宮崎駿が44年前に生み出した"原点"には「今のジブリ作品にないものがある」【ジブリ美術館】
アニメーションの巨匠、宮崎駿監督が初めて演出(監督)を務めた44年前の作品をご存知でしょうか。
1978年からNHKで放送されたTVアニメ「未来少年コナン」。最終戦争後の地球を舞台に、仲間と出会い成長していく少年コナンのSF冒険譚は、躍動感あふれるアニメーション描写が魅力です。原作はアメリカの作家アレグザンダー・ケイによる『残された人びと』でしたが、元々のペシミスティックな空気から冒険活劇へと大胆にアレンジしました。
ストーリーには科学万能主義への警鐘、自然災害への畏怖なども包摂しており、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」などにつながる"宮崎アニメの原点"とも言われる不朽の名作です。
2020年には新型コロナ禍の影響で放送延期になったアニメ作品の代わりに「未来少年コナン」のデジタル・リマスター版がNHK で再放送され、話題になりました。
三鷹の森ジブリ美術館では5月28日から、この「未来少年コナン」に焦点をあてた企画展「未来少年コナン展 漫画映画の魅力にせまる!」がはじまります。
27日には内覧会に先立って、当時の制作スタッフ3人が座談会に参加。当時20〜30代だったメンバーがアニメーションの歴史を振り返りつつ、今のアニメーションにはない「漫画映画」の特筆すべき点や、当時37歳だった宮崎監督のエピソードとともに「未来少年コナン」の魅力や企画展の見どころを語りました。
3人はいずれも、これまでに数々の名作やスタジオの運営に参加。アニメーションが「漫画映画」と呼ばれていた頃から日本のアニメを最前線で作り上げてきた"レジェンド"です。
座談会では冗談交じりではありましたが「最近の宮崎さんや、今のジブリ作品にはなくなってしまったものが入っている」という言葉も……。
44年前、当時の現場の熱を呼び起こすかのような座談会の様子を全文で紹介します。
「コナンに参加できなければ辞めるとゴネた」
【登壇者】
・友永和秀氏:アニメーター。1972年にタイガープロのテレビシリーズ「デビルマン」の作画に初参加。その後OH!プロダクションを経てテレコム・アニメーションフィルムに入社する。「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「ルパン三世 カリオストロの城」「じゃりン子チエ」「名探偵ホームズ」「天空の城ラピュタ」など数々の作品で原画を担当。2015年には30年ぶりとなる「ルパン三世」TVシリーズの総監督を務めた。2016年、第25回日本映画批評家大賞・アニメ部門功労賞を受賞。現在も原画を中心にアニメーターとして活躍中。「ルパン三世 カリオストロの城」では伝説的な冒頭のカーチェイスシーンの作画を担当。
・富沢信雄氏:アニメーション監督。1974年、「アルプスの少女ハイジ」(ズイヨー)でアニメーションの作画に初参加。日本アニメーションに入社し「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」や「未来少年コナン」「赤毛のアン」などに携わる。1979年、テレコム・アニメーションフィルムに移籍。「ルパン三世 カリオストロの城」「じゃりン子チエ」「名探偵ホームズ」「平成狸合戦ぽんぽこ」の原画を担当。現在に至るまで様々なアニメーションの作品の絵コンテ、演出などを手がけ、TVシリーズ「ルパン三世 Part.6」第0話では監督を務めた。
