2023年12月26日火曜日

レコード喫茶「盤だらけ」よもやま話し:ビートたけしのファミリー・ヒストリー阿波国徳島番外編

2020
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  突然の何の関わりもない話に変わりますが、昨日12月21日NHKTVのファミリー・ヒストリーを観ました。それは「阿波国徳島に何が!」と題して、ビートたけしこと、北野武家のルーツを訪ねる、
<北野武73分拡大SP東大で祖母の記録発見、父の名前が戦国の城に、母・さきの人生に唖然・・・>
という番組でありました。その番組を断片的に観るとはなしに眺めていたんですが、突然見慣れた徳島市通町の街並みが映し出され、同地にビートたけしの祖母「北野うし」の大店(粉問屋)があったと紹介されたのです。
 その後の番組の経過は要旨以下のとおりであります。
「北野うし」は、芸名「竹本八重子」と名乗る<徳島の娘義太夫のスター>で三味線の師匠をしており、のち東京でも「うし」は義太夫の太夫として、天皇の御前演奏(唱)を行ったほどの腕前であったらしい。
その後「北野うし」は様々なことがあって、千葉県出身のビートたけしの母「小宮さき」を養女に迎え「さき」は「北野姓」を名乗るようになったらしい。
養女「北野さき」は、徳島県在住の「正端友八」の次男「菊次郎」と養子縁組した。
(その後四男「武(ビートたけし)」が生まれる。)
祖母うしが東京の日暮里に土地を所有していた関係から、さきは同地で洋品店を開店させた。
一方、父方の「正端家」はその姓から戦国時代の阿波国(現:徳島県)の主要な城「勝瑞城(しょうずいじょう)」を拠点にした細川氏に連なる武士の出の可能性が高いと説明されたようだ。
このようにビートたけしの両親ともに、阿波国徳島県ととても縁の深い人であったのです。 
この点はあくまで私見ですが、徳島には戦国時代の細川氏の「勝瑞城」に因んだ、いずれも「しょうずい」と読む「勝瑞」、「祥瑞」、「正端」姓が比較的見受けられることからしても、たけしの父方「正端家」は細川氏に連なる武士の出の可能性が高いと言える。
              当時の阿波国で義太夫と言えば、「傾城阿波鳴門」が定番だ
 けに、ビートたけしの祖母竹本八重子こと「北野うし」も、
きっとこの名場面を三味線の弾き語りでいつも唸ったと思われ

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