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「魏使たちは、北部九州のどこかの港に上陸してからは、東南、東南、東――というふうに『陸行』を続けている。そういう意味で、大荷物の運搬という難題をあわせて考えた場合には、できるだけ東側にある港に上陸したいというのが自然だろう。 しかし、この旅が、安全の上にも安全を期したいものだとしたならば、神湊から東の『水行』は、ちょっと考えられないんだよ」 「どうしてです?」 「僕だって、君に教えてもらわなくっても、『万葉集』のいくつかの歌は知っているさ」 恭介は唇の左のはじをつりあげて笑った。 「学会で福岡へ行ったとき、車で付近の名所を案内してもらって、志賀島へも行ってみたんだが、あそこの志賀島神社には万葉歌碑が立っていたね……。 『ちはやふる 金の三崎を ぎぬとも 吾は忘れじ 牡鹿の皇神』 たしか、こういう歌だったよ。そして、あの神社のどこかには、占い用の鹿の骨をおさめてある庫があるという話も聞いた。『どこの馬の骨かわからない』という言葉は、たとえば庶民が、鹿の骨と称して馬の骨を持って来たとき、神官が笑ってつっ返す言葉から出ているようだね。たしかに、馬の骨と鹿の骨の区別が出来ないようでは、鹿トなどやる資格はないといえるだろう。馬鹿という言葉の語源はそんなところにあるのかな?」 「僕の知っているかぎりでは、馬鹿の語源はもっと古くて、別の意味があるんですがねえ……まあ、その話はこのさい省略します。いまの『牡鹿』という言葉にしても、オガと読むのだという説があります。オガは遠賀に通ずるし、『牡鹿の皇神』というのは、遠賀川の河口近くの狩尾崎にある狩尾明神だという説と、芦屋町の高倉明神だという説があるようですが……」 「そんなことは僕にはあまり関心がないな。『オガ』か『シカ』かという論争は、それこそ『万葉学者』たちの論点の一つなんだろうし、僕たちのような素人が知ったかぶりの口を出すことはなかろうと思うがねえ……。 ただ、この歌からわかることは、鐘ノ岬が海路をたどる場合には、どちらから来てもたいへんな難所になるということだね。そのとき聞いた話では、鐘ノ岬とその沖の地島との間にはたいへんな暗礁群がある。こういう地名のおこりにしても、むかし朝鮮から大きな鐘をはこんで来た船がこのあたりで難破し、鐘といっしょに海底へ沈んだ――という故実から出ているときいたおぼえがあるんだがねえ」 「………」 「それに、鐘ノ岬を越えて東へ進めば、いわゆる響灘だろう。こっちのほうは玄界灘にまさるとも劣らない荒海だと聞いたこともあったよ。そこを越えて、瀬戸内海に入るためには関門海峡があるだろう。僕も和布刈神社へは一度行って見たことがある。時間によってもかわるだろうが、そのときの印象では、海の中に流れの急な河が走っているような気がしたね。そこを越えれば周防灘――これにしたって、灘という名前がついている以上、生やさしい海ではなかろうね……。 もう一度いう。このときの魏使の旅のコースは安全の上にも安全を期し、しかもいちばん便利な道をえらんだはずだ。 陸行して東のほうへ進むとすれば、出来るだけ東側の港に上陸すべきだろう。玄界灘はしかたがないとして、そのほかの海の難所は出来るだけ敬遠したいところだろう。上陸中の船団の安全保持にも万全を期したいところだろう。こういうすべての条件を満せる古代の港は、九州北海岸では神湊のほかにあるとは思えない」 静かな声の中に鋭さがこもっていた。病気入院中とは思えないこの気魄に、研三は身ぶるいしたくらいだった。 「では、神津さんは魏使たちの上陸地点が神湊だと断定するんですね……でも、ここは僕たちの推理でも、せいぜい不弥国と比定できればいいところだったわけでしょう。ここが上陸地点だとなると、途中にあったはずの末盧国、伊都国、それから奴国と、国が三つもふっとぶんですよ!」 研三は、われを忘れて、譫言のような調子で言った。 「そうかなあ? 僕はそうとは思わないが」 恭介は眼を輝かせた。 「いったい松浦半島を末盧国、糸島半島を伊都国、博多付近を奴国と比定したのにはどんな根拠があったんだ? 金印の問題を別としたら、後世、四百年以上後につけられた地名の発音からの類推じゃなかったのかね? それは僕たちの場合には、タブー第二条でとめられていたはずなんだよ」 「でも……」 「政治の大変動が起こったとき、権力によって強制的に地名が変更させられることはちっとも珍しくはない。