・竹内孝次氏:元テレコム・アニメーションフィルム代表取締役 。1976年に日本アニメーションに入社。1980年にテレコム・アニメーションフィルムに移籍して「名探偵ホームズ」「じゃりン子チエ」「ルパン三世」「リトル・ニモ」等テレコム作品の制作に携わり、1997年より2012年まで同社代表取締役社長を務めた。現在、アニメーション制作の人材育成にも携わり、産官学連携事業の「アニメーション・ブートキャンプ」を東京藝大と共に実施。そのディレクターを務めている。2016年より東京アニメアワードフェスティバルのフェスティバル・ディレクターに就任。
※モデレーターは三鷹の森ジブリ美術館の安西香月館長
安西:今回は、当時の宮崎監督と一緒にお仕事をされていた方々のお話を伺いたく、お越しいただきました。順番に自己紹介と当時のポジションを伺えればと思います。
友永:テレコム・アニメーション所属の友永と申します。「未来少年コナン」の当時は、日本アニメーションの協力会社の「OH!プロダクション」に所属していまして。途中の10何話あたりから参加させていただいたんですね。
それまではロボットものしかやったことがなかったのですが、大好きな東映動画の長編漫画映画の流れを組む大塚康生さんと宮崎さんの作品を手伝って、ぜひ真っ当なアニメーションを勉強させていただきたいということで、作画で参加させていただきました。
最終回まで仕事をさせていただきまして、とにかく血湧き肉躍る漫画映画……今のアニメーションも盛んですが、今のアニメーションにはないエネルギッシュなキャラクターの動き、アイデアは荒唐無稽だけどその中にあるリアルな空間を取り入れた説得力ある場面作りに感激させられました。
ただ、その分だけ難しかったです(笑)
(※編注)大塚康生:1931年、島根県生まれ。山口県庁職員や厚生省麻薬取締官事務所を経て、1957年に東映動画へ。日本初の本格カラー長編アニメーション「白蛇伝」(1958年)などで原画を担当。高畑勲監督の初監督作品「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968年)で初めて作画監督に。当時新人だった宮崎監督とともに制作を支えた。「未来少年コナン」では宮崎監督が参加切望し作画監督に。高畑・宮崎の盟友だった。2021年、89歳で死去。
富沢:当時、日本アニメーション社内班で原画を描いておりました富沢です。
「未来少年コナン」の前年(1977年)に「あらいぐまラスカル」という作品の原画を描いていたんですが、その年の夏ぐらいからだったかな、「宮崎さんが演出になって、一本やるらしい」という噂を聞きまして。
そうこうしているうちに、シンエイ動画から大塚さんが「未来少年コナン」の監修でいらっしゃいまして。脇でチラチラ見ながら「面白そうなのをやってるなぁ」と思っていたんです。
そうしたら、その年の暮ごろにプロデューサーから「富沢くん、次は名作路線の作品をやってくれ」と言われまして……ゴネました(笑)
「コナンができなきゃ辞める」とゴネたんです。そうしたら何とか入れていただくことができました。ゴネてよかったです(笑)
会場:(笑)
富沢:「未来少年コナン」という作品は、自分の中で一番仕事を覚える時期にぶち当たった作品で、あらゆることをこの作品で勉強させてもらった。この作品がなければ、今の自分はないなと思っているくらいです。
竹内:僕はこの作品で「制作進行」という役割をしました。それだけです(笑)
会場:(笑)
時代に逆らってでも、宮崎駿は「漫画映画」を世に問うた。
(C)NIPPON ANIMATION CO., LTD
安西:当時は今とアニメーションの状況が違っており、映画館でアニメーション作品が見られるのは「東映漫画まつり」ぐらいで、大概はテレビでアニメーションを見ていました。
今では大きな(16:9の)画面でご覧になると思いますが、当時はみんな小さい(4:3の)ブラウン管のテレビ画面でアニメーションを見ていた。その辺の時代感を竹内さんに伺えればと。
竹内:会場にいる方で、1980年以降にお生まれになった方はいらっしゃいますか?思ったよりも少ないですね……意外とお年の方が多い……?
