮文庫でネット公開して読める本から、
万葉集作者部類(1巻) 文化二(1805) 阿波国文庫&不忍文庫 15 of 42 page
の中に、下記のように書かれてました。
「人麻呂は飛鳥のち岡本宮のひに生まれて藤原京和銅の始奈良へ遷都より前にみまかれし也この人すべて日本紀にのす万葉考別記に詳し」
ちょっと文字が違っているかもしれませんが、「奈良へ」遷都する前に亡くなったと書かれてます。奈良とは違う地である「藤原宮」にいたと記されています。
同様に、日本書紀では、同時代人である元明天皇(阿陪皇女)についても、藤原宮から奈良に移ったと記されています。
・日本書紀 巻第二十七 天智天皇紀
阿陪皇女及有天下居于藤原宮後移都于乃樂。
→(現代文)阿陪皇女は天下を治められるようになったときは、藤原宮にお出でになった。後に都を奈良に移された。
これも同様に、「藤原宮」は奈良に無かったと認識されていたことになるのではないでしょうか。
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