ペテルグラードがレニングラード、スターリングラードがヴォルググラード、清朝時代の北京が日本占領当時には北平となり、また北京にもどったというように、世界の歴史にそういう例はいくらでもある。日本の場合にしたところで、そういう例はあるだろう」 「………」 「とにかく、三世紀以後には、日本人の間にも、民族大移動的な大規模な変化が起こったことはたしかだね。このころ、日本になかったという馬にしたって、平和な時期に渡来したかどうかは疑わしいね。いわゆる『騎馬民族の侵入』というのは、とうぜん異民族の大挙侵攻作戦のことをいうのだろう? そういう時代には、政治的権力の中心が、何度となく転々と動いた可能性もある。各小国家の名前がどう変わったとしてもおかしくない」 「………」 「どうしていままでの研究家たちは、ここまでの国々だけは絶対間違いないと信じて疑わなかったんだ? それは一口で言ったなら、魏の使節団が上陸したのは、広く見て東松浦半島のどこかだという大前提に何の疑問も抱かなかったためだろう? しかし、この上陸地点が変わったとしたならば、この大前提は崩れてしまう。その場合には、この末盧国から不弥国までの比定も、とうぜん論理的に変わってくるね。いままでのほとんどすべての学者の定説は、上陸地点が根本的にかわったとたんに、まるで砂上の楼閣のように、一瞬に瓦解してしまうんだよ。そして、東松浦半島上陸は、僕が今日論証したように、その後の陸行を考えたら、およそあり得べからざることなんだ」 恭介は鋼のように顔の筋肉をひきしめて、 「そして、神湊の上陸には、やっぱり今日の論証で相当以上の公算が認められるということになったろう。しかし、その考え方をとったなら、とうぜん宗像一帯が末盧国になるわけだね……。 ねえ、君、僕の考え方はいったい非科学的だろうか? 非論理的だと笑われるかね?」 「そういう非難はうけますまい。推理には、いままで誰も眼をつけなかった自然地理学的な根拠がありますし、仮定としては、たしかに論理的、合理的です」 「そうだろうね」 恭介はかるく何度かうなずいた。緊張しきっていた表情もやわらぎ、鋭い眼の光もふだんの色にかえって来た。 「末盧国が宗像一帯……これは面白いことになって来た。これで難攻不落の城も何とか攻め落とせるような気がして来たよ。どうだね、あとは明日のお楽しみ――そういうことにしようじゃないか」 研三が興奮と酔いのあまり、よろめく足をふみしめて立ち上がったとき、恭介は天井の一角を見あげて、ひとりごとのような調子で言った。 「このあたりが、君のいう『前人未踏のアプローチ』じゃないのかな? もし、この研究が、将来活字になるようなことがあったら、いままでの研究家の――その中でも特に頭の悪い男は、『それは許さるべきことではありません』とか『到底無理な相談だ』とか、頭から湯気を出していきりたつだろうね。 そういう低能連中が、徒党を組んで、先輩の説を金科玉条のようにあがめたてまつっていたからこそ、日本の古代史はこれまで進歩がおくれていたんじゃないのかな? 聖書に太陽が地球のまわりをまわる――と書いてある以上、地球が太陽のまわりをまわる――という考えは、許さるべきことではないとか、到底無理な相談だとか、なるほど宗教裁判の時代には、ローマ法皇の鼻息をうかがう裁判官たちは、そういう発言もしたんだろうね」
出船の港 入船の港
思いがけない宗像、神湊上陸という前人未踏のアプローチに、松下研三はすっかり嬉しくなってしまった。 もちろん末盧国を宗像付近と比定しただけでは、邪馬台国の秘密は解ききれたとは言えないが、これから後の追求にも何となく希望は生まれて来た。 午前中から午後三時ごろまでは、理学部の地理学教室でいろいろと下調べをくりかえし、それから昨日とは打って変わった明るい心境で、雷雨の襲来を気にしながら、彼は恭介の病室を訪ねて行ったのだった。 「神津さん、昨夜はよく眠れましたか?」 最初の質問に、恭介は朗らかな顔で笑った。 「おかげさまでね。夢も見ないで熟睡できたよ。卑弥呼の幽霊にしたところで、今度は成仏してくれたらしいな」 「楽観するのはまだ早いですよ。たしかに、昨日は前人未踏のアプローチで、ホール・イン・ワンの大記録は出たという感じですが、このコースはまだまだ先が長いんですよ」 「まあ、もう一度、卑弥呼が夢にあらわれてくれれば、それでゴールインだよ。ところで今日はどういうことをすればよいかな?」 「いろいろ考えて見ましたが、まあ、その前に僕のいうことを聞いて下さい」 研三は真剣な表情で椅子をすすめた。
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