会場:(笑)
竹内:というのも「未来少年コナン」のテレビ放送開始は1978年なんですね。リアルタイムで見たか、そうじゃないかで、まず作品の捉え方は違うと思います。
当時のアニメーションの時代感ですが、まず1960年代は「鉄腕アトム」「鉄人28号」などがあって、日本のアニメーションがスタートした時代です。
1970年代には「あしたのジョー」「ルパン三世」「アルプスの少女ハイジ」「宇宙戦艦ヤマト」などですね。リアルな描写をするものがドーンと出てきた。
そこで東宝の特撮映画の「ノストラダムスの大予言」(1974年)というものがありまして……。ご記憶にある方も多いかと思いますが、これが日本を席巻したんです。「世の中が終わってしまう」みたいな話がね。
そして、1978年に「未来少年コナン」が出て、その翌年(1979年)に「機動戦士ガンダム」がはじまった。
(※編注)1978年の出来事:池袋の「サンシャイン60」がオープン、成田空港が開港、宮城県沖地震、日中平和友好条約、王貞治が通算800号HR達成、ディスコブーム、大平正芳内閣が成立
時代の流れで考えると、僕は「未来少年コナン」というものは「ちょっと異質なものが出てきたな」と。そういうものを、あえて宮崎さんが投げかけたと、私は捉えているんです。
今は多様性の時代だから何があってもびっくりしないんですが……その頃、友永さんは東映の作品をやっていましたよね。
友永:「宇宙海賊キャプテンハーロック」とか、だんだんリアル系になっていきましたよね。あとは宇宙物とか。
竹内:(「未来少年コナン」のような)単純な構図のキャラクターではなく、描き込みをしましょうという……。
友永:そうですね。影をつけたり、どんどん劇画っぽくなっていきましたよね。やっていることは荒唐無稽でしたが(笑)
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竹内:アニメーションって「はっきり言うと子ども騙しだ。だから漫画映画なんだ」という話が当時はあったんですよ。だから「子ども騙しじゃない作品を作ろう」という流れがあった。
東映の「宇宙海賊キャプテンハーロック」もそうだし、別の路線としては「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」などの名作路線がありました。
そこに「未来少年コナン」が出てきた。
もしかすると、見方によっては「(時代の流れに)逆行するかもしれない」という漫画映画が出てきたという感じなんです。
「いかに本当らしく描くか」「演出家は詐欺師と同じ」
安西:今挙げられたアニメーションのシリーズはおおよそ当時も見ていましたが、やはり子どもだったので「これはこれ、それはそれ」と。単純に「未来少年コナンって、面白いな」と。次週の内容が知りたくて知りたくてしょうがない、そんな一週間を過ごしていましたね。
今回の展示でも、皆さんにどんな切り口で見ていただければ、当時の私が味わった楽しさを皆さんに伝えられるかなと色々と悩みました。
宮崎監督といえば、本人が一番やりたくて、昔から路線としても「これが一番」という「漫画映画」です。その切り口のほうが、観客の皆さんのためにもなるし、私たちも分かりやすいんじゃないかなと思ったんです。
当時は荒唐無稽な話だけでなく、SFがとても流行り始めていました。「宇宙海賊キャプテンハーロック」も「宇宙戦艦ヤマト」にもSFは入っている。だけど「未来少年コナン」のSFは「ちょっと違うSF」だなと感じていました。
子どもながらに新しい世界を知っていく。「SF」というものが世の中にあって「こうやって未来を描く話があるんだ」とか。
(※編注)「未来少年コナン」の舞台設定は「超磁力兵器」が用いられた最終戦争から30年が経った西暦2028年)
安西:例えば、映像の中には津波とかも描かれていたんですが、津波が来るときはちょっと虫が多く出る話とか、波がひくとか……。
そういう(伝承の話や知識は)全部コナンから入っていった。本当に新しい入り口だったなという感じがします。
そういうものを、子どもさんにも見てもらえたらいいなと……。
展示では「漫画映画」を切り口にしたのですが、当時子どもとして見ていた私たちと、実際に制作されていた方々とでは「漫画映画の捉え方」が少し違うのかなとも思います。実際に展示を見ていただいた感想を伺えればと。
富沢:(「未来少年コナン」の描写には)たしかに荒唐無稽な部分が多いのですが、絵を描く側としては「いかに本当らしく描いていくか」に注力しました。重さの表現とか空気感とか、さまざまなものですけどね。
安西:作画の指示は、最初の打ち合わせで「こうしてください」とたっぷり話をされてやっていかれていたんでしょうか。
富沢:絵コンテの段階で、ほぼできていましたからね。打ち合わせはしますけど、ほぼ確認で。あとは細かいことを追加したりとか。
安西:ということは、絵コンテを描いている段階で「こういうものを表現したい」というものが、監督の中で決まっていた。
富沢:そうですね。絵コンテに全ての情熱を注いでいる感じでした。
竹内:「荒唐無稽」とは言っているのですが、荒唐無稽な話を作るために、細かいところでは嘘をついていないんです。
火をおこしたり、食べ物を食べたり、風の抵抗を受けたり、海に潜ったり、実感とかリアルなものを描写で積み重ねている。
そして、最終的に大嘘をついている。だから、これは詐欺師と同じなんですよ(笑)
会場:(笑)
竹内:本当に詐欺師と同じだよね?
富沢:うん(笑)
竹内:小さなところで嘘つかないんです。だから、荒唐無稽にできるんですよね。
富沢:いや、詐欺師は宮崎さんですよね(笑)。(私たちは)使いっ走りですから。
友永:そうでしょうね、演出家は詐欺師でしょうね(笑)
だって、嘘の話を最もらしく納得させて、見ている人にそう感じさせるわけですからね。
富沢:でも、見る側としてはうまく騙されたいですよね。
細かい表現の積み重ねが「信じられる世界」をつくる。
撮影:吉川慧/(C)NIPPON ANIMATION CO., LTD (C)Studio Ghibli
安西:今回の企画展では(グッズで)コナンのフィギュアを作ってみようかとか、いろんな話が出ていたんです。
宮崎監督に話をしたら「あんな裸の人のフィギュア、誰が買うの?」って言われて……。「え、でもきっと人気あると思いますよ」と言ったら、「(原画・セル画を)描いて頂く方々に、いかに楽に、上手に、自分が思っている絵を描いてもらいたいがゆえのファッションだったから、そんなに強い意味はない」と言われまして……(笑)
それから「コナンって足技がすごかったですよね?」と聞いたんです。登場人物の中でコナンだけは靴を履いてないんですよね。足の指でいろいろなことをやるので。
そうしたら宮崎監督は「そりゃあそうだよ。靴を履いていたら足の指は見えないでしょ。コナンの特徴は足の指なんだから、一人靴を履いていないんだ」と言われまして。
実際にコナンを描いていた立場としてはいかがでしたか。
友永:コナンの表現としては、さっきの指の話もそうですが、女の子(ラナ)を抱えたまま、どんと落ちて足がめり込んだり、食事を食べたり、夜間の自然現象など非常に細かい日常の事をきちんと描いている。
だから、最後の大団円に向けて大嘘をつけるわけですよね。ギガントの上を走ったりとか。それでも風の抵抗を表現したりすると、非常に最もらしくなるわけです。
でも、よく考えれば、あれって新幹線の屋根の上で走っているようなものですからね(笑)
ただ、そこがやっぱり詐欺師と同じで、細かい表現を積み重ねていくことによって、より現実感が出てくるというか「信じられる世界」ができるわけです。
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そこが演出家の演出家たる所以だと思うんですけれども。
コンテに全てが描かれてますから。その情熱、あるいは宮崎さんの感情を、僕らはいかにレイアウトの画面に表現するか。そこに全力投球ですよね。
それができていないと多分、宮崎さんにボロクソ言われる……だから、もう必死でしたよ(笑)
竹内:キャラクターを絵としてリアルに描き込まずとも、世界をリアルに作っていくという考え方は、それまでなかったと思うんです。
「世界をリアルに見せていこう、作っていこう」というもので一つには名作路線がありましたが、他の作品はどんどん、どんどん絵を描き込んでいくことで、劇画的にリアルに見せようという方向だった。
そこに名作路線とは異なるかたちで、めちゃくちゃなキャラクターが活躍する世界をリアルに見せようとした。
これこそが宮崎さんが漫画映画に持ち込んだこと。それまでの漫画映画とは違うんですね。
だから、アニメーターも頑張りました。大塚さんが作画監督で入られていましたが、でも特に初期はおおらかだったよね。歯が欠けたコナンがいたりだとか……。
宮崎監督「アニメーターは鏡の中の人と……」
安西:全26話から色々なシーンを選んで展示していますが、大体のシーンはコナンの前歯が2〜3本しかない。でも、他のシーンでは白い歯が並んでいたり、すごい自由なんですよね。
3頭身風のジムシーが現れたり、キリリとしたジムシーも現れたり。おそらく、大塚さんならではの「自由さ」があるのかなと。
富沢:そうですね……。というか、もともと一番最初に作られたキャラクター表は仮のものなんですよね、いつも。
実際に作品を作っていきながら、修正集が出た段階でそれをまとめてキャラクター表として使っていました。
安西:でも漫画映画のファンの方たちからすれば、それが楽しい。だから許されるんですよね、きっと。
富沢:表現としては、そういうことなんですよね。
安西:私がジブリに入った時は、まだ大塚さんや宮崎監督も出入りが多く、たまたまキッチンみたいなところで二人がしゃべっていたことがあったんです。
お二人を何となく見ていたら、コナンとジムシーがいるみたいに動きや表情がそっくりで。「これは凄いなぁ」と思ったんです。
自分で美術館の展示物を作るようになったころには、宮崎監督が「アニメーターさんは、鏡を見ながら色々な動きを描くんだ。そのうち、鏡の中にどんどんどんどん自分が入り込んでいくんだよ」と教えてくれまして。
そして、「鏡を見ながら、動きを自分で確かめてキャラクターを描いているはずなんだけど、描いていくうちに、描いている人と鏡の中の人が同じになるんだ」と言っていて。まさにそれだったんだろうなと。
友永:特にコナンの顔なんか宮崎さんそっくりになりますよね。どアップになったときとか食いしばった顔や力んだときの顔とか。ああ、これ宮崎さんの顔だって。そうなっていくんですよね。
安西:顔つきとかも雰囲気が似ている時があるなぁと。
竹内:初期のころは近藤喜文さんが描いた原画そのままに近いかたちで出したりしていたんです。
特に、2話で「おじい」が亡くなって悲しみを表現するところはコナンの顔がめちゃめちゃデフォルメされている。
そういうものを初期の段階で許したので、アニメーションの表現というか、作品に表情や動きの幅ができたんですね。狭くならなかった。
(※編注)近藤喜文:1950年、新潟県生まれ。高畑勲・宮崎駿両監督から厚い信頼を寄せられた日本屈指のアニメーターの一人。スタジオジブリ作品『耳をすませば』(1995)の監督として知られる。愛称は近ちゃん(こんちゃん)など。1998年1月に47歳で急逝。
「当時の宮崎監督には"荒々しさと新鮮さ"があった」
(C)NIPPON ANIMATION CO., LTD
安西:ご覧になっていただくと分かるんですが、色々な表情がある。今でいう整ったアニメーションじゃない感じのシーンもあるんですけど、それはそれで勢いがあった。
そういう点も、子どもながらに「次はどうなるんだろう……?」と自分のことのように心配して、来週はどうなるの?と思いながら見ていた。
友永:上がってきた原画の表情が面白ければ、キャラクター表と少し違っていても宮崎さんは大塚さんに「これ直さなくていいよ。このまま通してよ」と言っていました。
やはり、原画の面白さのエッセンスを出したいという思いがあったのだと思います。
竹内:最近の宮崎さんにはないね……。
富沢:ないね……それはないです。
会場:(笑)
安西:それにはノーコメントで……。
竹内:やっぱり年を取ったんだよね、宮さんも……。この時は荒々しさと新鮮さがあった。やっぱり宮崎さんも完成度を求めるようになったから、どんどんそういう意味では狭くなってますよ。
友永:それは老成したからで……。
竹内:でも、宮崎さんも81歳だからね……。ここで話している僕らも70歳前後ですからね……しょうがないよね……。
(※編注)宮崎監督は初演出(監督)だった感想を問われて、「やっぱり、しんどかったですね。僕はこれまでパクさん(高畑監督)と一緒にいましたからね。パクさんを見てると、ああ、演出なんてやるもんじゃないな、と思えてね。重荷を一身に背負いますから。僕が演出を心掛けなかったというのは、それを見てるからですね」(『また、会えたね』アニメージュ文庫、富沢洋子編)と語っている。
未来少年コナンには「今のジブリ作品に失くなってしまったもの」が入ってる。
安西:それを思うと、スタジオジブリ作品の中に入っているようなエッセンスは、コナンに最初から詰まっている。
どのシーンをとっても「今につながっているシーンだなあ」というのが、よく分かって頂ける作品だと思います。
今回の展示も勝手にやっちゃいけないなと思っていたので、製作途中に2回ほど監督ご本人に確認して頂きました。
でも、例えばある一つの場面ポジ(構図)を選んでも、その一つが面白くないとすごく却下されるんですね。「こんな面白くない絵をなんで選ぶんだ」と言われまして。却下されたりも。
でも、全話いっぱい面白い絵があって選べないんですよね。で、自分が好きなやつを選んだら「違うだろ。これじゃないだろう」と言われたり。全26話を甘く見ておりました……。楽勝だろうと思ったんですが、なかなか選ぶのに時間がかかって。
セリフも動きも面白いのですが、全部の動きをお見せできないのが悲しい。「どうしてもこれだけは…」という場面は、ちょっと短めに編集した動画で展示しています。
作品を見たことがないお子さんのためにも、見たことがあってもう一回全話視聴しようという方のためにも色々な準備をしていますので見ていただけたらと思います。
最後に、皆さんから「こういうところが見どころ」というアピールがありましたら。
友永:そうですねえ……。僕は展示を改めて見ましたが、「ハイハーバー」の設定や模型で(未来少年コナンの)世界がどうなっているのか改めて感じましたね。宮崎さんによる世界的な空間を。この中でキャラクターが自由に動けるんだと。
まるで「ブラタモリ」の地形学みたいな……。そういう部分も楽しんでみてください。
富沢:キャラクター表があるので、それをまず見ていただいて。一番最初のコナンがどんな顔だったかを見ていただけると楽しいかと思います。全然違いますから(笑)
もし、本編を見ていない方がいたらぜひ見ていただきたいです。
ジブリの人間じゃないので言えるんですが「今のジブリ作品にはなくなってしまったもの」が、まだいっぱい入っていますので、ぜひご覧になってください(笑)
会場:(笑)
安西:私のコメントではありませんので……どうぞよろしくお願いします……。
会場:(笑)
撮影:吉川慧/(C)NIPPON ANIMATION CO., LTD (C)Studio Ghibli
竹内:漫画映画というくくりで、なおかつ宮崎さんの漫画映画ということで。ひとつは人間が移動するところですね。
歩く、走る、ジャンプ、そのほかに転がったり、芋虫みたいに這ったりとかもある。コナンの中には全部が入っているんです。
特に活き活きしているのが、走りとジャンプ。色々な所に入っているんですよ。これがコナンの活劇なんですよね。
もう一つは、画面からはみ出しているところです。
はっきりいうと、この展示はよくできている。だけど、面白くないんですよね……。
というのは、決まった絵だからはみ出していないんです。レイアウトの中に収まっている絵なので。
でも、実際のアニメーションを見てもらうと、動きが画面からはみ出しているんです。そういうものをつくったのがこちらの人たち。なので展示は展示として、全26話のアニメーションも見てほしいんですね。
安西:おっしゃるとおりで、ワクワクドキドキの面白い動きを展示でもお見せしたかったのですが、止まっている絵はつまらないんですよね。
面白い絵もあるんですが、結局は動きが一番。積み重なっていく動きとお話が面白い。
ぜひ、皆さんには映像のほうも見ていただきたいなって思っています。
撮影:吉川慧/(C)NIPPON ANIMATION CO., LTD (C)Studio Ghibli
三鷹の森ジブリ美術館は日時指定の事前予約制。毎月10日に翌月入場分のチケットをローチケWEBで販売している。詳細は公式サイトで。
(取材・文:吉川慧)
※編注:読みやすさを考慮し、座談会の内容を適宜編集をしました。
編集部より。初出時「東映の特撮映画の『ノストラダムスの大予言』(1977年)」とありましたが、正しくは「東宝の特撮映画の『ノストラダムスの大予言』(1974年)」の誤りです。訂正致します。(2022/05/30/11:56)
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